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木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

1周遅れで眺める風景

2008年06月28日 | Weblog

アメリカの北朝鮮に対する「テロ指定国家解除」が、新聞1面トップの記事でしたが、私に言わせれば、アメリカが勝手に「テロ国家」に指定して、それをまた気まぐれに「解除」したというだけ。
大騒ぎするようなことじゃないと思いますが、北朝鮮にしてみれば、イラクのような目に会わされたらたまらないから、この間は必死の「裏外交」が行われていたんでしょう。
国民の幸福には目を向けない国ですが(今の日本もそうですが)、自国の外交政策はそれなりに持っていると見受けました。
アメリカ言いなりの日本と、そこが違うところ。
NHKBS日曜の番組に「ブックレビュー」という、本の紹介番組があります。
その「著者インタビュー」のコーナーに拉致被害者の一人で、今は翻訳家として活動している蓮池薫さんが登場。
韓国の小説や、ドキュメントを翻訳して、日本に紹介しているのですが、やはり、蓮池さんとしては、本当は北朝鮮について、いろいろ書きたいだろうに、今はそれについては封印しているしかないのだなあと思いました。
特別「読書好き」というわけではなかったそうだけど、確か両親が共に教員で、家に文学全集がそろっているような環境で育ったので、それが自然に身についていて、翻訳という仕事に向かったようです。
中年になって日本に帰ってきて、「では、自分に何ができるか」と考えた時、拉致という理不尽な運命の結果ではあるが、身につけた朝鮮語を生かすことしかない、というふうに考えたようで、それは他の帰国者も同じだろうし、1日も早く、不幸な運命が逆転して、日朝両国の架け橋の先導者になる日が待たれる。
「ブックレビュー」という番組は、著名人が三人登場して、自分のお気に入りの3冊(新刊)を紹介し、そのうちの1冊を合評するという形式で、これはこれで悪くないのだが、私は、以前放送されていた「名作平積み大作戦」という番組の方が好きだった。
こちらは、かつて読んだことがある、あるいは読んだことはないが、題名は聞いたことがある、というような文庫本で出版されている作品に、もう一度光を当てて、書店でも目だつ「平積みコーナー」に並べようというもので、その作品について、薀蓄を傾けるプレゼンテーターが登場し、かつあらすじをナレーションとイラストで紹介していく。
書店員がゲストで呼ばれていて、最終的に自店で「平積み」するかどうか、彼等が判断する。
そして平積みした結果、効果あって売れたのかどうかも紹介される。
「ワーキングプア」のはびこる今の社会で売れているという『蟹工船』も、この番組で取り上げられていたという記憶がある。
またNHKの「クローズアップ現代」では、出版界の危機状況の一つとして、「ランキング主義」を取り上げていた。
ネット上などでのランキング上位の書籍に、購買が集中し、しかもそれが短期的になり、「売れない」と判断されると、書店から引き揚げられ、また新刊と入れ替わるということが繰り返され、「じっくり、じわじわ」広がっていくという売れ方、売り方が許されなくなり、出版点数は多いのに、読まれないまま廃棄される出版物が増え、出版社の倒産が加速されているというもの。
いったい、この「ランキング」というものは、最初どこから発信されるのか、大手の出版取次ぎなどで、操作でもされているのではないかと疑ってしまう。
読者も、あまりの出版物の洪水の中で、何を選んでよいのかわからず、ランキングの売れ筋に頼ってしまうということがある。
書店には新刊を売る店と、いわゆる古本を売るところがあるのだけど、そこの間にはいってきたのが「新古書店」。
古本屋の、かびくさい、変色した書籍が雑然と置かれているというイメージを一掃したのが「新古書店」。
持ち込まれた古本をきれいにクリーニングして書棚にきちんと並べる。
ただし、新古書店が買い取るのは、近刊ものの、状態のいいもの。
たまにこの手の書店をのぞくことがあるが、面白いのは、ちょっと前にもてはやされたものの、手に取る気にもなれない本の多いこと。
たとえば『失楽園』とか『国家の品格』とか、時間に耐えない。
その点、文庫本は探し甲斐がある。
私は本やドラマや映画は1周遅れ、あるいはそれ以上で触れるのをけっこう趣味にしている。
その時、読む気になったり、見る気にさせてくれるものが、私にとっていいものなんだろうと思って。



