川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

よいお年をお迎え下さい

2011-12-31 19:55:16 | 日記

 東日本大震災という、とんでもない災害があった2011年もまもなく暮れようとしています。今も不自由な生活を強いられながら、多くの被災者の皆様が新しい年を迎えようとされています。来る2012年が、復興への歩みの加速していく年であることをお祈りします。

 

この1年、私のブログを見ていただいてありがとうございました。私のブログは情報発信という思いで書いていますので、読みものとしてはあまり面白くないかも知れません。それでも多くの皆さんに見ていただいています。1日に1000件を越えるアクセス数があったこともありました。新しい年もよろしくお願いします。

 

わかる歌 少なくなりし 大晦日

 

皆様、よいお年をお迎え下さい。

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河村名古屋市長の国政復帰論

2011-12-25 08:55:12 | 日記

名古屋市の河村市長が執念を燃やした市民税の恒久減税案が、10%から5%に半減されたが、12月22日の臨時議会で可決された。河村氏の次の一手は国政への復帰だと23日付けの中日新聞は報じている。

 

このことを河村市長自信の口から発せられた訳ではないが、もし任期途中での国政への転身となれば、とんでもないことではないかと思う。減税は決してゴールではなく、スタート地点である。減税をすると当然市の財政運営は苦しくなる。その状況の中で市民サービスを低下させずに、市の借金を増やさずに、そして減税による経済効果をいかに高めて地域経済を活性化していくかが、これからが河村市長の一番の腕の見せ所ではないか。

 

河村氏は選挙に強い。次の国政選挙に出れば当選するかも知れない。しかし自分が情熱を燃やして実現した名古屋市の減税の効果を見極めるために、今任期を全うするのはもちろん、次の名古屋市長選にも立候補すべきであろう。

「減税」は私がしました。後の苦労は次の市長がして下さい。私はまた減税を掲げて国の方に行きますでは、余りにも「ええとこ取り」ではないか。

 

ところで恒久減税の「恒久」とは、いつまでのことなんでしょうか。まさか名古屋市の続く限り未来永劫というわけでもないでしょう。次の新しい市長が誕生して方針替えで、5%減税を撤回することも考えられる。そのためにも河村市長には5%減税が名古屋市民に幸福をもたらすことを示していただきたい。

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サンタクロースって本当にいるのですか(2)

2011-12-23 20:48:22 | 日記

以前にもこのブログで紹介したことがあるクリスマス、そしてサンタクロースにまつわる話をもう一度お届けしています。

 

アメリカのソルトレークシティー。2002に冬季オリンピックが行われた都市です。この町には、市上空を飛ぶ小型機の高度は600m以上と定めた条例がありました。ただしこの条例には、『クリスマスイブに限り、プレゼントを配るため家々の上を飛び交うサンタクロースとトナカイは例外とする』という条項がありました。

 市航空局ではこの特別条項の削除を求める修正案を市議会に提出しました。「サンタクロースを信じる子どもがいるのに」と反論が殺到したそうです。投票の結果この例外条項は残りました。このとき一人の市議会議員は「人生も政治もたまには多少の遊び心を持つことが大切だ」と語ったそうです。

 政治は厳格でなくてはなりません。しかし何もかも四角四面では息が詰まりそうです。遊び心は政治の中に人間味を吹き込んでくれます。ソルトレークシティーのこの特別条項は考えてみれば実にばかばかしいことです。しかしこのばかばかしいことに人々の心の余裕や暖かさを感じます。
 今年もまもなくクリスマスがやってきます。ソルトレークシティーでだけではなく、世界中の夜空をサンタクロースやトナカイが駆けめぐり、子どもたちに夢や愛を届けることでしょう。
 明日はクリスマスイブ皆様いいクリスマスをお過ごし下さい。

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サンタクロースって本当にいるのですか(1)

