川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

御城番屋敷と苗秀社展示

2008-10-31 21:34:12 | 日記
 松阪市殿町の御城番屋敷にある土蔵で、今年の9月1日から写真展「御城番屋敷と苗秀社」が始まっています。現在御城番屋敷の西棟を修繕工事が行われており、この工事に合わせて市が1戸を借り受け公開していた公開屋敷が閉鎖されているため、工事が終わる平成22年2月25日まで写真展を行うことになりました。入場は無料。

 現在この写真展の展示がなされている土蔵は、かっては松阪城内にあったものがこの場所に移動されたもので、250年の歴史があります。侍の時代の松阪城内の建物ととしては現存する唯一のもので、県の有形文化財に指定されています。この写真展は、先祖が徳川家康の時代に活躍した御城番武士の歴史が説明文や写真、絵図などで紹介されています。また御城番屋敷の歴史などは私のホームページの「松阪市の史跡10選」で紹介しています。よろしければご覧下さい。
  →クリック

 私の9月議会の一般質問の「観光行政について」の中で、松阪城跡の資料館をこの御城番屋敷の土蔵を借り受けて作ってはどうか、という質問をさせていただきました。この御城番屋敷の修繕工事が終わるまでは、土蔵が家具などの一時保管に使われるということですが、工事が終わったあと、何とか実現してもらえればと願っています。
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夢まぼろしか小泉旋風

2008-10-29 07:51:46 | 思うこと
 衆議院選挙を間近に控えて小泉元首相が引退した。3年前の衆議院選挙はまさしく彼のための選挙であった。誰もが思ってもいなかった無謀とも思える突然の解散。そして選挙戦に突入した。街宣カーの上でライオンヘアーをなびかせ、指を1本つき出して演説する姿は、今も私の記憶の中に鮮明に残っている。私たち国民は彼の一挙一動に熱狂し、彼に最大の賛辞を送った。彼はまさしく時代のヒーローであった。

 彼は総理大臣在任期間中高い支持率を維持した。発足当時にいたっては80%に迫る高支持率で歴代政権では最高となった。途中、田中眞紀子外相の更迭問題などで急降下したこともあったが、政権を終える時でさえ、45%近い支持率を維持した。発足したばかりの麻生政権が40%台であえいでいるのとはえらい違いである。
 彼は5年5ヶ月の間政権に就いていた。諸外国の国家元首の在任期間に比べると決して長くはないが、日本では佐藤栄作、吉田茂に次ぐ3番目の長さである。

 この小泉さんの郵政選挙からわずか3年、彼の政権が終わってからわずか2年しかたっていないが世の中は大きく変わった。彼の改革がいくつかのひずみを生み出し、郵政民営化も不都合が生じてきた。あの選挙で国民の仇役だった郵政造反組の議員たちは今、党や政権の中枢に戻ってきた。そしてあの選挙で一躍注目を集めた小泉チルドレンの面々は次の選挙で苦況に立たされることが予想される。

 彼が発した「自民党をぶっ壊します」という言葉は日本の政治史に残る名言であろう。彼は自民党の古い体質をぶっ壊すという意味で言ったのであろう。その結果彼が言うように自民党のかっての派閥力学は崩れていった。しかし今、自民党政権そのものがぶっ壊れそうで、政権を明け渡たすかも知れない瀬戸際にきている。

 郵政選挙で歴史的な大勝利を果たした小泉さんが、3年後の次の選挙には引退に追い込まれた。国民が熱狂したあの小泉政権は何だったのだろうか、あの爆発的な人気は何だったのだろうか、今、宴のあとのような虚無感と世の移り変わりの速さを感じる。
 彼は引退と引き替えに自分の次男新次郎氏を後継者に指名した。もしこのことがなかったら私たちはまだ、やめていく小泉さんを惜しみ、小泉政権の余韻にひたることができたかも知れない。しかし今となってはあの小泉旋風は遠い昔の夢まぼろしのように思えてならない。

                平成20年10月28日
                   松阪市議会議員 川口 保
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マルシエinベルファーム