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にせ「CHANGE」

2008年06月22日 | Weblog

映画『相棒』とドラマ『CHANGE』。
テレビ朝日のドラマ『相棒』の映画版がヒットしていて、なかなかのデキというので、私も見に行った。
エンターティメントとして、とてもよくできていた。次から次へと、見ている者を飽きさせない仕掛けにあふれていた。
そしてこの映画の注目点は、映画の中で描かれる犯罪が、社会的動機に基づいているという点だ。
5年前に起こった「イラク人質事件」がモチーフになっているが、映画は別の架空の国を舞台として、そこでNGO活動をしていた青年が現地の武装勢力に拉致され、日本政府が、相手の要求を拒否したために、青年は射殺され、その処刑場面が公開される。
日本国内では、この拉致事件が起きた時、「自己責任だ」という、人質になった青年へのバッシングの嵐が、マスコミ誘導で起こり、だが処刑を境に、それはピタリと止み、誰もがその事件があったことすら忘れ、それどころか事件そのものをなかったことにしようという空気すら生まれる。
そして5年後、その時、「自己責任」論を展開したニュースキャスター、コメンテーター、判事が次々に殺害される。
見ている者は、ああ、あれは多分、あの事件のことね、とか、これはおそらくあの政治家だ、というようなことを想像できるような作りになっている。
この映画は、テレビ朝日開局50年を記念して制作されたものだというが、あの「イラク人質事件」が起きた時、テレビ朝日も時流に逆らわず、「自己責任論」を展開したはずなのに、その反省をこの映画に託したということか。
そして、木村拓也主演の政治ドラマ『CHANGE』は、与党の国会議員だった父と、父の後を継ぐはずだった兄が飛行機事故で一度に亡くなり、小学校教師だったキムタクが、にわかに立候補して当選、その上あろうことか、与党の混乱の中で、「空虚なる中心」として総理になってしまう、いかにもドラマならではの設定。
私など、事の展開は有り得ないこととしても、首相官邸の様子とか、SPの動きとか、政治のテクニックみたいなことがわかって「おもしろいな」と思って見ていたのだが、このドラマの監修をしているのは、あの小泉総理の秘書官だった飯島勲氏だった。そこは見落としていた。
このドラマは、本来なら、4月から始まる予定が5月の半ばから始まった。
現在のテレビ界では、ドラマは3ヶ月単位で完結するシステムになっているので、4月から始まっていれば6月の末には完結ということになるのだが、『CHANGE』は8月の半ばまで放送されるはずだ。
それには企みがあって、与党支配を続けるための政界再編を、いかにもそれが「CHANGE」であるかのように見せるために、このドラマが利用されるだろうという説がある。そしてそれは、サミット後の8月あたりということらしい。
国民は2度飯島氏の小賢しいシナリオにだまされるのだろうか。だまされるにはあまりに無残なこの国の壊れようだと思うが。
この脚本を書いているのは福田靖という人で、やはり木村拓也が型破り検事を演じた『HERO』というドラマや映画の脚本を書いてヒットさせたが、できたら、飯島氏らの意図の裏をかくような効果を生むドラマ展開してほしいが・・・。



宮崎勤死刑囚の刑執行。
鳩山邦夫はハンコを押すだけだが、刑の執行を実際行う刑務官達は、こう次々に執行業務を命ぜられてはやりきれないだろう。
「ニュース23」には、執行後、「死刑支持」のメールが圧倒的に多く寄せられたという。
幼女を次々に殺害し、犯行声明を送りつけ、遺体をこれ見よがしに放置する。しかも、犯行後、謝罪も、反省もしない。これは大阪教育大付属小学校児童殺傷犯の宅間守も同様だ。
これだけ材料がそろえば、人々は安心して「死刑は当然」と公言できるというわけだ。
鳩山法務大臣は、朝日新聞のコラムで「死神」と揶揄され、「正義に基づき、粛々として、執行を命じているのであって、苦悩の上の決断だ」と激怒したというが、確かに誰が執行命令をくだそうが、「死刑」という事実にかわりはないのだが、なぜか、鳩山邦夫という人物が「健康な精神の持ち主」には、私には見えない。
4世代にわたって、国会議員、大臣、といった特権の中に生きてきた一族のその中でも、とりわけ不気味な人物に思える。
宮崎勤といえども、この者による執行命令は無念ではなかったか。



