木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

フィリピン、アメリカの「非属国宣言」

2016年10月25日 | Weblog

トランプとドゥテルテ
粗暴だが思い切った言動で人々の心をとらえている大統領候補と大統領。
アメリカマスコミはトランプを叩いてやまないが、ではなぜ他の共和党候補は敗れ去ったのか、そのことを追求することなくしては説得力がない。
一方、民主党候補のヒラリーも好感度は高くない。どっちもどっちと言うのだが、しかしなぜこれほどまでにヒラリーは嫌われるのかの理由を日本のマスコミは報じない。
ヒラリーこそが「ウォール街と軍産複合体の最も忠実な代弁者」であることがアメリカ国民に見抜かれているからだが、そのことは微妙にスルーされている。
不毛な大統領選だが、どちらが大統領になるとより危険か。
海外の報道記事を日本語に訳して紹介してくれているサイトによれば「キラリー・クリントン」のもとで第三次世界大戦がはじまり、核のボタンを彼女が押す危険性を警告している。
少なくともトランプは「アメリカは世界の警察役からは手を引くべき」と言っている。核ボタンを押す理由がない。

ドゥテルテ・フィリピン大統領は「フィリピンはアメリカにひたすら従属する国ではない。東アジア、特に中国とも良好な距離をもって付き合っていく。南シナ海問題は当事国同士で話し合っていくのがベスト」という考えを表明している。
私には至極まっとうな見解に思える。「自由航行作戦」とやらで、およそ自分の国の近海ではないところに突っ込んで来るアメリカの方が異常でしょう。
これまでアジアの国々はそれでもこうした横暴なアメリカに表向き文句を言わなかったのはその軍事的脅しや経済制裁が怖かったからだが、ドゥテルテはそれを打ち破った。CIAによる暗殺とク
ーデターが心配だが、いまのところフィリピン国民の大統領への支持は非常に高いという。アメリカの次期大統領が就任するまではCIAも動けまい。ヒラリーになればその指示が出される可能性大。
日本の大本営ニュースにばかり接していると、ヒラリーが大統領になった方がいいように感じる人が多いだろうがそんなことはない。
あと彼女が重大な病気を抱えているのではという懸念がある。それをあらゆる手立てを使って隠しながら活動を続けているとすれば、異常な判断をする危険性も一層高まる。
アメリカの世界に対する影響力は弱まっているとする見方が大勢だが、それゆえにギャンブル的な行動に打って出るかもしれない。国連が一致して非難してやまない北朝鮮のように。


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鴎外に見る明治の家族

2016年10月18日 | Weblog

明治の2大文豪「鴎外」と「漱石」の家庭生活
先週までNHKでは漱石と鏡子夫人の家庭生活を描いたドラマを放映していた。
そして私はこのところ森まゆみの書いた「鴎外の坂」という東京での鴎外とその家族を東京の当時の様子を著者が訪ねながら、描いた作品を読んでいる。
漱石は父親に捨てられたという心の傷を抱えながら、家庭と小説とに格闘しながらその生涯を生きたさまがドラマで描かれていたが、鴎外の結婚までの生活は漱石とは対照的だ。
維新後、島根の津和野から東京に出て来た森一家は、長男林太郎の学才と出世に賭けた。その期待によくこたえた林太郎だったが、最初の結婚につまづいた。
義理ある西周の取り持ちで海軍中将の娘赤松登志子と結婚するのだが、1年ほどで破婚する。
この結婚に林太郎=鴎外は何ら主体性を発揮することなく、恩ある西と「息子ファースト」の母の意のままにまかせた。
結果、双方の家風の違いや登志子がまだ17才と若く、しっかり者の母のようには家庭を切りまわすことができず、鴎外は同居していた二人の弟と共に家を出てしまう。
登志子が美人ではなかったことが破婚の原因の一つのように言われるがそんなことは結婚する前からわかっていたはずだ。たとえ美人であっても結果は同じだったと思う。
それに掲載された写真で見る限り別に不美人には見えない。この時代の写真は写真館で取るものだから写真師は大いに修正を加えたかもしれないが・・・。
漱石の家庭でもそうだが、鴎外家でも来客が多い。文学仲間や、漱石の場合など学生がやたらやって来る。そして夜遅くまでわいわい議論する。当然、飲食のもてなしが必要だ。
登志子の育った家庭はある程度格式がある家だったので、大勢が予告もなしに来られるとそろったお茶碗がないなどと悩み、なかなか物が出てこない。
そこへいくと、森家は津和野の藩医といっても大した家ではないから、気取る必要もなく、母峰は臨機応変、大皿に盛って出すといった具合。
これはやはり鴎外が悪い。息子第一の母のもとで当然としていたことを若い妻ができないことへの思いやりがない。29歳にもなっているのに。29歳といえば、今の39歳と考えていい年だ。
しかしこのころの結婚は家と家との結びつきだから、合わないとなると、妻が家を出されてしまう場合が多くて、離婚は珍しいことでもなかったのだが。
しかしさすがにこの破婚は文学をものしようとする鴎外にはこたえたようで、次の結婚までには10年を要した。
その間、母は再婚しようとしない息子のために妾に相当する女性まで用意した。
その女性は裁縫などもよくできて、美人でおとなしい未亡人だったというが、しかしその女性との再婚は母は考えない。エリートである息子の再婚相手は相応の家の女性でないとと考える。
そして再婚したのが今でいう最高裁判事の娘荒木しげだ。実は彼女も最初の短い結婚に破れた身だった。
母は今度は息子のために最高の美人の嫁をと考えて、この結婚を勧めた。
ここでもまた鴎外はこれといった主体性を発揮していない。
しかししげは母の思いどうりになる女性ではなかった。自己主張する女性だった。
母と妻の確執に悩む夫鴎外だったが、さすがに今度は逃げ出さなかった。耐えたのだ。最初の妻への贖罪、子供達の存在がそれを可能にした。
漱石に母の影は感じられないが、鴎外は一家の期待を背負い、母によって導かれ、その母によって苦悩を引き受けることになる。
しかし最初の妻登志子の遺児於兎は「父は家庭の悩みがなかったら、学者として業績をあげることはできても、作家として名を残すことはできなかったろう」と言っている。

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