2008-10-27 20:05:44 | 日記
 10月26日、松阪市伊勢寺町のベルファームで「クラフト&雑貨 マルシエinベルファーム」という催しが行われました。会場の芝生広場には大阪、京都、福井、奈良、愛知、岐阜など全国から来場した、カントリー雑貨、アンティーク雑貨、木工品、アイアン雑貨、ガーデニング雑貨などの51店がならんでいました。全体的に若い人向きの催しでありますが、私の友人が出店していたので見に行きました。

 この催しを主催した松阪市船江町のやまちゃんずはうすの山中正行代表の話しでは、環境優しい「エコ」をテーマにして行われるもので、全国で行われているが、三重県では初めてということです。また来年からも開催したいとのことでした。

 この日同じ芝生広場で松阪地区労福協主催の「勤労者地域協働事業2008」も行われており、ベルファームは終日駐車場が満杯になる盛況でした。
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八田城山まつり

2008-10-26 23:35:12 | 日記
 今日、10月26日、松阪市嬉野八田町で「八田城山いきいきまつり」が行われ私も初めて見に行く機会がありました。またこの八田城跡の存在も今回この祭りで初めて知りました。

 八田城は松阪市嬉野八田町の集落の南側に位置する中世の山城で、城のふもとにある松阪市教育委員会の案内板によると、雲出川に支流中村川の南側に位置し、標高は58m、地区の平地からは34mの高さにあり、城跡は土塁に囲まれた主郭を中心とし、小郭、井戸跡、堀切などが残る。この地区には地区名の付いたいくつかの城跡があり、上流側には釜生田城、森本城、滝之川城、下流側には天花寺城、堀之内城、小川城があり、八田城は釜生田城、森本城、滝之川城とともに城跡全域が残っている城です。

 この祭りが始まった経緯として、世の中の物質文明が進んでいく中、地区の人々と里山とのつながりもなくなり、八田の城山は荒れ放題、山が孟宗竹で覆われ面影もなくなってしまいました。廃れゆく田舎の象徴のようで寂しく感じていました。この城山を自然と調和した里山公園として地域の活性化につなげたいとして、平成15年に八田城山公園保全会が結成されました。

 この城山は個人が所有されているものを借り受けるかたちで、平成15年から八田地区のボランテァの人々で城山の整備が始まりました。2年がかりで表登山道や進入路を整備し、木や竹で覆われていた主郭部も整備しました。また物置小屋、便所の設置、見張り台の設置、砦門の設置などが行われました。祭り会場の敷地としてふもとの田を借り受け、池も作りました。

 平成16年の春に初めての「城山イベント」が開催され、平成16年秋のから現在の「八田城山いきいきまつり」が続けられています。
 八田城山いきいきまつりは餅つき大会や物産販売、子どもたちのゲーム、芋ほり会、抜き菜会などがあり、来場者には炊き込みご飯や城山汁が無料で振る舞われます。
 八田城山いきいきまつりは私のホームページ「松阪市何でも10選」の「松阪市まつりごよみ」に記録させていただきました。→クリック
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セントレア&常滑祭

2008-10-25 21:51:40 | 日記
 今日10月25日(土)と、26日(日)、セントレアで松阪・伊勢志摩観光物産展が開催されています。この催しは松阪市、伊勢市、鳥羽市、志摩市、南伊勢町の4市1町が地域の魅力を紹介する催しで、松阪市の参加は今回が初めてです。

 今日は常滑祭りもあり、常滑祭り見学をかねて。私も家内とベルラインでセントレアに渡り催しを見学しました。各市町はそれぞれのコーナーで自慢の物産を展示販売し、中央舞台ではいろいろな催しが行われていました。松阪市は松阪木綿の機織り体験、松浦武四郎の紹介や、人気キャラクターたけちゃんとのじゃんけんゲーム、松阪肉が当たる松阪に関するクイズなどが行われていました。
 なおこの催しに、常滑市経済建設委員会の相羽助宣委員長さんが来ていただきました。相羽委員長さんは先日松阪市に行政視察に来ていただいたとき私もお会いさせていただきました。

