川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

中万市開催される

2018-11-28 05:55:43 | 日記
                      (にぎわう現代の中万市)

 昨年約60年ぶりに復活した松阪市中万町の「中万市(ちゅうまいち)」が11月25日に開催されました。私も午前中は地元神社の行事があったため午後に出かけました。

 古くから水銀産業で栄え、江戸時代に多くの豪商を排出した中万地区の櫛田川の河原では、室町時代から昭和の中頃まで「中万市」が毎年開催され、大変な賑わいがありました。しかし昭和34年(1959)の伊勢湾台風の水害とその後の河川改修の影響で途絶えていました。

 昨年、中万町自治会(西村篤史自治会長 約180戸)により「豪商の里 現代の中万市」として復活され、現在も残る豪商宅の歴史的建造物の公開や、乳熊寺(ちくまんじ)の本堂などが特別公開されました。また中万市では中万発祥の「ちくま味噌」をはじめ、農産物・海産物やその加工品などが販売されました。その他「まちなみ スタンプラリー」など楽しい催しが企画されました。

でこさん 行われる

2018-11-22 20:44:34 | 日記
                (子どもたちに担がれて「でこさん」が町内を廻る)
 
 子ども達が代官の人形を担いて地区内を廻る、松阪市嬉野津屋城町に元禄時代から約300年続く伝統行事「でこさん」が、満月の旧暦の10月15日にあたる11月22日に行われ、私も久しぶり見せていただきました。
 この行事は津屋城町自治会(鈴木修 自治会長 戸数約110戸)、「でこさん保存会(鈴木修 会長兼務)」と子どもたちの保護者などが中心となり進められます。

 この行事は元禄時代のある年に、台風と高潮が重なって田畑が水に浸かり、作物が大きな被害を受けたとき、紀州藩松阪領の代官が三渡川に架かる巡見橋(現在の巡見橋よりもう少し上流側にあった)付近の高台からその惨状を見て、村人の年貢米を免除しました。この行事はこのことに感謝して、代官が亡くなってから始まりました。戦時中も続けられていましたが途中一度中断したところ、その時疫病が流行ったため、また復活して現在に至っています。祭りの呼び名「でこさん」は「代官さん」が訛ったものと思われます。

 以前は男の子が武士の姿をして行っていましたが、子ども人数が多く参加できない子どももいました。最近は少子化の影響で、男の子だけでは成り立たず、平成20年(2008)からは女の子も参加しています。また以前は、でこさん人形を毎年藁や紙で作り、墨で顔を描いていたことから、囃子の言葉の中にある「でこさん 見とおくんな」はその年の出来映えが違っていたためです。現在のでこさん人形は京都の人形師に作ってもらったものを使っています。
 
 竹を井桁状に組んだ枠の中心に、代官をイメージした主役のでこさんの人形を乗せ、周囲は菊と南天で飾ります。また、でこさん人形には本来はその年に生まれた子供の産着を着せます。以前は満月の月が出たのを見てから出発しましたが、現在は午後5時に津屋城集会所を出発します。
 まず「先走り」と呼ばれる幼稚園、小学1年生から3年生の子どもたちが幟を立てて出発し、そのあとからでこさんの行列が出発します。でこさんは小学1年生から中学3年生までの子供たちで編成され、提灯を持った子供がでこさんの前を歩き、次いででこさんのみこし、その後ろには太鼓を叩きながら子どもたちが続きます。一番うしろには「しで」と呼ばれる先端に短冊を付けた竹を持って大人達が続きます。

 でこさんは、まず大門川に架かる大門橋に行って東の空の満月を礼拝し、町内の2つのお寺「常蓮寺」と「善勝寺」を廻ってから、各家を一軒一軒廻ります。その時『そーらい どびようし そろろえて やしし でこさん 見とおくんな 』と唱えます。その家の人がお供え(米やお金)をすると『おおきに おおきに』といって家を離れ、『わんよ わんよ』と言いながら道を走ります。次の家に来たら『さーんし そーらい どびようし・・・・』と繰り返します。

