木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

地球温暖化を止める最も効果的なこと

2008年02月26日 | Weblog

昨夜の「ニュース23」の特集は「地球温暖化」。
「エネルギーをムダに使う自由を制限しなくてはいけない社会が将来到来すると思うが、最初はそれに抵抗感があっても、そういう社会の方がよかった、と人々が思えるようになるのではないか」と言った若い研究者の言葉が心に残った。
その研究者は具体的には言わなかったが、「ムダなエネルギーを使う」最たるものは戦争であり、軍備を想定して言ったのだと私は思った。
だから「それを制限する社会でよかったと人々が思える」と彼は確信を持って言えるのだと。
自衛隊のイージス艦と漁船の衝突は、人々に、生活のために船を出している漁師を殺してしまう「軍隊」などいらないとわからせてくれた。
米海兵隊員が次々に日本で起こす事件も、安心して町を歩けなくさせる米軍はいらない、とこれもわかるはずだけど。
「北朝鮮が攻めてくる」、「中国が脅威だ」、だから日米安保条約が必要だ、自衛隊の米軍への協力は不可欠だと主張する人たち、そしてそれに同調する人たちは、攻められる前に、自国の軍隊や友軍に殺されてしまう現実にどう答えるのだろう。



昨日の信濃毎日新聞「斜面」では、つい先ごろ芥川賞を取った川上未映子の作品『乳と卵』と、彼女の生い立ちに触れていた。
川上の家庭の暮らしは大変で、彼女は高校時代からあらゆるアルバイトをして、弟の学費も稼いだ。
そんな彼女の家には本は一冊もなかった。
川上が小説に触れ、好きになるきっかけは国語の教科書だった。
図書館に行って、「あ行」から順に読み始めた。好きな作家は樋口一葉。貧しい中で小説を書いた境遇に共感するものがあったようだ。
私はまだ彼女の受賞作を読んでいない、どころかここ10年位芥川賞の受賞作品を読んでいないような気がする。
年2回、受賞者の名前も定かでない。村上リュウ『限りなく透明に近いブルー』あたりで、時計が止まってしまっている。
世の中、いろんな情報やツールがあふれていて、小説の占める存在の重さが薄まってしまっている。出版不況になるわけだ。
川上未映子さんはたいしたものだ。「あ行」から小説を読み始めるとは。
著者順で「あ」からだと、芥川龍之介あたりからか。これから作家生活を続けるにあたってそれは何よりの財産になると思う。
国語の教科書もいい作品を掲載する責任がある。



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「性と暴力」は軍隊の本質

2008年02月19日 | Weblog

米軍海兵隊員少女暴行事件。
岩国市長選で、米軍艦載機受け入れ拒否の、前市長井原勝介氏が僅差で「受入れ派」の新人候補に敗れた翌日に報道されたこの事件。
1日前だったら、選挙の結果は違っていたのではとも言われた。
「このような事件はあってはならない」と、沖縄県知事や政府関係者は、まるで心のこもらない声明を発表したが、米軍基地ある限り、軍隊ある限り、この種の事件はなくならない。
軍隊は人殺しを訓練し、実行するところだ。
そこで日々訓練を受けている兵士が心のバランスを取る手段が「性と暴力」だ。
ましてやここは、自国ではない。「何をしたってかまわないじゃないか」。
米軍が「地位協定」で守られていることを末端の兵士も知っている。
「従軍慰安婦」と「沖縄集団自決強制」という二つの過去の事実が、この事件に重なって見える。

過去の戦争の時代、日本軍や日本人にとって、中国人や朝鮮人は見下した存在、沖縄もそうだ。
アメリカ人にとっても、日本人や日本は見下した存在だ。
太平洋戦争末期の沖縄に着任した司令官の中には1937年「南京攻略」「南京虐殺」に関わった者もいて、そうした経験が沖縄で生きたはずだという。(Webサイト上の林博史氏の講演公開より)
「再発防止の方策」など有り得ない。「綱紀粛正」も有り得ない。
岩国出直し市長選は、「平成の大合併後」初のものだった。
米軍の戦闘機の騒音の被害をそれ程受けていない、郡部の住民にとっては、国による補助金カットの脅しが効いたようだが、それにしても賛否は選挙結果からも真っ二つに割れている。
国による補助金カットの脅しは、あの夫妻でたかりゴルフに興じた守屋前防衛省事務次官主導だったというから、なんともふざけた、やりきれない事態だ。
しかし、岩国市民がこの脅しを跳ね返して、艦載機受入れ拒否の意志を今回の選挙でも示していたなら、それでも「補助金は出さない」と、言える根拠は国・政府の側にはない。
デマに負けた甘さは、やはり市民も背負わねばならない。



