木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

都市と農村の格差と「文化大革命」

2007年10月28日 | Weblog

守屋前防衛省事務次官の、軍需商社「山田洋行」との癒着。
官僚と業者との癒着に、表向き厳しい目が向けられる時代に、よくもまあここまで堂々と、接待を受けていたものだと思っていたら、この「山田洋行」という会社、防衛省からの天下りで、成り立っている会社だった。
元専務という人物が、その代表格。守屋氏にとっては、役所の仲間であり、身内みたいなものだから、気を許して、接待に甘えた・・・。
ようやく、今日の新聞記事(信濃毎日)で、元専務の正体が書かれていたが、それまでは、なぜかこの人物の出自は触れられていなかった。
7600万円とか言われる退職金、これが現金の形で残っているかどうかは知らないが、これはすみやかに返却しないと、守屋氏は襲われます。
官僚は自ら「襟は正さない」。これを正すことができるのは、国民の厳しい目と、政治家のリーダーシップ。
どのような形であっても、「政権交代」がないと、省庁の腐敗は止まらない。



今日、久しぶりに「真正オバタリアン」に遭遇した。
ファミレスで、隣の席の4人グループだったが、そのうちの1人の声の馬鹿でかいこと。傍若無人。後の3人の声は低いんだけど。店内すみずみまでに届いていたんじゃないかな。
中高生の子供もいる母親らしいんだけど。
自分の子供がちっとも「しゃれっ気がない」と嘆いていたけど、それはあんたに似たんじゃないの?
ふと、こういう人は、一人の時はどんな風にしてるのかな、と思ったり、いきなり災害や、戦争で爆撃に襲われたりしたら、どういう風になるのかな、と思ったり。
悪気は全く無さそうだったけど。



『小さな中国のお針子』という映画を見た。
フランスの映画だったが、描かれたのは、1971年の文化大革命真っ盛りの中国の山村での、「下放」された青年と、祖父の仕立て屋を手伝うお針子の少女の物語。
今、中国は、都市と農村の「格差問題」が深刻と聞くが、この1960年代の半ばから、毛沢東によって提唱された「文化大革命」も、都市と農村の格差への危機感からではなかったか、とそんな感想を持った。
のちに「三峡ダム」の底に沈むことになる、この映画の舞台の山村では、村長を始めとして、村人は読み書きができない。
そこへ都会から知識青年がやってくるのである。
イ・ビョンホン主演の韓国映画『夏物語』でも、1969年、大学生が援農活動に入った村では、やはり村長をはじめとして村人の大半が字が読めない、という設定になっていたから、これがこの時代の北東アジアの農村の実態だったのだろう。
日本との戦争に勝利し、国共内戦を経て、毛沢東が進めた農村の「大躍進政策」は失敗したが、それに取って代わった新世代の経済官僚らによって、躍進政策の打撃から回復しつつあった、まさにそんな時代に、「都市の青年達は、農村に農民に学ぶべき」と、下放されていく。
今、中国では「文革の時代」は負の時代として清算されているが、都市の特権を得ていた層の子弟たちが、農村に入って味わった労働は、全く無意味というわけではなかったのでは、と言う気にもさせる映画の展開だった。もちろん、やりすぎではあったと思うが。
山村で、肥料となる、し尿を桶に入れ、それをかついで山道を登る。桶のし尿は、はねて、体にかかる、自分だけではなく、すぐ下に続く仲間にもかかる。
そういう労働を、農民達は、何百年と続けてきた、そのことを都市の人間は知らなくてはならない。
今の日本でもそうだ。都市生活しか知らない世襲政治家ばかりでは、地方、農山村が滅びていくことに何の危機感も持てない。
都市だけで、国は成り立たない、という想像力も持てないでいる。
映画では、下放青年達は、村人に、そしてお針子に本を読んで聞かせる。
青年の語る物語、この場合、フランス映画なので、もっぱらフランスの小説ということになっているのだが、は、村人に心の変化をもたらす。お針子の心にも。

今まで、下放された側の書いたものを読んだが(例;「ワイルド・スワン」)、農村の、農民の側の視点からこの時代を振り返るものがあれば、合わせて読んで見たい。(あるのかもしれないが、情報不足)。
しかし、今までの時代、文字を獲得し、表現することができたのは、支配する側であり、都市の知識層だけだったわけだ。