 以前は下竜王野(しもじょうの)地区まで廻っていたため、終わるのが午後11時ごろでしたが、数年前より行けなくなりました。それでも津屋城地内約110戸の全ての家を廻るのに5時間程かかるということです。以前は全て担いで廻っていましたが、今は途中から台車に乗せて廻っています。また以前は男の子だけで編成されていたましたが、少子化のため平成20年(2008)からは女の子も参加しています。

 大変忙しい中説明をしていただきました鈴木会長さんや地区の皆さんありがとうございました。各地で続けられてきたこのような行事が、少子化で存続が難しくなってきています。「でこさん」も300年もの長い間地域の人々によって、脈々と続けられてきた貴重な行事、いろいろ工夫しながら今後もぜひ続けてほしいと思います。

ふるさと川俣祭り開催される

2018-11-19 04:58:51 | 日記
                (人気のいも煮コーナで手伝いをする地元中学生)

 平成30年11月17・18日、松阪市飯高町七日市の飯高総合開発センターで「ふるさと川俣祭り」が開催され、18日に私も久しぶりにこの祭りを見に行きました。この日は爽やかな秋空が広がる絶好の祭り日和でした。この祭りは「ふるさと川俣祭り実行委員会(辻本辰一会長)」が主催して行われました。

 この祭りは、以前は「茶王 大谷嘉兵衛翁まつり」として飯高町宮本の嘉兵衛翁の菩提寺である長楽寺で行われました。この時には嘉兵衛翁の子孫の方も出席され法要が行われ、約5時間かけて行われる手もみ茶体験などがありました。
 平成22年(2010)11月から場所を旧川俣小学校に移し、「第1回ふるさと川俣いも祭り」と「第10回茶王大谷嘉兵衛翁まつり」とともに開催されました。そして昨年・平成29年(2017)からは、場所を今の飯高総合開発センターに移し、「川俣地区ふるさと祭り」と「ふるさと川俣いも祭り~茶王 大谷嘉兵衛翁祭りと共に」が統合して「ふるさと川俣祭り」としてスタートしました。

 今年の祭りの展示コーナーでは「大谷嘉兵衛翁資料展」が設けられ、嘉兵衛翁の功績の中で特に「地域における功績」が紹介されていました。また特別展「松阪かるた展」では地域の文化や伝統などが取り上げられていました。
 味わいコーナーでは、この川俣地区が里芋の産地であることから「いも煮」が無料で振る舞われました。私も何度かこの祭りに行っていますが、これまで「いも煮」には一回もありつけなかったのですが、この日は「お変わり自由」ということで2杯いただきました。また同コーナーでは地元の弁当屋「つるや」からマグロの兜焼きが提供され、私もいただきました。

 イベントコーナーでは、「茶王の会の部」として「大谷嘉兵衛翁と川俣茶」というテーマのおもしろステージトークショーや、「ドローンで見た川俣地区」の上映などありました。祭りの最後に献茶式、そしておもちまきがありました。
 今年の祭りの手伝いに飯高中学校の3年生の生徒22人がボランティアとして参加していました。祭りの説明をしてくださった辻本会長さんや、地区の皆さんありがとうございました。

  この祭りは私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。

蘭宇氣白神社の屋根の銅板の盗難を悲しむ

2018-11-14 18:31:01 | 日記
                (蘭宇氣白神社の本殿 平成30年9月16日撮影)

 松阪市柚原町の蘭宇氣白(あららぎうきはく)神社(垣本長生 宮司)の本殿や社務所の屋根の銅板が剥がされ、盗難にあったことを夕刊三重の記事で知った。
 私もこれまであまりなじみがなかった同神社に、今年は何度か訪れた。1つは5月に行われた第10回松阪史跡めぐりで同神社を訪れたとき、垣本宮司や千賀博文総代から詳しく説明を受けた。
 また垣本宮司が私の地元の松尾神社の禰宜をされていることもあり、9月の蘭宇氣白神社の例大祭では松尾神社の舞姫が浦安の舞を奉納した。同行した私たち松尾神社の関係者との同神社の関係者と友好的な交流ができた。