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「それなりの人生」を送れる社会

2008年06月16日 | Weblog

秋葉原無差別事件からの考察。
宮城・岩手に地震発生で、報道の中心的話題を譲りつつあるが、この事件で考えさせられることは多い。
青森県下有数の進学校出身だというこの犯人の青年。
この県下有数の進学校というのは、47都道府県すべてにあるわけで、でも他府県の人間にはまったくと言っていいほど「通じない存在」だ。
これに引き換え、高校野球の甲子園出場校は優勝したり、そこまで行かないまでも好成績をあげたり、出場常連校は全国的存在になる。
長野県でいくと、松商学園の知名度は全国レベル。進学校のほうは、「ふーん、そう」で終わりだ。だから、どう、ということではないが。
中学まではトップクラスの成績で、高校に入ったとたん、相対的に成績が下がり、それをきっかけにやる気をなくし、成績はさらに落ち込む。
この現実も、昔からありふれすぎていて、「だから何なの」というところだが。
ただ、親がいくらハッパをかけても、中学あたりでもなかなかトップクラスにはなれないから、彼は学力方面では能力がないとは言えない。
高校入学とともに成績が落ち込み、引きこもりになったり、家庭内暴力でうっぷんをはらしたり、あるいはもっと以前だったら、街に出て、不良グループに入ってしまったり、はよくあるケースだと思うが、それが殺人に向かう、というのが、現代的現象のような気がする。
奈良県の医師の家庭での、成績が上がらないことで追い詰められ、放火により、結果的に継母と幼い弟妹を死なせてしまった事件。
福島での、やはり進学校に入学してから成績が思うように上がらず、心配して下宿先にやってきた母を、寝ている時に殺し、その切断した頭部を持って警察に出頭した少年の例など。
奈良県の事件の場合は部外者にも、その心理の軌跡は比較的理解できるものだけれど、福島、そして今回の無差別殺人は、その実行の心理がつかめない。
ただ、福島の事件の場合は、傍目には、明るく、頼りになる存在に見えたという、保育士だという母親の存在が、少年にはどうにも「うっとうしい存在」だったのだろう、というのは何となく理解できるが。「善意の強迫」みたいなものが少年を窒息させる恐ろしさで迫ってきたのか、とも考えられる。
有数の進学校というのは、大学進学を前提にしてるわけで、この犯人の高校時代の担任も、「進学しようと思えば、大学の工学部ぐらい入れたと思う」と言っている。
家庭の経済状況も「進学を断念」しなければならない、ということではなかったようだし。
自分が中学時代に夢見た進学先ではないかもしれないが、それなりに妥協点を見つけて、「無難な人生」を歩む選択も彼の前にはあった。
それすら許されない、例えば、連続殺人の罪を犯した永山則夫などの人生とは明らかに違うのだが。
「世界が狭い」という印象も持つ。成績が下がったら終わり、というような雰囲気が、今の進学校という学校にはあるのだろうか。
生徒に向き合う学校や教師も「世界の狭い」場であり、人なのだろうか。
大人である教師が、生徒に教えてやれることの一番の核は「挫折」や「失敗」の体験ではないかと思うのだが。
思うように行かないことが多いけど、それでも生きてきたし、生きていると。
世界の景色は年齢を重ねるにつれて変わって見えていくと、まあ、そんなことを語っても、若い生徒がすぐ共感する、ということはないかもしれないが、早まって何かしでかしてしまう歯止めぐらいにはならないか。
彼は怠け者じゃなかった。中学までは一生懸命勉強したし、高校も不登校になったわけではないようだし、周囲と何となくかみ合わなくて、職場を辞めてしまうことはあっても、それまでは真面目に仕事をしたと、職場の人達は証言している。
こんな事件が起きないよう、今できることは、労働の規制緩和で、多くの若者が「使い捨て」にされている状況を止めることだ。
「派遣労働者」だった彼に「どうせ、オレは負け組み」という気持を強く持たせたのは、この「希望のない働き方」だったわけだし、正当な職場で働いていたなら、学校の成績で「勝ち組」になれなくても(そういう人が大半だ)、「それなりの人生」がある、という考え方に転換していったのではないだろうか。まさに「それが人生」なのだから。