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キューバのなぜ、その2

2007年10月23日 | Weblog

先週の、この世の話題は、次々発覚する「食品偽装」。
「赤福」の偽装は、やれることは全部やったという感じ。
冷凍、むきあん、むきもち・・・。ただ、これでお腹を壊したという話は聞こえてこないのだけれど。
食べ物を粗末にしない、ということからいくと、賞味期限が過ぎたからと言って、捨てるということには抵抗があるのだが。
結局、1日に売れる数というのは、経験上わかっているわけだから、それに合わせて製造する数を決めて、売れ残りを最小限におさえる、品物が足りなくなるリスクには対応しない、そこまで欲張らない、ということしかない。
老舗というのはそのようにして信用を守ってきたはずだ。
だけど、冷凍技術の発達というのが、それまでのやり方を変える誘惑の魔手となっている。
食べ物がまずくなってきた、というのは、ずいぶん前から感じていた。
グルメなどと言っても、宣伝するほど、おいしくないな、とは感じていた。きっと、裏側では、こんな「裏ワザ」を使っている場合が多いんだろうな。
名前にまどわされて、「おいしくない」と言えない、消費者の味の感覚も情けない。「名物にうまいものなし」という世間の認識に乗じたか。
しかし、偽装はよくない。



キューバの社会主義が崩壊せず、むしろ、21世紀の社会のあり方の方向性を示すものになっている理由をもう少し考えて見た。
キューバの有機農業が成功した背景には自然環境に恵まれていたということもあるだろう。これは吉田氏も言っている。
寒さの厳しい北朝鮮と、温暖なキューバとの差は大きいものがある。
そして、革命のリーダーの正統性。30代前半で革命を指導したカズトロの正統性を疑う者はいない。
しかし、北朝鮮の場合、「本当の金日成は、別にいた」という説もあり、金日成は必要以上に、自身の正統性とカリスマを主張しなければならない立場にあったように思う。
そして、父の後を世襲で継いだ金正日は、父以上に自身が、その位置にあることの正統性に心を砕かねばならない宿命だ。
レーニンの後に最高指導者の地位に就いたスターリンも同じだ。
コンプレックスがある。だから疑心暗鬼になる。自分の権力者としての地位を守ることが、全てになり、人民の生活の向上はどうでもいい、その他の事柄になっていく。
アルゼンチン人ながら、キューバの革命運動に身を投じたエルネスト・チェ・ゲバラ。今年は没後40年である。
キューバの工業大臣として、60年代の始め、経済協力を求めて来日したこともあるが、やがてボリビアに去り、ゲリラの指導にあたっていたが、政府軍に処刑された。
私の読んだ本では、キューバの人たちに愛されながら、だがアルゼンチン人の彼は、革命政府を去った、とあった。
カストロとの間にどのようなやり取りがあったかはわからないが、キューバを去った行動は正しかったように思う。
「キューバ人の革命はキューバ人の手に」。チェ、というのは「やあ」とか「おい」というような呼びかけだそうだが、去ったゲバラはいまだにキューバ人の心に生きている。



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キューバのなぜ?

2007年10月15日 | Weblog

社会主義諸国の「理想」は全て敗れたのか、というと、そうではなく、生き残っている国がありました。
アメリカと目と鼻の先、カリブ海に浮かぶ島国キューバです。
以前、キューバの有機農業について、その可能性を高く評価した、吉田太郎氏
当時は、東京都の職員として、キューバを視察しての感想でした。
私は「暮らしの手帖」で、その文章を読みました。
その吉田氏が、長野県の農業大学校の教授となっているのですが、今度はキューバの医療制度について『世界がキューバ医療を手本にするわけ』(築地書館)という著書を出版。その記事が信濃毎日新聞にありました。
社会主義とか、そういう興味ではなく、ただ都市農業の実際を見たくて視察団に加わって以来、計11回キューバに渡ったとのこと。
「キューバの農業と医療は似ている」と吉田氏。
「農薬漬けに対して安全、安心な有機農業。薬漬けの医療に対して、伝統医療や自然治癒力を大事にする」。
そして、ラテンアメリカや貧しい国々の学生らが対象の医科大学があり、海外で災害があると、機敏に医師団を派遣したりもしている。
マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』には、アメリカの医療ではじき出された人々がキューバで治療を受ける場面が描かれる。具体的には、9・11のビル崩落と火災に際し、救助や消火活動に当たった消防士達だ。
9・11テロで、その後アメリカがしたことは、アフガン攻撃で関係ないアフガン国民を殺したことと、これら真の勇者である消防士達を見捨てたことだ。
吉田氏は、キューバの政策の背景にある哲学は「命を大切にする」という、最も大切で、当たり前のことなのだ、と語っている。
なぜ、キューバにできて、他の社会主義国にできないのか。
キューバによく似た条件の国に北朝鮮がある。
キューバは、ほんの目の前に、体制の違う大国アメリカがあり、北朝鮮は、同族ではあるが38度線で、韓国と対峙してきた。韓国の後ろには大国アメリカが付いている。
キューバも北朝鮮も、冷戦時代ソ連の援助が頼みだった。
そのソ連が崩壊して、援助が望めなくなってからの両国の道は、ますます大きく分かれていった。
さまざまな理由があるだろう。その一つ一つがこうだ、ということは、私には言えないが、一つだけコレ、と思い当たることがある。
それは、1959年のキューバ革命以来、キューバの政治をリードしてきたフィデルカストロが、自身の権力を利用して、人民よりゼイタクな生活をしようとしたり、享楽的な生活をしたりすることを、自分にも周囲にも許さなかったことだ。
キューバ国民が危急の時にもカストロを見放さなかったのは、これが大きく影響しているように思う。
ソ連でも北朝鮮でも、政界や官僚のトップは、特権的生活を、まず自分のものにした。
「それはないだろう。最も貧しい生活を送れ、とまでは言わないが、人民に行き届いてから、上に立つ者は後から成果を受け取る、ぐらいでないと、信頼は得られない」と、旧ソ連の幹部達が、静養するという、深い森に囲まれ、普通の人は立ち入り禁止として警備が施されるという別荘の映像を見て、そう思ったものだ。
カストロ首相は、自身は裕福な家庭の息子で、恵まれた生活だったが、自分が恵まれてさえいればいいのではなく、「祖国が恵まれなければ」と革命の先頭に立った。
物質や享楽の欲望を抑制している、というよりさほどそういったことに関心がない人、という気はするが。
吉田氏の次の関心は「キューバの教育」で、取材・執筆を考えている。



