昨夜の「ニュース23」の特集は「地球温暖化」。
「エネルギーをムダに使う自由を制限しなくてはいけない社会が将来到来すると思うが、最初はそれに抵抗感があっても、そういう社会の方がよかった、と人々が思えるようになるのではないか」と言った若い研究者の言葉が心に残った。
その研究者は具体的には言わなかったが、「ムダなエネルギーを使う」最たるものは戦争であり、軍備を想定して言ったのだと私は思った。
だから「それを制限する社会でよかったと人々が思える」と彼は確信を持って言えるのだと。
自衛隊のイージス艦と漁船の衝突は、人々に、生活のために船を出している漁師を殺してしまう「軍隊」などいらないとわからせてくれた。
米海兵隊員が次々に日本で起こす事件も、安心して町を歩けなくさせる米軍はいらない、とこれもわかるはずだけど。
「北朝鮮が攻めてくる」、「中国が脅威だ」、だから日米安保条約が必要だ、自衛隊の米軍への協力は不可欠だと主張する人たち、そしてそれに同調する人たちは、攻められる前に、自国の軍隊や友軍に殺されてしまう現実にどう答えるのだろう。
昨日の信濃毎日新聞「斜面」では、つい先ごろ芥川賞を取った川上未映子の作品『乳と卵』と、彼女の生い立ちに触れていた。
川上の家庭の暮らしは大変で、彼女は高校時代からあらゆるアルバイトをして、弟の学費も稼いだ。
そんな彼女の家には本は一冊もなかった。
川上が小説に触れ、好きになるきっかけは国語の教科書だった。
図書館に行って、「あ行」から順に読み始めた。好きな作家は樋口一葉。貧しい中で小説を書いた境遇に共感するものがあったようだ。
私はまだ彼女の受賞作を読んでいない、どころかここ10年位芥川賞の受賞作品を読んでいないような気がする。
年2回、受賞者の名前も定かでない。村上リュウ『限りなく透明に近いブルー』あたりで、時計が止まってしまっている。
世の中、いろんな情報やツールがあふれていて、小説の占める存在の重さが薄まってしまっている。出版不況になるわけだ。
川上未映子さんはたいしたものだ。「あ行」から小説を読み始めるとは。
著者順で「あ」からだと、芥川龍之介あたりからか。これから作家生活を続けるにあたってそれは何よりの財産になると思う。
国語の教科書もいい作品を掲載する責任がある。