川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

ハリルホジッチ監督の解任

2018-04-28 20:27:16 | 日記
 サッカー日本代表監督を解任されたハリルホジッチ氏が解任の記者会見で「何が起きたか分からない」「監督に対するリスペクト(敬意)がなかった」と述べたという。欧州では成績不振によりサッカーの監督が解任されることはよくあると聞いている。サッカーに限らずどのスポーツでもチームの成績が悪いと監督がクビになることはよくあることである。しかしハリル前監督にしてみれば、日本代表監督に就任して3年、ロシアでのワールドカップの出場権を得て、2ヶ月後にW杯を迎えるこの時期にクビはないだろうと、いいたいのではないか。
 選手との信頼関係がなかったことや、一部の選手との確執があったともいわれている。

 私は彼が監督に就任したとき発した言葉が気になった。
 『まだ全日本の選手は誰一人決まっていない』
 おそらくその通りであったであろう。監督に就任してこれから全日本の選手の選出をしていこうということである。
 しかしこの言葉には、単に現状を表すより「いかにベテランでもうかうかしていては全日本の選手になれないぞ、若手でも頑張れば全日本の選手になれるぞ」という意味の方が大きいのではないか。この監督の言葉によりベテランも若手もやる気を出して底上げができれば、こんなにいいことはない。

 監督はいかに選手のやる気を起こさせるかが大事な役割である。しかし中にはこんな薄っぺらい言葉で選手を競わせ、やる気を起こさせようとすることに不快を感じた選手がいたのではないか。私が選手なら「カチッ」ときたと思う。同じ意味の言葉でも「まだ私は全選手の能力を把握していない。これからそれぞれの選手の能力を見極め、全日本の選手を選出したい」とでもいえばまた違った受け止め方がされたのではないかと思う。
 私には彼が監督就任時に発した言葉がずっと気になっていた。

天皇の生前退位まであと1年

2018-04-26 07:41:21 | 日記
 2019年(平成31年)4月30日に今上天皇が退位され、新元号となる「御代代わり」まであと1年余となった。ご高齢ながら激務をなされている天皇陛下が生前退位され、皇后陛下とともに少しゆったりされるのはよかったと思う。

 30年間の平成の時代は阪神淡路大震災や東日本大震災に代表される自然災害の多かった時代であった。天皇皇后両陛下が災害の被災地を訪れ、避難場所の被災者に対して膝を付き合わせて、やわらかい笑顔をたたえながら励ましてみえる姿は、私たちの記憶にいつまでも残るだろう。天皇皇后両陛下の訪問を受けて、途方に暮れる被災者の人たちがどれだけ励まされたことだろうか。
 
 我が国は世界でも有数の火山国である。世界の火山の約1割が狭い日本の国土にあるといわれている。平成の時代にも多くの火山の噴火があった。平成3年(1991)に発生した長崎県の雲仙普賢岳の噴火で、天皇陛下はジャケットを脱ぎ、ワイシャツの腕をまくって避難所に訪れ、床に膝をついて被災者を見舞った。これまでの124代の歴代天皇が膝をつくのは神様の前だけであったが、今上天皇は初めて膝をついて被災者に接した。天皇陛下はその後も皇后陛下とともにこのスタイルを通して、被災者を励まし続けられた。

 平成5年7月12日に発生した北海道南西沖地震で津波と火災で大きな被害を受けた奥尻島では、天皇陛下が訪れるというニュースが流れたところ、それまでうつろな目をしていた被災者の目が輝いたという。そして「私たちの復興の第一歩は天皇皇后両陛下にお会いできたことだ」と述べたという。
 平成23年5月に東日本大震災の被災地である福島県相馬市を訪れた皇后陛下は、自宅もご主人の店も流された女性に対し「生きていてくれてありがとう」と声をかけられたという。その女性は「何もかも失ったという喪失感があったが、皇后様のお言葉により、“そうか、生きていること自体が大切なんだ”と思えるようになった」という。

