まだ6月だと言うのに一部の地域で「猛暑日」が続いた。
更なる夏に向けて、エアコン需要が伸びるだろうし、電力が足りなくなるぞと、「原発維持派」が攻勢をかけてくる予感がある。
わが家にエアコンはない。信州という朝晩は比較的涼しい(この頃はそうともいえないが)という土地柄と同時に敷地が広く、木々に覆われていて、暑い時期、たしかに暑いには違いないが、耐えられないほどではない。
私の住んでいる所は農村で昔ながらの村である。隣近所の家もかつては敷地内に柿だの杏だの梅だのの木があって、それらが「涼しさ」を作ってくれていたはずだが、今や庭にそういう木がある家は少なく、松だの石だのを入れた作った庭に変わり、自家用車置き場になった。
自家用車のために土をコンクリートに変えてしまった家も多く、これらが相乗して、人工的な暑さが加わった。エアコンが必需品になっている。
信州の農村でこうなのだから、都市生活ではエアコンがなければ「熱中症」で具合が悪くなることだろう。
今回の震災で見えたことに「大都市=東京への一極集中」の危うさがある。
東京の生活と経済を支えるために、福島や新潟の原発で作られた電気が送られる。そして林立する超高層ビル。世界一とされる「東京スカイツリー」という電波塔?こんなものほんとに必要なのか。
以前、東京の超高層ビルが海からの風の流れを変えてしまい、そのために埼玉をはじめとした関東地方の暑さを増幅させているという番組を見たことがある。
東京へ行くと電車がひっきりなしに来る。これだけ人口が集中していると、それらの人達の動きをさばくためには必要な運行なのかもしれないが、地方だと20分から30分間隔だし、そういうものだと思えば時刻表を見て行動する。
何かも東京へ東京へとい考え方をやめてこその「脱原発」であり、震災復興だ。
近所の家の「新築祝い」に呼ばれた。原発事故前だったらトレンドだった「オール電化住宅」だ。さすがに今「オール電化住宅」の売り込みは中止されているらしいけど。
環境関連のNPOの代表飯田哲也氏が言うには「電気というエネルギーは温めたり冷やしたりするのに最も向かないエネルギー源」だそうだ。
「電動のこぎりでバターを切るようなもの」というたとえをしている。
これで考えると、オール電化住宅でIHヒーターで調理するというのは最も無駄な電気の使い方。エアコンしかり、電子レンジしかり、冷蔵庫、挙げればきりがない。
しかしとりあえず、原発の地元ではなく、多少離れた地域であるこの長野の村では「電気の無駄使い」は話題にはならない。
どころか、エアコンなんかない時代に育った世代の人がエアコン付けっぱなしで夜を過すというのだ。
先の東京一極集中の話に戻ると、密集していて緑も少ない東京で暮らすというのは豊かでも何でもない。
翻って、原発事故のためにゴーストタウン化してしまった福島の村々が映像としてテレビに映るが、一面的な見方かもしれないが、みな立派な家々だ。
地方は貧しく、大都市は豊かとはこの画面からは言えない。
福島の原発近くの人々も事故までは、のどかに電気を盛大に使って暮らしていただろう(福島原発の電気は使ってはいなかったが)。長野の農村の人々と同様に。
原発立地地域には盛大に金がばらまかれ、地元民はそれで沈黙させられたばかりでなく、原発の危険性を感じ、考え、それに反対ないしは疑問を呈する住民、金で屈服しない人達には暴力、嫌がらせ、スキャンダル捏造という攻撃があった。
原発立地地域の首長や議員には、暴力団の成員でないにしても、その筋に顔が利く、付き合えるというタイプの人が多いようだ。
原発はお金だけでなく、暴力を動員して進められてきた。
世界各地原発のある町の日本人在住者の報告(NHKBS1)。
脱原発を宣言したスイスだが、現在の原発立地地域では(正確な距離は聞き漏らしたが)、各家に「核シェルター設置」が義務づけられていて、その内部には二週間程度は暮らせる食料が備蓄され、トイレもあり、手回しで使う空気清浄機も備えられている。
いざ事故が起きた時の対策だが、そうまでして得なければならない「エネルギー」とは・・・。
インドには10基以上の原発があるが、普通の人達は「原発の何たるかを知らない」し、立地付近の住民は、その施設が原発であることを認識していないという。
インドは「核」の恐ろしさを知らずに「核兵器」を保持している国でもある。
インドと張り合っているパキスタンも同様だろう。
