木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

小沢氏は抗がん剤

2010年08月28日 | Weblog

民主党代表選小沢氏出馬。
出馬とは競馬用語か?しかしほかに適当な言葉を思いつかない。
テレビや新聞などのマスコミは小沢氏に出てほしくないようだ。その報道にそういった論調、意図を感じる。
しかし私は菅=官総理の「暴走」を止める意味で小沢氏が代表選に出る決意をしたのは国民にためになると思う。
「政治と金」問題で世間の評判のよくない小沢氏だが、いわばさかんに増殖している悪性ガンウィルスをたたくために副作用は強いが「抗がん剤」を投与するような意味がある。
今、菅政権は昨年の総選挙で掲げた「国民生活が第一」、「コンクリートから人へ」という国民に約束した政治の方向性、精神を大きく変更している印象がある。
マニフェストとして挙げた項目の一つ一つではなく、まさに大きな方向性がである。
小沢さんの真意はわからない。彼が総理になったら、菅政権以上の悪夢が始まるのかもしれない。
しかし少なくとも小沢氏は日本の総理になることを自己目的にはして来なかったということは言えるのではないか。
「なりたい、なりたい総理になりたい」と思って政治活動をしていたならば、その機会は自民党議員時代に何回かあったはずだ。
財界にすりより、官僚にすりより、アメリカにすりより、国民を忘れる首相は何度でも取り替える必要がある。

死刑刑場初公開。
千葉法務大臣が、本来の「死刑廃止論者」の立場を捨てて、2名の死刑執行と引き換えに実現させたのが、東京拘置所の「刑場公開」。
人は人を殺してはならない、と私達人間社会は決めている。
ただし、国がする戦争と死刑は例外だ。
私達の社会が、これはしてはならないと決めていることを、国家の名のもとならいいのか、という疑問がある。
刑場の様子というものは、今まで話で聞いていたものとさして変わるものではないが、しかし実際にここで死刑執行が、淡々と公務として行われるのかという重い課題を感じる。

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大臣になるとかかってしまう病い

2010年08月23日 | Weblog
大臣になって、権力の椅子に座ると、殆どの人間は、それまで持ってるかのように見えた「バランス感覚」を失うらしい。
菅総理がまさにその典型。
党内での議論もなしに「消費税増税」を発言して、参院選で大敗すると、それではというので選挙後今度は「国会議員の定数削減、それも比例部分」。こちらも議論なし。
税金の無駄遣いに対する国民の目が厳しくなっているので、ウケねらいのつもりだろうが、これで削減できる経費より、「政党助成金」や歳費や国会議員特権を見直すほうがはるかに無駄削減になる。
比例部分の削減発言は少数政党、とりわけ社共勢力つぶしだろうが、自分だって少数政党から出発したのに、そんなことは忘れてこの発言。
これ以上総理の座にとどめていると、国民のためにならない。
死刑廃止論者で、議員としてそういう活動をしてきたのに死刑執行を裁可した千葉法務大臣もそうだし、辻元清美は国交副大臣でとち狂ってしまった。
消費税増税というと必ず引き合いに出てくる北欧諸国。
高負担で高福祉を実現している国々だ。
テレビ朝日の「スーパーモーニング」という朝のワイドショー番組では、スエーデンにその実情を取材していた。
スエーデンの人々にとって、「高い税金」は「取られている」と言う感覚ではなく「信頼する政府に預けている」という考え方だ。
それは必要な時に自分に返ってくる。
教育費、医療費、老後の介護費用、失業手当など。
これだけの信頼を獲得するには今の日本の行政、政治、議員のあり方を大きく変えなければならない。
ただこの番組は高い消費税、低い法人税という言い方で、民主党政権が進めようとしている「消費税増税・企業法人税減税」のセットを国民に納得させるための「広報番組」の疑いがないわけではないが。
しかし1000万人ほどのスエーデンの人口だが、国会議員数は300人をこえていて、これは単純に日本の人口にあてはめると、3000人にも昇る数で、定数を減らすことと「信頼できる政府」とは特に関係なく、むしろ日本の場合には定数削減でますます官僚支配が拡大するだろう。
スエーデンやデンマークなどの北欧諸国は生活のあり方が「質素」で、むやみにおいしい食べ物をあさったり、酒だゴルフだ女だという性向が少ないのも特徴の一つだろう。
「成熟した社会」それがこれからの日本の道ではないか。
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「戦争」の記憶の風化は記録の活用で

