川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

ベトナム・松阪市友好交流会開催される

2016-05-27 17:29:23 | 日記
                (ベトナム・松阪の代表と第一小学校の子どもたち)

 伊勢志摩サミット2日目の今日5月27日に、サミットのため来日していたベトナム社会主義共和国の代表が松阪市を訪れ、竹上市長ら松阪市の代表と交流会が開催されました。
 この一行は、G7伊勢志摩サミットでG7以外の国々の首脳及び国際機関の長を招待して開催されるアウトリーチ会合に参加している閣僚で、松阪を訪れたのはマイ・ディエン・ズーン大臣・政府官房長官を始めとする閣僚、随行17人。松阪市産業振興センターで歓迎セレモニーが行われました。

 歓迎セレモニーには松阪市から竹上市長を始め小林・山路副市長、大平・川口正副議長、石垣英一副知事、谷川憲三松阪商工会議所会頭らが参加しました。第一小学校児童による和太鼓演奏、そして来場者の拍手の中一行が到着されました。

 
    (松阪もめん手織りセンターの視察)   (旧長谷川邸では松阪もめんに着替えて茶席を体験)

 竹上市長は歓迎の挨拶の中で、角谷七郎二郎の時代からの繋がりや、400年前に松阪もめんの原型がベトナムから日本に伝わったことなど述べました。またマイ・ディエン・ズーン長官は「牛肉といえば神戸牛しか知りませんでしたが、松阪にも美味しい肉があるということで、今日いただきます」とユーモアを交えて挨拶されました。
 このあと松阪もめん手織りセンターを視察され、旧長谷川邸では松阪もめんに着替えして、茶席を体験されました。和田金で食事をとられて帰途につかれました。
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第6回松阪史跡めぐり開催される

2016-05-22 22:12:27 | 日記
(神宮寺(丹生大師)で集合写真)
 
 松阪史跡探訪会主催の第6回史跡めぐりが5月22日(日)、市民ら51名が参加して多気町内で行われました。
 松阪史跡探訪会は(会員45名 代表川口 保)は平成25年11月に設立された会で、松阪市内の名勝、名山、城跡、遺跡、古墳、神社、お寺、廃寺、名木、祭り、神事、食、名産など歴史的・文化的遺産などを訪ねていく会です。これまで松阪市内の史跡をめぐってきましたが、第6回の今回は多気町の史跡を探訪しました。
第6回の見学コース
元丈の館――丹生水銀鉱跡地――立梅用水――西村彦左衛門生家――神宮寺(丹生大師)(昼食)――ビーフロード――近長谷寺――長谷の車田――金剛座寺――佐那神社


1)元丈の館(多気町波多瀬)(案内 勢和の語り部の会 会長中西正勝さん 会員北岡敬一さん)

 
      (久保行央町長の歓迎の挨拶)            (歓迎の挨拶をする上田宏美館長)

 元丈の館(上田宏美館長)は、江戸時代中期の本草学者で、日本における蘭学の先駆者とされる野呂元丈(1693~1761)の功績を讃える記念館とし設置されました。館内には元丈を紹介する展示や、園内には薬草薬樹公園があり、薬草を使った足湯があります。 

 
         (会員も足湯を楽しむ)                 (薬草薬樹園の見学)

 我々が到着すると、上田館長が歓迎の挨拶をいただき、また久保行央多気町長が来ていただき「今日は多気のよさを見てほしいと」多気町内の史跡の紹介や歓迎の言葉を述べました。
 また館内には地元の農産物などの物産販売があり、この日は月に一度の朝市で、参加者は思い思いの品物を求めていました。また足湯を楽しんだり、北岡敬一さんの案内で薬草薬樹園も見学しました。


2)丹生水銀鉱跡(多気町丹生)(案内 勢和の語り部の会 松本直人さん、中西正勝さん、川口晃さん)
 日本有数の水銀生産地であった丹生には古代の水銀坑道が数多く点在しており、今も廃坑が100余り残っているといわれています。『続日本書紀』に文武天皇の2年(698)と和銅6年(713)に伊勢国から朝廷に水銀を献上したことが記されており、水銀は仏像や仏具などに金を塗って仕上げるときに必要なもので、奈良時代の東大寺大仏殿建立には、丹生の水銀が2tも使われたということです。また鎌倉時代の東大寺大仏再建の時にも2万両もの丹生の水銀が使われました。

