木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

沖縄への差別は今に続いている

2021年06月23日 | Weblog

ドキュメンタリー映画『生きろ島田叡(あきら)』戦中最後の沖縄県知事を見た。
1944年12月に沖縄県知事として赴任した島田は神戸市出身の内務官僚。
表向きはともかくこの時期には政府内部では日本の敗戦は覚悟されていた。ただ天皇を頂点にした天皇制体制をどうやって守るかを模索する段階。沖縄への赴任など誰も引き受け手がない。
そこを引き受け手がないなら自分がと覚悟を決めたのが島田氏。
家族と別れ単身赴任。日本軍は軍民が共に玉砕するまで持ちこたえるという考えだったが、島田は軍人ではない沖縄県民を少しでも危険の少ないところに疎開させるべく奔走した。
当時植民地だった台湾へ、また本土や沖縄本島北部地域へ疎開するよう住民を説得する。
しかし元々独自の文化や風習を持つ沖縄県民の疎開はなかなか進まない
それでも島田はそれならと県民の食料確保に奔走するが、それも軍に奪われてしまうという理不尽。
45年の3月になると米軍の上陸と海からの艦砲射撃によりなすすべがない状態。
大本営は沖縄の惨状を知りながらなお天皇制体制を死守するためにこれを見捨てる。
島田は側近や部下に「生きよ。戦争が終わったら沖縄のために働くように」と説得する。
南部の壕が最後の沖縄県の本部だったが、島田の最後はわからない。遺骨も見つかっていない。
推測するに海に入って最後を遂げたのではという。
日本は沖縄を奴隷のように扱ってきた。薩摩が侵略する前は交易の場として栄えた琉球だったが、明治以降は2級国民扱い。
そして敗戦後は米軍にこれまたいけにえとして差し出し、米軍の支配から取り戻そうとする努力もせず米軍のやりたい放題を黙認している。
何かというとマスコミでは相変わらず中国がどうの尖閣がどうのと言うがそんなことを言う資格は全くない。
沖縄が日本国の一県だと言うならそのように扱うのが日本政府の務めだ。

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