2011-12-22 19:40:26 | 日記

クリスマス。

子どもたちには夢を与え、恋人たちは楽しいひと時過ごし、年配の人たちにも懐かしい思い出を呼び起こします。キリスト教の行事でありながら、仏教徒の多い日本でも古くから慣れ親しんだ年中行事です。そしてこのクリスマスに登場するサンタクロースも子どもたちに贈り物を届ける重要な役割を果たします。以前にもこのブログで紹介したことがあるクリスマス、そしてサンタクロースにまつわる話をもう一度2つ届けます。 

 1897年、アメリカの新聞社ニューヨーク・サン紙に8才の少女バージニアから一通の投書が届きました。その中には「サンタクロースって本当にいるのですか」と書かれていました。同紙では社説で少女の質問に答えました。 『この世の中に、愛や、人への思いやりや、まごころがあるのと同じように、サンタクロースもたしかにいるのです。この世界で一番大切なこと、それは子供の目にも、大人の目にも、見えないものなのですから。』
 夢と愛情をもらった少女バージニアは大きくなって先生になり、長期入院の子供たちの学校の副校長になりました。
 ニューヨーク・サン紙では毎年12月24日にはこの社説を載せたということです。

 この話は今から一世紀も前の出来事です。社説は新聞社にとって自社の主張を載せる大事な紙面です。その社説を使って8才の少女の質問に真摯に答えた新聞社の姿勢が今も人々の心を打つのでしょう。そして夢や愛がどれだけ大切であるかを教えてくれる話しです。

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スズメ最近見ない

2011-12-22 08:07:38 | 日記

「スズメ最近見ない」という見出しで、12月21日付けの夕刊三重紙が、自然の残る飯南地区でも最近すずめが少なくなったことを報じています。飯南地区に限らず我が西野地区でもすずめの姿を最近ほとんど見ない。おそらく全国的な傾向であろう。50年前に比べるとすずめの数は1/10に減っていると言われています。

 

鳥の中でもすずめほど、昔から私たち日本人になじみの深い鳥はいないだろう。私たちの子どもの頃には家の周りにたくさんいて、空気みたいな存在であった。すずめの側から見ても人間は共生する動物に思えていたのだろうか。かつてはどんな山奥でも人間が暮らしている所にはすずめが住んでいて、もしそこから人がいなくなり空き家なると、すずめもいなくなるということです。

 

人間とすずめが共存していた日本からすずめが減っていったのは、人間のライフスタイルの変化が原因だろう。かつては家屋の瓦の隙間などすずめが巣を作るのに必要な場所がたくさんあったが、最近は建築様式の変化で、瓦の隙間も少なくなってきている。他の鳥のように木に巣を作ることはできないのだろう。

 

またすずめのエサが減ってきているのだろう。以前のようにそれぞれの農家で稲作をしていると、稲刈り、脱こく、籾すり、出荷などエサとなる米がこぼれる機会が多かったが、最近は専業農家に以来することが多く、ロスが少なくなってきています。また以前は稲刈り後の田んぼは、そのままの状態で冬を越すことが多く、こぼれた籾が田に残っていたが、今はすぐ耕起するため、エサとなる穀物がなくなるのだろう。

 

虫を食べるツバメは益鳥として農家に大事にされてきましたが、すずめは米を食べるため、害鳥とされてきました。しかしこれだけ少なくなってくると、素朴であの愛らしい姿が懐かしく思えます。

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水戸黄門の放映終了

2011-12-19 21:31:11 | 日記

 (写真は水戸市千波公園の水戸光圀公の像)

 

「人生楽ありゃ苦もあるさ・・・」という軽快なテーマソングで始まるTBS系のテレビ時代劇「水戸黄門」が12月19日、最終日を迎えました。諸国を漫遊している黄門様一行が、行く所々で庶民を苦しめている悪代官や悪家老を懲らしめ、最後に斬り合いになったところで「これが目に入らぬか」と印籠を出して、悪人たちがひれ伏すといった単純明快で、安心して見られるドラマでした。

