川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

三重高猛追及ばず

2013-08-14 23:42:25 | 日記
               

 甲子園で行われた夏の全国高校野球大会に出場した三重高の応援に、同僚の浜口議員と応援に駆けつけました。三重高の対戦相手は大会屈指の安楽投手を擁する愛媛の済美高校でした。一方的に押されていた最終回に猛追をしましたが、残念ながら7対9で敗れました。

          

 この日の甲子園は済美の安楽投手が出場することや、4試合目に地元大阪の大阪桐蔭の試合があることもあって、内野も外野も超満員。三重高の応援団の皆さんと大声をあげながら応援して、ナマの野球を満喫しました。 

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松阪市議会平成25年度各役職決まる

2013-08-13 16:36:03 | 日記
松阪市議会平成25年8月臨時議会の2日目が13日に行われ、新役員が次のように選任されました。

議  長    中島清晴
副議長     山本芳敬
議会選出監査委員  田中祐治

〓常任委員会委員 (◎委員長 ○副委員長)〓
◆総務生活委員会 7人
 ◎今井一久、○植松泰之、松岡恒雄、大久保陽一、海住恒幸、中島清晴、野口 正、

◆環境福祉委員会 7人
 ◎堀端 脩、○中瀬古初美、永作邦夫、松田俊助、西村友志、松田千代、水谷晴夫、

◆文教経済委員会 7人
 ◎中村良子、○川口 保、深田 龍、沖 和哉、野呂一男、山本芳敬、久松倫生、

◆建設水道委員会 7人
 ◎山本 節、○濱口高志、坂口秀夫、田中祐治、大平 勇、田中 力、前川幸敏

〓議会運営委員会委員(◎委員長 ○副委員長)〓
 ◎水谷晴夫、○濱口高志、植松泰之、中村良子、山本 節、大平 勇、永作邦夫、今井一久、
  田中 力

〓組合・連合議会議員(松阪市議会分)〓
◆松阪地区広域衛生組合議員 13人
 深田 龍、坂口秀夫、植松泰之、田中祐治、山本 節、川口 保、大久保陽一、松田俊助、
 中島清晴、今井一久、野口 正、水谷晴夫、前川幸敏

◆松阪地区広域消防組合議員 13人
 沖 和哉、松岡恒雄、中瀬古初美、堀端 脩、野呂一男、山本芳敬、大平 勇、濱口高志、
 海住恒幸、永作邦夫、中島清晴、久松倫生、田中力、

◆松阪飯多農業共済事務組合議会議員 10人
 深田 龍、坂口秀夫、中瀬古初美、堀端 脩、野呂一男、川口 保、濱口高志、永作邦夫、
 西村友志、松田千代

◆多気町松阪市学校組合議会議員 3人
 中村良子、川口保、大平勇、

◆宮川福祉施設組合議会議員 2人
 堀端 脩、中村良子

◆香肌奥伊勢資源化広域連合議会議員 2人
 大久保陽一、水谷晴夫

◆三重県後期高齢者医療広域連合議会議員 1人
 中島清晴(議長)

〓市議会だより編集委員会委員(◎委員長 ○副委員長)〓
 ◎松田千代、○中瀬古初美、沖 和哉、松岡恒雄、坂口秀夫、川口 保、海住恒幸

〓特別委員会委員〓
◆議会改革検討委員会作業部会
 ◎久松倫生、○大平 勇、沖 和哉、松岡恒雄、植松泰之、中瀬古初美、堀端 脩、川口 保、
  海住恒幸、松田俊助

〓会派一覧(◎は代表)〓
真政クラブ(8人)
 ◎ 水谷晴夫、植松泰之、山本芳敬、堀端 脩、大久保陽一、坂口秀夫、大平 勇、野呂一男

市民民主クラブ(5人)
 ◎ 松田俊助、中島清晴、永作邦夫、田中 力、川口 保

日本共産党(3人)
 ◎ 久松倫生、今井一久、松田千代

青凛会(3人)
 ◎ 野口 正、沖 和哉、濱口高志

公明党(3人)
 ◎ 西村友志、松岡恒雄、山本 節

あかつき会(3人)
 ◎ 田中祐治、中瀬古初美、中村良子

会派に所属しない議員(3人)
 深田 龍、海住恒幸、前川幸敏
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松阪市議会平成25年度議長、副議長決まる

2013-08-12 18:27:29 | 日記
松阪市議会平成25年8月臨時議会は、8月12日から2日間の日程で始まりました。今日12日は議長・副議長選挙が行われ、新しい議長に中島清晴議員(市民民主クラブ)が、副議長に山本芳敬議員(真政クラブ)が選任されました。
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西野子踊り行われる

