川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

「碧川周辺を探検しよう」開催される

2010-05-30 19:09:09 | 日記
 松阪市笠松町・五主町付近を流れ伊勢湾に注ぐ「碧川」。この碧川周辺の自然公園づくりに向けて、みんなで川の周辺を探索して、意見やアイデアを出すための「碧川周辺を探検しよう」が5月30日に開催されました。この日、集合場所となった松阪市ハートフルみくもには一般参加者61名、会を運営して下さるスタッフ約40名の約100名が参加して行われました。

 碧川は農用地からの排水を水源とする全長2,789m(県が管理する二級河川1,909m、松阪市が管理する準用河川880m)の小さい川で、この碧川の周辺にはハマボウの群生地や黄紅葉が自生しており、この河川が注ぐ伊勢湾の海岸線付近は日本でも有数の野鳥の飛来地としても有名です。
 昨年9月には、これまで何気なく見過ごされてきた碧川の風景を今一度見直し、自然環境を地域の宝として保全し、地域づくり、人づくりに取り組んでいこうと、地区の有志により「碧川周辺地域の自然と環境を守会(伊藤末治会長)」が結成されました。

 この日の催しは、この「碧川周辺地域の自然と環境を守会」の主催で、松阪市や三雲自治会長会が後援をして行われました。参加者はハートフルみくもをスタート点に、班別に碧川周辺を散策しながら、気にいったことや、直してほしいところなどチェックしながら進みました。参加者の中には天白小学校や鵲小学校の子供たち20名や、親子づれも混じり、思い思いの意見を出し合い、和気あいあいの雰囲気で散策しました。

 この碧川に注ぐ笠松排水路の周辺には、笠松地域の農地施設等の資源保全・質的な向上を図っている「笠松環境保全協議会」により、平成19年より早咲きの河津桜が植樹されています。今年の1月31日には「第1回河津桜植樹祭」も催されました。昨年分と会わせて現在250本の植樹が終わっています。これで笠松排水路沿いには1000mの河津桜ロードができあがりました。来年の1月にも100本の河津桜の植樹が予定されており、これが終わると合計350本となります。三重県内ではなばなの里の280本を抜いて河津桜の一番の植生地となります。
 この日も、桜の木がもう少し大きくなったら、水路に舟を浮かべて満開の桜を川から見ればすばらしいだろうなあという夢も語られました。

 探検が終わって鵲農村公園に集合した参加者は、5つの班に分かれて探索結果をまとめて発表しました。今日の探検の結果が碧川周辺の自然保全や、地域づくりに生かしていただければすばらしいと思います。
 この日の参加者の中には私のほかにも浜口高志議員、山本節議員、中村良子議員、中瀬古初美議員も参加されていました。
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松阪駅西地区再開発事業の都市計画決定解除される

2010-05-24 15:48:14 | 日記
 今年度初めての松阪市都市計画審議会が5月24日、市役所内の松阪市議会第3・第4委員会室において開催され、市長から委員一人一人に委嘱状が渡されました。また新会長には委員の互選により、三重中京大学の村林守教授が就任されました。
 この日の議題は、これまで市議会や市民の間で大きな議論をよんだ事業で、既に中止の決定がなされている「松阪市駅西地区第一種市街地再開発事業」の都市計画決定だけが残っており、これを廃止しようとするものです。

 松阪駅西地区市街地再開発事業は、松阪駅の西側駅前にホテルやマンション、市の福祉総合センターなどを建設しようとする計画で、松阪市議会でも激しい議論を呼び、平成19年の3月議会では前代未聞の23時間連続の徹夜議会もありました。この議会で賛成19×反対13で可決され、平成20年2月20日都市計画決定がなされました。
 しかし資材の高騰や、組合との信頼関係が保てないなどの理由で同年11月、当時の下村市長が推進の断念を決定しました。

 この日出席した委員からは、「理由書に書かれている事業中止の理由が『急激な社会・経済情勢の悪化による工事費の増大などが事業収支計画に大きく影響し、事業推進が困難な状況となり』とあるが、こんな簡単な言葉で表すようなものではない、他にも理由があるのではないか」という意見が出されました。採決の結果、都市計画決定に関係する3議案は全員賛成で解除(廃止)されました。これにより平成18年頃から議会や市民を巻き込んで激しい議論がなされてきた、松阪駅西地区市街地再開発事業には終止符がうたれましたが、まだこの事業の関係の裁判が続いていますし、これから進めようとする松阪まちなか再生プランにも影響を残しているのではないかと思います。