 「エンペラー(Emperor)」。日本語では「皇帝」または「天皇」と訳される。世界中の王朝の中でEmperorと表記されるのは我が国の天皇だけであるという。2009年11月にアメリカのオバマ大統領が初めて来日したときに天皇陛下に面会した。このとき大統領は腰を90度に折ってお辞儀をして敬意を表した。もともとお辞儀をする習慣のないアメリカでは、抗議デモまで起きた。世界に冠たるアメリカの大統領がなぜそこまでするのかということであった。
 今年は皇紀2678年。世界の中でも最も歴史の長い皇室である。世界が敬意を集めているのは男系男子でつないでいること。これだけ長い天皇の歴史で男系男子は奇跡的だといわれている。
 世界の中でも特に英国は日本の皇室に敬意をして示している。東日本大震災の翌年2012年(平成24年)6月にイギリスのエリザベス女王の即位60周年を祝う祝賀行事の昼食会には30ヶ国の王族が招待された。この時、天皇皇后両陛下は女王と同じテーブルで、天皇陛下は女王のすぐ横、もう一方の横にはスウェーデン国王、その横に皇后陛下がつかれたという。これはイギリスが日本の皇室をいかに高く評価しているかを表しているとされる。

     慰霊碑の 先に広がる 水俣の
     海青くして 静かなりけり

 平成26年の歌会始で詠み上げられた天皇陛下の御歌。前年に両陛下が水俣病患者を見舞われた時に詠まれた歌である。この歌には、和歌・短歌の心得が全くない私にもなぜか惹かれるものがあった。私の好きな歌である。

 天皇があればこそ日本という国が外国の人々から見て、奥行きや深みのある国にみえるのではないかと思う。それには天皇皇后両陛下の人間性が大きく関わっていると思う。両陛下には退位されてからも、いつまでもお元気でいてほしい。


(このブログは平成30年4月17日の伊勢市の神宮会館で開催された三重県神社総代会大会に行われた、皇室ジャーナリストの高清水有子氏の講演「皇統を守る ~ご譲位に伴う諸問題について~」を参考にして書かせていただきました)

伊勢山上春季大会式(戸開け式)開催される

2018-04-22 22:46:30 | 日記
                        (岩屋本堂の開扉)

 行者の修験道場として知られる松阪市飯福田町の伊勢山上 飯福田寺(世木英勝 住職)で4月22日、春季大会式(戸開け式)が行われました。この催しは伊勢山上の岩屋本堂を開扉し、登山者の安全を祈るとともに、この日訪れた人たちが火渡りを行い、家内安全や健康を祈願するものです。

 国峯山飯福田寺(こくほうざん いぶたじ)は真言宗醍醐派の古刹で、京都三宝院の末寺。今から約1300年前の大宝元年(701)役小角(えんのおづぬ)により開創された霊場で、本尊は薬師如来。
 中世には伊勢国司北畠家の祈願所として荘厳な伽藍を構えて栄えたが、北畠家没落後衰退していった。天正11年(1583)には織田信長の長男 織田信雄より寺領・百十五貫文を寄付されたが、松坂城主蒲生氏郷により寺領は没収され、伽藍は壊され松坂城の用材に用いられた。その後津藩主藤堂家の信奉を得て寺運は興隆した。

 飯福田寺一帯の山地には多くの奇岩が露出しており、鎌倉時代以来行者の修験道場として用いられています。
 行場は表行場と裏行場があり、私も若いときには両方とも廻った記憶がありますが、表行場めぐりには、油こぼし、屏風岩、行者越え、岩屋本堂などの奇岩怪岩があり、三重県の一番危険な観光地に登録されているということです。一周すると約4㎞、所用時間は1時間半~2時間半ということです。また裏行場には油こぼし、達磨岩、獅子ヶ鼻などがあり、一周1.5㎞所用時間30分~1時間ということです。

  
  (岩屋本堂に行くための難関「油こぼし」)      (柴燈祈願護摩の前の行者問答のようす)

 この日の開山式を執り行った修験者は、松阪市小野町の北斗山向山院を根本道場とする三重修験道会(野沢静尊代表)の人たち15名でした。午前10時から会式が始まり、護摩堂、本堂で読経後、岩屋本堂で戸開け式が行われました。本堂前に戻り柴燈祈願護摩が行われましたが、この時「行者問答」がありました。これは修験者(山伏)が身に着けているもの1つ1つの謂われを問うもので、私は初めて見せていただきました。
 この後、飯福田寺の護摩堂前では、積まれた薪に火がつけられ、火や煙が残る薪の上を来場者が素足で渡る「火渡り」が行われ、健康や厄除けを祈願しました。
 この日、名古屋から来たという藤本友香さんも火渡りを行いました。少し話しをさせていただきましたが、友達に誘われて初めて来たということでした。