2010年08月15日 | Weblog
戦争と原爆に関する一週間。
敗戦後65年。NHKのこの種の番組は「戦争の実相」に関してより細部に入ってきたという感想を持った。
広島の上空で炸裂した原子爆弾。その後の大きなキノコ雲は何度も見てきた映像だが、そのキノコ雲は今まで言われていたよりはるか上空に巻き上げられ、「死の灰」を広範に降らせていた。
それは今までの「原爆症認定」の範囲をくつがえし、認定症患者拡大につながるもので、政府厚労省の抵抗というか、避けたいところだが、被爆一世は高齢化し、その数も減っている。
しかしこれからは次世代への被爆の影響はどうなのかという問題に本格的に入っていくことになるだろう。
核兵器の負の影響力は科学技術が進めば進むほど明らかになり拡大している。
「玉砕」の思想はどのようにして共有されていったか。
「玉砕」という美名のもと、部隊が全滅していく状況というのは、当然のことながら、戦局が絶望的になっていった昭和18年以降であり、戦争に関わる事態で死んでいく人々の数も敗戦前1年前後に集中している。
昭和17年のミッドウェー海域の敗戦で、海も空も米軍に押さえられて以降、日本がこの戦争に勝利する可能性はほぼゼロになったと言っていい。
日本政府と軍はここから降伏・和平交渉に入らなくてはいけなかったのだが、そういう手続きの思想を持たないのが、官僚組織というものなのだろう。
戦争遂行の最高組織「大本営」はまさにその見本。
「玉砕」は昭和18年5月の「アッツ島」から始まった。援軍も物資の補給もなく、絶望的な全滅戦を強いられたこの事態を大本営は「物資の補給も援軍も要求することもなく、玉砕の道を選んだ」と事実をねじまげ、隠蔽し、これを発表した。
何やら今に通じるものを感じる。政府・官庁は情報を国民から隠し、ウソの発表をする。この体質は変わっていないような気がする。
そしてこの大本営の「玉砕」の発表を受け、日本国民が「玉砕」の思想に染まっていったというのは、それまでの天皇制国家教育、人権思想がまだ一般化していない状況とまさに「非常時」の心理状況が、それを当然と思わせたのだろう。
「戦争の時代」に対する記憶はその時代を生きた人々の高齢化により風化していくが、こうしたドキュメンタリーや証言の映像、そして多くの書籍が積み上げられている。
記録が残っていく。これを何度でも活用して「戦争」を防ぎたい。
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社会的サポートが急務