しかし、日本も偉そうなことは言えない。
被爆国、そして地震国でありながら、「緩慢な核爆発」である原子力発電所を54基も海岸に沿って立地してしまっている。
私も今回の事故があるまで、原子炉が冷却水によって常に冷やされていなければならないことすら知らなかった。
使用済み核燃料が処理方法も解決できないまま、ただただたまり続けるという「トイレのないマンション」状態であることは理解していたので、その点だけで「原発反対」ではあったけど。
今回の事故を受けて、2020年までに国内の全ての原発を廃炉にすることを決定したドイツは、東西冷戦時代に米ソの思惑で自国に核兵器が配備されていたことや、チェルノブイリ事故による「死の灰」が流れてきたこともあって、核の恐ろしさを国民が認知しており、日本と決定的に違うのは、原子力発電に関する情報がきちんと公開されている。
その上で、今回の国民の意思を受けての現政権の判断だ。
イタリア、国民投票で「脱原発」の意志示す。
これに対して、日本の大手メディアは相変わらず、否定的、冷笑的だ。
夏場の電力は足りるのかとか、電力不足で経済が停滞するというのが、その決まり文句だが、それに対する答えは出ている。
電力不足の懸念に対しては、ピークをずらせば済むことであり、それはもう各企業や公的機関が取り組みを始めている。
経済活動への影響も、これからそんなに自動車等、エネルギーを消費して物を生産する発想の転換の良い機会でもある。
今の消費量を下げる工夫をし、その間に代替エネルギーの研究や開発を進めていけばよいのだし、今の消費量を維持することから発想を転換しないと、「原発推進派」に付け入るスキを与えてしまう。
私が未来をになう世代にこの社会の舵取りをまかせるべきと意識するのは、現在の60才以上の世代は「経済成長神話」に取りつかれていて、そこから抜け出た発想ができないと思うからだ。
助言、サポートはいいが、老人は表舞台から去るべきだ。
大手メディアは「脱原発」に冷笑的ではあるが、その中でテレビ朝日が「原発推進派」の理屈に距離を置き始めた雰囲気が感じられる。
私は見ていないのだが、「報道ステーション」ではメインの司会者古館一郎が、巧妙な「原発推進」の理屈を展開する寺島実郎の言い分に納得せず、反論する場面があったようだ。
また朝のワイドショー番組「モーニングバード」に小出裕章氏ともう一人放射線医学の専門家を登場させて、原子炉がメルトダウンからメルトスルーに進んでいるとしたら、それは地下水等に広がり、避難区域の人達は「数10年から100年にわたって戻れず、故郷は失われる」と、はっきり言わせていた。
こうした中でやはり一番ひどいのはNHKという気がする。
視聴者から受信料を取っておきながら、どこまでも官・財の肩を持つ。
彼らは自分達も権力側の一員という自覚のようだ。
原発立地と補償金。
福島第一原発事故の終息は見えず、どころか新たな問題、例えばあふれる汚染水の処理や、作業員の限界をはるかに超える被爆量などが次々に明らかになる中、新たな原発建設途中の地域がある。
そんなうちの一つ、マグロの一本釣りで知られる青森県の大間町の実情を伝える番組を見た。
現時点では、福島の事故を受けて、建設は止まっているようだが、この大間原発建設の主体は電力会社ではなく「日本電源」。
この原発を稼働させて、そこで作られた電力を電力会社に売るという形だ。
漁業補償という形で、すでにお金を受け取ってしまっている漁師の男性。
どこでもそうだが、漁業資源の減少で先行きが見えず、電源側の提示するお金にすがってしまった。
だからこんな事故が起こって、「原発建設反対」と言いたいところなのだけれど、お金は受け取ってしまっているし、漁業の未来は見えないし、と複雑に、だけど流されていく運命が浮かび上がってくるようでやり切れない画面だった。
しかし、そこで私は思ったのだが、この漁師の男性をはじめとした漁業者が受け取ったお金というのは、元々税金なのだから、税金を原発立地に使うのではなく、地方交付税というか、交付金として地方に回し、漁業助成や自然エネルギーを作る基地にする資金に転換すればよいのではと考えた。
地元の人達は罪悪感を感じる必要は無い。もう原発建設の時代ではないのだから。
この大間原発は核燃料の中でも扱いが最もやっかいなMOX燃料を使用するというもので、だから「日本電源」という官製の会社が主体ということなのだろう。全くとんでもないことだ。
