読書日記

いろいろな本のレビュー

刑務所で死ぬということ 美達大和 中央公論新社

2012-08-01 09:26:53 | Weblog
 副題は「無期懲役囚の独白」。著者は殺人犯(二人を殺害)して無期懲役になった人物。兇悪犯である。このような人間がどうして本を出せるのか知りたいところだが、連続ピストル殺人犯で死刑囚の永山則夫が『無知の涙』を出版したこともあるので、出版社とコネがあったのだろう。著者自身小さいころから読書が好きで、今でも年300冊は読むと豪語している。ならば、何故二人も殺したのか。その辺は他の著書に書かれているのかも知れない。最後の方に、「私は多くの同囚と異なり、出会い頭の犯行でも、その場の衝動による犯行でもありません。自分の誤ったドグマの為に、計画的に醜行に及んだ確信犯です。カネや性欲の殺人ではありませんが、計画的に人の命を亡きものとする罪も重いものと思っている以上、それにふさわしい死に方があります」と書いてある。確信的に計画的に殺人におよび二人の人間を殺す。この手の人間は一番危険だ。絶対に仮釈放してはならない。
 著者によれば、刑務所の中の時間の流れは速くあっという間に十年二十年が経過するらしい。囚人に反省の色はなく(もちろん遺族に対しても)、ただ目先のことしか考えない人間がほとんどで、刑期が終わるのをじっと待つだけという。逆に刑務所の居心地が良すぎて、ここを出たがらない者も多いようだ。著者は食事ににしても結構うまいので、刑務所が良いという囚人の甘えを助長していると断言している。本当に毎日「クサイ飯」を食わされたら、こんなところ早く出て、シャバで頑張ろうという気になるだろう。
 したがって出所しても、働く気が無いものだから、また罪を犯して刑務所に逆戻りとうケースが殆どだ。最近大阪心斎橋であった、通行人二人が出所したての男に包丁で惨殺された事件は世間を恐怖に陥れた。ホントに理不尽な事件で、刑務所の責任は大きいと言わねばならない。犯人は「幻聴が聞こえた」と警察に言っていたそうだが、完璧に病気である。こういう人間がなぜ出所できるのか。今後の課題だ。著者によると、最近は無期懲役者の仮出所の規定が厳しくなり、そう簡単に出られないと言っている。当然のことだ。
 このまま刑務所で死ぬことを義務付けられている無期懲役者だが、いくら居心地がいいと言って、ここで最期を迎えたくないという囚人が多いと最終章で書いてある。目先のことしか考えない囚人が人生の最期を迎えてやっと自分の愚かさを悔いるというのは余りに悲しい。例えば、「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」という親鸞上人の言葉を生前考えさせるなど、人間の在り方を宗教教育を通じて考えさせるこたが必要なのではないか。
 後書きで、「加害者が猛省し、更生を期することは当然であるのに、それを特別なことと賞賛する世間、第三者の言葉に、少なからず戸惑いを覚えます。その心は尊いものですが、加害者としてそれに甘んじたり、自戒の心を緩めることを赦してはいけません」と言っているが、正しい意見だと思う。最近の人権感覚は非常に緩く甘いものになりつつある。人間には善と悪の両方が備わっているというのが近代的な認識だが、悪ばかりの人間の存在を否定してはいけない。かつて性悪説を唱えた荀子の思想をもう一度考えるとよい。

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