みちのくの山野草

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これってなんか変

2019-03-02 10:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《賢治愛用のセロ》〈『生誕百年記念「宮沢賢治の世界」展図録』(朝日新聞社、)106p〉
現「宮澤賢治年譜」では、大正15年
「一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の沢里武治がひとり見送る」
定説だが、残念ながらそんなことは誰一人として証言していない。
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 私が、これはどうも変だなと思った切っ掛けは、『宮沢賢治物語』(関登久也著)の中の次の文章を読んだ時だった。
セロ……沢里武治氏から聞いた話
 どう考えても昭和二年十一月頃のような気がしますが、宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年には上京して花巻にはおりません。その前年の十二月十二日の頃には、
「上京、タイピスト学校において知人となりし印度人…(投稿者略)…言語問題につき語る。」
 と、ありますから、確かこの方が本当でしょう。人の記憶ほど不確かなものはありません。その上京の目的は年譜に書いてある通りかもしれませんが、私とせんせいの交渉はセロのことについてです。
 もう先生は農学校の教職もしりぞいて、根子村桜に羅須地人協会を設立し、農民の指導に力を注いでおられました。またご自身、あらゆる学問に精進されておられました。その十一月のびしょびしょみぞれの降る寒い日でした。
「沢里君、しばらくセロを持って上京して来る。今度はおれも真剣だ。少なくとも3カ月は滞京する。とにかくおれはやらねばならない。君もバイオリンを勉強していてくれ」
 よほどの決もあって、協会を開かれたのでしょうから、上京を前にして、今までにないほど実に一生懸命になられていました。そのみぞれの夜、先生はセロと見まわり品をつめこんだかばんを持って、単身上京されたのです。
               〈『宮沢賢治物語』(関登久也著、学習研究社、平成7年発行)283p~〉
 ここからは澤里武治のもどかしさが伝わってくる。そして歌を詠むし著書も多い関登久也が、はたして
    昭和二年には上京して花巻にはおりません。………★
などというような書き方をするのだろうかと私は訝しく思った。なぜならば、この〝★〟のような表現ならば、賢治は昭和2年には上京していて花巻には居なかったということになり、そこから以降の文章内容と辻褄が合わなくなってしまうからである。どうやらそのせいで私は違和感を感じてしまったようで、これってなんか変だと思ったのだろう。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

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 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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