椿咲く春なのに。
重たい春の雪の翌日散歩に出た。雪は残っていたが道はアスファルト舗装だから乾いている。家々の庭にはこの時期椿の花が咲いている。赤が多いが、白、ピンクもある。
「椿咲く春なのにー」の出だしで始まる歌は韓国の国民的歌手チョー・ヨンピルが歌った『釜山港へ帰れ』だが、昨日は加藤登紀子の歌う「鳳仙花」を聞いた。加藤登紀子がまだもう少し若かった頃の音源で、低音の響きが冴えている。
『鳳仙花』は朝鮮の民衆の抵抗の歌で、韓国ドラマでもこの歌を歌う場面があった。
「赤い鳳仙花、お庭に咲いたよ。灼けつく夏の日、暑さも知らず、可愛い娘は爪先染めたよ」と始まる歌詞で、鳳仙花の花はその時代、時代で象徴するものが違うのだろう。
鳳仙花は花の後、種を作り、遠くへはじけよと歌う。そして秋風が吹く頃、娘は爪先剃ったよで終わる。
娘は抵抗の列に加わったのだと私は解釈した。
半島の国朝鮮は大陸からそして海を越えた日本からの侵略に苦しめられてきた歴史がある。そして今なお分断の国である。この歌はまだまだ歌い継がれていくのだろう。
日本にこのような民衆の抵抗の歌があるだろうか。
日本は無自覚・無抵抗の国だ。そしてコロナウィルスで終わる気がする。最低最悪の政権と共に。
重たい春の雪
朝起きたら雪が積もっていた。水気の多い春の雪。重みに耐えかねて庭の枝が何本か折れていた。せっかく咲いたレンギョウ、ヒヤシンス、水仙もかわいそう。
テレビ出演の感染専門家。岡田晴恵さんはテレビ局のコーディネーターに従ってどんどんセンスアップしている。
北村某氏もなんだか髪の毛を茶色に染めていた。この人私が行っていたスポーツジムの隣にある保健医療大の教授に納まっている。このところ感染を警戒してスポーツジムには行っていないが。テレビ局に呼ばれてなんか浮かれているように見える。
昭惠と一緒に浮かれている芸能人にも批判を
安倍昭惠という人は夫の晋三同様どうしようもないバカだが、この昭惠に呼ばれてホイホイ参加する芸能人にも然るべき処断をくだすべきだ。
芸能というものは元々庶民の楽しみであり、庶民の生き方から出て来たものだと思う。支配者がこれを利用し保護するいわゆる「お抱え芸能人」という存在はあるが。昭惠と遊ぶ芸能人は昭惠のお抱えではないだろう。
税金を私物化し、そのために文書改ざんをさせられた職員が良心に耐えかねて自殺しているというのにそんなことにお構いなく浮かれてパーティーをするなど人間として許されないことだ。
安倍夫妻は社会から追放されるべき犯罪者である。吉本興行の芸人達が反社の会合に呼ばれていって世間から指弾を受けたのと同じなのだ。
若者の逆襲
小池都知事が週末の「不要不急の外出の自粛要請」を都民に出した25日の夜の街の様子をテレビが中継した。本当なら街は静まり返っていなければならないはずなのに「これが最後とばかり」学生を中心とした若者で新宿や渋谷、高田馬場付近は大騒ぎになった。
この新型ウィルスでは若者は感染しても無症状かごく軽い症状しか出ないと言われ、ただ感染して高齢者や持病のある人に移すと重症化すると警告されている。
しかしこうしたバカな若者を作ったのは大人の世代だ。特に政治家、それに追随するマスコミ、政権にひれ伏してきた役人の罪は重い。
安倍晋三と共に「総右翼化」した結果がコロナウィルス惨禍だ。
政治を私物化し、自分の地位のために政治をもてあそんできた安倍や小池の言うことに若い世代は耳を傾けない。
世代の総入れ替えの時だ。まともな若者が必ずいるはずだし、必ず生まれるはずだ。古い世代、汚れた世代、特に60才以上の世代は公的な表舞台から消えていくべきだ。
オリンピック延期の方向
当然だ。世界が「コロナウィルス」に襲われているのにオリンピックどころではない。
だいたい2度目の「東京五輪」など誰も望んでいないのに石原慎太郎とその取り巻きが自分達の儲けのために進めた。石原慎太郎を4期も知事に選んだ東京都民の責任は重い。東京は日本中からの寄せ集めの人々で成り立っているから住民意識が希薄だ。
今日の信毎には「作家が刻む64年東京五輪」と題して菊村到の感想記事を掲載している「富士山に登るのと同じで一度はやってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ」とバッサリ。頼まれてもいないのに立候補するなんて・・・。
何でもかんでもオリンピック種目にしようと画策するのも見苦しい。肥大化したオリンピックなど引き受けるところもない。
IOCはこれを機にオリンピックの在り方を世界に提言するべきだ。
コロナウィルス対策に企業の内部留保を使え
お金がまわってこその経済活動だ。日本の大企業はこの間内部留保をため込む一方だが、この際これを使うべきだ。守銭奴ほど醜い存在はない。
守銭奴は皆に嫌われ、そして滅亡する。
オリンピックが延期になるので感染者を少なく見せるという小学生レベルの工作は必要なくなったがこれからが大変。
