木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

「原子力平和利用」という考え方を押し付けられた日本

2011年03月27日 | Weblog

原爆の被害を覆い隠すために進められた「原子力の平和利用」という方向性。
2度の原爆被害を受け、その後も第5福竜丸の乗組員がビキニ環礁での水爆実験の際の「死の灰」を浴び、機関長だった久保山愛吉さんが死亡するという悲劇を体験した日本。
他のどの国や地域よりも「核の被害」に敏感であるはずの日本が、今日再び「原発事故」により破滅的被害を受けるに至ったのはどうしてか。
元外交官で、広島の平和研究所で仕事をしていた浅井基文氏が「原子力平和利用神話」と題して解説している。
初めて、実験の意味もあって日本に原爆を投下したアメリカはその被害の実態が日本から世界中に発信されることを恐れた。
そこで「原子力の平和利用」という考え方を広める必要があった。
「原子力の平和利用」という考え方は、原爆被害の生々しい現実が強かった1950年代に、被爆者の団体にすら容認された考え方だった。
私は手塚治虫さんの漫画は読んでないが、「鉄腕アトム」はまさにアトム=原子だし、ウランちゃんという少女も出てくる。
手塚さんの中にもそんな考え方があったのかもしれない。
太平洋戦争で、アメリカに徹底的にやっつけられた日本。それまで日本を支配していた階層の中からアメリカの協力者になることによって、敗戦後も変わらず支配層として生き延びようとした人達がいる。
その中の一人正力松太郎(読売新聞社長・後科学技術庁長官)は、アメリカの意を受けて原子力の平和利用→原子力発電所の建設を強力に進めた。その結果地震国日本での「原子力発電所」の林立となる。

私は原発で使われた使用済み核燃料が強い放射線を発し続け、その処分の方法がない状態での「原子力発電」の恐ろしさは感じていた。
しかし今回の事故で、いろいろな解説を見たり聞いたりして、「原発」の問題点はまだまだいろいろあることを知った。
「原発」は一度運転を始めたら、その出力を下げたり、また再起動したりすることがむつかしく、また時間もかかる、そのために定期点検で止める以外はとにかく昼も夜も運転し続けなければならない。そのための「深夜電力の利用」であり、「オール電化住宅の普及」だったのだ。
「原発」を稼働し続けるために、多くの火力発電所が止められている。
火力発電は地球温暖化の元凶CO2を出すが、原発は出さない、だからクリーンだと言うが、放射能を出すんじゃダメでしょう。
原子力発電で発電量の3割をまかなっているというのは、そういうふうに意図的にされているということだったのだ。

福島原発の30キロ圏内にはもう戻って元の生活をするというのは無理だと思う。
原子力発電所の立地には最初大反対が起こる。
それが札束を積んで、「安全だ」とウソを言って、住民は分断され、沈黙させられていく。
使用済み核燃料の保管場所を引き受けさせられている青森県の六ヶ所村は過疎の村で、結局村に残っていくのは高齢者ばかり。
国と大企業が手を組んで迫って来ればとても対抗できないのだ。
津波と原発事故でこれからゴーストエリアが増えるだろう。
日本列島の地域の形が変わってしまう。変わらざるを得ない。
首都圏で実施されている「計画停電」だが、あまりにこの地域にすべてが集中されていることの危うさが浮き彫りになった。
これからの日本は分散して住むことを考えなくてはならないと思う。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