 

かつては大河内伝次郎や月形竜之介などの主演で何度も映画化もされ、忠臣蔵とともに日本人の心の時代劇であった。1969年(昭和44年)8月にスタートして1227回、実に42年もの長きにわたって放映された長寿番組でありました。

今回の放映の打ち切りは、視聴率が低かったためといわれており、さすがの黄門様も視聴率には勝てなかったことになります。

 

視聴率の低下は、黄門様世代が少なくなってきたのではないかと思います。私もゴールデンタイムの放映はあまり見ませんでしたが、なくなると一抹の寂しさも感じます。またいつか、装いも新たに復活することを期待します。

 

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高校生レストラン「まごの店」で食事

2011-12-19 08:37:50 | 日記

(写真はまごの店の厨房で調理する生徒たち)

日本テレビ系のドラマ「高校生レストラン」でおなじみになった、三重県多気郡多気町の県立相可高校の食物調理科の生徒を中心とする「調理クラブ」の高校生が運営する「まごの店」に、12月18日に妻と行って来ました。

テレビドラマが終わって少し落ち着いたかなあと思い行ったのですが、大変な盛況で、着いたときには10組くらい待ちでした。中にはあきらめて帰る人もありましたが、それでも回転が速く15分くらいで席に着くことができました。お目当ての料理はこの店のメインメニューの「花御膳」でしたが、うす味の上品な料理でした。

 

この日は調理クラブの生徒約50人の内、約40人が店に出ているということですが、厨房の中の生徒も接客係の生徒も、実に見事に分担された自分の仕事を、てきぱきとこなしていました。この店は朝10時15分に開店して、売り切れ次第終了するということでした。

 この日は東京から2組の取材グループが来ていました。

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松阪市議会平成23年5大ニュース

2011-12-17 07:30:45 | 日記

12月14日に松阪市議会の平成23年11月議会が終わり、今年の議会は全て終了しました。この1年、松阪市議会の中でいろいろな事がありましたが、今年も例年のように松阪市議会の5大ニュースを独断で選定しました。

 

◆議会改革検討委員会審議進む

 昨年2月に発足した松阪市議会改革委員会(中森弘幸委員長)は、市議会をより活性化し、市民の付託に的確に応えることを目指し、今後の議会のあり方及び当面の諸課題について、検討することを目的として設置されたもので、今年も議論が進められました。議長・副議長の立候補制や、市議会の傍聴席に意見箱を設置して市民の声を受けるなど、一部実施に向けて動き出しています。

 

◆市議会議員で東日本大震災の街頭募金行う(3月)

  市議会議員全員で、3月11日に発生した東日本大震災の被災地への街頭募金活動が3月17日~21日の5日間行われました。この募金活動は松阪駅周辺やベルファームで行ったもので、多くの市民の協力により、446,548円が集まり、日本赤十字社三重県支部を通じて被災地に送られました。またこれとは別に松阪市議会として50万円が全国市議会議長会を通じて被災地に送られました。

 

◆野口正議長、大久保陽一副議長誕生(8月臨時議会)

 8月11日から2日間、松阪市議会8月臨時議会が行われ、役員選挙の結果、新議長に野口正議員(真政クラブ)が、副議長には大久保陽一議員(真政クラブ)が選任されました。今回から議会改革の一環として立候補制が取られました。

また議会選出の監査委員には松田俊助議員(市民民主クラブ)が選任されました。

◆陸前高田市の戸羽市長復興への思いを語る(11月)

東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市の戸羽太市長が11月5日に松阪市を訪れ、松阪市議会の議場で市議会議員や松阪市の幹部職員を前に大震災の状況や復興への思いを語りました。今回戸羽市長は、同市の災害復旧のために松阪市から小林副市長と職員を派遣したことに対するお礼と、被災地の現状を語るためにみえたものです。