だいたい症状もなく、濃厚接触の覚えもないのに病院に押しかけて「医療崩壊」するなどとテレビで言っていたバカな人間もいたが、普通人はやたらに病院へは行かない。病院程感染のリスクが高いところはない。なんらかの症状や苦痛があるから行く。
テレビやネットの情報を鵜呑みにしない知性を身に着けたいものだ。そういう情報を誰から得ればよいのか。本を読む習慣があるといいのだが、忙しかったり読むのが嫌いという場合、それは学校の教師だったりするはずなのだが、最近それも怪しくなってきた。
小泉政権あたりから知性を重んじなくなったように思う。安倍・麻生でそれが極まった。最低・最悪の世襲政治屋安倍・麻生の退場をひたすら願う。
だらだらといつまでも続く日本のコロナウィルス禍
まともな政治のリーダーが不在だからだ。安倍晋三ではどう考えても危機に対応できるリーダーではない。彼の周囲に集まっているのはバカとワルだけ。まともな人は彼に近づかないし、彼も正論をいう人を嫌う。
今日の信濃毎日新聞ではソウルから岡坂健太郎共同通信記者が「韓国の新型コロナ対策」について伝えている。
検査31万件でも医療崩壊していない。その理由は軽症者用施設を大規模に運用し、感染した人はここですごし重症化した人だけが病院に送られる。病院に送られても症状が回復すれば施設に返されここで過ごして陰性になれば家に帰れる。ただ最初からうまくいったわけではない。医療崩壊が起きそうになった時、大統領みずからセンターを訪れ「どんな手を使ってでも支援する」と関係者を激励し、実際に運用しながら足りない分はその都度言ってくれれば解決すると呼びかけたのだ。
今度の事態に対しては何かと政府と癒着するか対立してきた財閥も社員用の施設を提供し、彼等にとっては左派政権ではあるが、国が崩壊しては経済も崩壊するから協力を惜しまない。
日本の右翼は何かというと文政権を批判してきたが、リーダーの資質としては日本ははるかに及ばない。自民党一党支配が続いているためだ。批判勢力がないところでは政府与党は限りなく堕落してしまうのだ。
選挙制度を早く元の中選挙区にもどして、その上で国民の意志が反映するより良い選挙制度をめざすべきだ。
この間安倍政権にすり寄っている大手企業からは積極的な提言がない。今の経団連の連中は一掃されればいいとは思うが。
安倍政治の私物化が明るみに。
「週刊文春」に近畿財務局の自殺した職員の遺書が掲載された。「すべて佐川局長の指示です」というタイトル。
佐川は不起訴になり世の中から隠れているが、あの世から呼ばれている。その佐川は何のためにと言ったら出世のために、それも安倍政権下での出世を企んで森友学園に便宜をはかった。そもそもが安倍昭惠のおねだりからだが、夫が首相でなければこんなことは通らない。
安倍夫妻もあの世から呼ばれている。「こんなことは通らない」と。
森友学園問題で安倍夫妻をかばった菅官房長官、佐川を不起訴処分にした黒川検事長もあの世から呼ばれている。
アメリカの経済の実態は?
「アメリカ経済が好調だ」と経済関係者が無邪気に言うが、トランプはアメリカ国民のために何一つ施策を打ってないのにそんなはずないだろうと思う。「ラストベルトはどうなった?」
どうやら株価の動向だけを見てそう考えているようだ。株と金融とIT。
そんなものは人々の生活と何の関係もない。人は食べること住むこと、医療を受けられること、教育を受けられることを得て初めて人間らしく生きられるのだ。株価だけで経済をみるエコノミストという人種はこの世にいらない。
株価などいくらでも操作できる。現に日本でも日銀が株式市場に介入してお金(単なる紙切れ)を突っ込んで株価を維持しているとみんな知っている。
今日は時ならぬ「春の雪」、時ならぬと書いたが春先には必ずこういう日がある。「春の雪」なので降るそばから融けていく。私の好きな歌に石原裕次郎が歌った『淡雪のワルツ』と言う歌がある。春先の淡雪のように融けていく恋の歌。いくらかの未練を残して振り返れば夕べを知らせる鐘の音ばかりというような歌詞だ。私はメロディーもだが歌われている歌詞が気になる方だ。
夕べの鐘はどこでも聞くが、私は寺院の多い京都の町をイメージした。
長野市西部の住宅団地「杏花台」を歩いた。安茂里の坂の多い山の上を切り開いて開発された。昭和30年代の後半ぐらいから将来の人口増を見越して長野市や長野県の住宅政策として開発されたのだと思う。
しかしそれから40年後、少子高齢化により坂の上の特に市営住宅には空きが目立つ。下の犀川沿いの公営住宅は住人を変えながら需要があるが坂の上はもう無理だろう。分譲住宅も車を運転できる間はいいが、出来なくなれば引き払うしかないが、代わりに住む人を見つけるのは容易ではない。よく100年先を見据えてとはいうが、最初に計画した時は今日の人々の動向を想像することはむつかしかったのでは?
