甲子園金足農高の活躍
昔はよく甲子園のテレビ中継見ていました。近頃は全く興味を失って・・・。
金足農高が勝ち上がって来てにわかに興味が湧いてきましたが、試合は見ませんでした。もうそういう気力がない。
農業高校というのがいいですね。私達を最後に救ってくれるのは農業=食料です。私は特に菜園などはしていませんが、庭の草取りや枝の始末などはします。無心な気持ちになれます。
中央官庁などで不祥事を起こした官僚などは農業をするといい。「自分は何をして来たのだろう」と反省の気持ちを持てると思います。
石破氏語る
自民党総裁選に出ることを決意した石破氏が「羽鳥モーニングショー」で大いに語った。
多くの視聴者にとって投票権はないが、総裁に立候補しようとする政治家がどういう人でどういう考えを持っているかを知ることは無駄なことではない。
私は自民党支持ではないし石破氏も評価しない。しかし少なくとも彼は持論を一生懸命語った。その点では以前より石破氏を信用する気にはなった。
「誠実に丁寧に」と言いながら重大な政策について何一つきちんと語らない安倍晋三よりは人間としてましだ。
多くの視聴者がそう感じたのではないかと察する。安倍晋三は総裁に三選され、首相の座についても多くの国民は彼を信用しないだろう。モリカケはこのままでは死んでもついてまわる。
最も弱い存在が強いものを支持して犠牲になる。
暑さは当地ではようやく峠を越した。
この一週間テレビマスコミは「日本アマチュアボクシング協会」のでたらめさをメインテーマにした。日本の政治のトップがでたらめをやっているのだから以下あらゆる組織がでたらめに走るのは自明である。
この時期日本は70年以上前の侵略と敗戦を考える季節だが、当時のでたらめさがそのまま今日再現されている。
当時国民学校に通う生徒、児童達は当局が煽る軍事体制を最も信じ、それに従った層である。其れでいていよいよ戦局が行き詰ると最も手ひどい犠牲を強いられる存在とされるのである。
集団疎開、長野県はそれを受け入れる側であった。お寺、旅館等が受け入れ先となる。東京からやって来た集団は始めは善光寺界隈のお寺に分宿したが、そこも空襲を受ける危険性があるというので、更に山奥芋井のお寺に疎開することになった。
東京は足立区という下町の子供達だったが、それでも都会の子、生活のための労働には慣れていない。食事は野草を混ぜた雑炊、のみやしらみに悩まされなにより親と離れた生活、心細さに夜寝る時には合唱のように皆泣いた。
松参寺というお寺に分宿した児童と教師は戦後境内に記念碑を建てた。辛い記憶ととそれでも村人への感謝の思いを歴史に刻むためであった。
戦争史跡は残してこそ意味がある。「あったことをなかったことにしないため」に残さなければならないのである。
安倍極右政権下では「安倍チルドレン」と称される議員達が「トンデモ発言」をする。彼、彼女らの役目は「咬ませ犬」である。そういう発言を彼らにさせて政権の中心位置はそうではありませんよと装うとするが実は本音なのだ。
杉田水脈なる議員は子供を作らない同性愛者は「生産性がない」という趣旨の発言をネット上で上げて批判を浴びたが、安倍首相夫妻はいいんですか?
オウム死刑執行
来年は天皇の代替わりだからその前にと、天皇制が野蛮な安倍政権の口実に使われた。この一例を見ても「天皇制」が悪しき権力者の政治に利用されるものであることを改めて思い知らされる。アジア侵略戦争で犠牲になった人々の慰霊の旅も「天皇夫妻がわざわざ足を運んでくれたのだから」と侵略の罪の相殺に利用されてしまう。
オウムの犯した犯罪は重大で許しがたいものだが、オウムをここまで野放しにしてしまったのは警察=公安の失態である。
公安警察の主敵は常に共産党や反体制的運動や活動である。
松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起こる以前に起きた坂本弁護士一家殺人事件でもオウム関係者の関与が疑われていたのに、公安の目はそちらに向かわず、むしろ坂本弁護士が共産党系の弁護士活動家であることの方に注意を向けていたのである。
坂本弁護士一家殺人事件をきちんと追求していればその後の重大事件は防げた可能性があった。
閉じられた空間・組織が人を狂気状態に追い込む
オウム事件の前に「連合赤軍のリンチ殺人事件」というのが世を震撼させた。あの事件の時も最初は世の中を変えようという意志で活動を始めた学生たちが次第に孤立する中で山岳アジトで暮らすうちに互いへの疑心暗鬼から「総括」という名のリンチ殺人に追い込まれていった。
軍隊も学校も役所も会社も風通しが悪い集団になるととんでもないことが起きる。
人は常に外に向かって自分を開いていなくてはいけない。
自分の所属する組織を「うちの」などと表現することから改めなくてならない。
西日本で豪雨災害が始まっていたのに宴会を開き、その翌日には罪を犯したとはいえ何人もの命を絶つ死刑執行の署名をする。それは安倍政権の法務大臣の仕事ではあるが、もうそうした時点で上川氏は一線を踏み外している。議員辞職し退場することが彼女の取る人間としての唯一の道のはずだが。