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情緒的なNHKのニュース報道姿勢

2008年06月10日 | Weblog

秋葉原通り魔殺人。
7人もの人が犠牲になり、10人が傷を負う。
この犯人の「負のエネルギー」は何なのだろう。
秋葉原という大都会のど真ん中の、人が最も行き交う街で、犯人の青年は自分を爆発させた。
「都会の疎外」ということを思った。
大都市の華やかな賑わいの中で、人々が行き交う。だけど、その中で、誰も自分を知らず、誰も自分に関心を持つ者もなく、注意を払わない。
仕事場でも同僚に無視され、上司には怒鳴られる。特に今は、派遣とかフリーターとか、人間性を無視される職場環境で働く若者も多い。
地方から出てきた者にとって、「都会の風」が冷たいのは昔も今も変わらないが、今はその冷たさに、さらに強さが加わっている。
犯人は、青森出身で、静岡で自動車関係の職場で派遣労働者として働いていたそうだが、「疎外」されているという状況は、大都市でも地方都市でも変わらないだろう。
私は村の中に住んでいて、生まれた村なので、年を取っても「○○ちゃん」と呼ばれている。つまりみんなが知り合いなのだ。
そういう場所では、とんでもない悪いことはできにくい。自堕落な生活に落ちることを食い止めているし、「疎外」されているという感情にはなりにくい。
そうは言っても、閉鎖的村社会では、時に被害者意識を拡大させて、親族や知り合いを攻撃して、大量殺人という事件は昔からある。
だから大量殺人行為には、村型の知り合い殺人と都市型の無差別殺人があると言える。
ところで、この事件に関するNHKの報道には「ちょっと」と首をかしげたくなった。
最近、NHKの午後7時のニュース報道はほんとにおかしい。
犠牲になった人の個人的エピソードをことさらに取り上げて流すのだ。
その人が、明るくがんばりやで、いかにみんなに好かれていたか、というような・・・。
では、皆に好かれてもいず、大して能力もなく、関心も払われていなかったような、そう、ちょうど秋葉原事件の犯人のような人の場合どう報道するのだろうか。
でもどうやら、視聴者の耳に心地のいいようなエピソードの持ち主を選んで取り上げているようだ。
ニュース報道の中で、情緒を刺激するような報道のしかたには疑問。
そして今回の事件のような、みんなが休日を楽しんでいるところに、いきなり闖入してきた犯人によって、犠牲なった場合「ほんとにひどいこと、あってはならないこと」としながら、では空爆によって、犠牲になるイラクの市民に対して、「あってはならないこと」と、そういう報道をしているだろうか。



アスベスト被害の犠牲者の多くは「最底辺」で生きた人々。
アスベスト(石綿)による健康被害は、最近、多くの人々の知るところとなったが、いわゆる「石綿産業」は、戦前から大阪泉南地方のいわば「地場産業」だった。
石綿と綿を混織する作業場はもうもうと埃がたちこめ、誰もが「体に悪い」と感じる職場環境だった。
石綿は安く、耐火性、断熱性にすぐれ、建材、自動車のブレーキ、ベビーパウダーなど用途は3,000もあるという。
泉南地方の石綿産業は、戦前は戦争遂行のため、戦後は高度経済成長の中で、健康に悪いがゆえに、「最底辺」に位置づけられた人々によってになわれてきた。すなわち、在日韓国、朝鮮人、被差別の人々、そして炭鉱閉山で職場を失った炭鉱離職者達だ。
零細工場では、換気扇も集塵機もなく、マスクは、付けていると息苦しく、、付けずに仕事をする人も多く、肺の病でおびただしい数の人が死んでいった。
05年、泉南の石綿工場はすべて廃業。明治以来100年の石綿産業の幕は閉じられた。(「週刊金曜日」5月30日号より)。
私の中学の同級生に、石綿工場の経営者の娘さんがいた。
「社長の娘」ということで、裕福な生活だったようだけど、その後、この工場も「石綿被害」ということで、従業員に訴えられ、廃業し、その後和解したと記憶している。
尼崎の「クボタ」工場による被害が大きく報じられる、随分前の話だ。