 神社の玉垣(柵)で囲まれた領域は、特に神聖な場所である。その中に入ることは私たち神社の運営に携わる者でさえ、おそれ多いことである。その神域に忍び込み、こともあろうに本殿の屋根に上って屋根材を剥がすのはどういう心境だろうか。他人が自分の家に土足で上がり込んで家の中を壊していく以上の暴挙である。

 この泥棒は一体いくらの利益を得たのだろうか。銅の買い取り価格があがっているとは数万円だろう。蘭神社がこの屋根を修理するのに、垣本宮司の話では250万円位かかるのではないということである。どこの神社も経済的に運営に苦慮しているものと思う。特に氏子の少ない山間地の神社の運営は厳しいだろう。しかも蘭宇氣白神社は3年前に遷宮があり、氏子の皆さんは改修などの資金の負担をされているものと思う。それでも遷宮であれば何年も前から整備計画を立て、資金計画に基づいて進められ、篤志寄付も合わせて事業が成り立つのである。

 今回の出来事のあと壊された屋根をどのように修理するのか、神社関係者や氏子の皆さんは頭を抱えているだろう。88戸の氏子の皆さんがそれぞれ、数万円の負担を強いられることになるかも知れない。

 今年は大きな台風が何度も日本列島を通過した。松尾神社では台風毎参道の階段の上に倒木があり、倒木の撤去や階段の補修など多くのボランティアが携わった。また境内や参道の清掃には敬神婦人会の女性の皆さんが当たってくれた。また氏子の皆さんが交代で出会いに出て草刈りなどの作業をしてくれた。どこの神社でも同じように多くの氏子や崇拝者のボランティアに支えられて成り立っている。
 人々の神社崇拝を踏みにじった蘭宇氣白神社の今度の出来事は悲しい。

ある障がい者の死

2018-11-13 03:31:21 | 日記
 年末近くになると、家族や濃い親戚で不幸があった家から「賀状欠礼」のハガキが届くようになる。この時期になると私の知り合いであった、ある障がい者のことを思い出す。その彼の死を知ったのも彼の家族から私の所に届いた賀状欠礼のハガキでした。

 彼は非常に重い障害を持っていた。車椅子に乗って自分で外に出ることもできない。食事も自分でとることができなかったのではないか。また、言葉にも障害もあって、彼の話は何度も聞き直さないと分からない。

 その彼から以前私に電話があった。「骨が突き出してくる病気で、ジッとしていても痛い。横浜にいい病院があるのでそこに行くのだが、川口さん連れていってほしい」というものでした。私は了解をして「車で行くの?」、「いや 電車で連れていってほしい。病院の受け入れが少し先になるが」。私は当時会社務めをしていたが、私のところに電話してくるのは、余程のことだろうと思い「いつでもいい、平日でもいいので都合がついたら連絡して」と電話を切った。しばらくしてまた彼から電話が入り、「横浜の病院の受け入れ準備がまだできていないので、もう少し待ってほしい」というものでした。私は了承して「行けるようになったら連絡して」と電話を切った。

 しかし彼は横浜の病院に行くことなく亡くなりました。59歳でした。
 その彼が以前にこのようなことを言いました『僕はこういうからだで生まれてきた しかしせっかくこの世に生まれていたのや、しっかりと生きていきたいのや』。
 彼は59年の人生の中で社会の人々から注目されることは、おそらく一度もなかっただろう。また社会の檜舞台に立ったことも一度もなかっただろう。しかし彼が残していった『僕はこういうからだで生まれてきた。しかしせっかくこの世に生まれていたのや、しっかりと生きていきたいのや』という言葉が私の心の中にいつまでも残っています。