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「イギリス労働者階級の状態」とワーキングプアー

2007年10月08日 | Weblog

『イギリス労働者階級の状態』。100年以上前の、カール・マルクスの著作だ。
ずいぶん前に読んだだけで、その後読み返していないのだが、そこに書かれたイギリスの労働者の実態は、現代の「ワーキングプアー」の状態とほぼ同じだ。
産業革命で、資本の奴隷となった下層民の生活は「働けど、働けど、我が暮らし楽にならざりき」である。
野放しの、弱肉強食の競争社会は、その後の社会主義運動や、労働組合の設立などで改善されたはずが、油断していると、すぐ産業革命時代の「イギリス労働者階級の状態」に戻ってしまう。
官僚主義の蔓延で崩壊してしまったソ連邦や、中国・北朝鮮の人権無視の実態は、社会主義・共産主義が掲げた理想が、所詮夢でしかなかったという、幻滅を人々に与えるに充分ではあるが。
だが、しかし、理想のすべてを捨て去ってよいものだろうか。
確かに『共産党宣言』を読むと、共産主義社会が実現した社会のあり方が、あまりに理想的に書かれすぎている、とは思う。
マルクスは楽天家だ。資本の蓄積の仕組みと、そこに組み入れられる労働者の実態を解明し、労働者は何をなすべきか、方向を示した時点で、マルクスの頭の中での「理想の社会」は実現するはずのものになった?
理想の社会は、理想の人間を作る、マルクスはそう信じて、その後の事態については後世にゆだねたように、私には思える。
マルクスもまた人の子であり、時代の子だ。その理論を古臭いと捨てるのではなく、その理論の中から、生かせるものを拾い上げるべきなのだ。
NHK「クローズアップ現代」は、いわゆる就職氷河期に正社員になれなかった20代後半から30代の青年達が、キャリアアップをするために中国にわたって、がんばっている姿を追っていた。
それも一つの道だろうが、「普通の人が、普通に働いて、そこそこの生活ができる」社会がいい。
私は自分自身が、負けず嫌いでもなく、エネルギッシュでもないので、ついそういう風に考える。
団塊の世代と言われる人たちを含めた上の世代の大多数の人は、そんな風にして、「普通の生活」を手に入れてきたのではないだろうか。
若い世代をこんなに苦しめては、ほんとにバチがあたる。
今、一番求められているのは、現在、偉そうに上に立っている人間(政治家、上場企業の経営者や役員など)が、総退場して、次の世代に場を明け渡すことではないだろうか。
「大丈夫、あなたがいなくても、うまくいきます」。



私はいまだに持っていないが、若い人にとっては、「携帯」は手放せない道具の最上位のようだ。
私と同世代の人でも、「ついのぞいてしまう。中毒症状」という人もいる。
そして、この携帯上で連載される「携帯小説」が、これまた若い人達の心をひきつけている。
パソコン上での小説、というのも以前からあるが、携帯小説は、さらに画面が小さいから、ほぼ短い会話文だけで進行する。
従って、携帯小説、パソコン小説、紙の上の本の形式になっている小説、と、三つのジャンルが存在することになる。
私は小説ではないが、2つのブログを定期的に書いている。
そして、冊子という形で紙の上の文章も書いている。
ブログと、紙に起こす文章は、自然に違ってくる。
紙の上の文章は、文章としての体裁や形式を意識する。
ブログはこの「木洩れ日通信」は、自分では少し硬めの内容を書いているつもりなので、あまりくだけた、奔放な文にはならないが、もう一つの映画や韓国ドラマについて感想をあれこれ書いているブログ(d.hatena.ne.jp/kawarie/)は、気楽に書き飛ばしている。
それぞれはジャンルとして、時に交差しながら、並走していくのだろうと思う。