2010年08月07日 | Weblog
先週の前半のニュースの中心は大阪の幼児置き去り死亡事件。そして後半は100歳以上の高齢者所在不明事件。
この二つの事象は今の日本社会の抱えるゆがみの裏表でもある。
幼児置き去り死亡事件。
この事件を起こした若い母親を責めるのは当然であり、また簡単でもある。
私がそんな流れの中で一番もどかしく思ったのは、「父親の責任はどうなのか」ということだった。
離婚はしていても子供をこの世に送り出した責任は別れて暮らす父親にもあるはずだ。
20代前半の若い母親がたった1人で2人の幼い子供を育てていくのは背負いきれない重荷と言っていい。
その後ネット情報で、父親もまた母親とほぼ同年齢の大学生だったとあった。子供の出生と結婚を機に大学をやめて期間従業員として働き始めたとあった。
若いカップルの結婚生活は長く続かず、子供は彼女が引き取り、結局幼い子を抱えて、生活していくための風俗店勤めが始まる。
彼女を物心両面でサポートしてくれる人は周囲に誰もいない。
信濃毎日新聞のリポートでは彼女自身が「育児放棄」の被害者だったことが明らかにされていた。
彼女の両親もまた幼い頃に離婚。引き取ったのは父親の方だった。
高校の教師だった父親は確実な収入はあったが、ラグビー部の指導に熱心で、わが子の面倒と家事を放棄していた。
小学生の子供を置いたまま合宿で一週間ほど家を空けることもあったという。
彼女と妹が死なずに成長できたのは、このような状態の際、幼児ではなく、いくらか知恵を働かすことができる小学生にはなっていたからだろう。
彼女は「ホスト遊び」で育児と仕事の大変さから逃避し、父親は「ラグビーの指導」に逃避したのだ。
「ネグレクトの連鎖」による悲劇である。
子供は父と母が作る安定した家庭があってこそ、次の社会をになう人として成長する。
死別や離別によって必ずしも父母のそろった家庭で育つ子供ばかりではないが、その場合にはサポートが必要だ。祖父母が協力できる場合もあるが、やはり社会的サポートだろう。
私は昨年、千葉忠夫と言う人が書いた「世界一幸福な国デンマーク」を参考に文章を書いたが、そこには、子供が生まれる前から当人をサポートするシステムが整っていて、たとえば「公園デビューの仕方」というようなことまでも相談にのってくれるケースワーカーのような存在があると書かれている。
「子供は社会が育てる」そして「高齢者のケアは社会全体で」これがデンマークの社会のあり方で、日本もそういう方向にいかなければ、今度のような幼い子と高齢者の悲劇は防げない。
デンマークは小さな国である。面積は九州程度。人口は550万ほど。
社会的サポートを機能させるためには、各都道府県、市町村単位で施策を考え、実行することが今求められていることだと思う。
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現実的市民派政治家の末路

2010年08月01日 | Weblog

男の菅直人、女の辻元清美。
この2人の共通点は、政治家としての「理念」を持っていないという点。
それが市民、庶民の立場を代弁するというスタンスで政治の世界に登場し、「理念」がないがゆえに、一見、融通が利く、柔軟性のある、つまり「話のわかる」政治家というふうに見えて、何か「やってくれそうな人」という幻想を人々に与えてきた。
「理念」、「理想」を語る共産党やかつての社会党左派に属する議員達とは一線を画する、だけど大多数の市民、庶民の立場に立った政治を目指していると思われていた二人だったが、実はそうではなかった、ただ権力がほしかっただけ。
権力を持つのに一番の近道は、自民党の政治家になることだったが、そこに一介のサラリーマンの息子である菅直人の席はなく、ましてや「貧しいうどん屋」の娘だったと本人も言っている辻元清美においておやというところか。
そこで菅直人は、自民党とは対峙する立場を取る。理念ではなく野心のために。
菅氏は、自身の野望のためには、政治家として自身が掲げている「理念」らしきものも引っ込めるのも平気で、菅直人を直接知らない人達は「現実政治家」というふうに錯覚したりするが、彼を知っている人達は「裏切りの菅」というのが定説だったようだ。
こうして菅氏は、無党派の、世間的には非常に有名な婦人運動の市川房枝の応援者、社会党のこれまた左派に対抗する右派の重鎮江田三郎が作った小政党社民連、そして、自民党を離党した鳩山由紀夫、竹村正義、田中秀征らが作った「さきがけ」に加わり、そして鳩山氏と共に「さきがけ」を捨て、無定見だが大政党の「民主党」を立ち上げる。
野党時代のこの「渡り」は、野党であったがために、それほど菅直人=「変節の政治家」というイメージを与えなかったように思う。
自民党政治の行き詰まりによって、民主党政権が誕生した。
小沢一郎の候補者選び、そして「コンクリートから人へ」「国民の生活が第一」というスローガンのもと、社会民主主義的政権公約が国民の支持を得たのであって、ここでは驚くほど菅直人は力を発揮していない。
民主党立党の2人であるから、鳩山氏がダメなら、次は菅というのはそれほど違和感はない流れだが、「総理になる」が念願だった菅氏は「総理になって何をやるか」は考えていなかったようで、なったとたん、トチ狂ってしまった。
民主党内でよく練ってもいない「消費増税」を叫び、自身の発言が批判されると、日ごとに言うことが違うというわけで、「菅さんは脳梗塞にでもなってしまったのか」と心配した人もいたとか。
この菅氏の迷走を見て、「現実的市民派政治家」というものが、いかに害悪かということを見てしまった国民は、辻元清美にはもう期待しない。

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