初めてのバイキング料理

2018-11-06 05:37:48 | 日記
 先日娘夫婦と孫と家内の5人で市内の焼肉店の「食べ放題」に出かけ、焼肉を満喫しました。最近忘年会などでは、ほとんど「飲み放題」が設定されます。また焼肉店や中華料理店では「食べ放題」のところも結構あります。ホテルの朝食も今はほとんどバイキングです。食べ放題、飲み放題、バイキング。私たちの若い頃にはなかったシステムです。

 私が初めて「バイキング」なるものを経験したのは、50年ほど前のハワイ旅行の時でした。現在では年末年始やゴールデンウィークには多くの日本人が海外旅行に出かけますが、その当時は海外旅行なんてほとんどない時代、まして慰安旅行で海外に行く会社は皆無に近い状態でした。

 「社員全員が参加すること」との社長命令で、30数名の社員全員が参加し、事前に男性はアロハシャツ、女性はムームーを買い込みました。私も飛行機に乗るのも初めて、海外に行くのも勿論初めてで、憧れのハワイ航路に胸が躍りました。ハワイの空港に着き飛行機から降りると、現地の女性が1人1人の首にレイを掛けてくれました。そんな出迎えができるほど旅行客が少なかったのでした。冬に行ったのですが常夏のハワイは格別でした。

 ほとんど日本人がいない。どの店もほとんど日本語が通じない。それが海外に来たという実感を、より感じさせてくれました。食事の時誰かが「箸がほしいな」「箸って英語で何というの」、誰も知らないが、それでも「ジャパニーズ スプーン下さい」というめちゃくちゃな英語でも何とか会話が通じました。「アラモアナショッピングセンターは『荒物屋』と覚えておけばよいぞ」なんてことも言いました。
 何日目だったか夕食を林の中の野外のレストランで食べたとき、バイキングでした。誰もが初めてのバイキング。「どんだけ食べてもええーぞ」ということで、それぞれが皿いっぱいに山のように料理を取って、食べ残しては「誰かこれ食べて」と他の人の皿に料理を乗せ合いしていました。これが初めて経験したバイキングでした。

 今はどこの国に行っても日本人旅行者がおり、どこに行っても日本語が通じますが、初めて行ったハワイ旅行は新鮮でした。そして初めてのバイキングもまた新鮮でした。

ショート根尾に期待

2018-11-05 07:22:25 | 日記
 中日ドラゴンズが今年のドラフトで4球団競合の上、抽選で交渉権を獲得した根尾昂選手との入団交渉が4日に行われ、仮契約を結んだ。投手としても150キロのスピード球を投げ、野手としても高校通算32本のホームランを放った、まさに超高校級の逸材である。入団交渉の時「投手に未練はない、ショート1本で行きたい」と明言した。

 中日ファンとしては「投手根尾」も見たい気もするが、「野手でいく」という選択は正しいだろう。中日のショートには先輩京田がいるが、京田は守備のほうは大分うまくなったが、打撃がいかにも非力である。ショート根尾が誕生すれば宇野以来のホームランの打てるショートになる。人間的にも素晴らしく、これからの中日を背負っていくであろう逸材である。根尾選手の今後の活躍に期待したい。

第57回氏郷まつり開催される

2018-11-03 18:41:29 | 日記
 平成30年11月3日、松阪開府の祖で、松阪の礎を築いた蒲生氏郷を偲ぶ「第57回氏郷まつり」が、松坂城跡および中心市街地で開催されました。この氏郷まつりは、祇園まつり、初午大祭と並ぶ松阪三大祭りの1つで、一般社団法人 松阪市観光協会(佐藤光宏会長)が主催して行われました。
 この日は暑くも寒くもない、絶好の祭り日和で、大勢の市民が町に繰り出しました。