   
                 (来場者火渡りを行い健康・厄除けを祈願した)

 この伊勢山上飯福田寺の戸開け式、戸閉め式について、世木住職からお聞きした話しでは、以前は開山式(戸開け式)が4月8日、閉山式(戸閉め式)が10月7日と決められていましたが、平日では手伝いをしてくれる人たちが出にくいこともあり、平成26年から戸開け式が4月下旬の日曜日、戸閉め式は10月下旬の日曜日に行われることになったということです。
 この日は気候もよく、来場した多くの人たちは、岩屋本堂まで登ったり、火渡りを行ったりして、静かな山あいのお寺の会式を楽しみました。

 この会式は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。

松阪こどもまつり開催される

2018-04-22 20:33:10 | 日記
 『「あそんで」「つくって」「 たべて」「おどって」みんなが主役! !』をテーマに4月22日、三重県松阪市立野町の中部台運動公園芝生広場で、第41回松阪こどもまつりが開催されました。この催しは松阪市・松阪市教育委員会・松阪こどもまつり実行委員会が主催し、毎年この時期に行われるもので、この日は好天に恵まれ、公園の芝生広場は大勢の家族連れで賑わいました。
 
 メインステージではオープニングセレモニーのあと、ジュニアバンドの演奏や、キッズダンスパフォーマンス、ゆるキャラといっしょに踊ろう♬ モウモウ体操などがありました。
 「つくる」コーナーでゴム鉄砲づくりやキーホルダーづくり、缶バッジつくりなどや、木工教室、ハンカチあい染めコーナーなどがあり、子どもたちが思い思いのコーナーで楽しんでいました。
 また「あそぶ」コーナーでは輪投げや松阪広域消防組合の煙体験コーナー、お菓子釣りやスーパーボールすくい、機関車「くろすけ」の汽笛体験などがありました。

第10回 松阪史跡めぐり開催のお知らせ

2018-04-21 05:30:01 | 日記
                  (第9回の集合写真-大台町三瀬の館跡)

 松阪史跡探訪会主催の第10回松阪史跡めぐりが平成30年5月27日(日)行われます。
 松阪史跡探訪会(会員50名 代表川口 保)は平成25年11月に設立した会で、松阪市及びその周辺地域の名勝、名山、城跡、遺跡、古墳、神社、お寺、廃寺、名木、祭り、神事、食、名産など歴史的・文化的遺産などを訪ねていく会です。これまで次のように開催しました。

 第1回 和歌山街道めぐり(その1)
 第2回 嬉野方面めぐり
 第3回 櫛田川流域めぐり
 第4回 三重県総合博物館(みえむ)と伊勢街道めぐり!!
 第5回 市街地めぐり
 第6回 多気町の史跡めぐり
 第7回 和歌山街道めぐり(その2)
 第8回 明和町の史跡めぐり
 第9回 大台町史跡めぐり

 今回の第10回は伊勢寺・阿坂・宇気郷方面を巡ります。伊勢寺・阿坂は大変古い土地です。伊勢寺には奈良時代に地名の由来となった大きなお寺「伊勢寺」がありました。また、阿坂は日本神話の大神「猿田彦大神(さるたひこのおおがみ)」のふるさとです。初夏の風を感じながら探訪します。誰でも参加できます。参加希望の方は下記まで申し込んでください。


○月 日 平成30年5月27日(日) (雨天決行)

○集 合 鈴の森公園(集合午前8:00)、松尾神社(集合午前8:00)

○会 費 2,300円(マイクロバス、保険含む)(当日徴収します)

○定 員 50名 (定員になり次第締切ります)
      
○探訪地 伊勢寺・阿坂・宇気郷方面 
   伊勢寺廃寺(伊勢寺町)
   敏太(みぬた)神社(美濃田町)
   阿射加(あざか)神社(小阿坂町)
   阿射加神社(大阿坂町)
   浄眼寺(大阿坂町)
   ベルファーム(昼食)
   飯福田寺(飯福田町)
   蘭宇氣白(あららぎうきはく)神社(柚原町)
               (見学地は変更することがあります)
 各探訪地で宮司さん、住職さんや歴史研究家の人から詳しい方から説明を受けます。

