木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

日米安保条約の破棄をアメリカが言い出した何よりです

2019年06月27日 | Weblog

姓・名の表記に関して
自分は名・姓がいいという若い読者の投稿が「週刊金曜日」にあった。
大きな枠組みからだんだん小さくなって個人になるという発想だというのである。
まず自分があって大きな枠組みを後景に置くというのが欧米などの考え方ではないかと。
私はただ日本の習慣に従ったまででそこまで「個」という考え方をしていたわけではないのでそういう考え方もあるのかと思った。
小澤征爾さんがそういう希望ならそれでいいと思うので変えるべきというのは訂正します。

トランプ、「日米安保条約破棄」に言及。
それは日本の国民も望むところなので、安倍晋三も話し合ったらどうなんですか。
いまの日米安保条約だとアメリカの「パシリ」としての機能が日本に求められているだけで、それだと中国もロシアも朝鮮も本気で日本と外交交渉する気になれないでしょう。
トランプは事実誤認をしていますがその誤認のまま発言するので「パンドラの函」を開けることにはなっている。
アメリカの意向を楯に軍事大国化を進める日本の自衛隊・防衛族・右翼の野望を止めるいい機会です。
日本は憲法9条で自国の政府による戦争はこれを永久に
放棄すると宣言しているのですから外交力を高めることを真剣に考えていけばいいのです。

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欧米文化への無批判な賛美はやめましょう

2019年06月23日 | Weblog

女性の年齢も表記して
と思います。新聞では事件の当事者などの場合は年令が記してありますが、そうでない場合の話題ではまちまちです。どういう基準なのでしょうか。
「女性に年を聞くのは失礼だ」などと以前はバカなことを言っていましたが年は平等に取っていくもの。「若く見られたい」という気持ちはわかりますが、これだけ女性の権利を主張する世の中で「若い女性がいい」という男性というかおやじの論理に女性までが従う必要はないのでは・・・。

ローマ字表記「姓・名」の順にと、文科相、政府機関や都道府県に要請へ
これも当然だと思います。
長野県の松本市ではサイトウ記念フェスティバルという音楽祭が毎年開かれています。指揮者の小澤征爾さんが恩師の名前を冠して始めたものですが、それを小澤征爾さんの名前を冠したものに変える時「セイジ・オザワ音楽祭」に変えたことに私は違和感を覚えました。小澤さんはヨーロッパで活動し、「セイジ・オザワ」と呼ばれていたのかもしれませんが、彼の名前はオザワセイジです。日本でやる音楽祭なのだからオザワセイジ音楽祭がいいのではないでしょうか。今からでも変えるべきです。観客は日本人が殆どだと思うので誰も「セイジ・オザワ」だなんて言ってないでしょう。

明治以降西欧文明・文化が入って以来無批判にかの国々の習慣や文化を取り入れその考えがいまだに尾を引いているようですがここらでそれはやめましょう。
今学校でも「英語」、「英語」と大騒ぎしていますが、まず国語でしょう。日本語をしっかり身に付けないと「英語」もあいさつ程度で終わってしまいます。
英語も書いて読めなければ発展がありません。
明治時代のエリート達も日本が長年なじんできた漢文の土台があったればこその英語力だったと思うのですが。

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政府の仕事は国民の生活を保証する事

2019年06月19日 | Weblog

老後に2000万円必要
と突然政府が言い出して「そんな貯金ない」という人が大半。
年金だけで老後が安泰と思う人はあんまりいないでしょう。
私も年金生活ですが、田舎の持ち家に住んでいるので今のところは何とか・・・。
多分病気になって入院したり介護が必要になってくると資金が足りないということになるのだと思う。
北欧の税金は高いが医療や教育が保障されている国々では高齢者の年金はお小遣い程度。でも医療や介護が必要になるとその面倒は国がみる仕組みになっているので「年金、年金」とあまり騒がないらしい?
私は2年前大病で手術・入院生活を送りましたが、民間の保険にも入っていたので医療費に苦労したということはありませんでした。それと国民皆保険は本当にありがたい制度です。これは何としてでも守って行かなくてはならない制度ですね。
2,3日前に小旅行をしました。殆どが70才越えという高齢者の団体です。みなさん、お土産屋でいっぱい買いますね。それぐらいのお金はあるようです。
団塊の世代以上の人は高度経済成長の時代に現役だったので、恵まれていると思います。全員じゃありませんが。
医療・介護・教育・住宅、こうした人間が生きていくうえで必要なものを自前で賄えない人には公的な支援をする、そのための税金であってほしいです。それを考えるのが政治の仕事。
アメリカをはじめとする自由主義体制と言われる国々は中国の政府による規制がある体制を批判しますが、企業・資本が勝手気ままにする自由は真の自由でもなければ民主主義でも何でもない。