鼻歌が意識しないうちに冬から春へ。
あかぎれで手先が痛かったときは「母さんのあかぎれ痛い」と「かあさんの歌」を口ずさんでいたのが、このごろ「椿咲く春なのに」とチョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」になっている。家の庭にも赤・白両方の椿が咲いている。
日本はコロナウイルスの感染者を少なく見せるために大規模な検査に後ろ向きだが、すでに他の国で大量の感染者が出ていて、「オリンピックどころ」ではなくなっている。
イタリアでは緊縮財政のためにすでに医療体制が脆弱になっていて、そのために感染者が広がっているのだという。
アメリカもまた強欲な保険会社の儲けを優先して医療費が高いから普通の人は中々病院に行かない。
アメリカの目と鼻の先にキューバと言う国がある。キューバは革命以来アメリカの圧迫を受けながら今日まで持ちこたえて来た。その一番の決め手は医療と教育の無償化を進めた結果ではないかと今思うのだ。
アメリカは何とかキューバの体制転覆をはかろうとしてきたがことごとく失敗してきた。コロナウィルスの蔓延でその理由がはっきりした。
今「強欲資本主義」が終わろうとしている。アメリカでは国民皆保険を主張するサンダース氏が根強い支持を得ている。
日本は1960年代に国民皆保険制度が始まり人々はこの恩恵を受けて来た。この制度を守らなくてはならない。新自由主義のアメリカに売り渡してはならない。
侵略と軍事の時代は終わる。アメリカの時代は終わる。新ウィルスが終わらせるのだ。これぞ神の摂理でなくてなんであろう。
大相撲春場所が始まった。無観客のテレビ中継のためだけの開催。実に奇妙な光景ではあるが、力士にとってはこんな形でもやらないよりやった方がいいのだろう。稽古だけしていろと言われても続かない。なまるばかり。
安倍一強とは官邸の中のそのまた一部の状態だ。
この期に及んでまだオリンピック開催に望みをかけているのか。しかし世界は日本のこの状態を見透かしている。選手が来ないでしょう。
当時のソ連のアフガニスタンへの侵攻に抗議して西側諸国が選手を送らなかったモスクワ五輪を思い起こす。あの時は選手たちは無念だったろうが、今回はウィルスが相手だからどうしようもない。
今回の新型ウィルスはわからないことが多くて季節が暖かくなれば終息していくかどうかも何とも言えないという。
日本は今、新型ウィルスの検査をして重症者を治療する方向に舵を切らないと大変なことになる。
安倍・麻生の最低・最悪の世襲政治家を交代させなければいけないのだが、この7年ほど与党政治家と中央官僚がトップにならって権力・権限の私物化に走った結果、誰もその心意気を失ってしまった。
マスコミも同罪者で、テレビや新聞も真実を報道しないから何となくその日その日が過ぎてしまっているが、崩壊は目前だ。
しかし悪い事ばかりでもない。今まで既得権を得ていた者達が退場するのだからこういう時こそ新しいリーダーや実務者が登場する時だ。
偽物を見抜かなければいけないのだが、その能力を削がれて来たのがここ20年ほどの日本の姿だ。
庭の山茱萸と紅梅が数日前から綺麗に咲いている。
厳しい冬の寒さを経験せずに春になった。こんなことでいいのか、夏が心配。
アメリカ大統領選、以前は何て不合理な選挙制度と思ったが、アメリカという国の成立を考えればこれはこれで意味があったのだろう。それぞれの州の独立性が強い。日本の都道府県と同じに考えてはいけない。
11月の本選までアメリカは選挙で盛り上がる。日本とは大違い。日本は公職選挙法と小選挙区で、本来の民衆が自分達の代表を選ぶというダイナミズムが失われた。そして相変わらず裏では金が動く。
99年信毎紙上で、駐イタリア大使を務めた英正道氏が、知人が都知事に立候補した経験から、現行の選挙制度では知名度が圧倒的に重い要素になることに疑問を投げかけている。数さえそろえばいい自民党はだからタレントやスポーツ選手に声を掛け、何の政治経験もメッセージもない者を金と組織で当選させている。その点、アメリカ大統領選などは一年以上前から候補の資質が問われることになる。
また英氏は外国では新聞が理由を掲げて特定候補の支持を社説で明らかにすることも行っていて、日本のような全く中立と言うのはメディアの在り方としてどうなのかとも問うている。但し日本の場合は中立を装って人々に判断の材料を与えないというのがマスメディアの役割になっていて、NHKがこの役割を積極的に担っていて受信料を取りながら視聴者を裏切っている。