(神宮寺(丹生大師)で集合写真)
松阪史跡探訪会主催の第6回史跡めぐりが5月22日(日)、市民ら51名が参加して多気町内で行われました。
松阪史跡探訪会は(会員45名 代表川口 保)は平成25年11月に設立された会で、松阪市内の名勝、名山、城跡、遺跡、古墳、神社、お寺、廃寺、名木、祭り、神事、食、名産など歴史的・文化的遺産などを訪ねていく会です。これまで松阪市内の史跡をめぐってきましたが、第6回の今回は多気町の史跡を探訪しました。
第6回の見学コース
元丈の館――丹生水銀鉱跡地――立梅用水――西村彦左衛門生家――神宮寺(丹生大師)(昼食)――ビーフロード――近長谷寺――長谷の車田――金剛座寺――佐那神社
1)元丈の館(多気町波多瀬)(案内 勢和の語り部の会 会長中西正勝さん 会員北岡敬一さん)
(久保行央町長の歓迎の挨拶) (歓迎の挨拶をする上田宏美館長)
元丈の館(上田宏美館長)は、江戸時代中期の本草学者で、日本における蘭学の先駆者とされる野呂元丈(1693~1761)の功績を讃える記念館とし設置されました。館内には元丈を紹介する展示や、園内には薬草薬樹公園があり、薬草を使った足湯があります。
(会員も足湯を楽しむ) (薬草薬樹園の見学)
我々が到着すると、上田館長が歓迎の挨拶をいただき、また久保行央多気町長が来ていただき「今日は多気のよさを見てほしいと」多気町内の史跡の紹介や歓迎の言葉を述べました。
また館内には地元の農産物などの物産販売があり、この日は月に一度の朝市で、参加者は思い思いの品物を求めていました。また足湯を楽しんだり、北岡敬一さんの案内で薬草薬樹園も見学しました。
2)丹生水銀鉱跡(多気町丹生)(案内 勢和の語り部の会 松本直人さん、中西正勝さん、川口晃さん)
日本有数の水銀生産地であった丹生には古代の水銀坑道が数多く点在しており、今も廃坑が100余り残っているといわれています。『続日本書紀』に文武天皇の2年(698)と和銅6年(713)に伊勢国から朝廷に水銀を献上したことが記されており、水銀は仏像や仏具などに金を塗って仕上げるときに必要なもので、奈良時代の東大寺大仏殿建立には、丹生の水銀が2tも使われたということです。また鎌倉時代の東大寺大仏再建の時にも2万両もの丹生の水銀が使われました。
(水銀鉱跡の説明を松本直人さんから受ける) (水銀鉱跡の見学)
この日の説明では、水銀の原石の「辰砂(しんしゃ)」を300度に熱すると水銀が分離して蒸発し、それを冷やすと水銀ができるという事です。奈良の大仏をはじめとする仏像の表面に金を塗るとき、金と水銀を混ぜて塗り、300度に熱すると水銀だけ融け、金だけ残るということです。
なお丹生で産出される辰砂は、日本地質学会が選んだ「県の石」の鉱物部門に選定されました。
3)立梅用水(案内 中西正勝さん、松本直人さん)
立梅用水は江戸時代に丹生周辺の農民が水不足で米がとれずに苦しい生活を送っていた。このとき、丹生村の地士・西村彦左衛門が立ち上がり、紀州藩に掛け合い、自らも私財を投げだし、全長30km立梅用水を完成させました。この用水約200年経った現在でも農業用水を始め、地域の暮らしを支える生活用水として利用されている。立梅用水は平成26年9月に国の「登録記念物」、世界「かんがい施設遺産」に登録されました。
松本直人さんの説明では、丹生付近の櫛田川が低いため水田に水が上がらず、約30㎞離れた粥見の茶倉から水を引くこととしました。高さは竹の筒を使って水平を測りましたが、高低差は6.6m。準備に長い期間かかりましたが、工事は3年で完成しました。「岩1升米1升」といわれ、岩を1升分掘るのに米が1升分になる位、苦労をしたということです。完成後立梅(茶倉)から水を流したら丹生に到着するまでに8日間かかったということです。
