木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

本物の民主主義を沖縄から学ぶ

2014年11月24日 | Weblog

長野県北部で強い地震。
私の住んでいるところでも強い揺れを感じた。頭からケットをかぶって庭に出た。玄関の戸をしばらく開けておいた。
揺れが納まったので事なきを得たが。まったく不意打ちだった。こうして地震は突然襲ってくる。
長いスパンでは「地震予知」も可能だろうが、今日明日の予知はできない。第一そんなに正確にわかったら不安でノイローゼになってしまう。
ただただ人間は自然に対して謙虚であるべきだとそればかり思う。「原発再稼働」などとんでもない。
長野県は御嶽山の噴火に続き、今度の地震でも白馬村で建物倒壊の被害が出て、王滝村も白馬村も冬のスキー観光で生きている面が多いだけに、これからが大変とそんなことを考えた。

総選挙の争点。
被害に遭われた人たちにとっては「選挙どころではない」だろうが、とにかくこの選挙で、安倍にノーを突きつけないと、一般国民はとんでもない泥船に乗せられ出航せざるを得ない状況になってしまうのだから。
「アベ応援団」のマスコミはすぐ「消費増税に野党も反対しているのだから争点はぼやけている」と、国民の選挙への期待をしぼませることに躍起になっているが、いつ、どんな選挙でも「争点がない」などということはない。
消費税増税は先送りではなく、凍結だし、財政や社会保障の問題も「消費税」で片がつくわけではない。税の応能負担と公正な分配を政府に要求しなくてはならない。
政治家自らが身を切る改革についても「定数削減」ばかりを言うが、まず手をつけるべきは「政党助成金の廃止」だろう。
政党は自らが拠って立つ信念の元、人々に支持を訴え、そのための資金をお願いするのが筋。
税金で各政党の運営を賄おうなど邪道もいいところ。しかし一度手にしたあぶく銭はよほど旨みがあるらしく、それを主張するのは「共産党」のみ。後の政党は知らん顔だ。
企業や団体など、それぞれの利益組織からの献金に頼ると、政治運営が不公正になる、それなら国民の財産である税金からというのが建前だが、政党助成金の配分を受けるようになってから、資金の調達や使い道に不正がないかというとそんなことは全く関係がないことが、小渕氏の例をみてもよくわかる。
安倍総理自身も父親からの財産を迂回運用して、巨額の相続税を免れたという疑惑を持たれている。
その不正自体は時効を迎えていて、今さら取り調べの対象にはならないようだが、道義的には責めを負うべきもので、それをごまかす意味での「解散」でもあるという。
全く700億円も使って、「わがまま解散」するとは。私たちはどこまでこんな男の暴走に付き合わねばならないのか。
しかし選挙になった以上、この男に勝たねばならない。「反安倍統一戦線」で選挙に臨むしかない。
県知事選で見事な、ある意味、苦しみの歴史から「反安倍統一戦線」で勝利した沖縄では総選挙でも政党乱立をせず、自公に対抗できる候補の擁立で一致したのは「苦しみの歴史」からしか「本物の民主主義」は生まれないことを示している。
その点、本土の私たちは与えられた民主主義にとどまっているということだろう。だから安倍の暴走を傍観し、許してしまっている。

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大義のない「乱心解散」

2014年11月19日 | Weblog

沖縄の意志の象徴、翁長新知事
嘘つきの仲井真陣営にだまされることなく、沖縄県民は「米軍基地ノー」の意思を示した。
もうこれ以上沖縄を犠牲にし、愚弄するのはやめてくれという沖縄の人々の気持ちを本土の一人一人が受け止めなくてはならない。
普天間飛行場の辺野古移設反対、県内でのたらい回しはやめてくれ、少なくとも県外、と沖縄の人々は言うが、そもそも日本に米軍基地はいらない。
この21世紀には「殺人を目的」とする軍隊という組織を無くすことを目指さなくてはならない。災害時に緊急活動をする、あるいは人口減少で荒れる国土を守る、そうした組織は必要だとは思うが。
「戦争を放棄した国・日本」の国民が望む「自衛隊」も実戦をする軍隊ではない。
翁長氏はこれからは県民と共に日本政府はもとより、アメリカ政府にも「普天間閉鎖、辺野古移設断念」を訴えていくという決意を述べている。アメリカのある種の権力に隷従することで、権力の座を得ている政府を相手にしていては何も解決しないというのが沖縄県民が得た結論だ。
翁長氏は前回の県知事選では仲井真氏の選挙責任者として活動した沖縄自民党の幹部だった人だ。その人が辺野古移設断念を訴えて知事選に立候補した意義は計り知れない。「保守」対「革新」の争いではなく、「沖縄県民」対「日本政府」のこれは戦いだった。
「民主主義の勝利」とはこういものだと思う。