 この松阪駅西市街地再開発事業については、私のブログの2008年11月14日~11月27日にかけて「検証!松阪駅西再開発事業」として5回に分けて記載しました。
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マニフェスト選挙について

2010-05-22 09:35:59 | 日記
 この夏の参議院議員選挙を間近に控えて、各党マニフェスト作りが急ピッチで進んでいます。
 このマニフェスト、もともとはイギリスで始まったもので、原型は約180年前、1830年代のイギリス、当時のピール首相というのがつくった「タムワースマニフェスト」(タムワースとはピール首相の選挙区の名前)です。今のようなマニフェストがつくられたのは、今から約20年前のイギリスで、当時のサッチャー政権の与党、保守党がつくられたマニフェストが始まりとされております。

 日本におけるマニフェストを用いた選挙は、2003年の公職選挙法改正により、政党がマニフェストを選挙期間中に配布できるように(補欠選挙を除く)なってからです。国政選挙における実質的なマニフェスト選挙の始まりは、昨年夏の衆議院選挙からではないかと思います。
 また、2003年、当時の北川正恭三重県知事が地方自治体における「ローカル・マニフェスト」の導入を提唱しました。この時、北川知事とともにローカル・マニフェストの提唱をされた、当時の四日市大学地域政策研究所長の竹下護先生(現三重県教育委員長)から、平成20年8月4日から3日間の日程で行われた四日市大学の公開授業「地方議会論」で講義を受けることができました。この時、竹下先生や前犬山市長石田芳弘氏(現衆議院議員)から、マニフェストの作り方やマニフェストについての考え方を詳しく聞くことができました。

 マニフェストは有権者との「契約」とうい表現が用いられ、ここに掲げたことはすべて実現をしなければならないとされています。マニフェスト選挙においては政権政党や現職首長の地味なマニフェストに対し、野党や新人候補のマニフェストの方がはるかに華やかで夢のある政策が踊ります。
 昨年1月に行われた松阪市長選挙でも、現職下村候補の超地味がマニフェストに対し、新人山中候補のマニフェストは夢のある施策であふれていました。昨年夏の衆議院議員選挙においても当時の与党自民党のマニフェストはほとんど話題になりませんでしたが、野党民主党のマニフェストは大変話題になりました。マニフェスト選挙においてはどうしても野党や新人候補が有利となります。
 マニフェストを掲げての選挙戦における公開討論会やテレビの討論会などでは、本来は自分のところのマニフェストにはこんな政策が織り込まれていて、こんなにいいのだよと売り込むところを、相手陣営のマニフェストを攻撃するパターンが多くなるのは残念です。

 マニフェストにあまり有権者受けする施策を折り込み過ぎると、選挙が終わって、政権を奪取したとき、また選挙に当選したときからマニフェスト実施に向けての苦闘がはじまります。財源の問題など現実は厳しく、思うように実施できないのが現状です。日本のマニフェスト選挙はまだ始まったばかりで、本来のかたちになるまで少し時間がかかりそうです。いかに甘い内容であっても現実性があるかどうかを有権者は判断すべきです。また、増税や補助金の削減など住民の「痛み」の部分もマニフェストに織り込むべきです。このようなことを有権者が正しく判断できるようになってこそ、成熟したマニフェスト選挙といえます。
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ああ!ゲートボール

2010-05-19 18:17:11 | 日記
 「ゲート」という言葉と「ボール」という言葉は、それぞれ日常生活でよく使う言葉です。この言葉自体、特に何のイメージもないのですが、2つの言葉が合わさって「ゲートボール」というと、何となく「年寄りくさい」というイメージを持たれる人も多いのではないかと思います。しかしこのスポーツはもともと子どもの遊びとして考案されました。

 5月18日、松阪市大足町の阪内川スポーツ公園内にあるゲートボール場で、松尾地区ゲートボール大会が開催されました。私も来賓というかたちで開会式に出席させていただきました。松尾地区では1年の間に公民館主催のゲートボール大会と松尾老人会主催のゲートボール大会が行われますが、この日は松尾公民館主催のもので、約70名の選手が10チームに分かれて日頃の練習の成果を競いました。

