木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

住民の知恵を生かすー地方自治体の行く道

2013年10月26日 | Weblog

当長野市では市長選の最中である。今週の日曜日が投票日だ。
4年前の選挙では、ホテルマネージメントの経験者である高野登氏が市民代表候補として、現職だったが、市民の評判が良くない鷲沢市長に600票余りに迫って善戦したが、今回は立候補せず。
4期目の立候補を断念した鷲沢の代わりに企業・経済界の代弁者として立候補した長野商工会議所会頭だった加藤久雄氏の優勢が伝えられているが、私は思う。
普通の市民は企業の代弁者を選んではならない。自治体は企業のためにあるのではなく、市民の暮しを守るためにあるもの。そのための税金の配分をし、かつ実行するところである。
今回高野氏が立候補していればおそらく十中八九当選を果たし、市民目線の首長が誕生しただろうに・・・。
東京一極集中の政策が取られている中で地方はどのように生きていけば良いのか?
何もかも東京へという政策は日本全体を破滅に追い込む愚かなあり方だと思うが。
少子高齢化はまず地方から進行していく。そこで公共施設をなるべくまとめて、住民も市の中心部に住んでもらうという「コンパクトシティー」が各地で実践に移されている。
NHK「クローズアップ現代」でこの問題が取り上げられていた。
うまくいっていない例として青森市の問題点を見ると、高度経済成長時代に郊外に広がった住宅に住む高齢者に市中心部に建設された高層マンションに住んでもらうという構想が挫折している。
郊外住宅を売って、その資金で中心部のマンションに移ってもらおうと計画したのだが、この住宅が売れない。当ったり前だ。郊外の庭のあるような住宅に住みたいと考える若い世代がいない。
少子化の上に、若い人が地方で暮せる仕事がない。ちょっと考えてみても夏祭のねぶたの時期に一時的に活気づくことはあっても、県庁所在地とはいえ、雪深い本州の最北端の町に住もうというのはこの地に生まれ育った人以外あまり見当たらないだろう。
この青森市の頓挫の最大の原因は、住民の意見を聞かず、市が机上で計画してそのまま実行しようとしたことだ。
役人の悪い癖というか、いやもしかしたら本質かもしれないが、現場・現実を無視し、馬鹿にして机の上で綺麗に完成した計画をごり押しようとする。
しかし失敗から学ぶ役所もある。対照的に埼玉県の鶴ヶ島市では最初から住民参加で住民の意見を尊重しながら、老朽化した公共施設にどう対応して行くのがいいか考え実践している。
法や規則に従って運営していくのが役所仕事ではあるが、その法や規則をどう使えば住民の要望の答えられるか考えるのも役所・役人の頭の使いどころでもある。
これは別のテレビ番組だったが、いわゆる借地公園へのこれまた対照的な自治体対応が取り上げられていた。
東京府中市の借地公園が突然閉鎖されてしまった。契約期限が迫った中で、地主は固定資産税などの重みから市に買い上げてもらってそのまま公園として使用してもらいたい意向を持っていたのだが、市は買い上げる予算がないとした。地主は別の買い手を捜す結果となった。
一方、隣の調布市は住宅が密集している都市では公園は必要と、土地開発公社が先行買い上げをして、こうした事態を未然に防ぐ手だてを取っていた。
同じような条件の隣り合わせの自治体でもその姿勢、知恵の使い方によって、市民の利益を守ることもできるのだ。また市当局の怠慢によって逆もまた然り。
トップの政治姿勢が現場の職員の雰囲気に大きく影響するのだと思う。
国の政治はあまりに私たちから遠く無力感に襲われるが、自分の住んでいる市や町は住民によって変えることができる。その手ごたえを摑めば、それは国政にも向けられるものになるのではと考える。

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台風情報にみる首都圏が全てのマスコミ姿勢

2013年10月18日 | Weblog

台風26号伊豆大島で多くの犠牲者。
早めの避難勧告が出せなかったことが悔やまれる。
島の人達は未明にこれほどの大雨になるとは予想できなかったようだ。
26号台風が首都圏や関東地方を襲うであろうことはテレビニュースで大々的に報道されていた。
中央のテレビ局にとって、東京とその周辺だけが日本で、ここがどうなるかが関心の全てになってしまっている。
だから報道の切り取り方が実に浅薄だ。都心に通勤するサラリーマン達の通勤手段がどうだとか、そのために会社近くのホテルに泊まるという勤め人を取材したり。
大嵐が来るというときに無理に出勤する必要などないだろう。
そんなくだらないことは別に見たくもないし、聞きたくもない。そういうことが報道する側にまるでわかっていないということが情けない。
こうなるとNHKの受信料は拒否されて当たり前。新聞は購読されなくなるのも仕方ない。
それなのに消費税には賛成、だけど新聞には「軽減税率を」と、どこまでも身勝手な連中だ。

