木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

理研は利権にいそしんだ

2014年03月30日 | Weblog

理研優遇の法案閣議決定先送り
の記事が小さくですが、29日の信濃毎日新聞に掲載。
世界最高水準の研究を目指す「特定国立研究開発法人」に理化学研究所を指定して優遇する新法案の閣議決定が当初予定の四月中旬から先送りすることになったと。
このために画期的な新発見「STAP細胞」の成功がどうしても必要だったんですね。
成功しなくてもいい、らしいというだけでもよかった?
ところが、その新発見が発表されるや、ネット上で疑問が次々湧き上がり、結果「論文取り下げ」の結末となった。
理研の関係者からすれば展開が早すぎた。コピペやら論文盗用やらネットで悪事を働く者はネットでその罪をあばかれるのだ。
小保方論文の不備が隠しようもなくなった時、理研の上層部から出た言葉は「あってはならないこと。未熟な研究者」という言葉だった。
しかし知れば知るほどこの騒動は理研全体の総合プロデゥースのもとに演じられた「猿芝居」だった。
小保方春子はこの捏造芝居を承知で主役の抜擢を受けて演じたのだから「かわいそう」は当たらない。
研究者として一から出直しという論評もあったが、研究者としての道を歩むのはもう無理ではないか。少なくとも日本では。
ハーバード大学のバカンティーとかいう教授のお気に入りだったらしいから、そこで私的な助手にでもなるのは可能かもしれないが。

ところで、小保方春子は「この分野の学問・研究が本当に好きなのだろうか」という疑問が湧く。
早大の理工に入学する以前の彼女が「理系好き、実験好き」という話はあまり見えて来ないのだが。
私は今回の騒動から百年ほど前に、渡米してロックフェラー医学研究所の研究員として活躍した野口英世を思い起こすのだ。
野口と小保方を比べるのは適切ではないだろうが、それでも本質的に共通する部分があるような気がする。学問的動機で研究の最初を出発していない。
優秀ではあったが、貧しく、左手に障害のある野口が出世していくために選んだ道が医学、それも当時花形学問であった細菌学だった。
自分がこの道を行くと決めたら集中してのめりこんでいく性格の野口は、学閥で固められている日本の学問世界からアメリカに飛び出し、そこで成功をおさめるのだが・・・。
小保方は恵まれた家庭に育ったようだから、選択肢は自由だったと思うが。
母や姉は心理学の研究者ということだから別の道をと理化学方面に進んだのではと思う。
一日のうち十二時間も理研の研究室で過す生活だったというところも、野口と共通している。そこは居心地のよいところだったのでしょう。
なにしろ「小保方好み」にインテリアされているということなので。
さてここで「らしさ」ということも今回の騒動で考えさせられたことだ。
小保方春子がテレビ画面に登場した時、「研究者らしくない」というのが第一印象だった。
髪は長く、付けまつ毛をつけて、耳にはピアス。今の若い女性なら当たり前かもしれないが、このらしくないところが新しくユニークな発想をする元になっているのかもしれないと、最初思ったほどだ。
しかし、「らしい」というのはやはり物事の基本なのだ。
それぞれの職業、立場により「らしさ」は作られる。漁師や農民、外で働く人は日に焼け、たくましい。
教師、役人、銀行員、ホワイトカラーのサラリーマンに、ブルーカラーの労働者。
女性も主婦になり母になれば、OLだった時とは違う生活感を感じさせる雰囲気にいやでも変わっていく。
「らしくない」と言われるとちょっと喜んだりする軽薄な気持が誰にでもあるが、「らしくない」というのは地に足がついていないということでもある。
「STAP細胞」が本当に存在するならIPS細胞を超えるノーベル賞級の成果であるはずだ。その成果を生み出すには相当なエネルギーと集中力と時間が必要。
「おしゃれ」もまた時間とエネルギーが必要だ。髪が長いとその手入れが大変で、仕事が忙しくなると、だいたい髪は短くなる。
若い女性とはいえ「研究者らしくない、垢抜けした小保方さん」は「若い女性理系研究者」の役を演じたというのが結末。

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日本のマスコミの視点では国際問題はわからない

2014年03月23日 | Weblog

ウクライナ問題を考える時、拠り所になる情報はテレビや新聞からは得られない。
なぜなら、それは欧米の視点のみだから。
しかし今はインターネット時代。そこから得られる情報はこうした国際問題を考える際の助けになっている。
私が今一番信頼する情報源は藤永茂というアメリカ在住の80才過ぎの元大学教授のブログ「私の闇の奥」である。http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/

