木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

「軍隊の狂気」、「ピアノ処分」

2007年12月31日 | Weblog

2007年も暮れていきます。
外は雪がザンザン。信州は本格的冬に突入です。
このブログの目次を、今年の最初から見てみたら、「沖縄集団自決」、「従軍慰安婦問題」、「改憲」などのタイトルが並んでいました。
世の中は、「消えた年金記録」と「食品偽装」が、今年を象徴するできごとのようです。
「国を守る」とか「国益」、とかいう言葉を聞くと、寒気がします。
「北朝鮮が攻めてきたら、どうするんだ」と、すぐ言う人がいますが、日本が挑発しないかぎり、北朝鮮は日本を相手にしないと思いますよ。
よく言われることですが、資源の何もない日本に攻めてきても得なことは何もない。
国境とか、漁業海域、公海上の資源開発をめぐっては、利害が対立して、紛争はあると思いますが、それを解決するのが外交。軍事じゃないと思います。
「国益」、「国益」って、口を開けば、そんなことを言う、山本一太という参議院議員がいます。
あなたが言うと、ホントに軽く聞こえます。「国益」の中身教えてください。
多分、自民党議員と、それを使って国を自分達の都合のいいように動かしている大企業の経営者や、そのおこぼれをもらう官僚や御用学者の「利益」を「国益」とすり替えてるんですね。
そんな、実のない言葉に、国民もいい加減、気づかなくてはいけないのに、安陪晋三も山本一太も、選挙で落選させることすらできていない。




以前、このブログでも触れたが、「沖縄集団自決への日本軍の強制」と「従軍慰安婦の存在」、この2つをなかったことにしようとする動きは「軍隊」は国を守り、国民を日本の敵から守る、規律ある、勇敢な、正義の集団なのだ、だから必要なんだ、と思わせたい側が、最も触れてほしくない、都合の悪い事実だからでもある。
そして、始末の悪いことに、この二つの事実こそ、侵略をその使命とする「軍隊」の「本質」でもある。
「敵」、あるいは「敵」と思う相手を殺すことこそが、兵士の任務なのだ。それ以外はない。そんな状況に日常的に置かれたら、人はどうなるか、「狂気」に落ちるしかない。
「狂気」もみんなで落ちれば「正気」になる。
高校の歴史教科書から、「軍隊の狂気」という事実を何とか消そうと、安陪反動内閣におもねた文部官僚の、おろかな「日本軍強制」削除要求。
沖縄県民の、猛反発によろめいて、要求を後退させたものの、最後までメンツにこだわり、検定意見を取り下げない。
この文科省の教科書調査官の実名を公表してほしい。
薬害肝炎の責任者も同じ。



ピアノ処分
近頃、めっきりピアノを弾かなくなった。
思い切ってここらで、「処分しよう」、と考えて、新聞に、近頃よく載っている、広告先に電話してみた。
そして、わかった。これらの業者が求めている中古ピアノは。せいぜい10年経過程度の製品。それ以上経過したものは、ゴミ。
もともと父が、自分の楽しみのために買った我が家のピアノは、30年ほどたっている。
しかも、ヤマハやカワイといった普及大衆型ピアノではなく、東京ピアノという、職人技で作った、「イースタイン」という製品。
さあ、困った。こんな時便利なのがインターネット。
早速、検索すると、東京ピアノ自体は、倒産していて、会社はもうなくなっていたが、この「イースタイン」を修理・再生している工房が、関東にあった。
電話すると、引き取ってくれるというので、お願いした。
値はつかなかったが、運賃、そちらもちで、引き取ってくれた。
ゴミではなく、再生されて、弾き上手な人のもとに届けられることを願っている。
これからますます進む高齢社会。
残された品物の整理が大きな問題だ。それらを家族に代わって、整理・処理してくれるビジネスも生まれている。葬儀関連の業者が、始めるようになっている。
できるだけ自分で処分するつもりだが、最後はそうした業者にお願いすることになるのだろう。



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「裁判員制度」は公正な報道の上に

2007年12月26日 | Weblog

前のブログで、「裁判員制度」に附いて書いたが、犯罪を犯した人を裁くのはほんとにむつかしい。
「わるいことをやった奴には厳罰を」と、簡単に言うが、その犯罪に至るまでの過程を知れば知るほど、特に究極の刑罰「死刑制度」はどうなのか、考えてしまう。
マスコミが大きく取り上げるので、有名になっている山口県光市の「母子殺害事件」。
被告の言い分は、それだけを切り取ると、「常識はずれ」のなにものでもないのだが。
幼い頃から、親の愛に恵まれず、疎外されて成長した被告の運命は、もしかしたら私のものであり、あなたのものであったかもしれない。
自分がゆがんだ環境に育った場合、罪を犯さない人間に、自分の力できちんとなれると、誰が断言できるだろう。
もう処刑されてしまったが、「連続射殺事件」の永山則夫を思い出す。
ばくち好きの父は、家族を捨てて失踪。青森で極貧の少年時代をすごす。
母は、残された子供と共にがんばって生きていけるような強い人ではなく、母も子供を捨てて出ていってしまう(後に再び一緒になるが)。
永山の兄は、高校時代、交際相手を妊娠させてしまう。生まれた子供は永山の家に引き取らなくてはならなかった。
永山に優しい言葉をかけてくれる人は誰もいない。
就職のために都会へ出てきても、怒鳴られるばかり。
最近でも長崎で銃乱射事件があったし、アメリカではしょっちゅうだが、世の中の底辺で、絶望して、キレタ時、人は、せめて最後は華々しく、世間を騒がせて、逝きたい、と思うのだろうか。
永山は自殺はしなかったが。
貧しさのためにろくに学校へも行かず、自分を表現する方法を知らなかった永山だが、獄中で文章を書くことを獲得し、「書く」事が生きがいになった。
もう死ぬことを考えるより、生きることのほうに希望を見出したのだが。
永山が罪を犯した時、少年であったこと、更生のきざし、いちじるしいことをもって、「死刑判決」がくつがえったが、検察の上告で、上級審で再び「死刑」。
永山の死刑執行は、外部の者から見ると、唐突に行われた、との印象がある。



以前、NHKの「クローズアップ現代」では、知的障害者の犯罪を取り上げていた。
福祉の谷間に落ちている、主に50代以上の障害者が、重罪ではないが、犯罪を繰り返してきた現実がある。
軽度の知的障害の場合、すぐにはわからないため、「仕事が遅い」など、職場で冷たく扱われ、家族にも疎まれる。
行き場を失って、つい盗みをする、というような犯罪なのだが。
こうして見ると、厳罰以前に福祉、そして更正のプログラムこそ必要、が見えてくる。
ところで、こうした現実を、ドキュメンタリーなどとして放送してきたのがNHK。
ニュース報道は、政府広報的だが、「ワーキングプアー」の実態を、広く知らせたのもそう。
そのNHKが、財界人の新会長を、古森経営委員長の、強引と見える手法で決めてしまったのは心配。
視聴者の受信料で、経営が成り立っているNHKだからこそ、国民側の立場に立った番組を期待したいのに、財界の意向で、放送内容が捻じ曲げられ、社会の現実を報道する番組が消えるのでは?とそれも心配。



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「裁判員制度」は動員の思想

2007年12月20日 | Weblog

韓国大統領に李明博氏当選。
大阪生まれの66歳。絵に描いたようなサクセスストーリー中の人物だ。
苦学して大学を卒業。韓国の一大企業グループ「現代」の「現代建設」に入社。
36歳で社長に登りつめる。あだ名が「コンピューター付きブルドーザー」(コムドーザー)。というやり手。
政界入りは1992年。1度選挙違反で挫折するが、2002年ソウル市長に。
建設会社の社長経験者らしく、ソウル中心部の清渓川の復元事業を断行。その名声を高めた。
私は今、韓国の2大財閥のサムスンと現代の創業者達の苦難の成功物語を描いた韓国ドラマ『英雄時代』を見ているが、李氏の経歴は、そのまま、日本植民地時代に貧農から身を起こした、「現代」グループの創業者のものと重なる。
李氏の経済政策は、規制を緩和し、法人税を下げ、企業の投資を活発にし、それをテコに、若者の失業率を減らし、人々に仕事と収入を、というものだが、
それは、日本でも小泉構造改革として、取られた政策だが、肝心の本当に改革しなければならない、「官のムダ使い」や「大企業優遇偏重」に手がつけられなかったために、更なる「格差」「2極化」を生んだが、果たして李氏の手腕は?
ノ・ムヒョン政権が、「働く人々」の期待を受けながら、経済政策に有効な手立てを打てなかったのはなぜかは、私にはわからないが、ブレーンが素人集団であった、というような、批評を読んだことがある。
また、今度の李明博氏への圧倒的支持は、2年前の、日本の「郵政選挙」によく似ている。
「経済をよくしてくれる」という期待を持って、人々は、支持すべきでない候補に支持を与えてしまったが、期待に反して、ということが起こると、ここからが、韓国人と日本人との違いだが、韓国人は強烈に反撃してくる。



裁判員制度、根底に「動員の思想」
元裁判官で、新潟大教授西野喜一氏の警告である(信濃毎日新聞)。
「裁判員制度」については、新聞等で目にするものの、真剣には考えてこなかった。
有権者の中から選ばれた裁判員が、裁判官と一緒に重大刑事裁判の審理にあたる「裁判員制度」は、2009年5月までに導入されることになっている。
この「裁判員制度」が、徴兵制や憲法改正の地ならしになると、西野氏は警告している。
「裁判員制度」の根底には、国民は国のために奉仕すべきだ、という動員の思想がある。
そして、今、陪審制や参審制がある国の大半には徴兵制があるか、徴兵制との長い併存の歴史があるとも。
納税、教育、勤労という憲法上の国民の義務は、どれも国民に行為を求めているが、裁判員制度が求めるのは、行為より判断。
「お前が何を考えているのか、明らかにせよ」ということである。
陪審制度のあるアメリカでは、過去の死刑判決の中に、少なくない冤罪があった。
そんな死刑確定者を死の淵から呼び戻したのは、DNA鑑定の精度があがったことだった。
『十二人の怒れる男達』という映画があったが、あれは映画であり、ドラマだ。
それだけ、陪審員になった人間のいい加減さが、現実にある、ということだろう。

今の時代のような、テレビからの情報がすべて、といった感じの状況では、裁判員に選ばれた有権者の判断は、誘導に簡単にのっていく危険性がある。
裁判員に選ばれても、その罪に対して「判断しない」という「判断」しかない。



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意地悪女の理屈

2007年12月14日 | Weblog

消えた年金記録等について。
これらの問題に対する福田首相の言い方は、それこそ「木で鼻をくくったよう」。
「ふふん、それが何か」という感じがありありで、当事者意識のなさが、寛大な国民にもみえみえ。
国民にとっては、イージスより、インド洋給油より、年金が大事。
「お金が足りない」だから増税だというが、「軍事費をけずればいいこと」。
いまどき、広大な軍事基地や、長厚重大な軍事装備は、日米軍需産業のためにあるだけ。
米軍への「思いやり予算」も削れない政府が、国民に向かって増税を言うな。



弁護士・タレントの橋下徹氏、大阪府知事選立候補へ。
テレビによく出てくる人なので、その言い分はよく耳にしているが、
10の発言のうち、8ぐらいは暴言・妄言だが、1つ、2ついい事を言うときもあるので、そこで大阪府民をとらえるかもしれない。
現大阪知事の太田房江氏は、女性議員や、女性首長の中でも「その人相の悪さ」が際立っていた。
やっぱり、お金の問題で、後援者の自・公に見放された。
そんなにお金を溜め込んで、次への野望を考えていたのだろうか。
民主党は「相乗りしない」事だけは評価したい。
地方自治の政治にとって、この「相乗り」ほど、悪しきものはない。
私が社民党を評価しないのは、この党が、中央では護憲・平和・国民の暮らし優先を主張しながら、地方政治では、自・公・民と相乗りして、それに反する行動を取っているからだが、長野県も例外ではない。



沖縄集団自決問題と従軍慰安婦問題と曽野綾子・桜井良子
沖縄集団自決に、軍の強制はなかったと主張する側を勢いづかせる根拠にあるのが、曽野綾子の『ある神話の背景』という、著書だ。
その著書の中で、赤松部隊長の直接命令がなかったことを理由に、「軍の強制ではなく、それは沖縄住民みずからの決意であり、親族を手にかけたのは、愛ですらあった」というのだが。
そして、桜井良子は、これまた「従軍慰安婦」には、軍の直接命令を示す文書が存在しない、ゆえに軍の命令ではない、という理屈を展開する論客である。
二人に共通するのは「木を見て森を見ない」態度と、「被害者や当事者に対する、冷たい、想像力を働かせない」態度だ。
わざと、そうしているようにも思える。要するに意地悪でひねくれているのだ。
二人とも子供の頃、両親の不和の中で育っている。そのことをもってレッテル張りをしたくはないが、
「人の幸福をよしとせず、善意を信じないぞ」と身構えている。
そして、直接命令を示す文書がない、と言って、そこに存在する状況を見ようとしない。
今、この日本で争われている、薬害や公害訴訟に対する政府・役人の態度と全く重なっている。
私は曽野綾子さんの小説やエッセイをいくつか読んでいるが、その一つ一つに、いちいちケチをつけるものではないが、一つだけ「アレっ?」と思う記述があった。
彼女はかなり強い近眼で、そのために若いときに就職先もなかった、と書いてあったのだが、「メガネをかければいいんじゃないの。それで解決する問題でしょ」と思ったものだ。
事実、車の運転はメガネをかけてするようだし、メガネをかけても視力の出ない目ではないようだ。
曽野綾子さんといえば、「美人作家」で知られていた。
今でこそ、美人作家は珍しくないが、曽野さんと同世代では、女の作家はブス、というのが相場だった。
たまに美人だと、多いにもてはやされたのだと思う。だから、メガネをかけたんじゃ、せっかくの美人が台無し。死んでもメガネはかけたくない。(コンタクトのない時代だ)。
それでいて、車を運転する時は、ちゃっかりメガネをかけている。
多分、自分は「特別の存在」なのだろう。
曽野さんも桜井さんも、少し想像力を働かせれば、沖縄戦の最終局面が、どのような地獄の様相を呈していたか、慰安婦の動員を、堂々と文書で通達できるものか、たとえ、文書があっても、そのような証拠は真っ先に、敗戦時に抹殺されるものである、ということは、わかるはずだ。
彼女達は、想像しよう、という事を自分に拒否しているように思う。
そして、日本という国に、日本軍に裏切られ、踏みつけにされた人々を、更に自分の足で踏みつけにして平気な人たち。
曽野さんは、熱心なカソリック信者だそうだが、このままでは天国の門前で、「天国入り」を拒否されるのでは。



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人殺しショー

2007年12月09日 | Weblog

石油価格の高騰
投機マネーも動いているようだが、世界中で、こんなに使っていたら、いつかは枯渇する資源。
「脱石油」を考える良い機会では。
燃料だけでなく、あらゆる製品に使われている石油。
菓子袋も近頃は、袋の中でまた個包装になっている。
中身が寄らないように中敷も。これも原料は石油。そこまでしてくれなくていい。
重油を焚いての温室栽培までして、冬場にイチゴやきうりを食べなくてもいい。
スーパーのレジ袋は、レジ袋を断った人にポイントを付ける方式ではなく、たとえ5円でも10円でも有料にすると、とたんに「袋持参率」はあがるのだそうだ。
庶民は、1円、2円に敏感だ。防衛省の「湯水のごとき無駄遣い」には無関心でも。
悲しく、おろかなことだけど、自分の身近なことでないと、実感が持てないのが、普通の平凡な人間の限界。



東国原宮崎県知事の「徴兵制発言」。
本人は、それほど深く考えて発言したわけでなく、すぐ撤回したが、
若者を鍛えるために、すぐ「徴兵制」を持ち出すのは、軍隊の本質を見ていない。
お隣韓国には「徴兵制」があるが、軍隊入隊経験者は言う。
「軍隊とは、人殺しの術を徹底的に教え込まれる場。それ以外の何ものでもない」と。
その本質を隠して、規律ある訓練の様子などを、民間人に宣伝してみせる。
日本の自衛隊もそうだ。
「自衛隊内部見学・体験」という企画は、人気があって、希望者は抽選で選ばれる。
信濃毎日新聞の記事「憲法は問う」は、今、「基地見学」が、人気のツアーになっている現実を紹介している。
「F2支援戦闘機が突然飛来し、爆撃の轟音とともに黒煙が上がる。それがショーの幕開けだった。戦車が猛スピードで走りぬけ、ロケット弾が飛ぶ。ただ、着弾地に敵兵の姿はなかった」
ツアー参加者は、これを映画以上の、迫力あるショーとして見ているのだろう。
自分達はあくまで見物者であって、当事者ではない。
しかしこれは、戦争への親近感と麻痺感につながる。
私が、ハリウッドのアクション系の映画に嫌悪を覚えるのも、それがアメリカ人の好戦的な気分の反映であり、かつそれに拍車をけるものだと感じるからだ。
とかく「美しい物語」にさせられる「特攻神話」も、彼等の目的は、一人でも多くの敵を殺すことであったはずだ。自身の死とともに。
しかし、兵器の不備・不良と、操縦者の技術未熟のために、目的達成率は、非常に低いものであったが。



香川や熊本での、親族内の殺人事件には、地方の人々にヒタヒタと押し寄せている「生活苦」が、背景にあるように思う。
香川の被害者の人生は「借金人生」。それも自分の贅沢や浪費のためではない。
孫可愛さに、娘夫婦の生活を支えていたとも言われるし、一時、1部のマスコミから「犯人あつかい」された、娘達の父親も、好き好んで「無職」でいたわけでもないだろう。
両親を殺害したとされる熊本の青年も「アルバイト生活」。
地方ではまともに職業に就けない現実が背景にあるような。
これを東国原氏のように、「若者のせい」にしてはいけない。
若者から希望を奪っているのは、大人世代だ。偉そうなこというほど、前の世代ががんばったわけでもない。



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元凶はどこに?

2007年12月03日 | Weblog

防衛省前事務次官、守屋氏とその妻の、接待漬けはあきれたものですが、
守屋夫人は、「宮ちゃん(宮崎元伸・山田洋行元専務)とは、お友達だから」って、お友達なら、割り勘でしょう。
この守屋逮捕を受けて、評論家の佐高信氏は、守屋氏がここまで暴走した責めは政治家にある、と批判している(信毎)。
小泉元総理は、ことのほか守屋氏を重用し、政府専用機に同乗させ、訪米した。事務次官と一緒に総理が外国を訪問するなどは、全く異例のことなのだという。
浅はかな守屋氏が「自分は特別」とカン違いしてしまう元凶はここにあった。
特に小泉氏の秘書として、何かと暗躍してきた飯島勲氏との親密さは、よく知られているところだそうだ。
また、戦争中に日本は軍事費の増大を防げず、それが予算を圧迫して、国民を窮乏においこんだのであって、日本は貧しかったから旧満州に進出しなければならなくなったのではない、とも。
今も国民の生活を窮乏に追い込む、医療費や、生活保護等のセーフティーネットの削減を押し付け、一方で、防衛費は、殆どノーチェックの税金の浪費が続いてきた。
「軍事費を削って、国民のための予算にまわせ」という、政策は、非現実的なものではないことが、見えてきた。
だいたい、「対テロ戦争だ」という時代に、国家対国家の戦争を想定した、長大重厚な装備など、何の役に立つ?
そして、山田洋行や、宮崎専務が立ち上げた会社などは、いわば後発の弱小商社、だからこそ、過大な接待攻勢が必要だった。
契約額がはるかに大きい、例えば三菱重工などの大手にこそ、疑惑の目を向けるべきではないか、というのが佐高氏の視点だ。



ワーキングプアー状態のアニメ業界。(週刊金曜日の記事より)
日本のアニメは、世界に誇る産業の一つ、ということになっているが、その製作現場は、まさに「ワーキングプアー状態」。
スポンサーが支払った金額は、原画や動画を描いたり、それを撮影したりする、まさに「物づくり」をしている人たちにお金がまわっていかず、広告代理店や、テレビ局などの取り分に80パーセント以上が吸い上げられているのが現状。
コンビニの構造とよく似ている。
「やらせ」だの、「偽装」だの、テレビ制作現場の劣化が進んでいるのも、下請けに充分なお金がまわっていないことに、そもそもの原因がある。
それでいて、テレビ局の正規職員(アナウンサーだの、記者など)の給料は、30代で、1000万円を超える年収だそうだ。
しかし、そうして不当な「格差」の上にふんぞりかえっていると、「いい番組が作れない」ということになり、視聴者に見放され、やがて淘汰されるということになるのだけれど。



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