 
 (水銀鉱跡の説明を松本直人さんから受ける)          (水銀鉱跡の見学)

 この日の説明では、水銀の原石の「辰砂(しんしゃ)」を300度に熱すると水銀が分離して蒸発し、それを冷やすと水銀ができるという事です。奈良の大仏をはじめとする仏像の表面に金を塗るとき、金と水銀を混ぜて塗り、300度に熱すると水銀だけ融け、金だけ残るということです。
 なお丹生で産出される辰砂は、日本地質学会が選んだ「県の石」の鉱物部門に選定されました。


3)立梅用水(案内 中西正勝さん、松本直人さん)
 立梅用水は江戸時代に丹生周辺の農民が水不足で米がとれずに苦しい生活を送っていた。このとき、丹生村の地士・西村彦左衛門が立ち上がり、紀州藩に掛け合い、自らも私財を投げだし、全長30km立梅用水を完成させました。この用水約200年経った現在でも農業用水を始め、地域の暮らしを支える生活用水として利用されている。立梅用水は平成26年9月に国の「登録記念物」、世界「かんがい施設遺産」に登録されました。
 松本直人さんの説明では、丹生付近の櫛田川が低いため水田に水が上がらず、約30㎞離れた粥見の茶倉から水を引くこととしました。高さは竹の筒を使って水平を測りましたが、高低差は6.6m。準備に長い期間かかりましたが、工事は3年で完成しました。「岩1升米1升」といわれ、岩を1升分掘るのに米が1升分になる位、苦労をしたということです。完成後立梅(茶倉)から水を流したら丹生に到着するまでに8日間かかったということです。

 
      (立梅用水の説明を受ける)             (西村彦左衛門の生家で功績を聞く)

4)西村彦左衛門生家(多気町丹生)(案内 中西正勝さん)
 立梅用水の建設に尽力した西村彦左衛門の生家周辺は記念公園として整備され、生家を活かしたイベントが行われています。平成27年(2015)9月に行われた第20回の「大師の里 めだか祭」では西村彦左衛門の「生家に行こう」が開催され大勢の来訪者で賑わいました。
 この日は中西正勝会長から説明を受けました。


5)丹生大師(丹生山神宮寺)(多気町丹生)(案内 岡本裕真副住職)

 
      (岡本副住職から説明を受ける)               (神宮寺の大師堂)

 神宮寺(岡本裕真住職)は真言宗山階派の寺院で、古くから「丹生大師」として親しまれており、宝亀5年(774)に弘法大師の師匠である勤操大徳により開山された。弘仁4年(813)弘法大師によって七堂伽藍が建設されました。
 大師堂には弘法大師自らが刻んだといわれるご本尊「弘法大師像(42歳の自画像)」を始め、「十一面観音」「不動明王」などが祀られています。神宮寺は高野山が女人禁制のとき、女性の参拝できたので「女人高野」とも呼ばれています。

 
(遠足気分で思い思いの場所で食事しました))           (大師堂に続く回廊)

 この日は同寺副住職の岡本佑真さんから説明を受けました。この寺の弘法大師像は同師がこのお寺を訪れたとき、自分の顔を池の水に映して彫り上げたということです。このお寺の特徴は階段の横に回廊があることです。昔は身分の高い人がこの寺を訪れたとき、この回廊を通ってお参りしたということです。

 昼食をこのお寺でさせていただきましたが、副住職さんはどこでも飲食自由いっていただき、畳の部屋や野外の施設もお借りしました。


6)ビーフロード(バスで通過)(説明 川口)
この道路は広域農道で松阪工区、勢和多気工区、明和多気工区からなり、松阪工区は松阪市嬉野上野町から松阪第2環状線を通り、丹生寺町で国道166号に出て、桂瀬町から県道59号(松阪第二環状線)に入り、山室町から新設された2つのトンネル通り阿波曽町に出て、県道御麻生薗豊原線を横切り、櫛田川を渡たり、多気町で国道42号に出るルート。勢和多気工区は、多気町相可付近から丹生を経て勢和多気IC付近の国道42号をつなぐルート。また明和多気工区は、多気町仁田付近の国道42号と明和町有爾中の県道37号鳥羽松阪線を結ぶルートです。
計画延長は37.9km、 総事業費は80億8700万円の予定、なお、この道路の周辺から大紀町にかけて、数千頭の和牛が飼育されており、「ビーフロード」という名称は公募により付けられました。
この道路はバスで通過するとき、私が説明しました。