(立梅用水の説明を受ける) (西村彦左衛門の生家で功績を聞く)
4)西村彦左衛門生家(多気町丹生)(案内 中西正勝さん)
立梅用水の建設に尽力した西村彦左衛門の生家周辺は記念公園として整備され、生家を活かしたイベントが行われています。平成27年(2015)9月に行われた第20回の「大師の里 めだか祭」では西村彦左衛門の「生家に行こう」が開催され大勢の来訪者で賑わいました。
この日は中西正勝会長から説明を受けました。
5)丹生大師(丹生山神宮寺)(多気町丹生)(案内 岡本裕真副住職)
(岡本副住職から説明を受ける) (神宮寺の大師堂)
神宮寺(岡本裕真住職)は真言宗山階派の寺院で、古くから「丹生大師」として親しまれており、宝亀5年(774)に弘法大師の師匠である勤操大徳により開山された。弘仁4年(813)弘法大師によって七堂伽藍が建設されました。
大師堂には弘法大師自らが刻んだといわれるご本尊「弘法大師像(42歳の自画像)」を始め、「十一面観音」「不動明王」などが祀られています。神宮寺は高野山が女人禁制のとき、女性の参拝できたので「女人高野」とも呼ばれています。
(遠足気分で思い思いの場所で食事しました)) (大師堂に続く回廊)
この日は同寺副住職の岡本佑真さんから説明を受けました。この寺の弘法大師像は同師がこのお寺を訪れたとき、自分の顔を池の水に映して彫り上げたということです。このお寺の特徴は階段の横に回廊があることです。昔は身分の高い人がこの寺を訪れたとき、この回廊を通ってお参りしたということです。
昼食をこのお寺でさせていただきましたが、副住職さんはどこでも飲食自由いっていただき、畳の部屋や野外の施設もお借りしました。
6)ビーフロード(バスで通過)(説明 川口)
この道路は広域農道で松阪工区、勢和多気工区、明和多気工区からなり、松阪工区は松阪市嬉野上野町から松阪第2環状線を通り、丹生寺町で国道166号に出て、桂瀬町から県道59号(松阪第二環状線)に入り、山室町から新設された2つのトンネル通り阿波曽町に出て、県道御麻生薗豊原線を横切り、櫛田川を渡たり、多気町で国道42号に出るルート。勢和多気工区は、多気町相可付近から丹生を経て勢和多気IC付近の国道42号をつなぐルート。また明和多気工区は、多気町仁田付近の国道42号と明和町有爾中の県道37号鳥羽松阪線を結ぶルートです。
計画延長は37.9km、 総事業費は80億8700万円の予定、なお、この道路の周辺から大紀町にかけて、数千頭の和牛が飼育されており、「ビーフロード」という名称は公募により付けられました。
この道路はバスで通過するとき、私が説明しました。
7)近長谷寺(多気町長谷)(案内 多気語り部の会会長 逵 昭夫さん)
(近長谷寺本堂) (御本尊の十一面観音)
泊瀬山近長谷寺(はくせいさんきんちょうこくじ)は仁和元年(885)伊勢の豪族「飯高宿禰諸氏(いいたかのすくねもろうじ)」が内外の近親者に勧進して建立したといわれています。当寺院は真言宗山際派の寺で、古くは山号を「丹生山」といい、御本尊の十一面観世音は創建当初のものと言われています。
(多気語り部の会逵昭夫会長から説明を受ける)
駐車場から坂道を徒歩でふうふう言いながら約10分かけて登ると境内が広がり、その奥に本堂があります。現在は無住の寺となっており、丹生大師の住職が兼務しています。また地元の人たちによって定期的に開帳されます。
