松阪市外五曲町の松阪市文化財センターはにわ館で「松坂の歴史文化風土を考える 北畠時代の松坂」展が1月22日より開催されています。この企画展は伊勢の国司としてこの地方で230年間にわたって君臨した北畠氏に関する文献や、同時代の城跡などから出土した土器や遺物など148点が展示されています。
北畠氏は62代村上天皇の流れをくむ、村上源氏の一族で、北畠4代目親房(ちかふさ)の子顕能(あきよし)が伊勢国司を任じられ、伊勢の北畠統治が始まった。北畠親房は建武3年(1336年)南北朝の対立が始まると、伊勢を戦略上重要な地と位置づけ南朝側の拠点として田丸城を築き、ここを中心として神山城など南伊勢にいくつかの城を築いていった。親房の三男顕能(生没年不詳)が延元3年(1338)7月に伊勢の国司を任じられると、一志郡多気に本拠を構え、国司家として南伊勢を支配していった。北畠が統治していたのは南勢五郡(一志郡、飯南郡、飯野郡、度会郡、多気郡)を本拠地とし、伊賀の半国(名張)、大和の宇陀郡、さらに志摩・熊野まで勢力を伸ばしていった。
その後南伊勢では北畠を中心として多くの戦いが行われた。延元4年(1339)以降の田丸城や神山城などにおける南北朝の戦い。応永22年(1415)の阿坂城(白米城)における足利幕府軍との戦い。そして永禄12(1569)、北畠具教が城主の大河内城や阿坂城における織田信長軍との戦いのあと、滅亡への道を歩むことになった。
この企画展の展示物には、北畠氏の菩提寺でもあり、織田信長の阿坂城(白米城)攻めの時に戦火を受けた大阿坂町の淨眼寺が所有する貴重な文書や、津市美杉町にある北畠神社所有の文書、松阪市周辺の城跡などから出土した土器や遺物、また北畠氏の本拠地となった大河内城や同氏の出城であった阿坂城の模型などが展示してあります。
この企画展は3月27日まで開催されています。
問い合わせ
松阪市文化財センター ℡0598-26-7330