○その他 ・弁当、飲み物など各自持参して下さい(ベルファームで昼食)

○史跡めぐりには、会員外の方、市外、県外の方、誰でも参加できます。

○参加申し込みされた方には、後ほどコース表など詳しい案内を届けます。

○主 催 松阪史跡探訪会

○問合せ・参加申し込みは 川口保まで連絡下さい
電話自宅 0598-58-2948、携帯090-8738-7959 申込み締切5月22日
  メールでも申し込みができますMail:kawaguchi@tamotsu.info

三重県神社総代会大会開催される

2018-04-19 06:28:40 | 日記
               (「最後の挨拶」と前置きして挨拶する谷川醇太郎会長)

 伊勢市の神宮会館大講堂で平成30年4月17日、「天皇陛下御即位三十年奉祝 三重県神社総代会大会」が開催されました。この催しには三重県下の神社の神職・総代など約千人が出席して行われました。私も松尾神社の総代として神職とともに出席しました。
 国旗儀礼、国歌斉唱のあと三重県神社総代会の谷川醇太郎会長が挨拶しました。谷川会長は長きにわたって会長を努めていただきましたが、今期で引退されるということで、「最後のあいさつ」をされました。神社功労者表彰では10人の功労者が表彰されました。

 この大会に先駆け講演会があり、皇室ジャーナリストの高清水有子講師から「皇統を守る ~ご譲位に伴う諸問題について~」というテーマの興味ある話しを聞きました。

松尾神社奉賛会総会開催される

2018-04-18 02:55:06 | 日記
                 (平成30年度松尾神社崇敬奉賛会総会の様子)

 松尾神社崇敬奉賛会の平成30年度総会が、松阪市立野町にある松尾神社社務所で4月15日に行われました。
 松尾神社崇敬奉賛会(錦金則 会長 特別会員20団体、個人会員65名)は、松尾神社(岡村行通 宮司)に対する奉賛・崇敬の気持ちを持ちつつ、同神社の祭事や文化財の維持伝承を側面から支援していくために平成26年4月に結成されたもので、この日の総会には会員の中から20名が出席して行われました。

 総会では平成29年度事業報告や会計報告、また平成30年度の活動計画・予算計画が提案され承認されました。事業報告では平成29年4月16日に行われた総会、5月13日に行われた御田植祭、9月10日に行われた抜穂祭、30年1月8日のどんど火などが報告されました。

 松尾神社崇敬奉賛会の趣旨に賛同していただける方の入会を随時受け付けています。ご入会をしていただける方は下記までご連絡して下さい。なお会費は次のようになっています。

   個人会員      初年度   入会金+年会費  5,000円  
               2年目以降 年会費2,000円
   特別(団体)会員  初年度   入会金+年会費 10,000円  
               2年目以降 年会費5,000円


                     松尾神社崇敬奉賛会事務局 川口 保
                     電話 0598-58-2948  090-8738-7959

松尾神社慰霊大祭行われる

2018-04-16 04:52:32 | 日記
 松阪市立野町の松尾神社(岡村行通 宮司)で平成30年4月15日に、戦没者を追悼する「松尾霊社慰霊大祭」が行われました。この祭式は、松尾神社の約400段の階段を上った山頂にある霊社において松尾地区内の戦没者の遺族を始め、神社関係者、来賓などが参列して、毎年この時期に行われます。

   
                   (6人の小学生女児による浦安の舞の奉納)    

 この祭式は屋外で行われるため天候が心配されたのですが、何とか雨もあがり、祭式が行われた午後には天候も回復しました。式典には松尾遺族会(亀井浩会長)の会員11人、松尾神社関係者、松尾地区の各自治会長、また県議会議員、地元市議会議員などの多くの来賓の皆様が参列して、戦没者を追悼しました。
 この式典には舞姫6人が「浦安の舞」を奉納しました。今回舞を奉納したのは松尾小学校5年生の福田和花さん、川口温花さん、青田理湖さん、岡村心愛さんと、6年生の錦俐依奈さん、笠原梓さんの6人で、これまでの練習の成果を披露して舞ました。