この日は「多気語り部の会(会長 逵昭夫)」の逵会長さんの案内で、本堂の中に入れていただき、像高6.6mの立派な十一面観音立像を見せていただきました。
8)長谷の車田(多気町長谷)(案内 一八会代表 逵昭夫さん)
多気町長谷地区は戸数13戸、人口40名余の山間地の小さな在所で、地域を何とか活性化できないかと、昭和62年(1987)に若者が集い、地域おこしグループ「一八会(逵昭夫 代表)」が結成されました。
この会は同地区内にある国指定重要文化財の十一面観音菩薩を擁する近長谷寺を中心に、地域における活動の支援や伝統文化の継承、また新たな故郷創造に向けて活動しています。
車田の田植えと稲刈り(地域おこしグループ「一八会」のホームページより)
車田(面積約38a)は車の車輪のような円形の水田で、「古里の景観や農業の大切さや稲作文化を後世に伝えよう」と、平成10年に逵昭夫さんが自分の水田を提供して円形に整形したもので、直径が11mとなり、近長谷寺の十一面観音と同じ数字になりました。
お田植祭は佐奈神社と協働で行われ、収穫されたもち米は「佐那神社」や「近長谷寺」の餅投げ用などに奉納される。
9)金剛座寺(案内 染川智勇住職)
摩尼山金剛座寺(まにさんこんごうざじ)は天台宗の古刹で、本尊は如意輪観世音菩薩。寺の創建は白鳳2年(673)藤原鎌足よるものと、同9年(680)鎌足の子・藤原不比等の開山とする二説があります。
金剛座寺のある山は金剛山といい、佐奈神社の祭神天手力男命(あまのたぢからおのみこと)の神体山とも言われています。寺の名前は天手力男命の本地仏、金剛力士が座する寺と名付けられたといわれています。
(染川住職さんからユーモアを交えた説明を受けた) (金剛座寺の本堂)
30年ほど前に先代住職が亡くなってからは無住となり、境内や建物が荒れ果てていましたが、平成8年に現染川住職が入山し、再興に努められています。この日本堂で染川住職さんから面白い説明を受けたのですが、大足町の出身で松尾小学校の卒業生ということで、みんなびっくり。
10)佐那神社(多気町佐奈)(案内 多気語り部の会 笹木文夫さん)
(笹本文夫さんから説明を受ける) (佐奈神社)
佐那神社は、伊勢参拝や熊野詣出へ向かう信仰道の和歌山街道沿いにあります。
主祭神は「天手力男命(あまのたぢからおのみこと)として、天宇受賣命など23柱、祭神不詳2座が祀られています。創立年代は不明ですが、古事記に「次手力男神有坐佐奈県也」と記載されていて、千有余年を経過した古社であります。
江戸時代初期までは外宮とのかかわりが深く、斎宮の祈年祭にも関係する神社でありました。
この日は多気語り部の会 笹木文夫さんから説明を受けました。
おわりに
今回の第6回史跡めぐりは初めて多気町を訪れました。松阪市内と違って誰に案内をお願いしてよいのかわかりませんでしたが、語り部の会の皆さんを中心として、全ての場所で説明を受けることができました。
ご協力いただいた久保行央多気町長さん、多気町環境商工課の皆さん、元丈の館の上田宏美館長さん、神宮寺(丹生大師)さん、金剛座寺の染川住職さんや皆さんありがとうございました。また案内をしていただいた勢和語り部の会の中西正勝会長さん、北岡敬一さん、松本直人さん、川口晃さん、多気語り部の会の逵昭夫会長さん、笹木文夫さんありがとうございました。
そして今回の史跡めぐりに参加していただいたみなさんありがとうございました。またマイクロバスを、安全に運転していただいた小林岩雄さん、梶間弘功さんありがとうございました。
次回第7回史跡めぐりは今年の11月を予定しています。探訪地はまだ決定していませんが「第2回の和歌山街道めぐり」を考えています。
(編集中)