65年目に起こった「第二の敗戦」

2011年03月20日 | Weblog

CS朝日ニュースターでの原発に関する広瀬隆氏の解説は衝撃的だった。
この間の政府やそれを受けてのNHKをはじめとするマスメディアの、「原発事故」に対する報道はウソっぽいと感じてはいたが、やっぱり。
広瀬氏が指摘するような内容を私たち国民が少しでも知っていたら、原発はこんなに日本に林立することはなかっただろう。
残念ながら殆どの人達が得る情報は地上波テレビであり、大新聞だ。
その報道の決まり文句は「放射線の量は直ちに健康に影響するものではない。しかし念のため」というものだ。
放射能を浴びてすぐ健康に影響が出るということは、広島・長崎の原爆投下や、第5福竜丸の死の灰レベルということだ。
こんな言葉で安心してはいけない。安心したい気持はあるけれど。
広瀬氏の番組出演は木曜日だったが、この日から原子炉や使用済み燃料の保管プールへの放水が始ったが、殆ど効果がないのではと広瀬氏。
それよりチェルノブイリ事故と同じく石棺として閉じ込めるべく準備に入るべきだという。
私のような科学に弱い素人は原発というと、使用済み燃料の放射能レベルが殆ど半永久的に下がらず、その保管場所に困るということぐらいが頭にあって、そんな馬鹿なものを作るのは狂気の沙汰とずっと思ってきたが、広瀬氏の解説で、原子力発電というものは、電源の確保が一番重要で、この電気でポンプの水を循環させて、常に冷やし続けなければ、炉内の温度が上がって、核分裂の危険が高まる仕組みのものだということをようやく知った。
他の電力施設は停止させれば事故は終息に向かうが、原発では熱を出し続ける燃料を冷やし続けなければならない。
この電源が失われた時に取ることは、廃炉覚悟ですぐさま海水を注入し、外部電源の確保を急ぐことだった。
広瀬氏は、原子炉のことを一番よくわかっているのは、炉を設計した技術者であり、テレビに出てくる原子力の専門家と言われる学者たちは何もわかっていないと言った。
また東電関係者は運転すること以外はわかっていなくて、原子炉のことは東芝や日立といったメーカーの技術者にすぐさま支援を頼まなければならないのだという。
「原発は運転により労働者が被爆し、事故により住民が被爆する」そういう施設なのである。
原子力発電所は協力会社という下請け、孫受け会社に危険な作業をさせ、さらにその上、この間のリストラ旋風に乗って、現場の人減らしをしているのではと疑っている。
今回の津波自体は避けようのない天災だが、その後の政府や東電の対応は人災だ。
この間の事態の進行には既視感がある。
中国侵略から始ったアジア・太平洋戦争、そして敗戦に至る過程での責任を持つ地位にいる人間の無能・無責任ということだ。
政府首脳はもちろん、東電の社長はどうなってるんだ。今回の事態のようなことに対して矢面に立つために高い報酬を得ているのではないのか。
菅直人はTPPで「第三の開国」と言ったが、今日本で進行している状況は太平洋戦争敗戦から65年目の「第二の敗戦」だ。
今回厄介なのは目に見えない放射能の害がいつまでも残ることだ。
広瀬氏は最後に「私の言う予測が間違っていればそれが最もいい」と言った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国人献金、ゆすり・たかり名人、とどめは大地震

2011年03月13日 | Weblog

今週は「激動」の一週間だった。
前原外務大臣の「在日韓国人からの個人献金」による政治資金規正法違反を受けての辞任、アメリカ国務省沖縄担当の日本部長メア氏の「沖縄ゆすりたかりの名人発言」、そしてとどめは「東北・関東大地震」。
この未曾有の大地震被害によって、全ての問題が津波の濁流に押し流されていってしまうのか。
前原代議士は国民にとって「百害あって一利なし」の政治家だ。
「八ッ場ダム中止」にしても「尖閣諸島海域での中国漁船員逮捕」でも、最初の威勢はいいが、すぐ腰砕けになって、途中で投げ出すを繰り返す。
だから大臣を辞任して、何の権限も持たなくなるのはいいことなのだが。
だけど、少年時代から知っている焼肉屋の在日韓国人の女性から年5万円の献金を受けていたのが、「政治資金規正法違反」であり、それをもってして大臣辞任というのも一般感覚からいうと、「えっ、そうなの」と言う気がする。
在日韓国・朝鮮人を「外国人」と考えるのには違和感がある。
元々、日本の朝鮮に対する「植民地政策」の結果が在日本朝鮮人の存在なのだから。
この人達にはもう本国に帰る場所はない。ルーツは朝鮮半島かもしれないが、日本で生きていくしかない人達だ。
それなら帰化して日本国籍を取って日本人として生きていけばいいじゃないかと言う人もいるが、せめて自分の祖先は半島に由来するのだと宣言する自由や誇りがあってもいいのではないか。
「在日」として生きることで、得をすることは何も無いのにそうしているのだから。
外国人からの多額の献金によって、日本の政治が動かされてはならないというのが「外国人からの献金は禁止」の理由だろうが、企業献金、団体献金ではなく、個人献金、ネットを介しての献金の方向でいくのなら、一律の「外国人からの個人献金禁止」というのも実情に合わない。
前原氏が意外にあっさり、いさぎよく自身の責任を認め、外相辞任をしたのには、これ以上追求されると、知り合いの在日のオバサンからの献金以上の「黒い献金」が明らかになるからだとか、泥船化した菅政権船からさっさと下りて、政界再編に備えた方が得策と判断したからだともいわれ、なるほどそうかと納得もする。
できれば政界を去ってほしい人だけど。
あの妙に美形の顔の中身は空っぽのような気がする。
中学生の時に父が自殺してしまい、貧しい生活を余儀なくされたという。
国交相時代、副大臣の辻元清美さんを味方につけたのは、やはり貧しい少女時代を送った辻元さんと「貧乏話」を共有したからかもしれない。
貧しいけれど学校の成績が優秀だったという場合、その後の生き方として、二つに分かれていく。
その能力を自分と同じ境遇の人達のために使う道を行く人と、みじめな境遇からどんな手を使ってでも這い上がってやろうと思うタイプと。
しかし後者の場合、どこかで道を踏み外し、転落していくことが多いのも「この世の道理」ではある。

