川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ

2011-08-31 10:30:03 | 日記

(写真は野田佳彦氏のホームページより引用しました)

 

前日民主党の新代表に選ばれた野田佳彦氏が、8月30日の衆参両院の首班指名選挙で第95代首相に指名された。

二世、三世議員が多い中、野田氏はたたき上げの政治家で、昭和32生まれの戦後3番目に若い首相となった。松下政経塾の第1期生で、同塾出身の初めての首相となり、幸之助さんの理念をどこまで発揮できるか注目される。

 

民主党の代表選の演説では自分の生い立ちから始まり、国会議員になるまでの苦労などの話しがあった。特に詩人で書家である相田みつをの作品から「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」という言葉を引用して、自分は金魚の真似をしてもしかたない、どじょうのように泥臭く、汗をかいて国民のために頑張るという意味の演説は好感が持てた。

 

菅さんが退陣し、野田氏が首相になったとしても東日本大震災の復興が飛躍的に進み、原発事故が急に終息するとは思えない。震災の復興の取り組みも、そして新首相を生かすも殺すも、いかに周りが新首相を支えるかに尽きる。

民主党のルールに則って代表に選ばれ、国会のルールに則って選ばれた首相である。私たち国民が直接選んだ首相ではない。国会議員が選んだ首相である。国会議員はもう少し、自分達が選んだ首相という認識をもっていただきたい。特に与党内から足を引っ張る行為はやめてほしい。

 

新しい政権が誕生すると週刊誌は、首相や閣僚を攻撃する記事を派手な見出しで載せる。これは民主党政権になってからも、以前の自民党政権の時もそうであった。新聞のように責任ある記事ではない。まさにあること、ないことを面白おかしく書きたてる。これらの記事は政権の支持率の低下に拍車をかけるのではないか。そして世界でも例を見ない短命政権となっていく。

今年になって中東などで何十年という長きにわたって国民を支配してきた独裁政権が倒れつつある。それに比べると国民が世論という武器で政権を取りかえることができる日本の政治制度は悪くはないが、あまりにも短命政権では国際的にも信用されない。本人の頑張りにもよるが、マスコミも含めて国民がもう少し長い目で政権を見てもいいのではないか。


第24回松阪薪能開催される

2011-08-27 22:42:13 | 日記

 

 

8月27日、松阪市川井町のコミュニティー文化センターで第24回松阪薪能がありました。例年は松阪公園の野外音楽堂で、薪能という名前のように薪が焚かれ、幽玄な雰囲気の中で演技が進められますが、今日は天気が不安定なこともあり、場所を室内に移して開催されました。今年は松阪城跡が国の史跡指定を受けたのを記念して「「松阪城跡」国史跡指定記念」というテーマで開催されました。

 

能は歌舞伎、文楽と共に日本の3大伝統芸能で、今から700年も前に生まれた現在世界最古の古典演劇で、しかも地謡、衣裳、楽器、舞など当時のまま伝えられてきており、ユネスコの世界無形遺産にも登録されています。一方狂言は14世紀頃の室町時代に現れた、日本最古の喜劇です。今のコントのようなやりとりで客を笑わせようとする演劇で、将軍家に庇護された能と違い大衆娯楽のような存在でした。

 

 

(松阪薪能を鑑賞された三重大のドイツ留学生の皆さん)

 

今日は会場のコミュニティー文化センターには約600人(主催者の話し)の市民が来場して、古くから伝わる日本の古典芸能を楽しみました。来場者の中には三重大学のドイツ留学生の11人の皆さんもみえました。舞台が終わってから留学生のDing Tabeaさん、Carolin Becksさん達にお話を聞きました。「内容については少しわかりました」「おもしろかったです」という印象を述べられていました。外国の皆さんが日本の古典芸能を見ていただいたのは嬉しく思います。私たち日本人でもわかりにくい「能」ですが、日本の古典芸能の雰囲気を味わっていただいたのではないかと思います。