7)近長谷寺(多気町長谷)(案内 多気語り部の会会長 逵 昭夫さん)

 
          (近長谷寺本堂)                   (御本尊の十一面観音)

 泊瀬山近長谷寺(はくせいさんきんちょうこくじ)は仁和元年(885)伊勢の豪族「飯高宿禰諸氏(いいたかのすくねもろうじ)」が内外の近親者に勧進して建立したといわれています。当寺院は真言宗山際派の寺で、古くは山号を「丹生山」といい、御本尊の十一面観世音は創建当初のものと言われています。

 
                (多気語り部の会逵昭夫会長から説明を受ける)

 駐車場から坂道を徒歩でふうふう言いながら約10分かけて登ると境内が広がり、その奥に本堂があります。現在は無住の寺となっており、丹生大師の住職が兼務しています。また地元の人たちによって定期的に開帳されます。
 この日は「多気語り部の会(会長 逵昭夫)」の逵会長さんの案内で、本堂の中に入れていただき、像高6.6mの立派な十一面観音立像を見せていただきました。

8)長谷の車田(多気町長谷)(案内 一八会代表 逵昭夫さん)
 多気町長谷地区は戸数13戸、人口40名余の山間地の小さな在所で、地域を何とか活性化できないかと、昭和62年(1987)に若者が集い、地域おこしグループ「一八会(逵昭夫 代表)」が結成されました。
 この会は同地区内にある国指定重要文化財の十一面観音菩薩を擁する近長谷寺を中心に、地域における活動の支援や伝統文化の継承、また新たな故郷創造に向けて活動しています。

 
       車田の田植えと稲刈り(地域おこしグループ「一八会」のホームページより)

 車田(面積約38a)は車の車輪のような円形の水田で、「古里の景観や農業の大切さや稲作文化を後世に伝えよう」と、平成10年に逵昭夫さんが自分の水田を提供して円形に整形したもので、直径が11mとなり、近長谷寺の十一面観音と同じ数字になりました。
お田植祭は佐奈神社と協働で行われ、収穫されたもち米は「佐那神社」や「近長谷寺」の餅投げ用などに奉納される。
 
9)金剛座寺(案内 染川智勇住職)
 摩尼山金剛座寺(まにさんこんごうざじ)は天台宗の古刹で、本尊は如意輪観世音菩薩。寺の創建は白鳳2年(673)藤原鎌足よるものと、同9年(680)鎌足の子・藤原不比等の開山とする二説があります。
 金剛座寺のある山は金剛山といい、佐奈神社の祭神天手力男命(あまのたぢからおのみこと)の神体山とも言われています。寺の名前は天手力男命の本地仏、金剛力士が座する寺と名付けられたといわれています。

 
(染川住職さんからユーモアを交えた説明を受けた)         (金剛座寺の本堂)

 30年ほど前に先代住職が亡くなってからは無住となり、境内や建物が荒れ果てていましたが、平成8年に現染川住職が入山し、再興に努められています。この日本堂で染川住職さんから面白い説明を受けたのですが、大足町の出身で松尾小学校の卒業生ということで、みんなびっくり。
 


10)佐那神社(多気町佐奈)(案内 多気語り部の会 笹木文夫さん)
 
    (笹本文夫さんから説明を受ける)               (佐奈神社)

 佐那神社は、伊勢参拝や熊野詣出へ向かう信仰道の和歌山街道沿いにあります。
 主祭神は「天手力男命(あまのたぢからおのみこと)として、天宇受賣命など23柱、祭神不詳2座が祀られています。創立年代は不明ですが、古事記に「次手力男神有坐佐奈県也」と記載されていて、千有余年を経過した古社であります。
 江戸時代初期までは外宮とのかかわりが深く、斎宮の祈年祭にも関係する神社でありました。
 この日は多気語り部の会 笹木文夫さんから説明を受けました。