 ゲートボールは、戦後間もない昭和22年(1947)北海道芽室町で製パン業を営んでいた鈴木英治(後に和伸と改名)氏が、遊び道具がない子供たちのためにクロッケーゴルフをヒントに考案したもので、翌年「ゲートボール」と命名されました。
 その後、頭とからだを使い、手軽に遊べるスポーツとして、本来の目的であった子供たちとは別に、高齢者の間で全国的に急速に広がり、現在日本のゲートボール愛好者は100万人以上と言われています。
 またクロッケーゴルフの本場イギリスを始め、世界30ヶ国以上の国と地域で1000万人以上の愛好者が楽しむメジャーなスポーツに成長して、世界大会も行われています。

 三重県ゲートボール連合会(会長 坂本 和生)に加盟する松阪多気支部(支部長 渋谷節男)には松阪ゲートボール連合会、明和ゲートボール協会、多気ゲートボール協会、大台ゲートボール協会の4つの団体が所属します。このうち松阪ゲートボール連合会(会長  渋谷節男)には431名の愛好者が加入しています。また協会に加入せずゲートボールを楽しんでいる人もあり、市内のスポーツの競技人口の中でも、ウォーキングなどを除くと一番多いのではないかと思います。今年は三重県がゲートボールの強化県に指定されているということです。

 ゲートボールは「いじわる」なスポーツだと言われています。しかしスポーツでは相手に勝つために、多かれ少なかれ相手の嫌がることをします。バレーやテニス、卓球などの球技では相手の受けにくいようにボールを強く打ちます。また野球のピッチャーもバッターが打ちにくい球を投げます。ゲートボールが特にいじわるな特異な競技ではないと思います。
 私もゲートボールのルールや遊び方は、何度見ていても全く判らなかったのですが、一度経験させてもらって概要を知ることができました。大変奥の深い競技ですので、長くやっていないと、その神髄は判らないと思いますが。
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日中友好議員連盟総会開催される

2010-05-18 22:54:15 | 日記
 日中友好促進三重県市議会議員連盟の第37回通常総会が5月18日、鳥羽市の鳥羽国際ホテルで開催されました。この議員連盟は日本国と中華人民共和国との友好促進を図ることを目的として昭和49年4月2日に設立されました。当初多くの市議会が加盟していましたが、脱会が相次ぎ、現在県内14市のうち加盟しているのは7市(鈴鹿市15名、亀山市14名、名張市18名、伊賀市10名、松阪市15名、鳥羽市15名、志摩市6名)93名です。

 この日来賓として迎えた坂倉紀男鳥羽市議会議長、木田久主一(きだくすいち)鳥羽市長が祝辞を述べ、寺本春夫会長を議長として議事が進行しました。平成21年度の事業報告、会計報告、平成22年度の事業計画及び予算案が審議されました。
役員改選では平成22年度の新役員として次の会員が選任されました、
  会  長 宮村和典  亀山市
  副会長 柳生大輔  名張市
  理  事 大杉吉包  鈴鹿市
    〃   安本美栄子 伊賀市
    〃   野口  正  松阪市
    〃   杉本弘明  志摩市
  監  事 寺本春夫  亀山市
  相談役 夏秋  幹  三重県日本中国友好協会

 総会のあと講演会があり、鳥羽水族館の設立者で中国との交流が深い中村幸昭(はるあき)氏から「日中関係、昔と今」というテーマでユーモアを交えた話しを聞かせていただいた。また懇親会では中村氏の招きで訪れた鳥羽一郎の妹で山川豊の姉の畑中奈津枝さんが歌を披露しました。
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松阪まちなかシンポジューム開催

2010-05-15 22:01:28 | 日記
 松阪市本町の松阪市産業振興センターで5月15日「みんなで考え みんなでつくる 松阪のまち」というテーマで「松阪まちなかシンポジューム」が開催されました。昨年3回にわたって行われた中心市街地市民意見聴取会を踏まえて松阪市は「松阪まちなか再生プラン」制作しました。今回の催しは市民にこのプランを説明し、パネルディスカッションを通じて、市民の意見を聞いていこうとするものです。会場には約110名の市民が参加しました。