小麦粉30パーセント4月より値上げ。
パン、うどん、パスタなど、これらの消費はもしかしたら米の消費を抜いている?
「粉物」といえば、昔は米の代用に、少しでも米を食い延ばしするためのものだったのに。
昨夜の「クローズアップ現代」では郷土食の見直しを特集していた。そこでも乏しい食を補うために野菜と一緒に「ひっつみ」や「せんべい」という名の、粉を水で溶いたものを煮込むかつての郷土料理が紹介されていたが。
だから日本でも小麦は米と共に作られて来たのだが、いつの間にか自給率は10パーセント以下。
私の住む川中島、善光寺平の南部は、長野県有数の二毛作地帯だった。(昭和30年代)。
麦の収穫は、六月半ばになるから、それから田植えをするのだから、当時の農家はほんとに忙しかった。専業でないと勤まらない。
まだ機械化もすすんでいなかったから、農家の人はそれこそ身体を使って労働していた。
その人たちも今80歳を越えて、みんな腰が曲がってしまい、それでも季節がよくなると、自家の野菜作りに精を出す。おばあさんばかりだ。おじいさんはもうあの世にいっている。
外国に食料を頼る危うさが足元に火がついて、ようやく国民全体の認識にぼるようになっているが、今農村では、次世代の担い手がいなくなってしまった。
少子化、核家族化、若者の流失。
道は困難だらけだが、今こそ、農と食を見直し、立て直す最後のチャンスではある。



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国民感情と製品の質の関係

2008年02月13日 | Weblog

中国製殺虫剤入りギョーザ事件について(2)
鈴木宗男氏の「懐刀」として、外務省で暗躍したとして、今裁判係争中の佐藤優氏の意見。(「週刊金曜日」より)
佐藤氏は、ソ連時代末期にモスクワで勤務していたが、中ソ対立は大分緩和されてはいたものの、一般のロシア人の対中感情はきわめて悪かったという。その理由は中国製品がきわめて粗悪なことにあった。
ところが、リトアニアで、ポーランド人が売る中国製品の品質は悪くなかったという。
これは中国商人が、ロシア人を嫌っているので、何を売りつけてもいいと考えているからであり、その一方、ポーランド人とは真面目にビジネスをしているので、リトアニアにはきちんとした中国製品が入っているのだと、ある民俗学者が解説してくれたそうである。
その時は、佐藤氏はいくらなんでもそれはうがちすぎ、と思ったそうだが、「国民感情は、労働に微妙な影響を与える」と、今は考えている。
今回のギョウーザ問題も、もしかしたら日中関係がより良好ならば起きなかったかもしれない。
日本側は、コスト削減、安い製品作りのために中国を利用しているのであり、中国側は、外貨獲得、経済発展のために、「面従腹背」で、仕事をしているだけ、という関係にある。
経済活動は、お互いに利用しあう関係にはあるが、そこにやはり信頼関係、というものがなければ、相手に対して「いい製品を提供しよう」という気持になかなかなれない。
日本人は、「見た目重視」だということを見透かされていて、そのために農薬や、見栄えを良くする添加物を入れられたりしてきた。
顔の見えない、日本人が食べる製品を、生活のためにやむを得ず作っている、というのが、中国人労働者の気持だろう。
しかも自分達の賃金は安く抑えられ、今回の問題の天洋食品では、労働者が直近に解雇されたという現実もあった。
自分達を直接使用する中国人経営者と、かつての侵略者日本人と、両方に対する反感が、この事件の見える氷山の下に大きく横たわっているのだろう。