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悪魔の税金消費税

2019年06月14日 | Weblog

日本の消費税は「輸出大企業」の還付金にしかならない
いい加減その仕組みに気づいてもいいのではないか。
税理士の湖東京至氏は社会格差を広げる「悪魔の税金」と言っています。
税滞納の6割が消費税だと言います。納めたくても納められない中小零細企業が或る一方で、輸出大企業は消費税の還付金を受け取っている。トヨタ、日産をはじめとする輸出大企業などの還付金は一兆円を超え、輸出企業全体では5兆円強。
だから節税したければ輸出することだが、国内の自営業などは国内消費者が相手。還付金はもらえない。
もう一つは人件費。消費税は人件費にかかる税金だから外注や派遣に切り替えることで人件費を圧縮し納税額を減らそうとする。正規と非正規の格差問題の要因は消費税にある。
輸出大企業のために発生する「赤字税務署」。これも普通の人はあまり知らない。
「赤字税務署」のトップは愛知県の豊田税務署で、赤字額は3000億円。次いで神奈川税務署の869億円、広島県の海田税務署の589億円と続く。言わずと知れたトヨタ、日産、マツダの本社がある。税務署員はこういう実態をどう思っているのでしょうか。公務員で自分の給料は保障されているかいいのでしょうが、仕事としてむなしいですよね。無い者から無理矢理取り大金持ちに貢がねばならない。
広く薄く国民から搾り取り格差を広げ、法人税は下げ、輸出大企業には金をわたす。それによって企業から献金と票をもらう。米国から文句が出ると代わりに武器を買う。それが消費税をめぐる政治の実態だ。最初に消費税=付加価値税を導入した欧州諸国も見直しの動きが出ている。
ちなみに日本から搾り取ることばかり考えるアメリカですが消費税はありません。
(週刊金曜日・2019・6・7号より)

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現代の資本主義絶対視の社会を見直す時

2019年06月09日 | Weblog

企業・管理社会に収れんされている現代社会
私の家は戦前のある時期までは地主階層だった。大勢いた男兄弟の中で自立して職業を持っていたのは長男」の私の祖父だけだった。
他の弟たちはそれでもいつまでも無職でいるわけにもいかず親戚のつてで保険会社などに就職してもなじめず辞めてしまったりしていた。
しかし婿養子の話があり、それからはサラリーマンとして過ごした大叔父もいたが、一生正業に就かないまま終わった者もいた。
私の父も自立は遅かった。それでも家が没落してからは当時の海軍の工場に就職し結婚し家庭を持ち、こんにち私達がいるのである。
しかし父の兄はとうとう自立することなく亡くなった。
戦前にはちょっと余裕のある家では自立し損ねた子供は珍しくなかったのだ。
漱石の小説に出て来る人物にはそういう男達も多いし、太宰治も小説を書く才能がなければそういう人間で終わっていたかもしれないのだ。もちろん本人もそれでいいとは思っていない。だから苦しむのだが、それは他の人間にはあまりよくわからない「ぜいたくな悩み」に映るのだ。
敗戦後は時代がさがるにつれていっそうの企業社会になった。組織と管理に順応した者だけが一人前の人間として認められ、それからはみ出した者は「ひきこもり」だの「不良」だのということになる。
息子を刺殺してしまった農水次官はそうした社会で成功し成功したがゆえに息子の状態を受け入れることができなかったのでは?
あらゆる人の状況を許容する社会でありたいものだ。もちろん精神に病があれば適切な治療を施すことは必要だが。
資本主義・管理社会がこの世の全てではない。

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事件はすぐ隣にある

2019年06月05日 | Weblog

登戸無差別殺人の遠因は祖父母の世代から始まっている。
加害者の実父母の情報はマスコミには出てこないが、おそらく彼の父親も家族から疎外された存在ではなかったか。
人は無自覚に親になる。伯父夫妻が80代ということは兄弟が大勢いるなかで、実父は両親に愛されない子供だったのでは?
5,6人も子供がいると親と相性の良くない子もいる。理性ではわかっていても平等に愛することは普通の人間にはむつかしい。
最初に女の子が生まれ、年子でまた女の子が生まれたりすると下の子は割を食う場合がある。そうすると彼・彼女は自己主張強く親の気を引こうとする。当然だ。
顔が可愛かったり、頭が良かったりすると両親の愛がそちらに注がれる。継子いじめは童話の定番ではないか。
この世に生まれるということは何という理不尽なことであるか。
近所の床屋さんが愛されない邪魔者の加害者の様子を目撃している。
家全体が貧しいなら我慢もできるが、従妹たちはカリタス小学校に通っているのに加害者は公立校。祖父母もそれを気にする風でもなかったようだ。
このような不遇の子供時代を送った例は珍しくない。だから許されない事件ではあるが、時代の過酷さが彼に追い打ちをかけた。そのことを私達は考えるべきだ。
私自身は年の離れた末っ子に生まれ、おとなしい手のかからない子だったこともあり先回りしていろいろ用意してもらった。恵まれた境遇だった。だがそのことを自覚したのはごく最近、晩年になってからだ。それだからというわけではないが、母の最晩年の世話は私がした。介護というほどの大げさなものではないが。

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安倍夫妻は籠池夫妻と同罪、いやそれ以上

2019年06月01日 | Weblog

6月になり我が家の周辺ではカッコウの鳴き声がしきりである。托卵の季節?が始まった。だが令和の始まりは恐ろしい事件と馬鹿馬鹿しい政治が同居し「暗澹たる時代」の始まりを予感させた。
人は誰にも自分が愛されない、必要とされない存在であることを否応なく自覚させられた時その人間存在を呪うことになる。
両親からも親族からも社会からも手を差し伸べられる体験を持たなかったような犯人の人生が想像される。よく51才まで生き永らえたと私には思える。
これ以上ない不幸な人生。彼だけではないだろう。彼はここまでの事件を引き起こして人々に我が身の不幸を突きつけたが、ここまで自己主張することなく死んでいった者はこの世に数限りなくいたはずだ。
恵まれた者と恵まれない者がこれほどはっきりと区別される世の中。明らかに今それは「政治の責任」として私たちは自覚しなくてはいけない。
籠池夫妻の罪と同じくらい安倍夫妻の罪は重いのにその自覚なく大相撲の桟敷席や宮中晩餐会に出席している。安倍昭惠の反知性の象徴のような顔は見たくない。
公の場からの一日も早い退場を願う。安倍夫妻の行く場所は籠池夫妻と選手交代の東京拘置所だ。容疑は公金と公権力の私物化だ。

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