 セントレアから電車で常滑に渡り、やきもの散歩道をぶらぶらしながらまわり、途中の土産物屋をのぞいたり、だんごを買ってかじったり、秋祭りも見学しました。1日心地よい疲れを感じながら帰路につきました。
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地方議員は野党たれ

2008-10-24 17:36:13 | 思うこと
 私たち市議会議員は市民の血税から給料を頂いています。いわば市民に雇われて市議会に臨んでいるわけです。市議会議員の仕事はいろいろありますが、その最大の役割は市の行政をチェックすることにあります。市の行政が正しく行われているかどうか、市の行政が公平に行われているかどうか、市の税金が正しく使われているかどうかをチェックすることにあります。

 市が行う施策の内、予算が伴うものは全て議会で審議されます。議会に提出される議案は行政の方でも充分検討されますが、最終的にその議案が市のためのものか、市民のためのものか判断するのは議会です。私たち議員の責任は重大です。市民にとっていわば議会は最後の砦であるからです。

 23日、県教育委員会は任期満了による教育委員長選挙を行い、四日市大学地域政策研究所長の竹下護氏を選任しました。私はこの竹下護先生から8月4日から3日間の日程で行われた四日市大学の公開授業「地方議会論」で講義を受けました。
 この授業には三重県や愛知県の市議会議員や県議会議員、市の職員、一般市民など40~50人が毎日参加していました。私は昨年同様大平議員と一緒に3日間通いました。また松阪市からは他に海住議員も参加されていました。

 授業の中で竹下先生からはマニフェストの作り方や地方議会のあり方、議員の役割などの講義を受けました。この授業で竹下先生から「県議会議員や市議会議員などの地方議員は全て野党でなければならない」という話しを聞き、我が意を得たりという気持でした。言い方を変えれば市民にとって与党であれということになります。

 議会で賛成するも反対するも市民に顔を向けて判断すべきで、そのチェック機関の最高責任者が議長ということになります。地方議会の会派の中にも「あの会派は与党だ」とか「あの会派は野党だ」という話しを聞きます。
 私は「地方議員は野党たれ」を議員活動の基本理念としていきたい。
  (写真は四日市大学公開授業の様子)
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無錫市濱湖区と友好都市提携

2008-10-23 10:15:13 | 日記
 22日、松阪市と中国紅蘇省の無錫市濱湖区との友好都市提携の調印が行われました。調印式には松阪市から下村市長や長野議長などが訪中し、同区内のホテルで下村市長、陸志堅区長が提携書に調印しました。

 無錫市は「無錫旅情」の歌でもおなじみの日本人によく知られた市です。14世紀に周の都がここに置かれ、近くの丘から錫が多く産出されたことから「有錫」と呼ばれていましたが、漢代の頃、その錫を採り尽くしてしまって錫が無くなったことから「無錫」と呼ばれるようになったということです。無錫市の人口は450万人で三重県の約2.5倍です。濱湖区は無錫市の7つの区の1つで無錫市の南部、太湖の北側に位置し、人口が44万人です。

 本来、友好都市提携は「市」の場合「市」と結ぶ場合が多いのですが、何せ中国は大きな国で人口も多い。現在三重県が友好県省を結んでいる河南省は人口が約1億人にせまり日本の人口に近く、三重県の人口180万人の55倍もあります。今回友好都市提携を結んだ濱湖区でも1つの区でありますが人口が松阪市の約2.5倍あり、面積が567㎢で松阪市とほぼ同じです。中国は全てに一桁大きく、市と区の友好都市提携は妥当なところです。

 私も2年前に濱湖区を訪れる機会に恵まれました。この濱湖区には大工業団地があり、中国、日本、韓国、アメリカなどの一流企業約200社が工場を構えていました。この工業団地に松阪の企業が進出しています。また昨年11月松阪市身体障害者施設・希望の園の障がい者の人たちが濱湖区を訪れ、両市の障がい者の交流が行われました。このような濱湖区との民間レベルの交流が、今回濱湖区が友好都市提携の相手に選ばれる後押しをしたと言えます。