2013-08-11 11:31:51 | 日記
 松阪市西野町で古くから伝わる郷土芸能「西野子踊り」が8月10日に行われました。この日は全国的に暑い日で、気温40度を越えるところもありました。暑さが残る午後4時から始まった子踊りには、3才の子どもから80才台の高齢の人まで、元気に踊りました。

 西野の子踊りは「かんこ踊り」とも呼ばれ、和歌山県川部町にある安珍清姫悲恋物語で知られる道成寺の流れをくむ郷土芸能です。子踊りの「鐘巻踊」のうたの中にも安珍清姫悲恋物語が歌われています。
 現在松阪市内では西野を含めて7つの地区でかんこ踊りが行われています。昔は多くの地区でかんこ踊りが行われていましたが、時代の流れと共に消えていき、現在7地区でしか残っていません。このため大変貴重な郷土芸能と言えます。7つの地区の内、猟師・松崎浦・曽原・笠松・新屋庄の5地区は初盆供養の仏事踊りです。西野と小阿坂は雨乞いや豊年祈願の神事踊りです。

 西野の子踊りは中央に大太鼓、その周囲に大人の太鼓の踊り手、その外側に大きく円を描いて子どもの太鼓の踊り手、一番外側には子どものお母さん方や大人衆が采(ざい)を持って踊る。太鼓の衣装は、法被に鉢巻き、たすきをかけ、履物は雪駄。

 戦後間もない昭和27、28年ごろから中断し、約27年後の昭和54年に復活して今日に至っています。練習は毎年8月に合同練習を行いますが、最近太鼓を踊れる人、歌を歌える人が少なくなってきたので、平成20年6月から「かんこ塾(錦洋明塾長)」を開設して6月ごろから大人を対象に練習を行います。
            
        (3才児のちびっ子ちゃんも踊りに参加)   (中央太鼓-福田彰さん)

 西野子踊りの資料の中に次のようなものがありましたので写します。中断後復活してから書かれたものです。一部疑問に思われるところもありますが、そのまま写します。

『西野の子踊の起源
 不明である。然し阿坂のカンコ踊りが18種類あり、その内13種類が西野の子踊りの目録と同一であること、それに加えて松ヶ崎のカンコ踊りも21種類中の4つの踊りが同じ踊り名がついている。これらがどうも関係がありそう。
 また阿坂の歌本の一番古い物が天明3年(江戸初期)だから約215年前のもの。
 松ヶ崎の踊りはもう一つ古く蒲生氏郷が松ヶ島城を松阪城に移された天正16年、その時の石挽きにはこの歌が唄われたという。歴史的な記述があるから丁度今から410年前となる。
 猟師の踊りも天正年間と言われているから、松ヶ崎と同じ頃から踊りつがれているのでは・・・・と思う。これらを総合すると最低でも200年前、もっともっと古くから踊りつがれてきたのではないか・・・・、400年も前から・・・・(※)。
 然し海浜部の花笠踊系の念仏踊と、山間部の太鼓踊りを同一視することに疑念を抱かざるを得ないのではあるが・・・・。
(※ 西野村誌によると秀吉の検地帳の記述あり、又松阪城吉田重勝の領域だった記述も・・・・ある)

其の後の経緯
 先人の方々の言いつたへによると少なくとも太平洋戦争勃発(昭16)までは連綿と踊りつがれてきた。終戦後(昭和20年)から昭和27、28年頃までは一旦復活したが、昭和30年頃から又途切れ、昭和47、48年頃から松尾地区体育祭参加という意味で、小学校運動会で一踊り披露したが、それがきっかけで復活の機運が高まり、昭和56年歌本を印刷、西野中配布することとなり、それ以来毎年踊りつがれ、今日に至っているのである。

子踊りの由来と目録
 踊りの「曰く」については一口では説明し難い。子踊りは勢子入りから花見まで17種類の踊りで構成されている。敢えて分類すれば
1)神踊り畏れ(おそれ)尊び感謝しそして豊年万作を祈念するもの
  世古入、神楽、世の中
2)農業をいとなむ生活(生きざま)を喜び、楽しみ、子どもも大人も一緒になって、情緒豊かに且体一ぱいで踊る
  小原木、飛田、綾、忍、神役、お寺、雉子突、鹿狩り、唐人、花見
3)伝説、物語りを伝承する
  鐘鋳(かねい)、長崎、鐘巻、陣立』

 西野子踊りは小学生が中心ですが、今年のかんこ踊りでは3才の小さい子から中学生・高校生のまで踊ってくれました。この子踊りを始めとする西野夏祭りが、西野地区の小さい子どもからお年寄りまで一同に会して楽しめる祭りとして続けていきたいと思います。
 大変お忙しい中お越しいただきました来賓の皆様方、地域及び周辺地域の皆様、親戚や知人の皆様ありがとうございました。また暑い中約2時間踊っていただいた踊り子の皆さん御苦労さまでした。