同市の大震災の死者・行方不明者は1700人から1800人を数え、市役所も大きな被害を受けました。庁舎の屋上まで津波が押し寄せ、住民台帳や公用車も流され、市の職員も291名のうち68名が犠牲になりました。

この災害で戸羽市長は奥さまを亡くされ、家も流されました。市長選挙で当選したばかりの戸羽市長が市役所の機能の回復や被災者の救援、災害復旧に陣頭指揮で取り組んでこられました。

 

◆国際交流議員の会発足(12月)

松阪市議会の有志議員で加盟していた日中友好促進三重県市議会議員連盟を、今年12月をもって脱会し、有志議員で構成される日韓友好議員連盟(中森弘幸会長 会員22名)と合体して、新たな国際交流の会を結成することになりました。新しい会の名前はまだ決まっていませんが、日中、日韓にとらわれず広く国際交流を広めていこうとするものです。

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岡本の火祭り開催される

2011-12-15 21:00:58 | 日記

松阪市岡本町に昔から古くから伝わる「岡本の火祭り」が12月15日の夜、同町の明神社跡の山の山頂で行われました。この祭りは堀坂山に住みついた大蛇がこの村に出没し村人に危害を加えたとき、村人が松明を焚いて大蛇を退治したとの言い伝えから行われています。私も毎年この祭りを見せて頂いていますが、この日は風もほとんどなく穏やかな日和でした。

 

岡本町は堀坂山から山続きになっており、この大蛇は尾根伝いに岡本に現れて村人を呑んだり、危害を加えたりしていた。このとき村人の老人の夢枕に神のお告げがあり「大蛇を退治するには村人全員が松明を焚いて、一斉に大蛇にめがけて投げつければ大蛇は間違いなく退治できる」と告げられた。老人はこのことを村人に伝え、村人全員で実行したところ大蛇を退治できた。そこで村人は大蛇を退治できた陰暦11月1日(現在では太陽暦12月15火)に火祭が行われるようになりました。

 午後7時ごろ山頂の広場の中央に積まれた薪に火がつけられ、神前にお神酒と各家から持ち寄った薄くのばし直径30cmもある餅を供え、お神酒を酌み交わします。この餅が来場者にまかれ、祭りは最高潮に達します。祭りの最後は「むかしのしんまい たつがしんまい おーとこやーまの みーねがとやまの すりはーしや すりはーしや」という音頭とともに太鼓が鳴らされ、火のついた松明をもった地区の人たちが広場の周囲三回回り、最後は大蛇に見立てた中央の大火に松明が投げ込まれます。

 この祭りは戦時中昼間行われたことはあっても中断されることなく続けられてきましたが、明治の中期頃一度中断された年がありました。するとこの年に岡本で火災が発生し、「これは家を焼いて火祭りの代わりにされたのだ」と恐れ、火祭りを再開することになり、その後は中断されることなく続けられています。岡本町ではその後この火事以外の火事は記録がないと言われています。

この祭りは私のホームページの「松阪市まつりごよみ」に登録しています。クリック

 

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松阪市議会国際交流議員の会結成

2011-12-15 07:51:53 | 日記

 松阪市議会の平成23年11月議会は12月14日、26の議案の可決してなどをして21日間の会期を終了しました。また本会議終了後全員協議会が開かれ、松阪市総合計画の「実施計画」、「松阪市行財政改革大綱」、「松阪市行財政改革大綱アクションプラン」の説明があり、質疑がありました。

 この日、市議会の有志議員で構成される日韓友好議員連盟(中森弘幸会長 会員22名)の会合が開かれ、12月をもって解散する日中友好議員連盟と合流して、新たな国際交流の会を結成することになりました。新しい会の名前はまだ決まっていませんが、日中、日韓にとらわれず広く国際交流を広めていこうとするものです。

 