 


リビアのカダフィ体制の崩壊

2011-08-25 10:35:12 | 日記

北アフリカの地中海に面した国・リビアの内戦で、カダフィ大佐派の拠点である首都トリポリを反体制派が制圧し、カダフィ大佐は最後の拠点であった住居があるバーブ・アジジア地区から撤退した。これによりかつて故レーガン大統領から「中東の狂犬」と呼ばれ、42年間という長きにわたって強権支配を続けたカダフィ体制は事実上崩壊した。

 

今年に入って中東では民主化の流れが起き、いくつかの国で長期独裁政権が崩壊し、民主化への動きが起きている。リビアの隣のチュニジア共和国では、昨年12月に起きた失業中の青年による政府への抗議の焼身自殺をきっかけに反政府デモが全国に広がり、今年1月にベンアリ大統領が国外に脱出して23年間続いた政権が崩壊した。この政変は「ジャスミン革命」と呼ばれた。

またエジプトではこのジャスミン革命の影響を受け、ムバラク大統領の長期政権に対する不満が民の間で広がり、今年の1月から大統領の退陣を求めるデモに発展して、ついに今年の2月にムバラク大統領の30年にわたる独裁体制は終焉を迎えた。

このほかイエメン、シリアなどでも民主化へのうねりが動き出している。

 

独裁体制は長きにわたって国民に貧困や苦痛を与え、多くの人命が失われることになる。そして独裁者の末路は哀れである。フィリピンのマルコス元大統領などのように国外逃亡できるのはまだよい方であるが、ルーマニアのチャウシェスク元大統領は夫人とともに銃殺刑にされた。またイラクのフセイン元大統領の場合、凶暴な2人の息子は殺害され、大統領も地下壕に隠れていたところを逮捕され、裁判の結果、死刑が執行された。

エジプトのムバラク前大統領も裁判にかけられていて、おりに入った状態で出廷する様子がテレビで映し出されているという。

 

リビアの反体制派を束ねた「国民評議会」は8ケ月以内に大統領選挙と議会選挙を実施するとしており、世界の国が少しずつではあるが民主化に向かいつつあることは喜ばしい。


KARAとキムチと韓国ドラマ

2011-08-21 14:47:35 | 日記

韓国の女性アイドルグループ「KARA」。日本でも大人気の美しいお姉さん方です。昨年、日本のテレビ番組の取材が韓国で行われたとき、出演したKARAのメンバーの一人がキムチを日本語で発音したとして、韓国内でバッシングを受ける「事件」がありました。韓国の番組ならおかしいけど、日本向けの番組で日本人に分かるように日本語で発音するのはおかしいかなあ。

 

キムチは日本語では「kimuchi」となりますが、韓国語では「김치(kimchi)」と発音し、「ム」の部分が子音になります。名前の金さんも、海苔も同じ「kim)」と発言します。

キムチはおいしい漬物です。かつて日本ではたくあんが漬物の主流でしたが、数年前にキムチがトップに躍り出ました。韓国ではそれぞれの家庭で大量のキムチを漬けます。キムチを漬けるための休みもあると聞いています。しかし日本ではキムチをたくあんや糠漬け、梅干しのように、簡単に漬けることができず、スーパーなどで買うことになります。

 

KARAは大変足が長くて美しい女性のクループですが、韓国人女性は足がきれいな人が多い。以前韓国の町を歩いていた時そのことに気付き、友人の韓国人に「韓国女性はなぜ足がきれいなの」と聞いたら「韓国では正座する習慣がないから、子どものとき正座すると、あしの骨が曲がる」という。韓国では女性でもあぐらのような形で座ります。

 

韓国といえば、韓国ドラマが日本で人気です。NHKの衛星放送で放映された「冬のソナタ」以来、多くのテレビドラマが放映されています。韓国では国策で外国でも放映できるような面白いドラマをつくるようにと、国が補助金を出しているそうです。韓国では連続ドラマは1週間に2回放映されるそうで、撮影現場は大変ハードです。