 日本の歴史の中で中国から随分多くのことを学んできました。中国から日本には、豆腐、納豆、ゆばや蕎麦、麩、茶などの食べ物及びその製法が伝来しました。また漢字、医学、音楽、武術の他、麻雀などの娯楽、占い、またインドで生まれた仏教も中国を通じて日本に伝来しました。日本の歴史の中で、文化、芸術から日常生活にいたるまで中国の影響を多く受けています。
 交流を通じてお互いの国の事情や、それぞれの国民の信条を理解することも大切です。その国の歴史にはぐくまれた異文化を理解することも大切です。またお互いに相手の国から学ぶことも大切です。この友好都市提携をどのように生かしていくかはこれからの問題です。
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ユニークな市長選挙で勝利

2008-10-20 07:34:05 | 日記
昨日19日、志摩市長選挙があり、開票の結果、現職を破り新人の大口秀和氏が当選した。
大口さんはこれまで志摩町議補選(当選)、志摩町議選(当選)、県議会選(落選)、志摩町長選(落選)、志摩町長選(当選)、志摩市長選(落選)、志摩市議選(当選)、そして今回の志摩市長選(当選)と8つの選挙を戦ってきた。私も彼が最初に志摩町長選挙に出た時から応援に行って、彼の実にユニークな選挙をみてきた。

首長選挙においても、相手候補が何百人も入れる大きな選挙事務所を構えるのに対して、大口さんの選挙事務所はいつも小さい民家や空き店舗を使う。また建設業や漁協など大きな組織などが相手候補の支援にまわり組織選挙をするのに対し、彼の選挙はいつも草の根選挙である。お金はあまり使わない。

選挙カーには奥さんと子供たちが乗って、他人はいっさい乗せない。また本人が運転するときもある。主に街頭演説で自分の政策をとくとくと語るが、相手陣営の会社の前や相手陣営の演説会場の近くでも平気で街頭演説を行う。
出陣式の人数は少ない方がよいという。選挙を応援しているスタッフはそんなに多くない。選挙ボランティアの申し入れがあっても辞退する。演説会には応援弁士をいっさい頼まず、自分一人で政策を訴える。選挙期間中に取り巻きからの選挙のやり方に対するアドバイスは一切受け付けず、あくまで自分のスタイルを押し通す。

おそらくこんな選挙のやり方は誰にも真似出来ないと思うし、正直こんな選挙でよく勝ったなあというのが率直な印象である。「志摩町の町長選挙では通用しても、広い志摩市の市長選挙では通用しないだろう、もっと組織選挙をするべきだ」と支援者から声が聞こえたが、一向に選挙スタイルを変えなかった。彼の強いポリシーや信頼感が多くの常識を破ったのだろう。

演説会での大口さんの話しを聞いていると、市政への政策を具体的にかたり、説得力があり、この人ならやってくれるという期待が持てる。穏やかな口調ではあるが、力強さが感じられた。
私は選挙のやり方とその人が行う政治は同じレールの上にあると思っている。彼の選挙のやり方はこれから行おうとする政治への意気込みである。自分の取り巻きに対して利益誘導する政治家が多い中、彼は私心を持たずに志摩市の発展に奔走するだろう。いい選挙をみせてもらったことに感謝したい。
(写真は当選後新聞記者のインタビューをうける大口さん)

志摩市長選挙確定得票
  当 14,950 大口 秀和 無新
    13,568 竹内 千尋 無現 (自民推薦)
     3,749 大西 美幸 無新
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本居宣長の墓前祭

2008-10-20 02:31:30 | 日記
 19日、本居宣長墓前祭が、宣長が生前この地を自らの墓地と定めた、ちとせの森の奥墓(おくつき)で行われました。この催しは国学者・本居宣長の業績を偲ぶために、山室観光協会(会長は山室町自治会長兼務)が主催して、毎年この時期に行われています。以前は宣長の命日の11月5日に行われていましたが、最近は命日に近い日曜日に行われます。