「大義」のない解散。
私は経済の知識は特にないが、直感で、「アベノミクス」とやらのいかがわしさは最初から感じていた。
だいたい、戦争(あくまでその貧しい頭脳と想像力で考える程度の)やりたい、戦前回帰の狂った男が推進する経済政策など、一般国民のためになることなど何一つありはしないという直感だ。絵にかいたように見事に今日失敗が隠しようもなくなった果ての「乱行解散」。
この男がするべきことは「解散乱用」ではなく、「すみやかなる退陣」であるべきなのだ。
NHK午後七時のニュースはこの男の「意味不明な解散理由」の記者会見を長々と中継した。
聞けば聞くほど支離滅裂なので、それがよくわかるという点ではこの放映は意味があったかもしれない。
「消費税の10パーセント上げを先送りするという点において国民に信を問う」というのだが、そんなもの税金の無駄遣いまでして問うてくれなくてもいい。国会で議論を尽くせばいい。そのための代議士諸氏ではないのか。
消費税が8パーセントに上がってからそのずっしり感は日々感じる。その上、円安で輸入価格が上がり、それはじわじわと日常品の価格に跳ね返っていて、なのに賃金は上がらない、年金は減らされるで、この上3パーセントも上げられたら、首を絞められて、貧乏人は死ねと言い渡されるようなものだ。
国の財政赤字を何とかしなくてはいけないという議論の際、テレビなどの御用コメンテーター達はその財源について「消費税」しか話題にしない。おかしいだろう。もっと総合的な税収の方法を語るべきで、この20年の間にどんどん下げられている所得税の累進課税や株取引のようなそれ自体何の生産ももたらさない「マネーゲーム」に税金を重くかけるといった議論をする必要がある。
消費税を語る時にヨーロッパの消費税の税率が20パーセント以上だという数字を持ち出して、だから日本も消費税だというふうに話をもっていくが、ヨーロッパの消費税は食料品や日用品などの税率は低く抑えられているし、それ以前に所得税が高い。
それでも教育費や医療費などが政府の施策によって無料ないしは低く抑えられているので、人々が納得している部分が多い。それに引き換え日本は税の使い道に納得できるような仕組みにはなっていない。
官僚組織はやりたい放題の無駄遣い三昧だ。巨額な財政赤字の第一義的責任は国の財政を扱っている財務省にあるのに、それを国民に転嫁している。
彼らの暴走を許していれば「消費税100パーセント」でも財政赤字はなくならない。どこへいってしまうのか?政府を乗っ取っているグローバル企業とその腰ぎんちゃくで御用を足している政治家、官僚、マスコミ、似非学者、評論家のところへいくばかりだ。

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反中・反韓政策で失う平和と経済の果実

2014年11月11日 | Weblog

山本直哉氏の満洲引き揚げの記録「松花江をこえて」について、前回のブログで書いたが、山本氏の父上のように、にわかには「日本の敗戦」を認めたくない気持ちというのは、情報が正しく迅速に伝えられていない場合、必ず起こるもので、その一つが「ブラジル日本移民勝ち組」という歴史事実だ。
山本氏の父上の場合はその後すぐに起こってくるソ連軍の侵入や、現地満洲人達の反応から、いやでも現実を受け入れるほかなかったであろうが、「ブラジル移民達」の場合は戦場からはるか離れて、奥地に入植した場合はラジオや新聞などの情報に触れることがなく、「妄想」が膨らみ、終戦の伝達書を偽りだとして、それを伝達した元大佐を青年達が暗殺している。
一方、日本の敗戦を受け入れた「負け組」はラジオで情報を得ていて、日本の敗戦を知っていたし、ブラジルの教育を受けていた人々もその事実を受け入れた。
同じく日本からの移民でありながら、「勝ち組」と「負け組」との間には情報の有無だけでなく、心理的違いがあった。
「勝ち組」の人達にとってブラジル移民の選択はあくまで出稼ぎ感覚。それゆえかどちらかというと貧しい人が多く、これに対して「負け組」はブラジルへの永住を覚悟し、腰を据えて仕事にとりくみ成功した人達が中心を占めていた。
元々は日本で食べていけないという事情から日本からはるか離れたブラジルに活路を見出した人達という意味では勝ち組も負け組も一緒だったはずだ。
祖国日本を離れ、いわば日本から捨てられた人々が最も愛国的になるという「倒錯した心理」に陥っていく。
その愛国者達の精神のよりどころが「天皇崇拝」である。
100年余り前、貧しさから脱出するために移民した人たちの悲願は成功して日本へ帰ることだった。そんな日本人たちの心を支えた天皇と皇室。
勝ち組による負け組への襲撃・暗殺事件により15人が犠牲に。ブラジル警察は実行犯以外にも2000人もの日系人を逮捕・拘束した。
翻って今の日本はかつての経済の成功者からどんどん貧しくなっていて、人々のフラストレーションは隣国の韓国・朝鮮、中国に憎悪を膨らますことで解消することに向かっている。
もし日本が反中・反韓政策をとらず、経済的協力関係を築くことに向かっていたなら、この20年ほどの間にアジアはもっと中間層が厚い階層となり、平和の輪を作ることになっていただろうに。