西野子踊り行われる

2011-08-14 10:04:57 | 日記

 

松阪市西野町で古くから伝わる郷土芸能「子踊り」が8月13日行われました。西野地区の夏祭りは、この子踊り(かんこ踊り)と手踊りが行われますが、夏の太陽がまだ高い午後4時から辻伸久西野夏祭り実行委員長のあいさつ、渡辺勝美自治会長のあいさつのあと、子踊りの「世古入り」から始まりました。

この日は来賓としてお招きした森本、田村両衆議院議員、竹上、笹井、後藤県議会議員を始め多くの方々が来場していただき、中には踊りの輪の中にも入っていただきました。また山中市長も駆けつけていただき、記念写真に入っていただきました。

 

西野の子踊りは「かんこ踊り」とも呼ばれ、和歌山県川部町にある安珍清姫悲恋物語で知られる道成寺の流れをくむ郷土芸能です。子踊りの「鐘巻踊」のうたの中にも安珍清姫悲恋物語が歌われています。

現在松阪市内では西野を含めて7つの地区でかんこ踊りが行われています。昔は多くの地区でかんこ踊りが行われていましたが、時代の流れと共に消えていき、現在7地区でしか残っていません。このため大変貴重な郷土芸能と言えます。7つの地区の内、猟師・松崎浦・曽原・笠松・新屋庄の5地区は初盆供養の仏事踊りです。西野と小阿坂は雨乞いや豊年祈願の神事踊りです。

 

西野の子踊りは中央に大太鼓、その周囲に大人の太鼓の踊り手、その外側に大きく円を描いて子どもの太鼓の踊り手、一番外側には子どものお母さん方や大人衆が采(ざい)を持って踊る。太鼓の衣装は、法被に鉢巻き、たすきをかけ、履物は雪駄。

 

戦後間もない昭和27、28年ごろから中断し、約27年後の昭和54年に復活して今日に至っています。練習は毎年8月に合同練習を行いますが、最近太鼓を踊れる人、歌を歌える人が少なくなってきたので、平成20年6月から「かんこ塾(錦洋明塾長)」を開設して6月ごろから大人を対象に練習を行います。

 

西野子踊りの資料の中に次のようなものがありましたので写します。中断後復活してから書かれたものです。一部疑問に思われるところもありますが、そのまま写します。

 

『西野の子踊

起源 

 不明である。然し阿坂のカンコ踊りが18種類あり、その内13種類が西野の子踊りの目録と同一であること、それに加えて松ヶ崎のカンコ踊りも21種類中の4つの踊りが同じ踊り名がついている。これらがどうも関係がありそう。

 また阿坂の歌本の一番古い物が天明3年(江戸初期)だから約215年前のもの。

 松ヶ崎の踊りはもう一つ古く蒲生氏郷が松ヶ島城を松阪城に移された天正16年、その時の石挽きにはこの歌が唄われたという。歴史的な記述があるから丁度今から410年前となる。

 猟師の踊りも天正年間と言われているから、松ヶ崎と同じ頃から踊りつがれているのでは・・・・と思う。これらを総合すると最低でも200年前、もっともっと古くから踊りつがれてきたのではないか・・・・、400年も前から・・・・(※)。

 然し海浜部の花笠踊系の念仏踊と、山間部の太鼓踊りを同一視することに疑念を抱かざるを得ないのではあるが・・・・。

(※ 西野村誌によると秀吉の検地帳の記述あり、又松阪城吉田重勝の領域だった記述も・・・・ある)

 

