みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

かつて寄せられたクレーム

2019-04-24 10:00:00 | 賢治昭和二年の上京
《賢治愛用のセロ》〈『生誕百年記念「宮沢賢治の世界」展図録』(朝日新聞社、)106p〉
現「宮澤賢治年譜」では、大正15年
「一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の沢里武治がひとり見送る」
定説だが、残念ながらそんなことは誰一人として証言していない。
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鈴木 かつて一度私のブログに投稿したものだが、ほらほらこれ、こんなことを吉田と話し合ったことがあるんだ。ちょっと長くなるが、荒木ちょっと見てくれ。

《論調の酷似》
吉田 よっ、へこんでねぇか。
鈴木 おっ、どうした?吉田。
吉田 もしかするるとへこんでいるんじゃないかと思って陣中見舞いに来てやったぞ。
鈴木 うむ?
吉田 他でもない、「一本足」論争のことだ。
鈴木 おお、それか。元気元気。そもそも、賢治の真実を知り、真実の賢治を知ってもらうためには私も多少の犠牲、傷つくことぐらいは覚悟している。
吉田 お前はほんとにお人好しだな。何カッコつけてんだよ。あれだけHや「デジマア」、そしてと「とおりすがり」におちょくられているのに。これだけいいようにこけにされているのに何を我慢してんでよ。半沢になれ、半沢に。
鈴木 半沢?
吉田 そう、半、沢、直、樹にだ。
鈴木 ああ、あの「倍返し」か。
吉田 そうよ。「百倍返し」だ。
 そもそも、この前の宮沢賢治学会定期総会でお前は曲がりなりにも議長をやったんだろう。そしてその折り、Hに直接会って話もしたんだろう。
 なのに、Hのブログのコメント欄等でのお前に対するおちょくり方、あれはないだろう。お前は悔しくないのか。六十代半ばを過ぎた禿頭のお前に、50ちょっと過ぎの精神科医があそこまで言うか。僕は激怒している。
鈴木 おい、物騒なことを言うなよ。私は、そんなことまでは言ってないぞ。しかも、議長は曲がりなりにでしかも単なる持ち回りだ。それから、禿頭は事実だがよけいなことだ。
吉田 ワリワリィ。しかし、ここまで論争が発展してしまった以上、いまはインターネットの時代だ、かのHの肩書きや職業などは皆知られてしまったと思うよ。だからこそ逆に、最近のHのツイートは昔のような言いたい放題が鳴りを潜めていたじゃないか。
鈴木 たしかに。
《仮説》
吉田 実はな、僕は今回の一連のHのブログにおけるお前に対するコメントや、一連の「デジマア」や「とおりすがり」のコメントの論調が皆酷似していると思えてしょうがない。
吉田 そこでだ、特に10月28日の「デジマア」のコメントの中身を見た瞬間、僕は次のような仮説をまさしく直感で立てた。それこそ「一本足」さえもなしに、
   仮説:H=デジマア
という等式が成立する、をな。
鈴木 まさか、流石にそれはないだろう。
《検証》
吉田 わからんぞ、それは。
 たとえば、お前がいつだったか「とおりすがり」や「テジマア」に対して、
   なんとか云々、私の考え方をお答えいたしますので
とコメントしただろ。
鈴木 10月24日の
 それでは二三日中に、本ブログ上で「H氏からの3つの問いについて」の私の考え方をお答えいたしますので、それ迄お待ちください。
というやつか。
吉田 おお、それよ。するとそれに対して二人はまるでお前が「3つの問い」そのものに答えると言った、と勝手に思い込んでいただろう。それは、Hだって同じだった。
鈴木 ちなみにH氏は同日に、
 半ば諦めかけていた3つの質問への回答が、ついに出されることになったようだ。複数の方の働きかけのおかげのようで、ありがたいことです。
とツイートしていた。
吉田 だろう。あくまでもお前は
   「…3つの問いについて」の私の考え方を答える
と言っていたのに、3人とも皆
   3つの問いへ回答する