お金を受け取ってしまっている大間の人達はうつむいて沈黙しているが、対岸の原発建設地から30キロの函館の人達が「反対」の声をあげている。
テレビ画面に顔を出して登場した大間町議の一人は「原発反対」ではなく、「安全な原発」をと言っていたがむなしい。
「安全な原発」はない。
原発推進をしてきた連中がいかに無能・無責任かは「福島事故」対応でいやというほど見せられている。
核兵器と原発がある限り、この地球の放射能汚染は続く。
今回の事故で空気中に放出された汚染物質は、日本列島だけでなく、太平洋に出て、アメリカにも到達している。
原子力について40年研究し続けてきた小出裕章氏は「この地球上にもう安全な食べ物はない。汚染はいつまで続くのか、ひとつの答えは永遠です」と言う。
その上で、汚染度の高いものは大人、年寄りが食べ、低いものは子供に与えるしかない。
これからは映画鑑賞の目安のように、これは60歳以上、50歳以上、30歳、20歳というふうに食べ物を測定して仕分けしていくしかない。
大人がより危険なものを食べるのは汚染の感度が低いということもあるし、より大人世代が原子力をここまで許してきた責任を取るという意味もある。
原子力発電がまだ必要だと言っている人達。放射能汚染はそうした権力と金力を持っている人にも迫って来る。
菅内閣不信任案否決。
菅内閣の、この未曾有の震災に対する対応がまずいのは全くその通りだが、野党がすべきことは「不信任案の提出」ではなく、震災対応への対案や提案だろう。
野党といっても自民党も公明党もつい二年前まで政権運営をしていた立場であり、特に原子力発電推進をしてきた張本人である自民党は、自党の政策の反省なくして、何も言う資格はない。
そのことがわからず、不信任案で民主党政権を追い込もうとしか考えられないのは、自公は政党として終わっている。
国会に生息する政治家の殆どの無能・無責任が明らかになった今、お任せ、お願いで待っていてはダメだ。政府や行政の中枢へ押しかけて自分達の要望を出さなくては。
福島の親達が文科省に押しかけて、子供達が年間に浴びる放射線量の限度20ミリシーベルトを1ミリシーベルトに限りなく近づけるという言葉を大臣から引き出したように。これは単なる言葉の約束で、実行に移す保障はないけれど第一歩には違いない。
津波被害を受けた三陸地方の復旧・復興も殆ど進んでいないと、現地に入った人達は口をそろえる。
これも現地・現場が自分達がこうやるから、予算をよこせと中央政府に迫っていくしかない。
植物の品種改良の研究が専門の元筑波大教授の生井さんという方の出演番組を見た。
生井さんが言うには、濃度の差はあるが、今回の福島原発事故で放射能汚染は北海道から沖縄まで広がっていると考えるべきだという。
チェルノブイリ事故で、欧州に汚染物質が広がったことを考えれば納得だ。
だからこそ放射線量を広範囲に適確に計測して対応することが必要なのに、専門家というか、学界などは危険性をできるだけ知らせないよう言論統制している状態と批判していた。
「風評被害」というが、それは放射線量や土壌汚染を調べてこそ言えることであって、それが成されなければ「風評」ではない。
逃げるのが一番だがそれもできず、またそんな場所もない。ならば正しい情報を手に入れ、可能な限りそれに対処するしかないのだが、政府の言うこと、またその意を受けた御用学者の言うことは信用できない。
ならばと、インターネット情報でと思うところだが、この震災以後のドサクサにまぎれて、国会では5月31日に「インターネット規制法案」が成立したという。知らなかった。
政府・支配者側に都合の悪い情報を規制しようと企む法案だ。
「原子力開発の危険性」を発信し続ける哲人学者小出裕章氏。
助教という大学教員の一番下の地位であり続けたことに後悔はないと言い切る。
なぜなら「誰にも命令しないで、自分の立場を貫けた」からだと。
たしかにその通りだ。地位が上がるということは不自由になることと引き換えだ。
国立大の助教の給料がどれぐらいが知らないが、職場には自転車で通い、最低限の電気しか使わない生活を送っていれば、日々食べる物と雨風をしのぐ住まいを確保することはできる。
家族もまた同じ価値観を共有しているのだと考えると、行動と思想が一致した稀有な人だが、「40年間主張し続けたことが、最悪な結果によって日の目を見たことに絶望を感じている」と率直に語った。