 市長挨拶のあと、市の担当職員が松阪まちなか再生プランについて説明し、そのあと『「計画」から「実行」へ』というテーマでパネルディスカッションが行われました。
 パネルディスカッションではコーディネーターに三重中京大の芹澤准教授を、パネラーに蒲生氏郷顕彰会会長の高島信彦さん、松阪市商店街連合会の宮村元之会長、松阪市観光協会の坂口八千代さん、また三重中京大学文化会メンバーの河口愛理さん、小室良太さん、尾市一真さんが意見を発表されました。オブザーバーとして松阪商工会議所の高畑明弘さん、山中市長が務めました。

 高島さんからは、「参の会」「蒲生氏郷顕彰会」の取り組みや、自分達のまちは自分達で意見を出しながら、みんなの知恵借りてまちづくりをしていくことの大切さを話しされました。またこれまで多くの意見聴取会やシンポジュームが開催されていたが、一向に実施に向けての取り組みがなかった。今日のシンポジュームから実施に向けての期待が述べられました。

 宮村さんからは、中心部のにぎわいの取り組みとして3つの「お休み処」の取り組みや平生町の朝市、おひなまつりやにぎわいまつり・撫子まつり、またトラック市などの取り組みが発表されました。また中心市街地の空き店舗をいかに埋めていくか、特にベルタウン・カリヨンの空き店舗対策などの課題が出されました。

 坂口さんからは毎日観光客と接しているが、観光客の感想として、松阪の人が親切で優しくまた来たいと言われる。また希望として松阪肉が手軽に食べられる串焼きのような店が欲しいということ。
松阪でもう少しなにか面白いことができないかと思う。松阪牛にスポットをあてた思い切った発想でのモニュメントなど、目玉スポットを作ってはどうか、また観光協会独自の取り組みをしていきたいなど話しをされました。

 三重中京大学文化会メンバーからは、1、松阪占い、2、松阪学生マップが提案されました。松阪占いでは占いのホームページを作って松阪から全世界に占いを発信していきたい。占いを作る過程で人と人とのつながりを大切にしていきたい。学生マップでは三重中京大が無くなることから、三重中京大があったという証しを残すため、学生観光マップやデートスポットを作って行きたいという発表がありました。
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松阪駅舎のツバメの巣

2010-05-13 07:36:55 | 日記
 松阪駅の出入り口、切符を買うスペースの天井にツバメの巣を見つけました。人々が激しく出入りする中で悠々と巣作りに励んでいます。
 ツバメと人間の共生はいつから始まったのでしょうか。農薬など買えない時代、農家は害虫の駆除に苦心をしました。「誘蛾灯」と呼ばれる装置で稲作の害虫を駆除したり、また夜たいまつを焚いて害虫をおびきよせて退治する行事なども行われていました。
 このような時代、ツバメは農作物の害虫を取ってくれる「益鳥」として大切にされてきました。そのために人々は巣作りに家の軒先を提供したのでした。
 今は農薬が発達してこれまでのようなツバメの役割はないかも知れませんが、それでもツバメと人間の共生は続いています。無農薬栽培が増えてきている現在、ツバメの役割があらためて見直されることになるかも知れません。

 松阪市では今年度から始まる「松阪まちなか再生プラン」事業の一環として松阪駅西のリニューアルをスタートします。私たちは視察でいくつかの都市を訪れていますが、多くの都市の駅前はスッキリ整備されています。松阪駅は長い間手つかずの状態でしたが、今年から駅前歩道の上の雨をしのぐシェルターの改修や、駅舎の空きスペースを借り受けての物産店の開設など計画されています。また駅前のモニュメントも新しく作りかえられます。大がかりな駅前改修とはいきませんが、駅を降り立った旅行者が少しでもわくわくするような装いにしていきたいものです。
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西野かんこ塾まもなくスタート

2010-05-09 02:02:08 | 日記
                     写真は以前のかんこ塾の様子

 松阪市西野町に古くから伝わる伝統神事「西野かんこ踊り」の練習が6月5日からスタートします。西野かんこ踊りは「子踊り」とも呼ばれ、毎年盆前後の土曜日または日曜日に行われます。この踊りがいつから始まったかはわかりませんが、何百年もの昔から伝わってきた踊りです。戦後長い間中断してきたのを復活して現在にいたっていますが、太鼓を確実に打てる人、歌を確実に歌える人、また笛や「ざい」ができる人が極めて少なくなってきました。このため踊りのエキスパートを育てるために、2年前から西野かんこ踊り保存会(川口保会長)の中に「西野かんこ塾(錦洋明塾長)」を発足させ練習に取り組んでいます。
 かんこ塾では、若いときから歌や太鼓をやってきた「師範」と呼ばれる人たちの指導のもとで、若い人たちが歌や太鼓を習います。

