読書日記

いろいろな本のレビュー

レストラン「ドイツ亭」 アネッテ・ヘス 河出書房新社

2021-08-10 07:21:54 | Weblog
 この小説は「アウシュヴィッツ裁判」と「恋愛問題」を融合させたもので、今結構読者を獲得している。この二つの要素はアンビバレントなもので、一つにまとめるのは難しいが、本編はそれに成功している。でも本流は恋愛小説で「アウシュビッツ裁判」は香辛料的要素が強い。

 「アウシュヴィッツ裁判」とはニュルンベルク国際軍事裁判以降、ドイツ人自身によるナチス関係者の裁判で、ヘッセン州の検事長のフリッツ・バウアーを中心に行われた。本書には「検事長」として登場する。彼は他州の検事とともに1958年にナチス犯罪追及センターを設立し、ユダヤ人移送の責任者アドルフ・アイヒマンの居場所を突き止め、イスラエルの諜報機関と連携して1961年、アイヒマンをエルサレムの法廷に立たせるのに成功する(アイヒマンは絞首刑)。この裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントの『イスラエルのアイヒマン』は有名だ。そしてこの二年後に実現したのが、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判(正式名称 ムルカ等に対する裁判)だった。300人を超える証人が集められ、ガス室におけるチクロンBによる大量虐殺や、親衛隊員による拷問や虐待を詳細に語ったことで、ドイツ人は初めて強制収容所の実態を知った。数年後に迫っていた時効は撤廃された。今でも時々高齢の元看守が起訴されたりする。

 一方「ドイツ亭」とは主人公の女性エーフアの父親が自宅兼用で営むレストランだ。エーフアはフランクフルトに住む24歳の女性で父母と弟の四人暮らし。目下の関心は恋人ユルゲンとの結婚というごく平凡な女性だ。ドイツ語とポーランド語の通訳を仕事としていたが、たまたまホロコーストの被害者(ポーランドのユダヤ人)の証言の通訳を依頼されて裁判を目の当たりにするうちに、その世界に徐々に引き込まれ運命が変わっていくというストーリーだ。

 この一家が裁判に引き込まれる原因となるのは父親の経歴なのだが、ここでは書かないことにする。平和な家庭が歴史の大きな流れの中に巻き込まれていく様が象徴的に描かれている。結局エーフアの縁談はなしになるが、裁判を経ていろんな世間の問題に触れるようになって新しい視野を獲得する。これを成長と言っていいのかどうかわからないが、とにかくエーフアは前とは変わったのだ。その時点で一旦わかれたユルゲンとよりを戻す可能性を暗示して小説は終わる。

 個人の恋愛問題と人間抹殺のホロコースト問題、この落差を埋めることは非常に難しいが、登場人物のありふれた日常生活と、証人たちの過酷な経験を丹念に描くことによって一人の女性の人間的成長が浮かびあがる仕組みはなかなかうまい。

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