アメリカ国債債務不履行辛うじて回避
台風情報と共に行方が注目されていたが、国が借金できる上限を3ヶ月ほどに限って引き上げることで民主・共和両党の上下両院が合意した。
できることなら税金はビタ一文払いたくない。生きるも死ぬも全て自己責任といった茶会派が今や中核をになう勢力となった共和党。
オバマケアと呼ばれる国民皆保険制度(不充分で骨抜きという批判もあるが)を自身の大統領としての使命としているオバマ氏。
この両者及び両党の対立はどこまでも平行線のように見えるが、そもそもアメリカの財政危機の主要原因はそのあまりに肥大した軍事費にある。
そして「小さな政府、自己責任」を叫ぶ連中も道路であるとか、電気・水道その他、毎日を安全に快適に暮らす公共システムをちゃっかり利用している。それは彼らだけの利用料金で成り立つシステムではない。
全国民がその収入に応じて税を負担することで成り立っている。
茶会派的思考をする連中は、仕事に就けず、公的な援助で日々の生活をしのいでいる人達を「怠け者」だとして、そんな連中を養う金は必要ないというが、親が貧しいためにまともな教育を受けられなかったり、病気や障害を抱えたり、と誰もが陥る不遇な状態を「自分には起こらない」と思えるおめでたい人達だ。
しかしこうした考え方は今日本にも広がっている。
生活保護受給者をバッシングし、在日韓国・朝鮮人を罵倒し、中国の脅威を煽って、ハリネズミのように毛を逆立てる人が増えている。

先週はノーベル賞受賞者がニュースになったが、
理系分野のことはよくわからないが、文学賞や経済学賞、平和賞にそれほどの権威は感じない。
文学賞では村上春樹の受賞はあるか?と言われたが、今年もそれはなく、カナダの女性作家に決まった。
この受賞者はもう80歳で、ガン治療中だとかで、存命中に受賞をという配慮もあったかなと思った。
村上春樹もどうでもいい小説をあきらめずに書いていればいつかは受賞するでしょう。それほどどうでもいい賞だと思う。
ノーベル賞に抱いていた尊敬の念(根拠があるわけではないのに)は平和賞のデタラメさですっかり崩れた。
ところで平和賞だけはノルウェーの財団が決めているという。どうしてそうなのかは知らないが。
沖縄返還の密約の張本人の佐藤栄作に、世界一の核大国アメリカの大統領オバマを選ぶ選考委員会の見識はノーベル賞の権威を下げるのに多いに貢献した。
ダイナマイトを発明したノーベルがその自分の発明品のために犠牲になった人達(戦争)へのいわば罪滅ぼしとしてその財産を基金として始ったノーベル賞。
スエーデンといえば日本人にとっては「社会福祉の充実した北欧の国」のイメージだが、武器輸出大国でもある。
ノーベル賞はそのままスエーデン自身の姿である。

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有名作家の光と影ー山崎豊子の場合

2013年10月11日 | Weblog

日本の大人読解・数的思考力第1位(国際成人力調査)
誰を対象にして調査したのかイマイチ不明だが、それにしてはマスコミの情報を鵜呑みにして、自民党安倍政権を支持している人が多いようで、これで読解力や数的思考力があるとは、私には信じられないが。

