(賑わう愛宕市)
松阪市愛宕町の愛宕山龍泉寺(岡本祐璋住職)で新年恒例の「初愛宕大祭」が1月24日、25日の両日に開催されています。この祭りは毎年この両日を「初愛宕(愛宕市が立つ)」と称し、火防安住(火の用心)、勝運隆盛、良縁招福の大祈祷会が行われています。私も24日に行ってきました。
愛宕山上福院龍泉寺(あたごさんじょうふくいんりゅうせんじ)の開創は、聖武天皇(在位724~749)が行基に勅命し、一志中郷村滝野川(現 松阪市嬉野滝乃川町)の深山に建立したのが始まりとされ、滝野川寺と称しました。多気の国司・北畠の庇護を受けていたことから、織田信長が攻めてきたとき焼き討ちにあっています。その後松ヶ島平尾に移し瀧川寺(りゅうせんじ)と称し、蒲生氏郷の開府8年前の1580年に現在地に移転しました。
ご本尊の愛宕大権現は、弘仁年中(810~824)に弘法大師が、鎮護国家、万民決楽のために天弓愛染明王とともに彫ったものです。
龍泉寺の山門は松阪市内の木造建造物では最古ものと言われ、県指定文化財になっています。妻造り、本瓦葺きの一間一戸(いっけんいっこ)の薬医門で、松ヶ島城の裏門を移したものとも、松坂城の門を移したものとも言われています。
(三重修験道会の行者による柴燈護摩供養)
岡本住職の話では、この祭りがいつごろから行われているかは定かではないが、江戸中期ごろに始まったのではないかということです。
大祭には本殿で9時30分から法要が始まり、午前10時から境内では三重修験道会(福森實峯 会長)の8人の行者による柴燈護摩供養が行われました。境内には愛宕市(道具市)がたち、鍬・鎌・鋏などの農具、包丁・まな板などの家庭用品などが売られ、また昨年からは食べ物の店として、愛宕町で人気のある飲食店のスペシャルフードが出店し、それらを買い求める参拝者で賑わっていました。私も、愛宕さんの近くの「創牛料理はまにく」が提供していた牛汁をいただきましたが、安くてとてもおいしかったです。
龍泉寺の初愛宕大祭は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。
松阪市愛宕町の愛宕山龍泉寺(岡本祐璋住職)で新年恒例の「初愛宕大祭」が1月24日、25日の両日に開催されています。この祭りは毎年この両日を「初愛宕(愛宕市が立つ)」と称し、火防安住(火の用心)、勝運隆盛、良縁招福の大祈祷会が行われています。私も24日に行ってきました。
愛宕山上福院龍泉寺(あたごさんじょうふくいんりゅうせんじ)の開創は、聖武天皇(在位724~749)が行基に勅命し、一志中郷村滝野川(現 松阪市嬉野滝乃川町)の深山に建立したのが始まりとされ、滝野川寺と称しました。多気の国司・北畠の庇護を受けていたことから、織田信長が攻めてきたとき焼き討ちにあっています。その後松ヶ島平尾に移し瀧川寺(りゅうせんじ)と称し、蒲生氏郷の開府8年前の1580年に現在地に移転しました。
ご本尊の愛宕大権現は、弘仁年中(810~824)に弘法大師が、鎮護国家、万民決楽のために天弓愛染明王とともに彫ったものです。
龍泉寺の山門は松阪市内の木造建造物では最古ものと言われ、県指定文化財になっています。妻造り、本瓦葺きの一間一戸(いっけんいっこ)の薬医門で、松ヶ島城の裏門を移したものとも、松坂城の門を移したものとも言われています。
(三重修験道会の行者による柴燈護摩供養)
岡本住職の話では、この祭りがいつごろから行われているかは定かではないが、江戸中期ごろに始まったのではないかということです。
大祭には本殿で9時30分から法要が始まり、午前10時から境内では三重修験道会(福森實峯 会長)の8人の行者による柴燈護摩供養が行われました。境内には愛宕市(道具市)がたち、鍬・鎌・鋏などの農具、包丁・まな板などの家庭用品などが売られ、また昨年からは食べ物の店として、愛宕町で人気のある飲食店のスペシャルフードが出店し、それらを買い求める参拝者で賑わっていました。私も、愛宕さんの近くの「創牛料理はまにく」が提供していた牛汁をいただきましたが、安くてとてもおいしかったです。
龍泉寺の初愛宕大祭は私のブログ「松阪市内の祭り100選」記載してあります。