例えばシリアやリビアの問題は、日本ではアサドやカダフィーという独裁者が一方的に民衆を苦しめ、それに抗議して民主化を求める反政府デモや武力闘争が起きたということになっているが、藤永氏のブログによれば、シリアもリビアも内乱が起きるまでは国民は豊かで穏やかな生活を営んでいたと。それを壊したのは欧米の利権勢力だと言う。
そう言えば十年ぐらい前、「暮らしの手帖」という雑誌にシリア在住の日本人が、日本にあまり知られていないシリアの市民の生活を紹介する文を連載していてそれを読んでいた記憶がある。今のアサド大統領の父親の時代だった。
反政府運動を起こさなければならないほどの国民の生活状態ではなかったかと。
リビアもしかり。彼らが悪者にされるのは欧米の利権勢力と手を結ばず、独自の道を行くからということのようだ。それを「非民主的。独裁」と断罪し、武力介入してくる。
アフリカでも中南米でも欧米の言うことを聞かない政府とリーダーは転覆させられ、殺害されてきた。
そんな中で、アパルトヘイト反対に立ち上がり、27年間の収監生活を送りながら、解放され南アフリカの大統領になったネルソン・マンデラは天寿を全うし、その死を世界中が悼み、葬儀にはオバマやクリントンをはじめとして欧米のリーダーも参列した。
藤永氏は言う。「マンデラはある時点から欧米と妥協する道を選んだ。それゆえのこれは結果だ」と。
事実、南アフリカからアパルトヘイト政策はなくなったが、では黒人たちの生活はよくなったかというと、それはまったくと言っていいくらい変わっていない。
権力を得た一部の黒人指導者やそれに連なる者達は富を得たが、大多数の国民は置き去りにされたまま。偉大なはずのマンデラは何を変えたのか、それとも何も変えなかったのか。
藤永氏はマンデラは南アの土地所有問題に手をつけられず(つけず)、利権はそのまま欧米人の手に残ったままであると言う。それを「レインボー政策」という融和政策を主張することによって、ごまかしたということになるようだ。
そういう目でウクライナの混乱を見れば、欧米寄りの新政権がウクライナ国民の後押しを得てヤヌコビッチを追放したというのはかなり怪しい。

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小保方さんはとんだ「食わせ者」なのでしょうか。

2014年03月15日 | Weblog

割ぽう着のリケジョ失速。
STAP細胞という夢の再生細胞実験に成功したと、華々しく登場したのに一ヶ月ちょっとで、その研究者として実力と倫理を疑われることになってしまった。
私達が女性の研究者に抱く固定観念を覆した感じの人だったが・・・。
まだ三十才という若さ、髪形もメイクも今時の若い女性らしく整えていて、白衣ではなく、おばあさんに贈られたという割ぽう着を身につけて、研究・実験室を自分の好きなユーミンのキャラクターで飾ってと、だけど誰よりも熱心に実験に取り組み、妥協をしない、そんなワイドショー好みの物語でマスコミをにぎわしたのだけれど。
その論文はかなりずさんで、STAP細胞という万能細胞を作り出せたのは彼女だけで、他の人には再現できなかったという。
そのような論文を出せば、注目される研究だけに不備を指摘されるのは目に見えているではないかと、私などは思うけど、小保方さんと理研のチームはそう考えなかったらしいのだ。
小保方さんは早稲田大学の出身だが、その早稲田大学で博士論文として提出したものを使いまわししたのだという。
どうもそういうことがまかり通っていて、小保方さんもそれがそんなにいけないことだと思っていなかったらしいのだ。
日本の、日本だけではないかもしれないが、科学研究というのはその程度のレベルで、政治・経済と同様、学問の世界にも「倫理崩壊」がまかり通っている。
理研は民間研究機関だが、公的資金がかなり入っていて、安倍政権が推進する「技術立国日本」の柱として、独立行政法人として豊富な税金投入が約束されるという矢先のこれは事件だった。
私はかつて個人冊子「木洩れ日」で、ロックフェラー研究所の研究員だった野口英世が、研究所の名声を高めるため、昼夜敢行で細菌の新発見やそのワクチン作りに奮闘した姿を追ったが、その姿と理研の研究員が重なる。
野口英世も手技がとても上手で、だれもその追試ができず、そこから野口への疑念が学界で持ち上がってくる。
昔も今も功名を目ざし、誰よりも先にという研究世界の競争がある。
実用化されれば、企業に莫大な利益をもたらす世界だけに、その狂騒に巻き込まれると、稚拙な道に走ってしまう。
佐村河内守事件にも通じるお粗末な騒動だったようだ。
それにしても高齢の部類に入って来た私からすると、小保方さんの論文提出に至るノーテンキさは理解できない。すぐバレルでしょう。そんなことになれば研究者としてこれから信用してもらえないでしょうと考えるけど。
それとも可愛くふるまえば、あるいは泣き叫べば、みんな許してくれる、とでも考えているのだろうか。