 松阪市内では現在 7つの地区(猟師、松崎浦、曽原、笠松、新屋庄、小阿坂、西野)でかんこ踊りが行われています。以前は多くの地区でかんこ踊りが行われていましたが、ほとんどの地区で途絶えていき、現在残っているのは合併して広くなった松阪市でも、この7ヶ所です。このうち猟師、松崎浦、曽原、笠松、新屋庄のかんこ踊りは初盆供養の踊りで、小阿坂、西野のかんこ踊りは豊年祈願や雨乞いの神事踊りです。
 私も市内の全てのかんこ踊りを見せていただきましたが、歌や踊りがよく似ているところもあれば、全く異なるところもありました。

 西野かんこ踊りは、「鼓踊り」または「子踊り」とも呼ばれ、和歌山県日高川町にある安珍清姫悲恋物語で知られる道成寺の流れをくむ郷土芸能です。子踊りの「鐘巻踊」のうたの中にも安珍清姫悲恋物語が歌われています。
 「子踊り」と呼ばれるように、踊りの中心は子供たちです。小学生を対象としていますが、幼児たちもおもちゃの太鼓をもって踊りの輪に加わっています。最近は子供の人数が少なくなってきたので、大人の人たちも多く踊りに加わっています。また昨年初めて中学生も参加しました。
 踊りの輪の中央には大太鼓、その外側に大人の踊り子、さらにその外側に子供たちの輪、一番外側には子供たちの母親や地区の大人たちが竹の先に紙の房のついた「ざい」と呼ばれるものをもって踊ります。

 私もかんこ踊り保存会の会長をさせてもらっていますが、戦後の中断していた時の、歌も踊りも知らない空白の世代です。ただこのような貴重な郷土芸能に対する思いは強く、何とか後世に残して行きたいと思っています。
 平成4年に旧松阪市の4ヶ所(猟師、松崎浦、小阿坂、西野)のかんこ踊りが、市民文化会館で一同に会して踊りを披露したことがあります。できればもう一度の市内の7ヶ所に、現在中断している粥見のかんこ踊りを加えた8ヶ所の競演ができればいいと願っています。

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松阪公園の藤、まもなく見ごろ

2010-05-04 14:59:27 | 日記
 松阪公園(松阪城跡)の藤は樹齢300年以上といわれ、1本で105坪(約350平方メートル)の藤棚を一杯におおっています。この藤がまもなく見ごろを迎えます。

 松阪城跡は今から420年余り前の天正16年(1588)に安土桃山時代の戦国武将蒲生氏郷が四五百森(よいほのもり)に築城した松坂城跡で、平成18年に(財)日本城郭協会主催の日本100名城に選ばれました。また都市公園法施行50周年記念事業実行委員会から日本の歴史公園100選に選ばれました。現在は松阪公園として市民に親しまれ、3月下旬から4月上旬にかけては350本の桜が咲き乱れ、4月下旬から5月上旬にかけては藤が咲きます。 

 藤棚の近くの茶店のご主人の話では、この藤は年によっては1メートルを超える房が垂れ下がることもありますが、今年は花の房が多いこともあり、短いということです。藤の花は房の上から下に向かって咲いてきますが、上の花が枯れない2~3日先が見ごろということです。桜の季節ほどの人出はありませんが、のんびりと古城の季節を楽しんで下さい。
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「教えます!!まつさかの歴史・・・展」開催中

2010-05-03 20:01:47 | 日記
 松阪市外五曲町の松阪市文化財センターのはにわ館で前期企画展「教えます!!まつさかの歴史~縄文・弥生時代編~」が開催中です。この企画展はこの地域の縄文・弥生時代遺構や遺物をもとに「住まい」、「食べもの」、「衣服」、「社会のありさま」、「祭り」、「祈り」など祖先の思いや暮らしに近づいていこうとするものです。

 会場にはムラの形を示した想像図や、米づくりに使われた木で作られたクワやスキ、刈り入れの道具、またいろいろな種類の土器など多数の展示物があります。
この企画展は6月27日まで行われています。

   松阪市文化財センター 
    松阪市外五曲町1
    TEL 0598-26-733
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