 今日は秋晴れの天候に恵まれ、木立の中の奥墓には松阪市長(代理)、本居記念館館長、本居神社宮司、県会議員や市会議員など多くの来賓、また地元の人や幼稚園児などが訪れました。花岡神社の奥出克尚宮司による祭礼が厳かにあり、耕道神風流の皆さんによる吟詠では、一志郡久米村(現在の松阪市久米町)出身で江戸時代から明治かけて活躍した世古葦洲作の「本居宣長」が披露されました。またふもとの妙楽寺ではもちまきが行われ、大勢の人たちが歓声をあげながら餅拾いを楽しみました。

 本居宣長は享和元年(1801)11月5日に72歳で生涯を閉じたが、没後100年の明治37年(1900)に山室山奥墓保存会が結成されました。8年前の200年祭には奥墓を遺言のように直し、保存会が解散されました。現在自治会の皆さんにより、参道などの清掃活動が行われています。

本居宣長の墓前祭は私のホームページ「松阪市のまつりごよみ」に登録させていただきました。→クリック
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松尾小PTA役員OB会

2008-10-19 05:46:50 | 日記
 松尾小学校の平成9年度PTAの役員で構成するOB会「9P会(キューピー会)」の例会が18日居酒屋スサノオであった。

 この会は平成9年度の松尾小PTAの会長、副会長、本部役員、松尾幼の会長、小学校長、幼稚園長、顧問の先生など20数名の会員で構成され、PTAの役員を終えるときに結成した。年一回、毎年この時期に開催しており、ことしが11回目となった。
 
 平成9年度の松尾小のPTAの役員は市の職員も3人混じっていて、いいメンバーが揃っていた。中部中校区の球技大会では今まで松尾小PTAはどの競技でもほとんど優勝をしたことがなかったが、この年はどういうわけか、ソフトボール、ソフトバレーボール、卓球の全競技で優勝した。
 またこの年PATで、親から子へ、子から親へのメッセージを35文字以内の短い文章にまとめた「親と子のメッセージ集」を発行した。

 この日参加したのは12名で、酒を酌み交わしながら、近況報告などの話しに花がさいた。最後の一人になるまでこの会を続けようなんてバカなことを言いながらスサノオを後にし、二次会の会場に向かった。
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当世酪農事情

2008-10-17 20:49:45 | 日記
志摩市阿児町鵜方に私の高校の同級生・高山幸三郎君がいる。彼の家は松阪市鎌田町で酪農を経営していたが、彼が高校を卒業した40年程前に酪農の規模を広げるために開拓団として現在の場所に移り住んだ。

今日17日、志摩に所用があったので久しぶりに彼の牧場を訪問した。彼と会うのも十数年ぶりであると思う。相変わらず気さくな話し方で迎えてくれた。

現在の酪農経営は厳しく、彼が鵜方に来た40年前には三重県でも800~900戸位あった酪農家が、現在は70戸位まで減ったということである。この開拓団にも当時20戸の酪農家があったそうであるが、次々とやめていって現在彼の家も含めて2戸だけであるという。
彼の家でも多いときは140頭位飼っていたが両親が高齢化したこともあり、現在は20頭まで減らしている。また最近は飼料も3割くらい値上がりし、経営は苦しいということである。

最近はバターの不足や中国の乳製品の問題もあるが、それでも私たち消費者にとってスーパーに行けばいつでも牛乳は買える。しかしその裏で酪農家たちの苦悩が続いている。
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市展第2部開催中

2008-10-14 23:35:24 | 日記
第49回松阪市美術展覧会の第2部が市文化財センターで開催中です。14日見学しました。

今回は美術工芸、写真、書道の3つの部門で美術工芸部門46点、写真111点、書道80点、計237点の応募があり、8日の公開審査で210点が入賞・入選しました。
第2部は11日から19まで開催されます。市民の皆様是非ご覧下さい。

また今回の第49回美術展覧会の日本画、洋画、彫塑、美術工芸、写真、書道の6つの部門で、4賞(一席、二席、三席、岡田文化財団賞)を受賞した24作品を一堂に集めた優秀作品展が、平成20年12月3日~12月21日まで松阪市文化財センターで開催されます。こちらもご覧下さい。
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伊勢街道めぐり