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坂田雅子さんの、その後の人生

2008年06月04日 | Weblog

坂田雅子さんのドキュメンタリー映画『花はどこへ行った』。
今日(6月3日付け)の信毎文化欄は、須坂出身の坂田雅子さんが、ベトナム戦争で米軍が使った枯葉剤の被害が今も続く現実をベトナムに取材して、映画化した『花はどこへ行った』を取り上げていた。
この映画のことについては耳にしていて、坂田雅子という名前にも覚えがあったが、よくある名前なので、私の知っている坂田雅子さんだとは思っていなかったのだが、今日の記事で、「やはり、あの坂田雅子さんだった」ということがわかった。
と言っても、私は坂田さんのことをよく知っているわけではない。
1948年生まれの坂田さんは、高校時代、交換留学生の制度を利用して、1年間アメリカに留学し、高校3年の9月に帰って来て、私達と同学年に編入した。
別のクラスだったが、60年代、地方の高校で、そんな体験をする人はめったにいないので、印象に残っていた。さらに彼女は京大の文学部に進学したので、これも、私達の女子高ではめったにないことなので、よく記憶している。
記事によれば、京大の学生時代に、ベトナム戦争に従軍経験のあるアメリカ人の夫に出会い、結婚したとある。
その時、夫は「ベトナムで枯葉剤を浴びたので、子どもをつくることはできない」と言ったという。
思えば、60年代半ばから70年代前半にわたる「ベトナム戦争の時代」は、私達の10代後半から20代前半の時代だった。
日本とアメリカの若い男女が出会って結婚したという、何気ない事実に「ベトナム戦争」の影が覆ったのだ。
その時は、坂田さん自身は「ベトナム戦争」に特に関心があるわけではなかったのだが、ところが30年後、夫は肝臓ガンで亡くなる。54歳だった。
夫の親友から「夫のガンは、枯葉剤の影響ではないか」と言われたときから、坂田さんは「ベトナム戦争・枯葉剤」に向き合うことになる。
夫のグレックさんは、フォトジャーナリストとして、アジアを中心に活動していて、坂田さんも経歴を見ると、写真関係の仕事をしてきている。
悲しみを乗り越えるために「何か行動を起こさなければ」と、ここからが、高校時代に交換留学生に応募するような積極的でガンバリ屋の坂田さんらしく、アメリカに留学し、ドキュメンタリー映画制作の基礎を学び、ビデオカメラを持って、ベトナムに取材に出かけ、またアメリカのベトナム帰還兵へのインタビュー、アメリカ軍撮影の枯葉剤散布の映像も交えて、映画を作り上げた。
枯葉剤の影響は、3世代にもおよんでいる。原爆の被害が子々孫々に及ぶのと、それは同じ構図と言えよう。
坂田さんの映画は、告発というより、深い傷を描きながら、絶望ではなく、生き続ける人間のたくましさを伝えるものになっているという。
タイトルの『花はどこへ行った』は、60年代、ピーター・ポール&マリーやジョーン・バエズが歌ってヒットした反戦歌から取っている。
14日から岩波ホールで公開され、その後、大阪、神戸、名古屋でも順次公開の予定とか。長野は未定。
坂田さんが、単なる「学校秀才」として、人生を送ったのではなく、学校を出てから進化していったという事実に、私は一番感心した。



村上春樹の世界。
村上春樹という外国でも非常に支持されている作家に、私は余り感心がなかった。
同世代、同学年であることに気づいたのも割合最近だ。自分より若い人だという錯覚があった。
あまりのベストセラーぶりに、どんなものかと『ノルウェイの森』を読んだ。特に感心しなかった。「オタク文学」だと思った。
それでも村上春樹の快進撃は続き、もう一度『海辺のカフカ』に挑戦してみた。
またも世評ほどには心を打たれなかった。私と村上の感性は相性がよくないようだ。
これまた信毎の文化欄だが、「風の歌」という村上春樹の物語世界をたどる連載がある。
学生運動が盛んだった頃に、大学生だった村上だが、彼の作品にその頃の空気を特に感じていなかったのだが、『ノルウェイの森』には、その頃の大学内の状況を描写している部分もあったのを、この連載で知った。私は忘れていたらしい。頭の中で読み飛ばしていたのだろう。
そこには、「大学解体」を声高に叫んだ学生達だったが、講義が再開されると、最初に出席してきたのは、ストを指導した学生達だった、ことが描写されているという。
私は、『二十才の原点』の高野悦子を思い出した。
彼女は、立命館大学で、全共闘運動が最も高揚した時期には、迷いながらキャンパスをうろついていたのに、運動が崩壊して孤立し始めると、逆にその孤立の隊列に入っていった。
『ノルウェイの森』の作中人物の僕は、運動を指導した学生達の言葉と行動のあまりの乖離に怒り、その怒りを授業出欠の点呼に返事をしないという形であらわす。
時流に巧みに乗っていく人間からすれば、意味のない、行動、こだわり。
村上春樹と高野悦子は「共感しあう魂」であったかもしれない。



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