韓国フェスティバル2018in名古屋始まる

2018-04-14 17:39:06 | 日記
                 (ステージの前は大勢の人波で埋まりました)

 名古屋市の久屋大通公園の「久屋広場」で4月14日(土)、15日(日)の両日「韓国フェスティバル2018in名古屋」が開催されています。この催しは駐名古屋大韓民国総領事館が主催して行われているもので、韓国文化に親しみ、日本と韓国両国の友好関係や文化交流の輪が広がり、両国が近まることを目的として開催されているものです。
  
 
 (鄭煥星総領事と大村知事へのインタビュー)        (人気グループApeaceの公演)

 私も総領事館から案内をいただいたので、今日行ってきました。会場には所狭しといろいろなブースが並び、韓国料理の販売や、韓国の文化を紹介するコーナーがありました。飲食ブースには韓国を代表する料理のチヂミ、ユッケジャン、トッポギ、ホットク、サンギョプサル、タッカルビ、のり巻きなどのコーナーがあり、長い列ができていました。私もいろいろな料理を食べたかったのですが、食べられず、民団三重県本部のブースでいただいた松阪牛すじ煮込みスープが大変おいしかったです。
 また韓国文化体験ブースでは、韓国国民衣装のレンタル体験、韓紙工芸、折り紙教室、本格キムチの手作り体験などがありました。

 会場内のステージではオープニングセレモニーのあと、名古屋総領事館の鄭煥星(チョン ファンソン)総領事と大村秀章愛知県知事が揃ってインタビューを受けました。また人気グループ「Apeace(エーピース)」などの公演やハイタッチ会、写真撮影会などがありました。
 明日15日も10時~18時まで開催されます。

浦安の舞練習急ピッチ-松尾神社

2018-04-11 04:06:14 | 日記
 松阪市立野町の松尾神社で4月15日に行われる「松尾霊社慰霊大祭」に「浦安の舞」が奉納されますが、この練習が急ピッチで進んでいます。
 練習に参加しているのは松尾小学校の6年生2人、5年生4人の6人の女児で、岡村和子さんの指導のもと約10日間練習します。

 慰霊大祭は約400段の階段を上った山頂の霊社で午後1時から(手水午後0時~)行われます。ちょっと天気が心配です。

大日寺で火渡り行われる

2018-04-06 17:15:31 | 日記
             (火渡りでは来場者が炎の残る焼木の上を素足で渡りました)

 松阪市上川町高田の片岡山大日寺で4月6日春の大祭が行われ、護摩祈祷や火渡りが行われました。私も初めて見せていただきました。
大日寺は真言宗の寺院で、日野町善福寺の末寺です。本尊の大日如来座像は平安時代後期の作と推定され、古来より農耕牛馬の安全守護を司る仏として、近隣農家の崇高を集めていました。本仏像は昭和28年12月8日松阪市指定文化財に認定されました。


      (三重修験道会による護摩祈祷)          (最後に餅まきが行われました)

 この祭りは大日寺(上田 功 総代)と上川町高田自治会(伊藤九一郎会長)が中心となって行われました。この日、三重修験道会(野沢静尊 代表)の8人の修験者により護摩祈祷が行われ、四方に向かって射られた矢を来場者がきそって拾っていました。
 火渡りでは炎が残る木の上を来場者が素足で渡って、無病息災を願いました。最後に餅まきが行われ、来場者は歓声をあげながら拾っていました。私も少しゲットしました。
 地元の方の話しではこの祭りがいつ頃から始まったかは、はっきり分からないが、戦後間もないころから始まったのではないかということです。

この祭りは私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。

宣長まつり開催される

2018-04-02 19:11:50 | 日記
                   (クイーン松阪の表彰式がありました)

 江戸時代中・後期の国学者・本居宣長の功績を顕彰する「宣長まつり」が平成30年4月1日に松阪市殿町の松坂城跡を中心として開催されました。この祭りは松阪市観光協会が主催して毎年この時期に行われるもので、この日城跡では本居宣長に関するいろいろなイベントが行われ、松阪市観光協会の会員による出店もあり、満開の桜の下、多くの市民で賑わいました。