2008-10-13 08:44:58 | 日記
 12日、朝起会の「史跡めぐり」第3回目として伊勢街道めぐりをしました。この催しは朝起会の会員で、松阪市内の史跡や名所を巡ろうということで、第1回目は松阪城めぐり、第2回目は和歌山街道めぐり、、今回は第3回目として伊勢街道めぐりをしました。
 今回は朝起会の会員や、会員の友人など14名が参加されました。

 伊勢街道は参宮街道とも呼ばれ、四日市の日永の追分から伊勢湾沿いを伊勢神宮までの約18里(70㎞)の道で、このうち松阪市内は雲出川の小野古江渡(をのゝふるえのわたり)から、稲木町の祓川の渡し付近までの道筋。 
 江戸時代には人々が集中的に参宮に押し寄せる「おかげ参り」が、およそ60年周期で流行し、多い時には500万人もの人が熱狂的に伊勢をめざしました。

 一行は小野江町の松浦武四郎の生家、小野古江渡跡を見学したあと、松浦武四郎記念館に入り、高瀬英雄館長さんから武四郎の功績など詳しく説明を聞かせていただきました。また初瀬街道との分岐点の「いかご追分」、市場庄の街並みや休憩所いちのや、忘れ井などをめぐり、松阪市街に入り商人の館など見学しました。

 昼食は岩内瑞巌寺の鏡池の堤防の上で池の鯉や、遠くの景色を見ながら輪になっていただきました。

伊勢街道についての説明は私のホームページの「松阪市の史跡10選」をご覧下さい。→クリック

(写真は松浦武四郎記念館で高瀬館長から説明を受ける)
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四五百之森コンサート

2008-10-12 07:49:34 | 日記
11日、殿町の松阪神社境内で四五百之森コンサートが開催されました。この催しは松阪神社奉賛会(稲垣京祐会長)が主催したもので、今年が11回目のコンサートとなりました。
松阪神社は平安時代には延喜式内社に列せられるなど古い歴史があり、以前は意悲(おい)神社と呼ばれていました。平成8年の式年遷宮を機に松阪神社奉賛会が組織され、神社を盛り上げていこうということで、毎年この時期にコンサートが行われています。

夕闇がせまる境内にはかがり火が焚かれ、訪れた大勢の市民が仮設舞台で演奏される演奏を聞き入りました。この日の出演者は全て無料ボランティアで、太鼓、大正琴、ギター、インディアンフルートなどの演奏やフラメンコなどが披露され、四五百之森の木立の中に演奏が響き渡りました。

四五百之森コンサートは私のホームページ「松阪市まつりごよみ」に記録させていただきました。ご覧下さい。→クリック

  


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粥見の遺跡まつり

2008-10-11 22:54:23 | 日記
11日、飯南町粥見の粥見井尻遺跡公園で「粥見の遺跡まつり」が行われました。この催しは松阪市教育委員会文化財センターの主催で、毎年この時期に行われ、今年が第2回目となります。

粥見井尻遺跡は今から1200年も前の日本で最も古い竪穴式住居で、日本最古の土偶も発見されています。この祭りは子供たちに古代の生活を体験してもらうために催されるもので、土器や石器、まがたま等を作ったり、弓矢や火おこし体験ができます。参加者は親子連れが多く、地元だけに限らず松阪市内一円から来場していました。

私も子ども達やお母さん方に混じって、古代さながらの火おこし器による火おこしに挑戦しました。木と木ををこすり合わすとやがて煙りが出てきて、火がつくのですが、大変疲れる作業で、みんなフーフーいいながら火おこしを楽しんでいました。

粥見の遺跡まつりは私のホームページ「松阪市まつりごよみ」に記録しましたのでご覧下さい。  →クリック

この祭りと同じような古代の生活が体験出来る「ドングリまつり」が11月2日(日)嬉野ふるさと会館前公園で行われます。こちらも参加して下さい。
問い合わせ 松阪市教育委員会文化財センター 0598-26-7330まで

(写真は火おこし器による火おこし体験の子供たち)
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