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今に酷似している昭和十年代。映画『ちいさいおうち』

2014年03月01日 | Weblog

「秘密保護法成立」に「集団的自衛権容認」そして「武器輸出三原則緩和」と、安倍政権はどんどん「戦争への道」、標的は中国だが、に前のめりになっているというのに国民はまだこの危機を感じることができず、相変わらずの支持率を誇っているのはなぜ?と私には解釈に苦しむところだが。しかしかつて戦前の日本国民も同じ状態だった。
それが現代と殆ど何も変わらないことを見せてくれた映画作品がある。
山田洋次監督の『小さいおうち』だ。
昭和10年前後、東京の山の手の小さいおうちが舞台だ。
かつてこの家に女中奉公していた女性タキが高齢の今、その時代を思い起こして手記を書いている。
タキにとって最も幸せで輝いていた時代。小さいおうちに象徴されるような中流の市民生活も平穏に営まれていた。
しかしこの時代日本は中国への侵略を強め、満州国建国、南京大虐殺の歴史事実で知られる南京も攻略していた。
だが東京の生活はというと、デパートでは「南京陥落大セール」といった催しが開かれていたのである。
「ちいさいおうち」とは、その頃大都市に建てられるようになったサラリーマン向けの和洋折衷の文化住宅だ。
玄関のすぐ脇に来客用の洋間があり、家族が日常生活する空間は従来の和室。
台所が画期的だ。従来の土間ではなく、板の間で煮炊きのエネルギーは都市ガス。もちろん井戸ではなく蛇口から水が出る。電気冷蔵庫はまだないが、氷を使う冷蔵庫はある。
洗濯は手洗いだが、これらの家事の多くを地方出の女中達がになっていた。
タキの出身地は山形の農村ということになっている。地方と都市の生活格差が今とは比べ物にならないほどあった。
「ちいさいおうち」なのに女中が必要なのかというところだが、この時代のこうした仕事の人件費は安く、農村などの貧しい女性達にしてみれば狭いが女中部屋もあり、食費、住居費はいらず、その家の主婦からお下がりの着物をもらったり、時にデパートへの買い物に付いて行ったついでに食事をお相伴させてもらうこともあったりで、専門的技能を持たない女性の職業として一般的なものだった。
この映画では子供は一人だが、たいてい子供が次々生まれるのでその世話をするためにもお手伝いは必要だった。
主人は玩具会社の重役で、主婦の時子は女学生気分のまだ抜け切らない無邪気な性格である。
正月に会社の男たちがこの家にやって来て洋風の客間で話すことといえば、中国との戦争はすぐ片付いて、その後自分達の作る玩具も中国へ売り込みできて会社がさらに飛躍するだろうという楽観的なもの。
この戦争が抜き差しならないものになって、やがては欧米、特にアメリカとの戦争に発展し、破滅的な最後を迎えて終るだろうなどと誰も予測しない。
時子はそんな男たちの話には全く興味が無いが、その来客の中に画家志望だが生活のためにデザイン部に入って来た青年板倉がいる。彼もまた戦争の話にはなじめない。この板倉と時子はたちまち意気投合する。
この映画の原作は直木賞を受賞した中島京子の「ちいさいおうち」なのだが、原作とは設定がポイント、ポイントで違うらしい。
時子は会社のことで頭がいっぱいの夫に何となく不満を感じていて、それが音楽を聴いたりといった趣味の一致する板倉に惹かれて行く動機になっているが、原作ではもっと決定的な理由が置かれている。
一方、女中のタキも同じ東北出身の板倉に好意を抱くようになる。
板倉はどの女性にも優しく接するタイプの男で、女中のタキにも期待を持たせるところがあった。
板倉と時子は不倫関係になる。しかし板倉に召集令状が来る。最後に板倉に会いに行こうとする時子をタキは止める。
このまま行かせれば、時子は破滅の方を選んでしまう。タキは板倉も好きだが、時子のこともまた好きなのだと私は思ったのだが、それ以上の推測をする感想がネット上にあって、「そうか、そう言われればそれもありか」と思った。
結局時子の「家へいらして」という板倉への手紙をタキが届けることになる。が、タキはそれを板倉に渡さない。よく使われるパターン。
その後タキは米軍が本土を空襲するような事態に至って故郷へ帰る。そして「ちいさいおうち」は東京を襲った山の手の空襲で焼け、防空壕に潜んだ時子と夫も犠牲になる。
山田監督は昭和十年代の人々の身近に迫る「戦争の危機」をキャッチできないのん気さを描き、戦争って突然身に降りかかるようにやって来るんだよとメッセージを発している。
「アンネの日記」本の破損事件、日本社会に不気味な鼓動が響き始めている。
ナチスのユダヤ人絶滅作戦も、南京大虐殺もなかったと、あるいは「それがどうした、関係ない」という確信的行動に思える。

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