木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

信州観光の魅力とは?

2007年01月27日 | Weblog

長野へ冬季オリンピックをという話が持ち上がったとき、スキー場や宿泊業者の関係者は、これが起爆剤になってくれて、さらに観光業が潤うと考えた。
実際どうだったか。
まず、97年からプレオリンピックの競技が開催されるということで、それまで冬のスキー修学旅行を志賀高原や白馬方面で実施してきた高校などが、長野でのスキー修学旅行を敬遠するようになってしまった。
翌年のオリンピック年にはさらにこの動きが広がった。
関係者はあわてた。予期しない動きだった。
宿泊がオリンピック関係で埋まるのは大会が開かれる2週間だけ、と宣伝したが時すでに遅し。
スキー修学旅行の長野離れはその後、固定してしまった。
その上、少子化の進む時代、これはもう取り戻せない。
これからは周辺アジア諸国から客を呼ぶことを考えるのがいいだろう。
韓国ドラマ『冬のソナタ』に、ドラマの背景として、スキー場のリゾート開発が登場するが、スケールという点で、日本のスキー場のほうが魅力的ではないだろうか。
魅力という点では、長野は北海道にやや譲るけれども。
長野新幹線の開通で、たしかに東京方面や、東北方面からの観光客が増えたのは、松代で町案内をしていて実感する。
その観光客が信州に滞在してくれるかどうかだが、やはり一晩泊まって、ゆっくりあたりを散策したい、と思える場所があるかどうかだろう。
また松代を例にするが、この城下町は散策には最適。
平日はまことに静かで、町の整備は進んでいるが、観光化されていないので、往時をしのぶことができる。
それと後は疲れを癒してくれる温泉ですか。
鉄分の多い松代の温泉は近頃けっこう知られるようになった。



野沢温泉といえば、長野オリンピックの会場にもなったし、古くから温泉とスキー場が一体になったところとして、集客のあるところと思っていたが、近頃はやはり低迷しているらしい。
地元長野にいた頃は、私はスキーなどする気もなかったが、関西方面で仕事をしていた時代、同僚の先生たちを案内してこの温泉にスキー旅行を何回かした。
麻釜という源泉近くの旅館「住吉屋」は、スキー場に一番近いからよかろうと思って予約したら、これがなかなかいい感じの宿で、同僚たちも喜んでくれた。
ここのスキー場は、リフトやゴンドラを乗り継いで、毛無山の頂上までいけるので、多様なすべりが楽しめると思っていたが、そこも低迷してるとなると・・・。
ただ、夏これらスキー場が開かれた山肌を見ると、まるで傷を負ったように見えるのに気づいて、ゲレンデスキーを楽しむということは、「自然破壊に手を貸していたのだ」と、今は年もとったこともあって、スキーはしない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風景を楽しむ、在来線

2007年01月24日 | Weblog

個人冊子「木漏れ日」1号を出したのは、1997年12月31日付けでした。
翌年の2月には、長野冬季オリンピックが開催されることになっていました。
「風景を問う」と題して、オリンピック開発による、地域破壊の状況を嘆いたのですが。
それから10年、私もオリンピック道路を車で走って、あちこち出かけています。
長野新幹線にも乗って、東京方面にもいきます。
そのあまりの時間の早さに、新幹線による風景の破壊と、信越線が、軽井沢で分断されてしまったことに対する怒りも忘れがちです。
しかし、新幹線には車窓の風景を楽しむという、旅の楽しみはありません。
これは長野新幹線に限らず。ただ、秋田新幹線や、山形新幹線は、在来線を使ったミニ新幹線なので、かなり車窓の風景は楽しむことができます。
この在来線で、日本の田園風景を楽しむ旅が、必ずや見直される時がくると、私は思っていますが。
信越線も、碓氷峠の風景こそ、最大の見所。何とかこの区間の鉄路の復活はできないものか、と思いますが。



政治・社会ネタはこのブログでは控えよう、と思っているのですが、それでも少し。
そのまんま東氏の宮崎県知事当選。2000年の長野県知事選で、田中康夫氏が当選したときの状況とよく似ている。
二人とも、人前で話すことには慣れていて、打たれ強いというところが共通している。
しかし、議会と県職員が抵抗するために待っている。
宮崎の地元メディアはどうだろうか。長野の場合は、地元メディアの老獪さが功を奏して、田中知事は事業半ばで、道をはばまれてしまったが。
東氏が、議会や職員と妥協をすれば、知事の椅子は安定するが、最初の志を曲げなければ、長野県でやられたことが、それこそ、そのまんま、宮崎でも展開されることになるだろう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世にブログは数々あれど

2007年01月18日 | Weblog

ブログなら、どれも同じかと思うと、さにあらず、それぞれ微妙に違う。
私はもう一つ韓国ドラマや、映画、俳優イ・ビョンホンに関するブログを持っているが、
(d.hatena.ne.jp/kawarie/)
こちらははてなダイアリーの提供するブログで、テキストもあるせいか、初心者にわかりやすい。
電気製品が、各社で使い方が微妙に違うのとよく似ている。
だけど、無料提供のブログは一日記に限定されているので、もうひとつブログを立ち上げるとなると、ほかの業者のを使わなくてはならない。
そこで、インターネット接続の業者として、使っているJANISのブログにしたのだが。
微妙に違うのでとまどっているというわけ。
接続業者数々あれど、なぜJANISかというと、最初のインターネット体験が有線放送の受話器を介したIP回線だったので、その流れで、JANISを使っている。
JANISは農業協同組合関連の接続業者である。
農村における有線放送は、農事関連の伝達をおこなうために、もともと設立された。
当時、まだ電話が普及していなかったので、ローカルエリアの電話としても使われた。
その後、電話の役割は終え、代わりにインターネット接続代行で、生き残りをはかってきた。
さて、インターネット接続をどこにしようかと考えた時、身近な有線、ということになった。



さて、今この世に、ブログという日記サイトがあふれているわけだが、ブログは「始めるは易く、続けるは難し」だ。
ブログをはじめた人は、だいたい1ヶ月ぐらいで「書くことがない」という壁にぶつかるはずだ。
だから、ブログは生まれては消え、消えては生まれる泡のごときしろものだ。
したがって残っていく、続いていくブログは、有名人のブログ、趣味のはっきりしたブログ、文章を書くことが面倒でない、得意だという人のブログということになる。
私は、「木漏れ日」というささやかな個人冊子を年に一度出しているが、このブログでは、その関連のことを書いていく予定である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007ねんより形式一新

2007年01月06日 | Weblog

2007年最初の日記です。



2003年から3年間続けた、ホームページビルダーのソフトを使ったホームページからブログ形式に変えてみました。



1997年から年一回のペースで発行し続けた個人誌『木洩れ日』も9号まで続きました。



今、10号(2006年度分)作成中です。06年度の題材は太宰治です。若い人にも比較的よく読まれている作家、太宰治。もう少しお待ちください。



ささやかな個人誌ではありますが、それでも読んでいただける方があればと、より広がりを求めて、ホームページをブログに変えてみました。



最初なので、形式等今までやってきたのと違うので戸惑って、まとまったことが書けませんが、徐々に慣れていくでしょう。



今までのホームページはhttp://www.dia.janis.or.jp/~rieko/です。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする