豆の育種のマメな話

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ちょこっと散歩で恵庭再発見、(1)恵庭開拓記念公園

2023-10-03 13:44:45 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

松園小学校廃校址に造成された恵庭開拓記念公園

ちょっと出かけてみようかと家を出た散歩の途中で彫像や記念碑に出会い、恵庭を再発見することがあります。このシリーズでは、散歩の途中に立ち寄ってみたい魅力のスポットを訪ねます。

今回は「恵庭開拓記念公園」(南島松)です。

恵庭開拓記念公園へは、花の拠点「はなふる」から漁川の堤防を下流に歩くもよし、郷土資料館を目指して松園通りを歩くもよし、恵み野中央公園の遊歩道を楽しみながら辿るコースもお勧めです。

恵庭の歴史に興味があれば、隣接する「恵庭市郷土資料館」見学を推奨します。

なお、下記の資料は令和5年度第1回「えにわ学」講座(令和5年9月30日)資料から引用しました。

再発見!

(1)松園小学校

山口県から集団入植した人々(M19岩国地方、M20萩藩士ら)が、子弟教育のために明治22年に開校。初代校長は萩藩士廻神美成。校名「松園」は萩の偉大な教育者吉田松陰の名前にあやかって名付けたと言う(松下村塾の塾生として高杉晋作・久坂玄随・伊藤博文・山形有朋らが名を連ねる)。

最初は南島松(西2線南22号)に建てられ、明治30年にこの場所には移転。現在地から南に300間(550m)とすれば、松園通りの松園会館~楡の大木(伝承の御神木)の辺りでしょうか。

(2)二宮尊徳先生幼時の像

全国各地の金次郎像は、幸田露伴「二宮尊徳翁」挿絵が原型の「薪を背負い、書を読む」姿。この草鞋を捧げる金次郎像は極めて珍しい。作者は富山出身の二口大然、原型は富山出身で小樽在住の彫塑家野口五一。野口五一の作品が郷土資料館に展示されています。

(3)「拓望の像」制作者 竹中敏洋

大分県生まれ、恵庭で活躍した造形作家。大陸で過ごした少年期の体験が竹中芸術の原風景と言われます。昭和29年来道して中学校の美術教師。昭和49年盤尻に居を構え、漁川で造形樹氷の実験を重ねて竹中ファンタジーの世界を創造。この氷と光の芸術は、層雲峡氷瀑まつり、支笏湖氷濤まつり等に発展しました。

(4)恵庭の古道「松園通り」

公園の南側道路が南21号道路(道道600号島松千歳線)、東側の漁川に沿った道路が松園通り(中島通-松園線)です。松園通りには茂漁川第三幹線用水路が埋設され桜並木(恵み野桜回廊)となっています。この道路は明治29年版地図(長都1/50,000、大日本帝国陸地測量部)に記載されている数少ない「恵庭の古道」です。

(5)三角点があるって? 何処に?

三角測量に用いる基準点がこの公園内にもあります。関係者以外は知らない情報かな。

 

参照 1)土屋武彦「私の恵庭散歩-1恵庭の彫像」2017、2) 土屋武彦「私の恵庭散歩-2恵庭の記念碑」2017、3)拙ブログ「豆の育種のマメな話」2014.10.8(恵庭開拓公園にある竹中敏弘 拓望の像)、同2014.10.9(恵庭開拓公園にある二宮尊徳幼年時の像)、同2014.11.15(先人の偉業を讃える開拓の碑)、同2014.11.19(先人の偉業を讃える表徳碑)、同2015.9.27(廃校の跡地に残る 松園校跡地記念碑)、同2022.12.26(松園通り)、4)恵庭昭和史研究会「百年100話」1997、5)恵庭市史編さん委員会「新恵庭市史」2022

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