メア日本部長の「沖縄県人はゆすりとたかりの名人」発言はそっくりそのままアメリカ人に返したい。
思いやり予算で沖縄をはじめとする日本の基地に居座る米軍を日本人はみな「ゆすりとたかりのごろつき」だと思っている。
アメリカにとって沖縄は第二次世界大戦勝利の「分捕り品」のなのだ。
ロシアにとっての「北方4島」も同じだ。

政治が混迷している日本に追い討ちをかけるような観測始って以来の大津波を伴う「大地震」。
政府や電力会社関係者がいう「原発の安全性」など、自然の脅威の前には殆ど意味がないことが明らかになった。
原発は核燃料廃棄物の処理の未解決だけでなく、大地震の際には制御不能に陥る危険なものだ。
「原発は安全、原発はCO2を出さないから地球温暖化に有効」などという馬鹿な言い訳を拒否しよう。
廃港にした地方赤字空港を使って太陽光発電をというアイデアもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペーパー・替え玉からケータイへ。

2011年03月06日 | Weblog

今週の話題はもっぱら「ケータイカンニング」。
このニュースを知った時、私がまず思ったことは「ケータイ持ち込めるんだ。それじゃいくらでもカンニングできる」。
大方の大学の対応は、ケータイは電源を切ってカバンに入れて、前後の机に置くか、足元に置くというもの。
隠し持っていても身体チェックをするわけじゃないから、わからない。
ケータイというものはあればたしかに便利。不都合な事態が起きた時、すぐ連絡すれば解決したり、相手が安心できたりする。
ニュージーランドの地震では語学専門学校の引率教師からいちはやくメールが送られきた。
しかし無くても日常生活に特別支障があるわけではない。だけど今は受験生のほぼ全員がケータイを持つ時代。これをやめろというわけにもいかない。
テレビのワイドショーでは、コメンテーターの大学の先生は「入学試験の監督なんていい加減なもんですよ」と言っていた。
そういうスキを突かれたらしい。
この受験生は、はじめから自力で問題を解くことは捨てている。いくら文字打ちに慣れているとはいえ、人の目を盗んでの行動だからやはりカンニングに集中する必要がある。
私が驚いたのは、知恵袋というサイトに投稿すると、試験時間内に解答がちゃんと返ってきていたこと。
誰が回答してくれるんだろう。予備校や塾の教師か。それとも来年の受験生が腕試し?
それにしてもこういう事件が起きるのは日本の大学受験の「一発主義」が遠因ではと思う。
理科系のコースだと、入ってしまってから「自分はどうやら間違った方向に迷い込んだらしい」と気づいて、他の学部・学科を受験し直したり、あるいは転科の可能性を探ったりする学生もいるようだけど。そうしないととてもじゃないけどついていけないし、やっていられない。
文科系だと、一旦それなりに名の通った大学に入ってしまえば、何とかやり過ごして、就活につなげることもできる。
この事件を受けて掲載された信濃毎日新聞の社説は当を得ていると思ったので、その要旨を書いてみる。米国の例を挙げて、
米国では個々の大学が入試を課す例は稀である。
一年に数回受験機会がある共通試験の成績で入学できる大学が決まる。高校の成績も重視される。
最初は希望の大学に入れなくても、別の短大や大学から編入するのが日本よりずっと容易だ。
入学要件がゆるいコミニュティーカレッジから大学に編入する学生も少なくない。
日本でもこの機会に受験制度や大学教育の仕組みについて抜本的な見直しをすすめてほしい。以上のような内容だ。
これに加えて、北欧などで取られている教育の無償化を進めれば、学びたい者がその意欲と能力に応じて進学できる。
ひいてはそれが社会に力強い次世代を送り出すことになる。
また社説は今回京都大学が取った、警察に被害届けを出し、警察にこの問題の解決をゆだねた態度を批判している。
まず大学独自に調査をし、その上で関係機関(サイト運営会社や携帯電話会社等)の協力を得て、受験資格停止の処置でよかったのではないかと言う。
逮捕は行きすぎ。たかがカンニング。ペーパーや替え玉がネットに変わっただけのことで、微罪である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする