マツシロ問題・典型と特殊と題して、児童文学作家の和田登氏が地元地域新聞のコラムに書いている。
私が言いたかったこと、思ったことをより鮮明にさせてくれていると思った。
「マツシロ問題」とは、長野市松代にある戦時中の防空壕施設「松代大本営地下壕」の工事が、当時日本のと植民地支配下にあった朝鮮からの労働者が多く工事に従事させられた事実を説明する「案内板」にクレームを付けた者がいて、市の担当部署が過剰反応し、しかもその部署の独断で、「強制的に働かされた」の「強制的に」の部分にテープを貼っていたことがわかったというもの。
和田氏は「キムの十字架」、「悲しみの砦」などの作品で、この地下壕工事、朝鮮人労働者を描いた作家である。
市側が「強制的に」を隠した理由は「動員された朝鮮人たちの中には、住民と交流があったり、収入を得るために来ていた朝鮮人がいたということが高校生の調査で見つかったから」というのだが、和田氏はこれに対して、だがこれは文学で言うところの典型と特殊の観点からすると間違っていると書いている。
この工事の本質はその工事主任であった吉田栄一大尉が憲兵の一員に告げた言葉「労務者は機械だ。あなたがたは人間だ。人間は口を聞く。だから話せない」と憲兵にさえ何の工事か明かさなかった言い方に表れている。人権を無視した労働だったのである。ちなみにこの地下壕建設は松代のマを取って「マ工事」と称され、今長野市が管理し公開している「象山地下壕」は「イ倉庫」と言われ、倉庫を作るということになっていたが、実際は中央官庁などの政府機関やNHKが入る防空壕であった。イロハの「ロ倉庫」は大本営と天皇御座所で、こちらは舞鶴山の麓につくられていて、現在は地震観測所になっている。そこで働く労働者、そして地元の人達にも目的を明かされない工事だった。しかし大がかりな地下壕であることは隠してもおのずと知れるところではあっただろう。
朝鮮本土で日本軍の収奪にあい、やむなく日本に渡航し、ここで働かざるを得なくなった人々を自主渡航組と呼ぶが、いったんこの工事に組み込まれると「連行組」同様、生きるか死ぬかの強制労働だった。この姿こそ伝えるべき典型なのだ。ここに到着した形が強制的か自主かにとらわれると本質を見失う。「収入を得るために来ていた」などという現代風の実態とはまるで違った。もちろんそれをかわいそうに思う土地の人々が食べ物を恵んだことなど、人間同士のことだからあったことは不思議ではない。だがこれは特殊。これが長年、松代地下壕をめぐる事実を物語化してきた作家の見解。付け加えることはない。
工事は昭和19年11月11日から始まり、寒さに向かう中、土台のない掘立小屋を宿舎としてあてがわれ、今のような大型の動力機械もない中、ダイナマイトで岩盤を崩した後、ツルハシやシャベルでひたすらがれきを運びだし、見学者も一様に驚く規模の地下壕が敗戦の二日前までには計画の7割以上掘り進められたのである。
過去に日本が犯した侵略戦争の罪を過少に見ようとする策動は事実で跳ね返していかなくてはならないが、その際、軍隊や官庁がそうした事実の証拠文書や物件をいちはやく焼却、隠滅する行動を取ったということを忘れてはならない。
「少女たちの戦争」(NHKスペシャル)
昭和19年、大津市瀬田の小学校5年女組の少女たちが描いた197枚の絵日誌。
担任の女教師の提案で始まった絵日誌。「ありのまま、思ったままを書こう」と、教師は言い、7人の委員が選ばれ、毎日放課後、生徒たちだけで相談し、絵を描き、文を付けた。担任は内容について一切口出ししなかった。
戦後、この女教師は「軍国主義一色で染められていくような生活の中に何か文化的なもの、芸術に通じるような感性を生徒に持たせたくて、この絵日誌を提案した」と言っている。
戦争末期のことであるから、「誰それのお父さんやお兄さんの出征を見送った」というような絵日誌もあるが、多くは日々の生活や季節の移り変わりなどに目を向けた、それこそ子供らしい中にも成長を感じさせる絵日誌になっている。
ところが、昭和20年に入ると、田舎町の瀬田にも米軍機が飛来するようになり、隣町に爆弾が投下され被害が出るようになると、少女たちの描く絵日誌も変わっていった。
戦況の不利をかえって戦闘的言葉で打ち払うようになる。B29の機体を大きく黒く描き「憎らしいB29、今に見ていろこの戦」と文が付けられるようになった。
それまで、自由に彼女たちに任せていた担任だったが、これを見て「絵日誌はこれでおしまいにしましょう」と言った。
委員になっていた少女たちの中にはそれを聞いてホッとした者もいた。「これ以上続けたらとことん過激な日誌になっていったと思う」と70年の歳月を経て回想している。
私は絵日誌を始めようと提案し、生徒たちに自由に書かせ、それが空疎な負け犬の遠吠えに堕ちていった時「これでおしまいにしましょう」とだけ言ったこの担任の先生は実に優れた教師だと思った。
それと同時に戦況が不利になっていくにつれて、根拠のない楽観や憎悪で冷静な判断を失っていくものなのだと、それがこんな少女たちさえもとらえてしまうものなのだと、その恐ろしさを感じた。「戦争は人を狂わせる」。
「昭和天皇実録」完成。
これは87年余りの昭和天皇の生涯を記録したもの。宮内庁が24年をかけて編纂し、9月中旬に公表するという。
新聞の解説によれば、軍部台頭への対応や太平洋戦争の開戦、終戦の御前会議、GHQのマッカーサー元帥との会見など戦前から戦後の占領期かけて、昭和天皇が時代の流れにどう関わった、昭和史を新たに解明する史料が提示されているかどうかが注目される。
とあるが、それはさほど期待できないのではないか。
それより敗戦後、昭和天皇が天皇制を守るために沖縄を犠牲にする挙に出たことは米国立公文書館に残されている史料等からも明らかになっている。
今日、侵略戦争を否定する歴史修正主義者が世の表で大きな顔をしている原因の多くは「天皇の戦争責任をあいまいにしたまま」であることにある、と思うので、現天皇には「日本国憲法を尊重し、平和の世を望む」というのであれば、父昭和天皇の戦争への罪を謝罪してもらうのが一番ではないかと思う。
日本人にとって8月は特に70年前の「戦争の加害と被害の記憶」を直視する(せねばならない)月である。
「松代大本営地下壕」の入り口看板、長野市が「強制的に」の表記を覆っていたことがわかり、問題になっている。
私は真田10万石の城下町だった長野市松代で史跡案内のボランティアガイドをしていて、長野市が管理する史跡としての松代地下壕の案内もしている。が、毎日するというわけでもないので、案内看板にテープが張られていたことにまでは気づかなかった。
このニュースを知った時、「従軍慰安婦に軍の強制を示すものはない」という主張と同質のものを感じた。
市の説明では昨年の8月に市の観光振興課の判断で、テープを張ったのだという。
外部から「全員が強制的に働かされたわけではない」という指摘が複数寄せられ、こうしたわけだが、そこにいたる説明は何もなされてはいない。
狭い意味での強制があったかどうかが問題なのではない。日本は当時、朝鮮を植民地支配下に置き、朝鮮人達の財産や土地を不法に奪っていたわけで、そんな状況の中で、生活のためにやむなく日本に渡って各地の工事現場で働いたというのがいわゆる「自主渡航」と言われるものであり、「募集」、「官斡旋」、「徴用」と形式の違いはあっても広い視点からみれば「国家権力による強制連行」以外の何物でもない。戦争遂行のための動員であり、工事であり、単なる「出稼ぎ」とは違う。
「従軍慰安婦」も業者を使っての連行であり、証拠文書がないからといって、日本軍の、そして日本政府の責任がまぬがれるわけではない。
こうした「いちゃもんをつける」ことは「大人げない言い訳でしかない」。
だいたい現在の日本人は朝鮮を植民地にして不当に支配したことを知らないか、忘れているのではないかと思うほど、週刊誌等のひどい報道ぶりだ。
こんな日本を、そして政治のトップをアジアの人達は呆れて見ているはずだ。そのことにまるで気づかないとは哀れにも滑稽な現在の日本。
「松代大本営地下壕」はもうすでに敗戦が必然の状況になってなお「国体の護持」、すなわち天皇制軍国主義による支配にこだわった権力者達が、沖縄での地上戦で、沖縄県民に犠牲を強いて時間稼ぎをし、その間に昼夜2交代の突貫工事で掘り進めたものなのである。
集団疎開からも取り残された肢体不自由児学校、東京都立光明学校。
当時日本で唯一の肢体不自由児の学校の校長の疎開先を求めての奮闘ドキュメント。(NHKETV)
肢体不自由児は将来の戦闘員として役に立たないという理由から疎開先を紹介してもらえない。
松本保平校長は、児童を受け入れてくれる先を求めて、長野県の上山田温泉にやって来る。
最初は断わられるが、熱心に足を運び、それが温泉組合の人達を動かし、拒んでいた町長も周囲の説得で、自ら経営する旅館を児童達の受け入れ先として提供することに。現在の上山田ホテル。
東京の世田谷にあった学校で集団で暮らしていた児童達だったが、上山田への疎開が完了した後、まもなく学校は空襲で焼失した。まさに間一髪児童たちの命は救われたのである。
長野県は満蒙開拓に全国で一番多くの人々を送り出し、軍政に協力、お上に従順の面と同時に多くの疎開を受け入れ、この光明学校もそうだが、漫画「カムイ伝」の作者白土三平のようによい思い出、貴重な体験を得た人もまた多くいた。
光明学校が戦後学校を再建し、東京に戻ったのは昭和24年であった。
STAP細胞騒動渦中の理研研究員笹井芳樹氏自殺。
夜7時のNHKニュースがトップで伝えた。
私はNHKが検証した一連の不正操作に関する番組を見たが、笹井氏も小保方氏も外堀どころか内堀も埋められたという感想を持った。
残った疑問はなぜそのような、結果として稚拙な捏造をしなければならなかったのかということだった。
IPS細胞を作り出してノーベル賞を受賞した山中伸弥氏へのライバル意識だとか、理研が特別待遇の法人に格上げされるために画期的研究成果を急いだためとか言われているが、結局人生と研究を破滅させてしまった。
ここまでNHKにその不正の手口を検証されてしまっては、研究者としての道は終わったと感じたことと、この問題を幕引きさせるための選択だったのだろうか。
粗悪安倍政権の「科学立国」の目標は挫折するべくして挫折した。笹井氏には申し訳ないが、これで安倍政権の外堀の一部は埋まった。
防衛大生、上級生からの執拗、陰湿、残忍ないじめに刑事告訴。
これも今日報じられたニュースだ。自衛隊の幹部を養成する防衛大の一年生のAさんは、本人の顔は隠したままだったが、部屋の私物をめちゃくちゃにされた写真などを公開して、そのいじめを告発した。
肉体的暴力はもとより、全裸写真を仲間内でみるラインに公開されたり、体にアルコールをかけられ、ライターで体毛に火をつけられるという残忍な目に遭い、なかなか火は消えず、死の恐怖を味わった。
将来は自衛隊の幹部として指揮を執ることを期待されている者達のこれが実態だ。
防衛大に行こうという動機はそれぞれあるだろうが、「国を守る」という使命感を持って入学する若者もいる。Aさんはそんな一人だった。
しかし軍隊は殺人を訓練し、そのために武器の扱いをおぼえ、実際に戦闘を行う組織だ。
自衛隊は今まで9条の縛りにより外国へ出かけて行って戦闘を行うということはなかったわけだが、非人間的組織であるという本質は変わらない。
海上自衛官だった息子を上官のいじめによる自殺で失い、上司の責任を認めさせた母の話も以前あったが、「人殺し集団」である軍隊という組織は21世紀には廃止されなくてはならないものだと思う。
世のため、人のためという社会的使命感を果たしたいなら、むしろ警察官や海上保安官、消防隊士をめざすべきだろう。
これらの組織にも腐敗は見えるが、そうした負の部分を変えていくことはこれらには可能だが、殺人を目的とする組織にそれを求めても無駄だ。
集団的自衛権行使容認で、軍隊が大手を振れば、自衛隊はますます荒み、米兵が日本でしょっちゅう引きおきこしているような事件が多発するようになる。
自衛隊の不祥事が表に出るのはこれまた軍事志向の安倍政権の外堀埋めの助けになる。グッドタイミングの勇気ある告発だ。自殺しないで反撃に出たことをたたえたい。
軍事志向や無用な攻撃は兵器産業の要請でもある。先進国はそろって「武器輸出大国」だ。アメリカ、フランス、ドイツ、スエーデン等々。日本もそれに乗り出している。
「武器輸出・軍需で経済成長」、こうした資本の魔物の野望を止めるのは普通の人達の感覚だ。「命と健康を保つ程度の食べるものがあって、雨風、暑さ、寒さをしのげる質素な住まいがあればいい」。