松阪市殿町の松阪公園内にある松阪市立歴史民俗資料館で、3月5日から特別企画展「錦山文庫の至宝 知られざる文庫」が開催されています。この特別展は松阪市阿波曽町の「錦山文庫」が所有する、江戸時代末期から明治にかけて活躍した漢詩人の矢土錦山にまつわる名筆・名画など初公開されるものです。昨年10月から12月にかけて行われた前期展、今年の1月から2月にかけて行われた後期展に引き続き今回の特別展が行われています。
矢土錦山は嘉永2年(1849)三重県度会郡田丸新田(現在の玉城町)の矢土吉郎兵衛源助の三男として生まれた。父没後儒・書・詩・史を学び、明治5年上京して明治政府に出仕しながら史・文・詩を深め、明治9年ごろより漢詩人・漢文章家として文壇に登場した。明治14年飯南郡射和村阿波曽(現松阪市阿波曽長)の浦城将義の三女けいと結婚した。このけいの実家が今の錦山文庫(非公開)です。
明治17年新華族令にともなう賞典事務で伊藤博文に認められ、帝国憲法編さんにも関わり、明治26年、第2次伊藤内閣では総理大臣秘書官となり、下関講和にも列席する。
明治41年、病気のため阿波曽に戻り、明治42年伊藤博文がハルピン駅で暗殺をされると詩作に没頭、文人・墨客と交流を深め、詩文の作成、書、記文、碑文などの依頼をこなす。大正9年山田赤十字病院で他界する。72才でした。
今回の展示されているものの中には、相撲好きな錦山が集めていた寛政12年から明治23年までの相撲の番付表や、晩年からだをこわして酒が飲めなくなり、赤玉ポートワインを飲んでいることや、知り合いからうなぎの蒲焼きを頂戴した事など、養子息子の矢土三郎に宛てた手紙もあります。この手紙は大正9年12月28日に亡くなる2ヶ月前に書かれたものです。
この特別展は6月5日まで開催されています。
問い合わせは 松阪市立歴史民俗資料館 ℡0598-23―2381まで