アメリカ大統領選のゆくえ。
今のアメリカは、軍事に傾きすぎた結果、崩壊したソ連邦の末期によく似ている気がする。
民主党の指名を激しく争っているクリントン、オバマ両氏が、共に今までなかった、女性、そして黒人系の候補であることが、まさに「崖っぷち」のアメリカを象徴している。
だが、二人とも決して「少数派」の象徴というわけではない。
ヒラリーさんは、女性ではあるが、社会の主流を占めている男性達の中で、有能に仕事をこなしてきた人だし、オバマ氏も名門大学出身で、貧しく、学歴もない多くの黒人層とは一線を画する存在だ。
ただやはり、女性であり、黒人であることは、白人男性には見えないものが見えるという存在だ。
大統領選の盛り上がりは大変なものだが、しかし、あまりに「救世主」を求めるようなその熱狂には危ういものも感じる。
将来を見通す能力を持ったリーダーは必要だが、政治はリーダーにゆだねるものではない。共に構築していくものだと思う。
いずれにしても、共和党は「カヤの外」のようだから、イラクからの撤退を即刻決断するのが、新大統領が真っ先にやらなくてはならないこと。
それができるのはやはりオバマなのだろう。



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食の格差、二極化

2008年02月05日 | Weblog

中国製毒入りギョーザ。
先週から今週にかけてはこの話題がマスコミを占領した。
生協の「手作りギョーザ」もこの「メタミドホス」という非常に毒性の強い殺虫剤に汚染されていた。
私も生協の組合員で、日常の食材の殆どを頼っている。
少し値段が高くても「安心・安全」を買うという意識があったのだが、そうはいえない実態のようだ。
近所の人に生協を勧めようと思っていたが、しばらくは無理だ。
危惧を全く感じないわけではなかった。
生協も組織が大きくなるにつれて、また組合員を増やしていくという使命の中で、より組合員に受け入れられやすい方向へとドンドン、シフトしていったように思う。
冷凍技術の発達がそれに拍車をかけて。
外で働く主婦に便利な商品が並ぶようになった。
ギョーザにしても本来は皮から作るのが本格的な作り方だが、まあ、皮は市販されているものを使うとして、具は手作り、と言うのが家庭で食べるギョーザだったが、今や、出来上がったものを冷凍にして工場から出荷し、家庭では電子レンジで温めればいい、ということになれば、どうしてもそちらの手が延びる。しかも値段が安い。
悲しいことに、人工の味に慣れてしまったせいか、味噌汁にしろ、カレーにしろ、自分がだしから取ったものや、小麦粉を炒めて作ったカレールーより、即席味噌汁や市販のカレールーを割り込んだもののほうが、美味しいと思えるようになってしまった。
趣味で、気が向いた時に料理をすればいい、という場合は、気の済むまで「手作り」すればいいけど、毎日のこととなると、そうばかりもしていられない。
改めて、食は身近な、顔の見える所で取れたもの、作ったもの、というのが基本だ、と感じる。
一番の問題は、中国をはじめとして、新興国を「コスト削減」の草刈場にしていることだ。
高い衛生基準や安全基準を要求しながら、どこまでもコスト削減を迫る、それを中国の企業などは安い人件費で答えてきた。
しかし、それはいつまでも続かない。かつての日本もだどった道だ。
今回の事故は、単に残留農薬とか、工場に発生するゴキブリやネズミ退治のための殺虫剤が、誤って混入した、という次元ではなさそうな様相だが、いずれにしても、「食の二極化」「食の格差」ということを考えさせるできごとだ。
無理なコスト削減を要求すれば、安心・安全が失われる。
持てる人々は、1個、1万円もするプリンや、カツサンドに舌鼓を打つ。
持たざる人々は、今回のような急性の毒ではなくても、食べ続けているうちに知らず知らず健康を冒されていく食品を食べるしかない。安いというだけで。



毒ギョーザの影になってしまった観のある「揮発油税の暫定税率」延長か廃止か問題。
地方の首長や議員はいっせいに「暫定税率廃止」反対の声をあげているが、道路税に限らないが、税の使われ方の不透明さが、私たち国民にとっては一番気になるところだ。
「ガソリン税」の上に更に上乗せされている「暫定税」。これは一旦廃止して、改めて税の議論をしてほしい。
とにかく、「お上」というか「政府」というものは、一旦取り始めた税は、何が何でも放すまいとするものだということ。理屈はその上に乗っかっている。







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