先週、作家の山崎豊子氏が亡くなった。
私は最後の「運命の人」は読んでいないが、初期の大阪船場を舞台にした作品から日航の労組潰しが最悪の御巣鷹山墜落の遠因になったことを描いた「沈まぬ太陽」まで、2、3を除いて読んでいる。
図書館で借りて読んだものばかりだが唯一購入したのが、航空機購入をめぐる商社の熾烈な争いを描いた「不毛地帯」だった。70年代から80年代仕事で忙しく図書館に行く時間がなかったし、手近に図書館はなかった。
ちなみにその頃の図書館は今のような小説のベストセラー本を複数購入して市民に提供するような所という印象はなかった。
「不毛地帯」の主人公は元大本営参謀の一人だった瀬島龍三氏をモデルとしていた。作中では壱岐正として、近畿商事(伊藤忠商事)に招かれる。その時会社側の誘いの文句が「大本営参謀だった作戦力を買う」というふうに書かれていた。読んでいてこれには違和感を持った。「大本営参謀の作戦力って何よ。太平洋戦争末期の大本営に作戦と呼べるようなものがあったのか」と生意気に思ったが、これは別に山崎さんの考えではなく、調べた資料からそう描写したのだろう。
おそらく商事の側が欲しかったのは瀬島氏の人脈の力だったのではと思う。
敗戦後、自ら望むようにしてシベリア抑留の捕虜生活を送った瀬島はソ連ともある程度関わりを持てる関係を築いていたとも言われている。
山崎豊子といえば「綿密な調査と取材、ぼう大な資料を読み込んで作品に取り組む」という枕詞がつく作家だ。
調べた資料、取材した事柄の内、実際作品に使うのは一割ぐらいなものと本人が語っている。
ぼう大な資料の海から個人の物語を生み出す構成力は作家多しといえどもなかなか他の作家の真似のできない才能だと思う。
しかも山崎氏の小説は、よく知られた近現代史や事件に材を取った「社会派小説」で、週刊誌への連載という形を取るから人間ドラマとしても読者をひきつけながら、しかも正義を貫く人物を主人公に置き(「不毛地帯」の壱岐正はそうとも言えないが)、作家としての山崎氏の問いかけがある。
と、良いことずくめのようだが、一方で集めた資料の無断盗用ということで訴えられることもしばしばあった作家でもある。
私はこの際の山崎さんの対応には解せないものを感じてきた。
「そんな細かいことで私の作品に言いがかりをつけるな」というふうに受け取れるものだった。
だから盗用を何回も繰り返している。訴えられたことを真摯に受け止め反省はしていない。
盗用された側は無名の人達だが、それでも自分の書いたもの、それが手記であったり、ルポだったりなのだけれど、自分の書いたものという自負がある。
有名作家の大河小説の道具の一つにされたくないという思いだろう。
元出版社の編集者だった長田洋一氏によれば、有名作家、売れる作家はだいたい傲慢で、天皇のような存在らしい。
様々な人間模様を客観的な目で描く仕事をしながら、現実の自分は他愛もなく、その愚かな登場人物と同じ道を行く。
出版社の人間も自分のところに書いてもらって、それが売れて欲しいから、進んで無理難題を引き受ける。両方で滑稽なやり取りを演じているのだ。

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庶民増税とリンク「秘密保護法」

2013年10月04日 | Weblog

来年4月からの「消費税増税」が予定通り実施される政治状況だ。
マスコミ(テレビ・新聞)は、一応消費税増税が年金生活者や個人商店などの庶民の生活を直撃することには言及しているが、それは「もう仕方ない」というあきらめを報じているだけだ。
前回このブログで書いたような「輸出戻し税」のような詐欺といっていい仕組みが日本の消費税には仕込まれているということに触れた報道はいわゆるマスコミ報道には一切ない。
地方新聞である信濃毎日新聞の10月2日の社説では「企業優遇が過ぎないか」とタイトルを掲げているが、「輸出戻し税」のカラクリには触れていない。
だいたい大企業の団体である経団連は「消費税は上げろ、だけど法人税は下げろ」というのだから、これでは税収は増えず、財政の赤字は減らない。消費税増税が増え続けているとされる社会保障や医療費を保証するものでないことは、少し考えればわかる理屈だが。
輸出大企業は消費税が増税されればされるほど「還付金」が増えるのだから、この仕組みがある限り政府に消費税増税を要求し続けるだろう。
マスコミがそこに切り込まないのは、輸出大企業が大スポンサーであり、楯突くとスポンサーを下りられしまうことを恐れてのことだ。
だから普通の人の目に触れる機会の少ないマイナーな「週刊金曜日」であるとか、政党の機関紙である「赤旗」などが正論を掲げてもなかなか主流になっていかない。
しかしいくらお人よしの日本国民も、大企業・富裕層を過大に優遇し、権力から遠い庶民からなけなしの金を奪う強盗のような税金の徴収の仕組みと使われ方の事実を知れば大抗議に立ちあがり、政権を追及する動きを始めるだろう。
その時、その動きを封じようと先手を打とうとしているたくらみが「特定秘密保護法」。
政府は防衛や外交の秘密を漏らした公務員らへの罰則を強化するのが目的としているが、フリージャーナリストの青木理氏によれば、この法案制定に熱心なのは外交・防衛の当局者よりむしろ警察官僚だという。
かつての「治安維持法」の現代版を狙っているということだ。
公務員だけでなく、公務員に接触して情報を得ようとした者も処罰の対象になる可能性が多いにある。
治安維持法が跋扈した時代には、警察にこれは国体(天皇制軍国主義)を維持する上で危険だと勝手に判断され、社会主義や自由主義関係の書籍を持っていただけで警察に引っ張られ、厳しい追及を受けるという例もあった。
国民を監視し、時に脅すのは昔も今も警察がになっている。
戦時中の標語に「黙って働き、笑って納税」というのがあったという。

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