 本居宣長は享保15年(1730)伊勢国松阪本町の小津定利の長男として生まれました。小津家は江戸に店をもつ木綿商でありましが、宣長が家督を継ぐ頃には店は窮地に陥り、ついには破産してしまいました。
 宝暦2年(1752)23歳の宣長は、母の志を受け、医学を修めるために京都に入り、儒学者・堀景山より漢籍を、針灸の大家・堀元厚に医書を、高名な小児科医・武川幸順に医術を学びました。28歳で帰郷して、町医を開業して生計を立てながら『源氏物語』などの日本の古典の研究を続けました。
 宝暦13年(1763)松阪日野町の旅館「新上屋」に宿泊中の賀茂真淵(かものまぶち)に対面し、古事記研究の志を告げました。これが「松阪の一夜」として知られるもので、その年の末に真淵の門人となりまた。
 翌明和元年(1764)宣長35歳のとき、西暦712年に書かれた日本最古の歴史書『古事記』の研究に着手し、35年の歳月を費やして大著『古事記伝』全44冊を完成させました。享和元年(1801)72歳で生涯を閉じた宣長は、遺言により山室山の奥墓に葬られました。

 この日会場となった松坂城跡の音楽堂では式典のあと、クイーン松阪の表彰式がありました。クイーン松阪は中日新聞と中日写真協会松阪支部が主催して行われるもので、今年の新しい3人のクイーンに表彰状や記念品が贈られました。この日桜松閣では「宣長茶会」や「子ども茶会」があり、本居宣長記念館では「のりなが紙芝居」がありました。また松阪ガイドボランティア友の会の人たちによる「のりながお城ウォーク」があり、城跡内の説明がありました。
 この日は本居宣長記念館を始め、歴史民俗資料館、松阪商人の館、宣長書斎「鈴屋」などが無料開放されました。
 この祭りは私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。


 宣長まつりのあった4月1日から新しい年度に入りました。本居宣長記念館の吉田悦之館長が3月を末で定年退職の年齢を迎えていましたが、引き続き館長をしてもらうことになりました。「吉田さん以外に館長はいない」「ずっと活躍してもらいたい」などと大変評価が高く、公益財団法人鈴屋遺跡保存会は続投を決めました。吉田館長は宣長研究の第一人者で説明を聞いても大変わかりやすく、ユーモアを交えて話されます。吉田館長の続投を私も大変うれしく思います。なお余談ですが、館長は笹川町にお住まいで、朝のウォーキングでお会いさせてもらうこともあります。

松阪公民館がマームにオープン

2018-04-01 20:51:06 | 日記
                  (オープニングセレモニーのテープカット)

 平成30年4月1日松阪公民館が松阪市船江町の松阪ショッピングセンターマーム2階にオープンしました。これまでの殿町の松阪公園下にあった松阪公民館が老朽化したことから今回の移転オープンとなったものです。午後2時からオープニングセレモニーがあり、竹上市長は挨拶の中で、「これまでの松阪公民館になかった公民館主催の取り組みを増やしていき、中央公民館としての役割を果たしていきたい。ここに公民館が来てよかったといわれるようにしたい」と述べました。このあとテープカットにより、新公民館の開館を祝いました。
 オープニングセレモニーのあと落語家・切磋亭琢磨さんの「寿、限り無し寄席」というテーマの講演会がありました。

 新しい松阪公民館には大小の講座室が6つ、和室が1つ、創作室が1つあり、また事務所、印刷室、作業室、資料室などがあります。移転に関してはいろいろな問題も指摘されましたが、利用される市民の皆さんで、新しい公民館での新しい歴史を創ってほしいと思います。

松阪図書館がリニューアルオープン

2018-04-01 16:00:46 | 日記
                   (リニューアルオープンした松阪図書館)

 平成29年4月1日より休館してリニューアル工事進められていた松阪図書館が完成し、平成30年4月1日リニューアルオープンしました。
 この日は午前9時からオープンセレモニーがあり、竹上市長の式辞、山本芳敬議長の祝辞などがあり、関係者の代表でテープカットがありました。その後一般に内部が公開され、開館しました。

   
         (1階の一般書架室)               (約60人収容できる2階講座室)