おわりに
 今回の第6回史跡めぐりは初めて多気町を訪れました。松阪市内と違って誰に案内をお願いしてよいのかわかりませんでしたが、語り部の会の皆さんを中心として、全ての場所で説明を受けることができました。
ご協力いただいた久保行央多気町長さん、多気町環境商工課の皆さん、元丈の館の上田宏美館長さん、神宮寺(丹生大師)さん、金剛座寺の染川住職さんや皆さんありがとうございました。また案内をしていただいた勢和語り部の会の中西正勝会長さん、北岡敬一さん、松本直人さん、川口晃さん、多気語り部の会の逵昭夫会長さん、笹木文夫さんありがとうございました。
 そして今回の史跡めぐりに参加していただいたみなさんありがとうございました。またマイクロバスを、安全に運転していただいた小林岩雄さん、梶間弘功さんありがとうございました。

 次回第7回史跡めぐりは今年の11月を予定しています。探訪地はまだ決定していませんが「第2回の和歌山街道めぐり」を考えています。
                                     (編集中)
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お年寄りの行方不明

2016-05-18 21:53:18 | 日記
 松阪市飯高町宮本で82歳の男性が5月11日から行方不明になっており、家族や地元の人、消防団、振興局の職員などが捜索したが発見されず、捜索が打ち切りとなりました。今後は家族や親族で情報提供を呼びかけるということです。日にちが経っていることもあり、家族は心配されていることでしょう。

 わが家でも父が生前2回行方不明になったことがありました。父は完全な認知症ではなくある程度意識がしっかりしていたこともあり、散歩が好きで毎日一人で近くの農道を歩いていました。

 ある日母が「じいちゃんがいない」いいだし、周辺の道路やいつも散歩する道沿いの水路などを探していましたが、なかなか見つかりません。我々だけで見つからないようであれば、地区の人達や、消防団にもお願いしようかとも思っていました。日が暮れかかり、懐中電灯で水路を探していたとき山の中から「おーい おーい」という声がして、そこに行くと父がおりました。池に水を引く導水路が山の中を通っており、その水路沿いの細い道を歩いてきて、幅80cm、深さ50cmくらいの道を横切っている水路を跨ぎ損ねてはまったのでした。何とか無事に父を見つけることができました。

 もう一回は地区の山の神の日の午後3時ごろ母が、「じいちゃんが散歩に行って帰ってこない」という。山の神に寄っていた地区の人達みんなで探してもらいました。かなり遠くの道路や山の中まで探してもらいましたが見つかりません。夕暮れも近づいてきました。12月ですので夜、外で過ごすことは命にかかわってきます。
 そうしたときに隣の地区の人が「あなた方、何をしているの」と、「おやじが行方不明になっているの」「お父さんやったら昼間あの付近を歩いていたに」。その人が言われたところに行ったら父はおりました。我々はほ場整備をした水田の周辺の農道を探していたが、父がいたのはほ場整備の中央部分の畔で、やはり水路を跨ぎ損ねて足をつっこんだのでした。

 2件とも予想もつかない所にいて、たまたまうまく見つかりましたが、ひとつ間違えると行方不明のままになります。時々お年寄りの行方不明の記事が新聞に載ると、父のことを思い出します。何かの参考になればと思い、この記述をしました。
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松尾神社で御田植祭開催される

2016-05-14 21:06:57 | 日記
 松阪市立野町の松尾神社(岡村行通 宮司)で、平成28年5月10日に御田植祭がありました。この行事は松尾神社崇敬奉賛会(錦金則会長)が主催して5年前から行われているもので、今年で6回目となります。この日は神社の氏子代表や奉賛会会員、また地元の立野地区の(昔の)早乙女の皆さん達、そしてJA大足店の職員、みえこどもの城の関係者など約60人が参加しました。

 
      (神殿で祭礼が行われました)         (お祓いされた苗は藪谷田長から早乙女へ)

 神殿前で祭礼を行ったあと、お祓いをした苗が垣本長生禰宜(ねぎ)から岡村昌男耕作長、藪谷源司田長(たおさ)、そして早乙女代表の濱田佐代子さんに手渡され、20数名が、5.9aの水田に入って、餅米苗を植えました。
 田に入って植える人に対して、外からの見学者が、幅が狭いとか広いとか歓声をあげながら見守っていました。参加者たちはドロドロになりながら約30分かけて植えました。
 この日奉賛会の特別会員で松尾神社近くにある住宅型有料老人ホーム「スマイルタウン(島岡一仁理事長)」のお年寄りなど約15人が見学され、このうち102歳の中谷そめさんが田植をして、見学者から拍手を贈られました。