と思い込んでいた。京大医学部出の精神科医ならその違いぐらいわかるだろうに。なに勝手に思い込んでんだ。
鈴木 おいおい、流石にそれは言いすぎだぞ。まして、私はかつてそんなことは言っていないぞ。
吉田 いや、お前はあれだけ好き放題言われて悔しくないのか。お前も一寸の虫なら五分の魂ぐらいは見せつけろ。ブログでHの本名を出さないだけでもありがたいと思え、だ。僕とすればだな。
 それから、ちょうどその頃から、それまではツイートでお前のことを中傷誹謗し、コケにしていたのがすっかり鳴りを潜めてしまっただろう。
鈴木 そうなんだ、私もちょっと不自然だなと思ってた。
吉田 そこなんだよ。この度、Hはツイートでお前のことを中傷誹謗していたことがインターネット上で知れ渡ってしまったから自粛した。
 しかし人間そう直ぐ変われるものでもない。そのはけ口を今度はお前のブログのコメント欄においてした。だからこそ、その「デジマア」や「とおりすがり」の論調はHと酷似していという図式さ。
鈴木 でもそれは、あくまでも吉田の推測だろ。
吉田 かなり主観的な推論だったな。それじゃ、今度はもっと客観的な資料で検証しみよう。鈴木は、先にHの閲覧回数を投稿していたよな。そこだけに注目せずに、他の人たちの閲覧回数も見てみろよ。
 例えば、昨日(10月28日)の「閲覧元URL」を見てみろ。どんなように集計してある? おれは先程それを見せられてやっぱりな、と思った。
鈴木 それはだな、
    H氏 32回
    それ以外の人は皆2回以下
となっている。
吉田 お前は、Hの閲覧回数にばかり目が行っているが問題はその他の人たちの閲覧回数だよ。
 例えば10月28日の「デジマア」のコメントの中身(〝「一本足」論争(ひとまず最終回)〟における「デジマア」様からの10月28日付の一連のコメントのこと)を見てみろよ。あのようなおちょくり方をした彼が、その後のお前のコメントを見ないで済むと思うか。まして、お前はその返事を全くその後しなかっただろう。
 そのような人間が10月28日にお前のブログを2回しか見ない、ということはまず99%あり得ない。少なくとも5、6回はお前のブログを見に来るだろう。
鈴木 たしかに、仮に私が「テジマア」様であったならば、28日の場合2回ということはまずないな。気になって気になってしょうがなくて何度も訪れることはまず間違いない。
 ちなみに、28日の私のブログへの訪問者数は354人、そのうち同一人物が閲覧した回数は、H氏の32回以外は皆2回以下だ。私のブログに仮に興味関心があるとしても、せいぜい一日2回がMAX。そりゃあ、たしかにそうだよな。それ以上の回数を閲覧するということはあまりなかろうし、ましてこの32回というのはかなり異常だ。そこには余程の何かがあるということは一般的には言えるよな。
吉田 それじゃあなぜ、H以外に3回以上の閲覧者が他にはいないという現実があるのか。
鈴木 あっ、そういうことか。これだけの回数、32回も同一日に訪れていたということは、彼が「デジマア」でありもしかすると「とおりすがり」だという可能性が頗る大ということか。
 でもさ、ここしばらく鳴りを潜めていたH氏のツイッターに、しばらくぶりに私関連のツイートが本日は、
 それにしてもあのとおりすがりのお侍さんは、ただ者ではなかった…。
とか、
 「お陰様で元気です」なんてわざわざ言うのは、本当は元気じゃないということもあるから心配だ
というそれが2つもあった。
吉田 だから、逆にHの言動はわかりやすいのさ。そして、よく見てみろ、本日(10/29日)の「とおりすがり」のコメントの最後を。
鈴木 実は、さっきまで陸前高田のボランティアに行っていたので、まだ今日は私のブログをそこまで詳しくは見ていない。どこどこ、
…H氏もテジマアさんも鈴木さんに問いかけつづけてきたのだと思います。
私が書き込むのもきっとこれが最後なので、僭越ながら自分の思いを書かせていただきました。
失礼しました。
ということか、なるほどな。これですっかり腑に落ちた。もはや、私のブログのコメント欄には今後は書かないと決めたからなんだ。
