木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

このままでは総安倍化が日本を滅ぼす

2018年05月24日 | Weblog

日本総安倍化
日大アメフト部の監督やコーチ、大学側の信じられない対応が連日マスコミを賑わせているが、この監督らの態度、安倍晋三のモリ・カケ等の疑惑に対する対応とそっくりそのまま。
誰の眼にも責任はトップにあるのに、屁理屈をこねて自らの責任を認めようとしない。
日本の政治のトップがその態度なものだから、みなそれに右にならえになっている。
安倍晋三を権力の座から追放しなければこのような事件は何処までも続く。
安倍政権も日大もその周辺で美味しい思いをしている者がいるから中々追放・辞任に至らないでいるが、世論、市民が立ち上がるしかないのだが、まだ3割もの国民が安倍政権を支持している。
日大というと、50年前の大学闘争の頃を思い出す。当時大学のマンモス・マスプロ化が問題になっていた。日大はその最も典型的な大学だった。
ろくな設備や授業もしないのに「学費値上げ」を強行しようとする大学側。
大学卒という資格だけが欲しい学生が大半の日大だったが、さすがに怒った。
学園闘争の炎は東大というエリート養成大学と、日大という大衆大学で最も先鋭化の形を取った。
その時は確か大学側は「値上げ撤回」を表明したと思ったが、大学の構造が変わったわけではなかった。
マンモス私大として生き残った日大だが、「少子高齢化」の大学選別時代にこのままでは生き残ってはいけまい。

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学校以外の交流と学びの場が必要

2018年05月16日 | Weblog

洗脳は学校教育から
政治を完全に私物化している安倍政権を追放できないのは若い人が安倍政権支持だからという。団塊世代の私には腰を抜かしてしまうような話だが、90年代ごろからアナクロな右派の巻き返しが始まって、それに左派が適切に対応できなかったことが今日の惨状を招いたという。
ソ連が解体、東ヨーロッパ諸国がそれに習って建前上の社会主義を捨てたことが大きいだろう。
日本の場合、弱肉強食の新自由主義と戦前回帰の右翼指向が結びついてこの20年、政治、マスコミをおおってきた。
戦前の国民総軍国主義化は学校教育から始まり、少年少女達は一気にそれに染まっていった。同じことが目先を少し変えて学校教育で進んだ結果、「安倍政権支持」の核を若者が担うようになったのだ。
文部省は先生たちを管理の奴隷になるよう導いた。書類づくりと報告に追われて考える時間と生徒に向き合う時間を奪った。
考え、討論する時間を奪われると上から下りて来たマニュアルに従うしか能が無くなり、事実を矮小化した歴史教科書はアジアと向き合う目を若者から奪っている。

「明治150年」を称揚する気はないが、それまで身分制に阻まれていた「一堂に会し、広く論議する」というスタイルが広がり、こんにちから見ると驚くほど若い年令で社会を動かしたのだという歴
史事実は明治の明の姿だと言えるのではないだろうか。
自由民権運動発祥の地といってもいい土佐高知では「夜学会」盛んに開かれ、そこから自由民権運動の基盤が作られていったという。
今その「夜学会」にならい、現代の「夜学会」が元通信社の記者を中心に、憲法とは、国家とは、といった内容を市民が根本から問い直し自分の考えを主張する会が2015年一月から始まったという。金曜日の夜に開き、10数人の小さい集まりながら、中心商店街の空き店舗を会場に誰でも立ち寄れる会にしているという。
スマホなどない時代、人は何か人だかりがしているとそこへ集まっていったものだ。何を話しているのか、どんな主張をしているのか、そういう気軽さを失わせる世の姿がネットの誘導に従ってしまう風潮を助長しているように思う。

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マスコミ(テレビにだまされるな)

2018年05月07日 | Weblog

マスコミ・報道の罪
以前にもこのブログで書いたが、私の子供時代1950年代、朝鮮半島は南北の戦争後の最も苦しい時代で、子供の私でも「南朝鮮は貧しい国」という認識だった。しかしその貧しい南朝鮮が李承晩大統領の指揮の元、日本海に「李承晩ライン」なる線引きをし、それを超えた日本の漁船が朝鮮側に拿捕されるというニュースがラジオでよく伝えられていた。半島と日本との歴史を何も知らない小学生の私は当時の南朝鮮に反感を抱いたものだ。ちょうど今の日本人の大半が「拉致問題で朝鮮を無条件に非難する」のと同レベルだった。当時私は小学生高学年だったが、今の日本人の歴史に対する知識や認識は小学生レベルと言えよう。
ふだん生活に追われ、歴史を深く考える余裕のない一般大衆にとって、テレビニュースは最も手っ取り早い情報源である。
しかしテレビの報道の在り方を握っているのは時の権力だ。時の権力は時にウソを言い、知らせるべきを知らせない存在であることを日々見ながら他の見方を知らない人々はまことしやかなテレビに登場する解説者の言うことをつい信じてしまう。
「スーツを着た銀行マンを泥棒や詐欺師だと思わない」のと一緒。
大学教授や官僚の言うことをまさかそんなでたらめを言うはずがないと。「人は見た目だけで判断してはいけない」とはよく言われることだが。どんなにいいスーツを着ていても信ずる気になれない唯一の公人は麻生財務大臣だけか。
NHKは特に罪が深い。受信料を取っているのだから、国民のためになる報道をするのが義務のはずだが、紳士・淑女的装いをし、政治的中立演出し、人々を騙す。
決定的スクープはNHKからは出てこない。「予算の承認を国会に握られているから時の与党勢力に逆らえない」と言われるが、金を出しているのは政府ではなく視聴者だ。NHKが真実の報道をすれば視聴者はこれを応援する。「知りたいのは真実だ」。
でたらめが極まって来た安倍政権を退場させられないのは野党がだらしないからだとか、民主党政権の時のトラウマだとか、だから仕方なく安倍政権が支持されているのだとかマスコミは言う。このいい方にもウソがある。民主党のどこがだめで、自民党がどこがよいのか分析する言葉を聞いたことはない。
駄目だったのは民主党に巣くう「松下政経塾一派」だった。かれらはもともと与党である自民党の国会議員になりたかったのだが。席がないため民主党の旗のもとに寄って来ただけ。
いろんな事情を持っているのは
自民党も同じだろうただそんな2大政党制を無理矢理作ろうとした「政治改革」なるものが間違っていたということだ。
新しい政治勢力作るのは国民自身だ。


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