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「集団自決強制」と「米軍基地」と

2007年10月03日 | Weblog

太平洋戦争末期の「沖縄集団自決」に、日本軍の強制があったとする、高校日本史の教科書の記述を、文科省の検定意見で、削除された問題、沖縄人の猛反発を受けて、修正の動きが・・・。
もともと、安倍右旋回内閣の意を受けた、文科省の役人達の勇み足でもあったわけで、安倍内閣崩壊とともに、このゴリ押しは、当然引っ込められなければならない。
「従軍慰安婦」も「集団自決強制」も軍隊の持つ本質であり、それを隠して、軍隊の存在を正当化させたい意志が、この間の1連の反動的動きなのだろう。
NHKのETV特集は、「米軍基地の島」沖縄の現実を、笑いで表現してみせる「お笑い米軍基地」というコントグループを紹介していた。
政治ネタや時事ネタを皮肉な笑いで表現するコントグループにはザ・ニュース・ペーパーがある。
このグループの小泉純一郎ネタは、秀逸だ。それだけ小泉純一郎という人物のキャラクターは際立っているということは言えるだろう。
本土の、沖縄の米軍基地の存在に対する無関心は、沖縄県民のあきらめの気持を強くさせる。
04年、沖縄国際大学の構内に、米軍のヘリコプターが墜落、炎上したとき、読売新聞の1面は、アテネオリンピックの開幕記事が占領した。
アメとムチに翻弄される沖縄だが、基地の代償として、どれだけ補助金や奨励金をつぎ込んでも、沖縄の失業率は全国で一番高く、収入は最低レベル。
なぜか、沖縄の一番良い場所を広大な米軍基地が占領しているためだ。
米軍基地によってとりあえずの収入を得ている。だけどその基地によって、沖縄の生活はゆがめられてしまっている。
そこでコント「お笑い米軍基地」は、「この広大な、米軍基地を、ぜひ本土の皆さんにもお分けしたい」と、ショップチャンネル「ジャパネット沖縄」で売り込む、というような、コントを展開している。



「長野市ごみ処理有料化」。09年度から指定袋に上乗せの方針の新聞記事。
ゴミ問題というと、必ず善良でまじめな市民の意見として、消費者のモラルの退廃を嘆き、いましめる投稿が、新聞の投稿欄に寄せられるが、ゴミ問題の、問題は消費者にあるのではない。
それは製造したり、売ったりする側にこそ、問題の解決を求めるべきなのだ。
街に氾濫する自動販売機。それは買う側が熱望してそこにあるのではなく、売る側が、売り上げを少しでも伸ばそうとして、そこに設置したのだから、そこから出る缶ゴミやペットボトルの処理に責任をもたなくてはいけない。
セルフサービス方式のスーパーマーケットでの買い物も、ゴミをうちに持ち帰るようなものだ。
最終的に土に返らないゴミの行方を考えると、頭がおかしくなるので、考えないでいるが。



朝青龍の問題が1段落したか、と思ったら、今度は、時津風部屋の新弟子暴行死亡事件。
朝青龍が巡業をサボって、モンゴルに帰国してしまった時、「横綱の品格」を問題視したけど、そんなものは朝青龍にもないし、相撲界全体にもなかったわけだ。
朝青龍はバカじゃないし、むしろ頭のいい青年だと思うけど、いろいろ問題おこしていたけど、相撲界の悪しき慣習に従っただけなようだ。
相撲界ではおかみさんの存在が、まだ10代の新弟子などには重要なようだけど、時津風部屋には、その存在がないような?
時津風部屋といえば、名横綱双葉山が起こした部屋で、そのあとを継いだのが元大関豊山。わたし、この人のファンでしたが。
この人が親方になったとき、夫人、つまりおかみさんが、それまでの、力士達の食事には、おかみさんは関わらないという慣習を破って、栄養管理をした、と言う話が話題になったことがあったけど。
軍隊、中・高・大の体育系の部活動に連綿と続く、暴力的シゴキの歴史。
これを極端に嫌ったのが、現中日監督の落合博満氏だが。
相撲は、栃若時代からなじんできたものだけど、しばらくは、相撲部屋には親が子供を送らないでしょうね。



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