                            西野子踊り保存会会長 川口 保
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鵲七夕まつり行われる

2013-08-08 03:32:46 | 日記
 8月7日、松阪市星合町の波氐(はて)神社と鵲橋(かささぎばし)を中心として「鵲七夕まつり」が行われました。この祭りは松阪市立鵲小学校管内の小舟江町、笠松町、星合町、五主町地区で行われるもので、3年までは鵲地区福祉会まつり実行委員会が主催していましたが、今は鵲地区七夕まつり実行委員会(高瀬良弘実行委員長)が主催して行っています。

 この七夕祭りは、もともと星合地区(46戸)で昔から行われていました。文政年間(1818~1830)の群馬県の旅人の紀行文に、この鵲地区の七夕祭りを見たとの記述があるということから、百数十年以上の歴史がある事がわかります。9年前(平成16年)に星合地区の子供たちが少なくなってきて、祭りの存続が難しくなってきたため、8年前(平成17年)から鵲地区全体の祭りとかたちを変えました。また7年前(平成18年)からみこしが登場しました。
 また、この祭りは、以前は午前中に行われていましたが、七夕だから夕方がよいのではということで、3年前(平成22年)から夕方行われることになりました。

 波氐神社に集合した子供たちは、みこしの出発地点である東西の神社に分かれます。東は五主の綿積神社を出発し、途中岡田の菅原神社を経由します。また西は小舟江の八雲神社を出発し、笠松の八雲神社を経由して鵲橋にむかいます。
 祭りの主人公の織姫、彦星は鵲小学校の6年生から選ばれます。今年の織姫は水谷朱里(12才)さん、彦星は堀田祐雅(11才)君です。波氐神社でお払いを受けた織姫は綿積神社から、彦星は八雲神社からみこしと共に出発します。そして夕暮れが近づく午後7時頃、みこしは星合町と笠松町の間を流れる夜泣川に架かる鵲橋に到着します。橋の両側に立った織姫と彦星は、川を渡れず途方にくれます。そこに鵲が飛んできて、橋を架け二人は再会することができたという話しです。鵲の織姫と彦星もめでたく鵲橋の上で会うことができました。

 織姫の水谷朱里さんと彦星の堀田祐雅君は、学校で公募があったとき名乗りをあげて応募したということです。織姫の水谷さんは、「着替えが大変であったが、きれいな服を着られて良かった、6年生最後のいい思い出になった」と述べていました。織姫さんと少し照れ気味の彦星さんが橋の上で再会すると、祭りはクライマックスを迎え、多くのカメラマンが盛んにシャッターを押していました。

 この鵲橋のたもとの石碑に大伴家持の歌が書かれています。
『鵲の王多せ類はし耳おく霜乃志ろき越みれ盤夜曽更丹希流』
(鵲の わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける)

 古くから伝わる祭りに、新しい形を織り込んで、地区を上げての祭りにされました。今日は約400人の人たちがこの祭りに参加されていました。
 私もこの祭りを4年前から見せていただいていますが、多くの人たちからいろいろな話しを聞かせていただきました。
 話題になったのはこの地がなぜ「鵲」なのかと言うことです。私が仕事で韓国に行ったとき鵲をよく見ました。日本のカラスくらいの大きさの鳥で、いたるところで見かけました。日本ではカラスは縁起の悪い鳥ですが、鵲は羽根を広げると黒い羽根の中に扇の様に白い羽根が見え、韓国では大変縁起のよい鳥です。日本では九州の方にいるということです。
 何も文献はありませんが、中国あるいは朝鮮から渡来した技能集団の人たちが、住みついたところではないかという説を、言われた方もみえました。
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松阪市議会の新会派

2013-08-07 05:34:55 | 日記
 7月の松阪市議会議員選挙で当選した新市議会議員による任期は、8月1日からスタートしましたが、初顔合わせとなる議員全員協議会が8月2日に行われました。5日に議会事務局から新議員を含めた会派の一覧が次の様に発表されました。

会 派 一 覧 表(平成25年8月1日現在 ◎は代表者)

真政クラブ(8人)
 ◎ 水谷晴夫、植松泰之、山本芳敬、堀端脩、大久保陽一、坂口秀夫、大平勇、野呂一男

市民民主クラブ(5人)
 ◎ 松田俊助、中島清晴、永作邦夫、田中力、川口保

日本共産党(3人)
 ◎ 久松倫生、今井一久、松田千代

青凛会(3人)
 ◎ 野口正、沖和哉、濱口高志

公明党(3人)
 ◎ 西村友志、松岡恒雄、山本節

あかつき会(3人)
 ◎ 田中祐治、中瀬古初美、中村良子

会派に所属しない議員(3人)
 深田龍、海住恒幸、前川幸敏
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