 
 (老人ホームスマイルタウンのお年寄りも見学)      (102歳の中谷そめさんも田植)
  
 この水田の代掻きや育苗などの準備はすべて、丹生寺町の東海農産(藪谷源司代表)さんに奉仕していただきました。
 このような神社の御田植祭が行われるのは、松阪市内ではこの松尾神社だけということです。この日植えた苗が実った9月には、稲穂を抜き取って神様に供える抜穂祭が行われます。また収穫されたもち米は松尾神社に寄贈され、例大祭の餅まきなどに使われます。
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熊本地震被災地などの「火事場泥棒」を厳罰化へ

2016-05-11 19:32:14 | 日記
 自民党の稲田朋美政調会長は5月10日、熊本地震などの被災地で横行する泥棒に対して、通常の窃盗罪より罰則を厳しくする新たな刑法の制定に向けて検討を始める意向を示した。

 諸外国では災害が発生すると、それに乗じて略奪が行われるのは当然の成り行きなのか、東日本大震災が発生したとき外国の人々が「日本ではこれだけの大きな災害が発生したのに、なぜ略奪が起きないの」と驚いたという。これは日本人の心の中に長い間に培われた礼節や正義だろう。

 今回の熊本地震では自宅が被災して避難所に身を寄せた人、ダムの決壊の恐れがあるとして避難した人たちの空家を狙った空き巣が横行しているという。人の弱みにつけ込んだ「火事場泥棒」で、被災者の人たちにとっては二重の苦しみである。
 昨年9月に発生した記録的な豪雨で鬼怒川が決壊した被災地でも、同じような火事場泥棒が発生している。

 災害が発生すると日本国内はもとより、多くの外国の人たちからも支援の手が差し伸べられる。また被災地には多くのボランテァが入って災害復旧の手助けをしている。このようなときに被災者の空家を狙っての火事場泥棒は許せない。厳罰化は当然であろう。

 松阪市内においても「火事場泥棒」ではないが、とんでもない泥棒が出現している。伊勢寺地内では地域の人たちが田の畦に植えたたくさんの芝ざくらが何者かによって抜き取られた。どういう神経なのか、地域の人たちの落胆ぶりが目に見えるようである。
 また下村町では47年間手塩にかけて育てた盆栽が盗まれている。以前に松阪市文化財センターで盆栽展を見たことがあるが、何十年もかけて仕上げる盆栽は究極の芸術であると思う。盗まれた人にとっては我が子をさらわれた思いだろう。

 災害地に横行する火事場泥棒の厳罰化は当然であるが、一般の泥棒も盗まれた人の落胆ぶりなど考えると、もっと罪を重くしてもいいのではないか。
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松阪市議会から熊本地震への義援金送金

2016-05-09 17:38:08 | 日記
 4月14日に発生した熊本地震への松阪市議会による募金活動で市民の皆さんからお預かりした浄財を、今日5月9日大平議長・川口副議長から松阪市福祉ささえあい課を通じ送金させていただきました。

 街頭募金は4月下旬に行われ、4日間5箇所で、のべ62人の議員が参加しました。4月24日(日)(中部台運動公園)、同26日(火)(近鉄伊勢中川駅、松阪駅JR側・近鉄側)同29日(祝)(ベルファーム)、同30日(土)(ベルファーム)で予想を上回る337,364円の募金が寄せられました。中部台運動公園やベルファームでは親子連れの多くの子どもさんも募金していただきました。

 この日大平議長から、福祉ささえあい課を管轄する薗部福祉部長に募金が手渡され、同課から日本赤十字社を通じて送金されます。

 また募金とは別に松阪市議会議員(28名)から義援金として50万円が、全国市議会議長会を通して九州市議会議長会災害義援金口座に送金されました。
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日野祭行われる

