みちのくの山野草

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「賢治昭和2年11月から約3ヶ月滞京」の目次

2019-05-01 07:00:00 | 目次
《賢治愛用のセロ》〈『生誕百年記念「宮沢賢治の世界」展図録』(朝日新聞社、)106p〉
現「宮澤賢治年譜」では、大正15年
「一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の沢里武治がひとり見送る」
定説だが、残念ながらそんなことは誰一人として証言していない。
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 「賢治昭和2年11月から約3ヶ月滞京」の目次
予告「賢治昭和2年11月から約3ヶ月滞京」
はじめに
「賢治昭和2年11月から約3ヶ月滞京」の凡例
第一章 改竄された『宮沢賢治物語』
これってなんか変
崩れ出した羅須地人協会のイメージ
澤里武治の証言
『宮澤賢治物語』の改竄
第二章 仮説を立てる
あやかし大正15年12月2日の定説
「校本」に溢れているあやかし
仮説「♣」の定立
第三章 仮説の検証(Ⅰ)
「新校本年譜」による仮説「♣」の検証
証言等による仮説「♣」の検証(前編)
証言等による仮説「♣」の検証(後編)
直接証拠探し
第四章 「宮澤賢治年譜」の不思議
大正15年12月2日の「現定説」
当時の賢治の心境上から
澤里のもう一つの証言
「宮澤賢治年譜」の書き変え
第五章 仮説の検証(Ⅱ)
「文語詩篇ノート」
賢治の楽器演奏技能(前編)
賢治の楽器演奏技能(後編)
尾崎喜八と賢治(前編)
尾崎喜八と賢治(後編)
チェロの入手について(前編)
チェロの入手について(中編)
チェロの入手について(後編)
第六章 大正十五年の上京の真実
大正15年12月2日の真実
大正15年12月の上京費用
「賢治年譜」大正15年12月2日
「二百円」の無心とチェロ(思考実験・前編)
「二百円」の無心とチェロ(思考実験・後編)
第七章 「本年中セロ一週一頁」
賢治は日記を付けていた(前編)
賢治は日記を付けていた(後編)
チェロの学習(前編)
チェロの学習(後編)
昭和2年2月1日付『岩手日報』
第八章 賢治昭和二年の上京
「羅須地人協会時代」の詩創作数
「賢治年譜」から消えてゆく
上京してチェロを学ぶしかない(前編)
上京してチェロを学ぶしかない(後編
チェロ猛勉強のための3ヶ月弱滞京(前編)
チェロ猛勉強のための3ヶ月弱滞京(後編)
第九章 「不都合な真実」
『賢治随聞』出版の奇妙さ(前編)
『賢治随聞』出版の奇妙さ(後編)
思考実験(『宮澤賢治物語』の改竄)(前編)
思考実験(『宮澤賢治物語』の改竄)(後編)
「不都合な真実」
第十章 澤里武治の新資料を知る
澤里武治自筆の新資料
澤里武治は終生「11月」と主張
武治は自説を修正したとは言い切れない
結論
おわりに
参考図書等
余談(その後如何相成りましたかHさん)

大正15年11月末と同年12月2日の違い
澤里武治の苦悩
澤里武治苦渋の決断
証言に対する敬畏
罷り通る安直な論理
かつて寄せられたクレーム
好く道より破る?
証言を前にしては謙虚であれ
一次情報に立ち返れ(『原稿ノート』)
一次情報に立ち返れ(武治の自筆資料)
その後如何相成りましたかHさん
付録
「賢治昭和二年上京説」主張に対する圧力やクレーム

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 以前拙ブログにおいて、〝10回目の上京の別な可能性〟なるシリーズを投稿したことがある。すると、その投稿の最終回(2513 「賢治の10回目の上京の可能性」)において入沢康夫氏から、
祝 完結 (入沢康夫)2012-02-07 09:08:09「賢治の十回目の上京の可能性」に関するシリーズの完結をお慶び申します。「賢治と一緒に暮らした男」同様に、冊子として、ご事情もありましょうがなるべく早く上梓なさることを期待致します。
というコメントを頂いた。しかも、ご自身のツイッター上で、
入沢康夫 2012年2月6日
「みちのくの山野草」http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku というブログで「賢治の10回目の上京の可能性」という、40回余にわたって展開された論考が完結しました。価値ある新説だと思いますので、諸賢のご検討を期待しております。
とツイートしていることも偶々私は知った。
 そこで私は、同氏からこの〝「賢治の十回目の上京の可能性」に関するシリーズ〟の出版を慫慂されたものと受け止め、出版したのが拙著『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』である。ついては同書を少し書き改めながら、〝「賢治昭和2年11月から約3ヶ月滞京」〟シリーズと題して投稿し、生前の入沢氏からの多くのご指導とご厚意に感謝しながら、ご冥福をお祈りしたい。

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