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皆既月食を見ましたか

2011-12-11 09:27:08 | 日記

月に地球の影が映る月食が10日の深夜に観測されました。この日は月の全てが地球の影に隠れる皆既月食で、寒空の下、天を仰いでいました。

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松阪競輪のシステム障害

2011-12-09 07:43:49 | 日記

 

12月8日に行われた松阪市議会文教経済委員会協議会で、12月7日に発生した松阪競輪のシステム障害について報告されました。

トラブルが発生したのは7日の5レースの終了後、データー処理を依頼している東京の「車両情報センター」のシステム障害によるもので、6レース以降の中止が宣言されました。

その後ファンが入場料や特別席の入場料などの変換を求めて総合案内所に詰めかけたということですが、入場料などは市の自転車競走実施規則に基づき返還されないことになっており、来場者に理解を求めたということです。

 

レースが中止になった7日は、ちょうど松阪市議会が開催中で、議会を中断して市長から議員に状況が報告されました。

銀行のシステム障害も同じで、コンピュータ処理による障害は多くの人々に大きな影響を与えます。この日全国の15競輪場で同時にレースが開催されており、車両情報センターのシステムの容量を越えたのではないかということです。

今回のトラブルによる損害の賠償はセンターに求めるということです。すでにシステムも回復して、今年の最終戦が12日から3日間、予定通りに開催されます。

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我が地区の山の神

2011-12-04 22:00:22 | 日記

我が松阪市西野町の向林地区に古くから続けられている「山の神」という行事があります。番屋の家に地区(10戸)の家族全員が寄ってきて食事をします。いつから始まったのかはよくわかりませんが、私が物心ついた時にはもうありました。山の神は近くの地区でもありましたが、時代の流れとともに無くなってしまっています。そのような中で、我が地区はかたくなに続けています。

 

山の神がどういう行事なのかはよくわかりませんが、私たちの地区では「子供の神」とも言われ、子ども中心の行事です。今は子どもが少ないのですが、私たちが子どもの時には地区には20~30人の子どもがいて、山の神は楽しい行事でした。

 

以前は朝から晩まで家族中が3食いただきました。簡素化で2食になり、今は昼1食ですが、山の神という行事はこれからも続けていこうということが決まりました。わずか10戸の在所ですが、地区の幼児から老人までが年1回一同に会する貴重な行事です。今日の話し合いで山の神とは別に、春に焼き肉パーティーをしようということも決まりました。

昔からある行事はできるかぎり、続けていきたいものです。

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まつおキッズクラブでクリスマス会開催

2011-12-03 19:30:05 | 日記

12月3日、松阪市丹生寺町の松尾小学校の体育館で学童保育所「まつおキッズクラブ」(児童数54人 久保眞由美父母の会会長)で恒例のクリスマス会が行われました。私も毎年お招きをいただき、通学路で毎朝夕、交通指導をしていみえる小島さんとともに参加させていただいています。

キャタピラー競争やジェスチャーゲームなどに子どもたちと一緒に参加しました。また子どもたちはなぞなぞゲームなどを楽しみました。最後にサンタさんが登場し、子どもたちはプレゼントをもらっていました。

 

学童保育所「まつおキッズクラブ」は平成12年4月、平成町の団地案内所の1室8畳を借りてスタートしました。子ども13人、指導員の先生2名でのスタートでした。しかし部屋が狭く、荷物を置くと息が詰まるほどスペースだったため、同年10月平成町内に一軒家を借受け、運営を進めてきたが、児童数が増え続け、新たな施設の検討が必要になってきました。

平成14年7月から松尾地区を挙げての新施設建設の機運が高まり、多くの関係者の努力の甲斐あって、平成15年3月に今の場所に新施設が完成し、同年4月に落成式を迎えることになりました。

 

現在も同クラブの児童数は増え続け、これまでは平成町を中心として入会していましたが、今は平成町以外の地区からも入会が増え、全児童数は今年の54人が来年には61名になる予定です。このため今の施設では限界で、父母会では対応を検討しています。

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