2016-05-03 16:58:00 | 日記
 戦国武将・蒲生氏郷で松阪市とつながりが深い滋賀県蒲生郡日野町の馬見岡綿向(まみおかわたむき)神社で平成28年5月3日恒例の「日野祭」が行われました。例年は松阪市の蒲生氏郷公顕彰会主催のツァーで参加させていただいておりますが、今年は竹上真人市長や大平勇議長とともに来賓として参加させていただきました。また同じく蒲生氏郷ゆかりの会津若松市からも齋藤勝副市長さん、目黒章三郎議長さんも参加されていました。
松阪からは私たちのほか、松阪市蒲生氏郷顕彰会の皆さんをはじめ多くの人たちが来場していました。 

 日野祭は800年以上の伝統を持つ馬見岡綿向神社の春の例大祭で、湖東地方最大の祭です。日野町は人口22,000人の小さな町ですが、同神社には各町内から次々と曳山が到着し、また祭を楽しむ人達であふれました。曳山の上からは笛・太鼓・スリ鉦などの囃子が鳴り響き、祭の雰囲気が盛り上がります。また町内の道路も行き交う多くの人達で賑わっていました。
 
 日野祭の曳山は全部で16基現存していますが、かつての近江商人たちから寄贈され、江戸時代中期から末期に製作されたもので、約150年から200年が経過しています。これらの曳山はそれぞれの地区で保存されていますが、20戸くらいの小さな町内もあるということです。

 午前11時すぎに渡御と呼ばれる行列が神社を出発します。このとき境内の曳山から一斉に祭囃子が演奏され、威勢のいい掛け声がかけられ、祭は最高潮に達します。行列は神調社と呼ばれる裃姿の一団が2列になり、1m程の細竹を引きずりながら道路の両端を進みます。列の中央には3人の神子と呼ばれる稚児が神調社に護衛されながら進み、御旅所であるひばり野に向かいます。


            (「純米大吟醸 氏郷公」の発売を記念して鏡開きが行われました)

 この日、蒲生氏郷ゆかりの地である滋賀県日野町、三重県松阪市、福島県会津若松市の「蒲生氏郷公顕彰会」が共同で製品化した「純米大吟醸・氏郷公」が発売されました。                                 
 “純米大吟醸 氏郷公”は氏郷ゆかりの地である日野で育てた酒米「山田錦」を使い、会津若松で醸造し、松阪もめんで包んだもので、3,000本の限定で発売されました。

 この日の日野祭では「氏郷公」の発売を記念して鏡開きが行われました。会場にはこのお酒の企画をした3つの地区の蒲生氏郷公顕彰会の堀江清一郎会長(日野町)、高島信彦会長(松阪市)、新城猪之助会長(会津若松市)ら同会役員と、3つの地区から日野町の藤澤直広町長、杉浦和人町議会議長、今宿綾子教育長、植田敏夫商工会会長ら関係者が、松阪市から竹上真人市長、大平勇議長、川口保副議長ら関係者が、会津若松市から齋藤勝副市長、目黒章三郎議長など行政・議会関係者が来場して、勢いよく鏡開きをしました。
 そのあと見学者も含めて試飲をさせていただきました。澄んだフルーティな味わいでした。

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純米大吟醸「氏郷公」発売!!

2016-05-02 16:47:51 | 日記
 戦国武将・蒲生氏郷ゆかりの地である滋賀県日野町、三重県松阪市、福島県会津若松市の「蒲生氏郷公顕彰会」が共同で製品化した「純米大吟醸・氏郷公」が、明日5月3日から発売されます。

 蒲生氏郷は弘治2年(1556)現在の滋賀県日野町の日野城主・蒲生賢秀の嫡男として生まれた。蒲生家が織田信長傘下になったため、人質として信長の居城・岐阜城に入ったが、信長は氏郷の素質を見込み、娘の冬姫と結婚させた。信長が倒れた後は秀吉に仕え、天正12年(1884)伊勢国松坂に12万石で移封になり、同16年(1588)松坂城を築城した。その後天正18年(1590)会津若松に移封になり7層の天守閣を持つ「鶴ヶ城」を築城し、92万石の大大名になった。

 “純米大吟醸 氏郷公”は氏郷ゆかりの地である日野で育てた酒米「山田錦」を使い、会津若松で醸造し、松阪もめんで包んだもので、3,000本の限定で発売されます。価格は720ml、6,480円です。お求めは最寄りの酒店で。
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