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国家権力は負の情報は国民に知らせない

2014年11月04日 | Weblog

満洲引き揚げの記録、山本直哉氏の「松花江を越えて」
「長野市民新聞」という地域新聞の連載だが、満洲で生活していた普通の人々の、敗戦とそれに伴う身の処し方が詳細に、リアルに描かれているので、読みごたえがある。
山本氏は当時9歳の少年だったが、その子供の目から見た視点が読む者をひきつける。
氏はこれまで、中国の大学で日本語を教える教師として滞在した見聞を小説風にまとめた作品や、子供時代に暮らした満洲の町々を再訪した際のルポを市民新聞に発表してきたが、いよいよその集大成としての敗戦と引き揚げの記録を「戦争を知らない世代」に語り継ぐという意味をこめての執筆だ。
満洲を守備しているはずの関東軍はすでに南に去り、情報のない現地日本人ばかりが取り残された。
しかし少年の敏感な感性は、まだ具体的に何かが起こったわけでもないうちから、夏休みをすごしながらも心から楽しめない何かを感じ取っていた。
ソ連軍が国境を越えて進撃してきているという情報が流れてきてからの家族、特に父母の対照的な言動が印象的だ。
母親はいちはやく荷物をまとめる準備に取り掛かっているのに、父親の方は現実を受け入れがたいのか、「今そこにある危機」から目をそらし、関東軍の反撃を期待している。
山本家は開拓団ではなく、父親は営林局?の仕事に就いていて、現地の中国人の上で特権的な生活を営んでいた。
その生活を失うのは耐えがたい、信じられない、これがまず大多数の満洲に移住した日本人の心情だっただろう。しかも正確な情報はこの人達には伝えられていない。
関東軍やその家族、軍の周辺には情報は伝えられていて、彼らはいちはやく南下し、ソ連軍の襲撃を免れ、帰国している。
置き去りにされた人々。軍が守ってくれると人々は信じていたが、軍は自国民でも民衆は守らない。侵略し、戦争するためにあるのが軍隊だから。
これから山本家の過酷な引き揚げ体験が語られていくことになるのだろうが、正確な情報が伝えられない状況で人々がいかに悲惨な目にあうかをこの記録は読む者に与えてくれるものになるだろう。
福島の原発事故でも人々は政府の情報がないまま、放射能が拡散していく北西方面に避難していったのだ。
拡散情報を伝える機器はあったのに、「混乱を避けるため」という理由でそれは市町村首長レベルにも知らされず、ただし中央官庁関係者には伝えられていて、彼らは関東軍同様、北西とは逆の方向に避難していた。

飯館村の除染の困難さをルポしたNHKETV特集。
鹿児島川内原発が再稼働に向けて地元同意という手続きを踏んで着々とすすめられているが、いったん事故になれば立地自治体だけではすまされない被害が生じること、福島の事故で目の当たりにしたというのに・・・。
飯館村はその典型的な例で、原発関連の経済的恩恵は何も受けていないのに、全村避難を強いられ、村に戻って生活し、農業を継続するための除染の困難さにぶつかっている。
原発に寄りかかってきた地元自治体が生活のために「再稼働を」という姿はあまりに理不尽。
小泉元総理も言うように「国が脱原発に舵を切って、その方向での政策を勧めれば、地元の経済問題の解決を見えてくる」はずなのに。

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