其の後の経緯

先人の方々の言いつたへによると少なくとも太平洋戦争勃発(昭16)までは連綿と踊りつがれてきた。終戦後(昭和20年)から昭和27、28年頃までは一旦復活したが、昭和30年頃から又途切れ、昭和47、48年頃から松尾地区体育祭参加という意味で、小学校運動会で一踊り披露したが、それがきっかけで復活の機運が高まり、昭和56年歌本を印刷、西野中配布することとなり、それ以来毎年踊りつがれ、今日に至っているのである。

 

子踊りの由来と目録

踊りの「曰く」については一口では説明し難い。子踊りは勢子入りから花見まで17種類の踊りで構成されている。敢えて分類すれば

1)神踊り畏れ(おそれ)尊び感謝しそして豊年万作を祈念するもの

  世古入、神楽、世の中

2)農業をいとなむ生活(生きざま)を喜び、楽しみ、子どもも大人も一緒になって、情緒豊かに且体一ぱいで踊る

  小原木、飛田、綾、忍、神役、お寺、雉子突、鹿狩り、唐人、花見

3)伝説、物語りを伝承する

  鐘鋳(かねい)、長崎、鐘巻、陣立』


 

今年のかんこ踊りでは2才、3才くらいの小さい子から中学3年生のまで踊ってくれました。また笛も中学生が吹いてくれました。この子踊りを始めとする西野夏祭りが、西野地区の小さい子どもからお年寄りまで一同に会して楽しめる祭りとして続けていきたいと思います。

大変お忙しい中お越しいただきました来賓の皆様方、地域及び周辺地域の皆様、親戚や知人の皆様ありがとうございました。また暑い中約2時間踊っていただいた踊り子の皆さん御苦労さまでした。

                        西野子踊り保存会会長 川口 保


松阪市議会平成23年度新役員決まる

2011-08-12 15:17:30 | 日記

松阪市議会平成22年8月12日現在の三役、各種委員会委員、各議会議員、会派の構成は次の通りです。

議  長    野口 正
副議長    大久保陽一
監査委員  松田俊助

〓常任委員会委員 (委員長 副委員長)〓
総務生活委員会 7人
 山本芳敬、堀端 脩、植松泰之、山本 節、松田俊助、今井一久、野口 正 

 

環境福祉委員会 8人
 松田千代、○永作邦夫、川口寿美、野呂一男、中村良子、濱口高志、海住恒幸、中森弘幸

文教経済委員会 8人
 西村友志、○川口 保、中瀬古初美、佐波 徹、山本登茂治、久松倫生、前川幸敏、中出 実


建設水道委員会 7人
 小林正司、○大平 勇、田中祐治、大久保陽一、中島清晴、田中 力、水谷晴夫 

議会運営委員会委員(委員長 副委員長)

  ◎田中力、○西村友志、山本芳敬、田中祐治、川口保、佐波徹、山本登茂治、小林正司、

  久松倫生 

〓組合・連合議会議員(松阪市議会分)〓
松阪地区広域衛生組合議会議員 13人
  植松泰之、中瀬古初美、 野呂一男、山本芳敬、田中祐治、山本節、川口保、大久保陽一、              松田俊助、今井一久、野口正、水谷晴夫、中出実

松阪地区広域消防組合議会議員 13人
 川口寿美、堀端脩、大平勇、佐波徹、永作邦夫、中島清晴、山本登茂治、中森弘幸、小林正司、            久松倫生、野口正、田中力、前川幸敏

松阪飯多農業共済事務組合議会議員 10人
 堀端脩、野呂一男、大平勇、海住恒幸、永作邦夫、中島清晴、山本登茂治、小林正司、西村友志、松田千代

多気町松阪市学校組合議会議員 3人
 中村良子、大平勇、中出実


宮川福祉施設組合議会議員 2人
 野呂一男、松田千代

香肌奥伊勢資源化広域連合議会議員 2人
 大久保陽一、水谷晴夫

三重県後期高齢者医療広域連合議会議員 1人
 野口正

〓市議会だより編集委員会委員(委員長○副委員長)〓
 野呂一男、○堀端脩、永作邦夫、久松倫生、西村友志

〓特別委員会委員〓

議会改革特別委員会(作業部会)
 中森弘幸、久松倫生、中瀬古初美、山本芳敬、田中祐治、山本節、大平勇、海住恒幸、              
 中島清晴、中出実

ごみ処理施設建設調査特別委員会委員(委員長 副委員長)
 今井一久、大平勇、川口寿美、堀端脩、中村良子、山本芳敬、川口保、永作邦夫、水谷晴夫

〓議会選出各種委員〓
松阪港振興協議会理事
野呂一男、中村良子、山本節、佐波徹、野口正(議長)、松田千代、中出実

都市計画審議会委員
 中瀬古初美、川口寿美、山本芳敬、大平勇、今井一久、田中力

〓会派一覧(は幹事長)〓
真政クラブ 10人
 ◎水谷晴夫、野呂一男、山本芳敬、大平勇、大久保陽一、濱口高志、佐波徹、山本登茂治、             中森弘幸、野口正


市民民主クラブ 6人
 ◎田中力、川口保、永作邦夫、松田俊助、中島清晴、中出実


あかつき会 5人
 ◎田中祐治、中瀬古初美、堀端脩、中村良子、小林正司

日本共産党 3人
 ◎久松倫生、今井一久、松田千代

公明党 3人
 ◎山本節、川口寿美、西村友志

会派に所属しない議員
 植松泰之、海住恒幸、前川幸敏


新議長に野口正議員

2011-08-12 07:31:55 | 日記

松阪市議会平成23年8月臨時議会は8月11日から開催され、議長、副議長の選挙が行われました。今年から議会改革の一環として、議長・副議長の選出は立候補制が導入されました。議長には今井一久議員と野口正議員が立候補し、副議長には久松倫生議員と大久保陽一議員が立候補し、議場で投票の結果、議長には野口正議員(真政クラブ)が副議長には大久保陽一議員(真政クラブ)が選出されました。


四萬六千日と貫名海屋特別展

2011-08-10 06:02:01 | 日記

8月9日から10日の早朝にかけて「岡寺さん」でおなじみの、松阪市中町の岡寺山継松寺(柏木文雄(かしわぎぶんゆう)住職)で四萬六千日(しまんろくせんにち)が行われます。この日にお参りすると、四萬六千日分参拝したことと同じ功徳があると言われています。 

 

継松寺では毎年この日に合わせていろいろな展示が行われていますが、今年は幕末の儒学者であり、書家である貫名海屋(ぬきなかいおく)(1776~1863)の掛け軸や屏風画などが展示してあります。

私も柏木住職さんの説明を聞きながら見せていただきました。貫名海屋は阿波の国(徳島県)の生まれで、市川米庵や巻菱湖とともに幕末3書家と言われています。継松寺へは同寺が所有する韓天寿(かんてんじゅ)や池大雅(いけのたいが)の作品を見に何度か訪れ、その時書かれたのが今回展示してある六曲屏風などです。

 

岡寺山継松寺は3月に行われる初午大祭のお寺としても有名です。当寺の歴史がHPには次のように書かれています。

『当山に伝わる『継松寺儀軌』によると、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建しています。聖武天皇42歳の厄年の際に、ここのご本尊如意輪観世音菩薩を宮中にお奉りし祈願した後、再び当山に安置したことから厄除け観音としてこの地域の厄年の参拝者が多く訪れます。後に洪水によりお堂は流失しますがその際に海中よりご本尊を拾い上げた二見の漁師であった三津五郎右衛門正信が弁財天のお告げを聞いて出家し継松法師となりお寺を再建したことから継松寺と名付けられるようになりました。
 また弘法大師空海が当山に逗留した折に本尊の両脇に不動尊と毘沙門天を造り安置したと伝えられています。
 元は石津にありましたが、慶長17(1612)松阪城主古田重治により現在地に移されています。』

 

「四萬六千日」の行事は全国各地で行われており、「四万六千日」と表されるところもあります。四萬六千という数字の由来は不明ですが、一升の米粒が四萬六千粒あるとされ、これを人間の一生にかけていると言われています。46000日を年数になおすと、約126年になり、この位無病息災で過ごせるようにと願った数字と伝えられています。

この日は山門前には竹灯ろうが並べられ、幻想的な雰囲気がかもし出されます。またミズ・ネットワーク主催の催しがありました。

 

 継松寺では来年平成24年に同寺が現在ある場所に移されてから400年にあたり、記念事業として、5月13日(日)午後3時から松阪コミュニティー文化センターで、ひろさちや氏の講演会などを予定しています。

 

岡寺山継松寺

515-0083三重県松阪市中町1952
TEL
 0598-21-0965


原爆と原発

2011-08-09 17:06:53 | 日記

昭和20年(1945)8月6日、広島に人類初の原子爆弾が投下され、それから3日後の今日8月9日、長崎に2発目の原子爆弾が投下された。それから今年で66回目の夏を迎えています。広島では35万人の人口のうち14万人が死亡し、長崎市では24万の人口のうち14万9千人が死亡したとされています。

一発の兵器で多くの建物を破壊し、多くの人命を奪った、人類がつくり出した最悪な兵器である。一瞬にして黒こげの遺体となった人々、かろうじて即死を免れた人たちも焼けただれた肌をさらしながら、水を求めて町をさまよう様は、まさに地獄絵であったと思われます。また戦後も多くの人たちが原爆の後遺症で苦しみました。

 

第二次世界大戦以降、核兵器保有国は増え続け、現在核保有国・保有疑惑国は10ケ国とも言われています。広島・長崎での被害の大きさをみれば、憎しみ合う戦争においても安易に核兵器を用いることはできないと思われるが、かつてのキューバ危機が核戦争寸前までいったこともあり、核兵器保有国が増えれば増えるほど、核戦争の可能性が増えることになります。そして今一番恐れられているのは、テロリストに核兵器が渡ったり、テロリストが核兵器をつくったりすることです。

 

 3月11日に発生した東日本大震災は、戦後最大の自然災害とし我が国に厳しい試練を与えている。ガレキの撤去や破壊された堤防の仮補修などは少しずつ進んではいるが、流された住宅や工場などの復興は遅々として進んでいない。今回の被害範囲が広大で、阪神・淡路大震災の約10㎞の範囲に対して、東日本大震災の被害範囲は約500㎞にものぼる。また津波に流された同じ場所に、住宅などの建物を建てることへのためらいもあるだろう。そして今回の災害では地震・津波による被害に追い打ちをかけるような福島原発の事故である。

 放射能という目に見えない恐怖に、住み慣れた土地を追われた人々、農作物や畜産にも大きな影響を与えた。それでも当初は福島県の一部の地域の問題であると思われたが、放射能に汚染されたわらを食べた肉牛が精肉となって全国の商店で売られ、汚染わらそのものも、全国に配送されており、原発事故の影響が全国に広がってしまった。

 

 同じ原子力を用いる原爆にたいして、原発はこれまで平和利用という位置づけがあり、私たちも電力という形で、その恩恵にあずかってきた。しかし今回の福井原発の事故で、原子力の平和利用といえども危険と隣合わせであることを思い知らされた。原発に「平和」という言葉を用いることさえ考えさせられる。

 6日の広島市での原爆死没者慰霊式・平和記念式で菅総理は「原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指す」と表明した。これまでの歴代首相で核兵器の廃絶を訴えることはあっても、原発に言及することはなかったということですが、核の利用について新しい時代に入ったのだろうか。

原子力という「功」と「罪」がこれほど両極端なものはこの世に存在しないのではないか。神は人類に原子力というとんでもない両刃の剣を与えてしまった。人類は今後、核とどのように接していけばいいのだろうか。


鵲七夕まつり行われる

2011-08-07 22:21:47 | 日記

8月7日、松阪市星合町の波氐(はて)神社と鵲橋(かささぎばし)を中心として「鵲七夕まつり」が行われました。この祭りは松阪市立鵲小学校管内の小舟江町、笠松町、星合町、五主町地区で行われるもので、昨年までは鵲地区福祉会まつり実行委員会が主催していましたが、今年から鵲地区七夕まつり実行委員会(田中正明実行委員長)が主催して実施され、昨年から松阪市が後援をしています。

 この七夕祭りは、もともと星合地区(46戸)で昔から行われていました。文政年間(1818~1830)の群馬県の旅人の紀行文に、この鵲地区の七夕祭りを見たとの記述があるということから、百数十年以上の歴史がある事がわかります。7年前に星合地区の子供たちが少なくなってきて、祭りの存続が難しくなってきたため、6年前から鵲地区全体の祭りとかたちを変えました。また5年前からみこしが登場しました。
 この祭りは、以前は午前中に行われていましたが、七夕だから夕方がよいのではということで、昨年から夕方行われることになりました。

 波氐神社に集合した子供たち。は、みこしの出発地点である東西の神社に分かれます。東は五主町の綿積神社、西は小舟江町の八雲神社です。祭りの主人公の織姫、彦星は鵲小学校の6年生から選ばれます。今年の織姫は小山さくらさん、彦星は井藤博基君が扮します。伊藤君は手をあげて彦星になったということですが、織姫は恥ずかしいということで希望者がなかったので、6年生女子児童10人でじゃんけんをして小山さんが負けて織姫になったということです。それでも二人ともいい思い出になったのではないかと思います。

 

波氐神社でお払いを受けた織姫は綿積神社から、彦星は八雲神社からみこしと共に出発します。そして夕暮れが近づく午後6時30分頃、みこしは星合町と笠松町の間を流れる夜泣川に架かる鵲橋に到着します。橋の両側に立った織姫と彦星は、川を渡れず途方にくれます。そこに鵲が飛んできて、橋を架け二人は再会することができたという話しです。鵲の織姫と彦星もめでたく鵲橋の上で会うことができ、祭りはクライマックスを迎えます。

 この鵲橋のたもとの石碑に大伴家持の歌が書かれています。
『鵲の王多せ類はし耳おく霜乃志ろき越みれ盤夜曽更丹希流(鵲の わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける)』

 古くから伝わる祭りに、新しい形を織り込んで、地区を上げての祭りにされました。今日は約300人以上の人たちがこの祭りに参加されていました。
 私もこの祭りを昨年から見せていただいていますが、多くの人たちからいろいろな話しを聞かせていただきました。
 話題になったのはこの地がなぜ「鵲」なのかと言うことです。私が仕事で韓国に行ったとき鵲をよく見ました。日本のカラスくらいの大きさの鳥で、いたるところで見かけました。日本ではカラスは縁起の悪い鳥ですが、鵲は羽根を広げると黒い羽根の中に扇の様に白い羽根が見え、韓国では大変縁起のよい鳥です。日本では九州の方にいるということです。
 何も文献はありませんが、中国あるいは朝鮮から渡来した技能集団の人たちが、住みついたところではないかという説を、言われた方もみえました。

 鵲七夕まつりは私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に登録させていただいています。クリック


NHKラジオ体操中部台公園で開催される

2011-08-03 08:24:17 | 日記

 

NHKの「平成23年度夏期巡回ラジオ体操・みんなの体操会」が、8月3日三重県松阪市立野町の中部台運動公園で開催されました。心配された天候もうす曇りで雨の心配もなく、会場には1200人を超える市民が早朝より来場して、緑濃い芝生の上でラジオ体操を行いました。

 