吉田 これもわかりやすいだろう。そういうこと。とはいえ、これはあくまでも僕が「テジマア」であったならばという条件付きの推論であったわけだから、
   H=テジマア
という仮説は、かなり脆弱だということは勿論だが、心理学の知識に基づけばそれほど荒唐無稽な仮説でもなかろうし、とりあえずは検証に耐えたといえそうだ。
《「H様=テジマア様=とおりすがり様」の可能性》
 ちなみに、28日のコメントでは、「テジマア」は名前を書き忘れているから「とおりすがり」との混乱とも考えられないこともないわけではなく、もしかすると、
  H=テジマア=とおりすがり
という可能性すらもある。
 しかも、これだけHと「テジマア」そして、「とおりすがり」が同一の意見を持ち、似たような言動をするのならば、以前からHのツイート仲間としてこれらの名前「テジマア」や「とおりすがり」が出た来ていたはずだし、少なくとも最近はお互いにツイートを交わしているはずだが、Hへの彼等からのツイートも、Hから彼等へのツイートも一切ないだろう。はたして、「テジマア」や「とおりすがり」という人物が実在しているかどうか怪しいものだ、ということからなお一層その可能性が強まる。
鈴木 そういえば先の「とおりすがり」様のコメント(同じく〝「一本足」論争(ひとまず最終回)〟における「とおりすがり」様からの10月28日付の一連のコメントのこと)からは、彼だって相当回数私のブログを閲覧しているはずだということが自ずから導かれると思うが、H氏以外に3回以上はいなかったから、2回以下だったのかな…。
吉田 それはなかろう。もともと、「テジマア」や「とおりすがり」 が純粋に論争しようとしていたとすれば、コメント欄には自分のURLも書き添えるだろう、それが仁義というものだ。ところがそうではなかった。お前を攻撃・非難することだけが狙いだったのさ。だから彼等は始めからURLを添えなかった。いや添えられなかった。所詮、Hの自作自演さ。
《吉田からの謝罪》  
鈴木 いくらなんでも、それはあまりに強引すぎる。もしかすると、いや多分、ちがうちがうほぼ間違いなく反例が出てくると思うよ。
 それにこれはH氏に対しても失礼な話だ、それはちとまずいぞ。早く撤回した方が良いと思う。
吉田 そうか、鈴木がそこまで言うのなら
 H様大変失礼いたしました。ここまで述べたことはあくまでも
  思考実験『H=テジマア』
でした。これが、真実であるなど言いたいわけではありません、単なる思考上の実験ですのでご容赦を。
 さあ、僕は謝ったから、今度は僕の言うことを聞け。この内容をちゃんとお前のブログに載せて《一寸の虫にも五分の魂》があるということを見せつけてやれ。この意気地なしめが!
鈴木 じゃ少し頑張ってみるか…。
〈終わり〉
荒木 そういえば、当時お前のブログが炎上しかけていたということがあったけ。その際の二人のやりとりか。懐かしいな、「半沢直樹」の頃のことか。それにしても、吉田はいつも冷静なのに、らしくないな。この時にはかなり憤っていたことが伝わってきた。
 さて、これで二人が話し合った中身は大体見えたし、こんなクレームがあったということも知った。それで、これが今までの話し合いとどう繋がるんだ?
吉田 それはだな、このHとは、「宮沢賢治奨励賞」を受賞したこともある優秀な賢治研究家なのだが、そのような研究家が鈴木の「賢治昭和二年上京説」を否定せんとして、『大正15年11月に賢治は上京した』という画期的な説を持ち出してきたからだ。
荒木 えっ、賢治が昭和15年に上京したのは12月2日ではなかったっけ。
鈴木 だから私からすれば、それはH氏からのクレームとしか受け取れなかったのさ。 
吉田 さっき、荒木は僕に対して「いつもの吉田らしくなく、この時にはかなり憤っていたことが伝わってきた」と評したが、実はこの時には鈴木も相当怒っていた。それはその時の鈴木のブログを見ればわかる。こんな内容の投稿していたのだから。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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