タマルさんはナツメヤシ

タマルは女性の名。ナツメヤシの意味で多産を象徴。聖書には約束の地カナンは、蜜(ナツメヤシ)と乳(ヤギ)の流れる地とある。

里帰り分娩の受け入れを一時中止します

2020-07-10 21:09:22 | 産科
写真は、タマル産から歩いて行ける青池の側で、紫陽花の花が咲いているところです。
よく見ると子供の手が作るのは、カタツムリが歩いているところのようですね。

この子の母親が生まれた時に住んでいたのが、京都市伏見区で、近くに御香宮神社(ごこうぐうじんじゃ)という神社が有り、そこは有名な安産の神社なのです。
うちのカミさんの先祖は、その御香宮神社の神主であったので、今だに私の本籍地はここ京都市伏見区から移させてもらえないのです。
そんな訳で、なかなか丹波篠山市に受け入れてもらえないのかもしれません。

それはさておき、日本のお産の歴史を私の知る範囲で記してみましょう。
明治の時代は、助産婦がお産のほとんどを取り扱っていたのです。
それが1945年の敗戦とともに、GHQの指導で施設分娩へと変わっていくのです。
それはアメリカには助産婦制度というのは無くて、みんな施設で産んでいたからですね。

私の生まれたのは1961年なのですが、この時で約半数は施設分娩へと変わっていたのですよ。
ただ私が生まれたのは祖母の家で、残りの半分の方の、助産婦さんに介助してもらってのお産だったのですけれどね。
その後現在では、99%が施設分娩となり、施設分娩と言っても診療所が半分、病院が半分、そして助産院での分娩は1%に過ぎません。

この間、兵庫県ではどうだったのでしょうか。
当時の氷上郡で開業したのは1999年なのですが、この少し前まで、春日の高見先生、氷上の越川先生、田中先生、柏原の上野先生が開業されていたのです。
ですがその後、日赤も分娩を中止され、さらに統廃合して、今では病院が1つだけになってしまいましたね。

ここ丹波篠山ではどうだったでしょう?
こちらに移転してくる前までは、丸尾先生、上田先生、井熊先生が開業されていたのでしょう?
それも今ではタマル産だけになりましたよ。

他の地域はどうでしょうか?
北磻磨地区では、三木市の三木市民病院と、小野市の小野市民病院がお産を中止して、加東市とともに北磻磨総合病院を建てられました。
開業では三木市民の先生が、わかば産婦人科を開業され、今では2人の先生が働いておられますが、お2人ともご高齢なので、間も無く閉められるでしょう。
今春には小野レディースクリニックも分娩取り扱いを中止されたところです。
加西市民病院も分娩を中止されました。
神戸市北区では、今年、開業の先生が2件、産科を閉められました。

これからはすでに小規模な市中病院では産婦人科を維持できなくなり、
先生も5人以上居るような病院だけが生き残れるのですよ。
そして逆に開業医は、今居る医師が居なくなればそれで終了なのです。
もう新しく開業する先生は居ないのですよ。
なぜかと言うと、人が居ないのです。
例えば大学病院の産婦人科に入局する先生はほとんどが女医だからです。
1人で開業できるはずはないのです。家庭が有りますから。
私の同級生で大阪で産婦人科を開業した女医が居るのですが、もちろん彼女は独身で、そこに勤務するのは女医ばかりが大勢です。おまけにすぐ近くの大病院の産婦人科部長も私の同級生ですからね。
そんな形式ならできるかもしれません。

もうお分かりでしょうか?
これからは産婦人科開業医という時代は終わり、大病院で産む時代に入ったのですよ。
あと10年もすれば今の50:50から様変わりするのです。
寂しいような気もしますが、10年ひと昔なのです。

ところでタマル産では、来年1月からの新規の里帰り分娩の受け入れは、しばらく中止とさせていただきます。
とりあえずは、地元の方優先で奉仕させていただきますよ。
新型コロナの影響も有りますからね。
もちろん現在予約されている方は、封鎖されないかぎりは受け入れる方針です。
それと以前タマル産で産まれている方も、受け入れさせていただきます。