ラジオ体操は昭和3年(1928)に当時の逓信省簡易保険局が「国民保険体操」として制定し、現在は株式会社かんぽ生命保険が受け継いでいます。現在のラジオ体操第一は昭和26年(1951)にできた3代目であるということです。またラジオ体操第二はテンポの速いメロディーで、第一より運動量の多い体操として、昭和27年(1952)にできました。「みんなの体操」は1999年の国連の国際高齢者年にちなんで、ユニバーサルデザインという考えのもとで、年齢、性別、障がいの有無を問わず全ての人々が楽しめる体操として考案されました。

松阪市でNHKのラジオ体操が行われるのは、昭和36年に市営グランドで行われて以来30年ぶりということです。

 

 

この日午前6時から開会式がおこなわれ、山中市長はあいさつの中で、ラジオ体操を地域で行っているところは、医療費が少ないという統計もでており、ラジオ体操の大切さを述べました。また、続いて(株)かんぽ生命四日市支店長内ケ島義和さん、NHK津放送局長の林恭治さん、全国ラジオ体操連盟副理事長の角勝さんが挨拶をされました。

そのあとNHKラジオ体操の西川佳克先生のユーモアあふれる指導のもとリハーサルが行われ、また飛び入りゲストとして松阪市出身で、7月からNHKラジオ体操アシスタントとして活躍中の松下亜実さんが紹介されました。

 

午前6時30分からの本番が全国に向けて放送され、参加した子どもから高齢者までの市民は、芝生の上で思い切り体を動かしていました。

参加者からは、松阪市だけでもこのような企画を月1回でもするとよいのになあ、という声もでていました。


小説「徳川家康」全26巻完読

2011-08-02 17:16:54 | 日記

長編小説「徳川家康」全26巻を読み終えました。26巻であれば早い人では数日で読み終えると思われますが、私は読み始めて結構日数がかかりました。家ではほとんど読書することはなく、遠出の時のバスや電車の車中で読むくらいなので長くかかりました。

徳川家康を読むのは今回が3回目で、20代の時、40代の時、そして今回60代で読みました。以前に夕刊三重紙の「私が勧めるこの一冊」という企画では、迷わずこの本を紹介しました。

 

「小説徳川家康」は戦国武将の徳川家康の誕生から永眠までを描いた山岡荘八の小説で、尾張の小大名の嫡男として生まれた家康が、時代の波に翻弄されながらも今川義元、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、真田幸村、伊達政宗など名だたる武将相手に、持ち前の知性と寛容と慈愛で天下平定という大事業を成し遂げるものです。特に死期が迫った晩年には、太平の世を盤石にするために、あらゆる手を打って、徳川300年の基礎を築きました。

 

作家山岡荘八はこの「徳川家康」を昭和25年3月から書き始め、18年後の昭和42年に完成させたもので、400字詰原稿用紙にして17400枚にのぼるということです。基本的な歴史の動きは史実に基づいて書かれていると思われますが、微妙な心の動きや、言葉のやり取りなどの細部は作家の創作がほとんどと思われ、作家に戦国武将と同じような洞察力や人間的な深みがないと書けない荘厳な小説です。

 

若い時に先輩から「徳川家康を読め」と言われて初めて読んだのですが、ぜひ今の若い人にも読んでほしい本です。80代になって生きていれば、もう一度読みたいと思っています。


原爆と人間展開催中

2011-08-01 23:34:31 | 日記

松阪市役所の1階ロビーで、今日8月1日より「戦争と平和を考えるパネル展-原爆と人間展-」が開催中です。

今から66年前の昭和20年(1945)8月6日広島市に人類初の原子爆弾が投下されました。それから3日後の8月9日には長崎市に2発目の原子爆弾が投下され、2つの原爆の犠牲者は、被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人とも言われています。

この展示には原爆投下直後のきのこ雲の様子や、被害にあった人たちが水を求めてさまよう様子など、原爆の悲惨さがが写真や画によって示されています。

この展示は8月15日まで行われています。