木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

朝鮮南北分断は日本の植民地支配に遠因

2010年07月25日 | Weblog

金賢姫元北朝鮮工作員来日。
「今更何を」という今週最も馬鹿馬鹿しいできごと。
テレビはニュースやワイドショーでいっせいに長々とこのことを報じたが、以前ほどの「ノリ」はなかったように思う。
あまりに馬鹿馬鹿しいので、このニュースになったとたん、チャンネルを切り換えていたけど。
大韓航空機爆破事件が1987年。それから20年以上もたっているのに、彼女から新しい情報など出てくるわけがない。
それを税金を使って、VIP待遇で呼ぶなど「正気の沙汰」ではない。
こんなことをさせるために国民は「政権交代」を実現させたわけじゃない。
新聞報道によると、中井国家公安委員長主導のもと今回の招待がされたという。
さすがに新聞報道も「厚遇批判招き、成果乏しく」(信濃毎日新聞24日付け)と書いている。
「税金の無駄遣い」の典型である。
金元工作員も「断ればいいのに」と思うけど、彼女に言動の自由はないのだろう。
拉致被害が明らかになってから、自民党政府も「対話と圧力」と言い続けてきた。結果何も進展しなかった。
だいたい「対話と圧力」って成立しない。言うならば「対話と交渉」でしょう。
不幸だったのは、拉致被害に対して、その当時の与党自民党も、野党第一党だった社会党(社民党)も殆ど取り合わず、被害家族の話を熱心に聴いてくれたのが「拉致被害者を救う会」という、日本社会を戦前の天皇中心の全体主義社会に回帰させたいと思う時代錯誤の団体のメンバーだったことだ。
彼らは「拉致問題を解決」したいと思っていない。
北朝鮮という敵を意識的に作って、日本国民の憎悪をかきたて、北朝鮮の攻撃に備えるために軍備の増強や、他国への攻撃の邪魔になる憲法九条を変えたいという意志を持っている。
こうした勢力に頼らざるを得ない「拉致被害家族会」の人々が、「拉致問題」の解決を遠ざけるだけの「対話と圧力」を言う哀しさ。
日本国民は「北朝鮮を非難、批判」していれば、何か自分が「正義の人」になったような錯覚をしている。しかし・・・。
韓国ドラマファンである私は今、ケーブルテレビ経由の「衛星劇場」が放映している『ソウル1945』というドラマを見ている。
このドラマは、戦前の日本の植民地時代から日本の敗戦により解放された朝鮮半島の人々が、統一した国を切望しながら大国ソ連とアメリカの綱引きによって分断されていく悲劇を、4人の青年男女の生き方を中心に描く壮大なもの。
このドラマを見ていると、なぜ朝鮮が南北に分断され、朝鮮戦争で同じ民族同士で殺しあわなければならなかったかの大きな理由が「日本による植民地支配」にあったことがよくわかる。
日本に支配され、自前の政府を持っていなかったがゆえに、米ソに付け込まれ、引き裂かれた。
植民地時代に独立運動をしてきた人々は、米ソから自立した朝鮮政府を作る希望に燃えていたが、それはアメリカとソ連の干渉によって潰されて行く。
具体的には、大地主や富裕層は今までの特権を失いたくないと、自由主義のアメリカに頼り、一方、平等な社会を求める人々は「社会主義・共産主義」に希望を求める。しかし社会主義の大国ソ連は、自国の思い通りになる「朝鮮国」しか考えていなかった。
朝鮮半島の歴史は、大国に翻弄される歴史である。
こうした南北分断の歴史経過に対して日本人はあまりに無知・無自覚だ。
無自覚なまま北朝鮮を非難する。「拉致問題」は解決しない。

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「正しい主張をして消滅」の前に

2010年07月17日 | Weblog
選挙制度のおかしさ。
自民党は参院で第一党になったが、実は得票数・得票率ともに前回選挙より減らしていて、勝っていないのに議席だけ増えたというのは、ひとえに「選挙制度」のおかしさにある。
自民党が圧勝した1人区は農村票と公明票の下支えにプラス民主党に対する不信の結実であり、死票の多い反民主的「小選挙区」とも言える。
「参議院」とは何か、どうあるべきかという観点から考えると、衆議院と同じような選び方でいいのかと思う。
選挙区選挙はなしで、全国比例選挙のみにするとか、衆議院とは違うタイプの議員に当選して欲しいと思う。
さて、参議院で与党が過半数に達しないことをもって「ねじれだ」「ねじれだ」と大騒ぎするのはおかしい。
過半数を持っていないからこそ、与党政府が丁寧に説明をして、議論の末に結論を出す、これが「民主主義」というものだろう。
「数は力だ」というのなら、国会はいらない。
新人として初めて国会に行くと、その古い慣習にびっくりするらしい。
その慣例が時代に合わないものでも、そこに古くからいる議員や職員や党は変えたくないのだ。なぜならそうすると自分達の優位がおかされる恐れがあるから。
所属議員数で、質問時間が配分されているなど不合理だ。
少数、野党ほど政府に対して質問もあるし、対論、反論があるはずだ。
社共を国民は見捨てたのか。
今回の参議院選、最も国民の立場に立った政策を主張していたはずの社民党、共産党が議席も得票も減らしたのはどうしてなのだろう。
半信半疑ながら希望を持たせてくれていた「民主党」が、「市民派総理」の変心、豹変、裏切りで、その希望を打ち砕いた結果の先としてなぜ、社共に希望を見るほうに行かなかったのか。
それを考えていて、たどりついたのが、この二つの政治勢力が、対米従属、アメリカ言いなりで基地の負担を沖縄に押し付け、消費税増税、大企業減税、富裕層優遇税制の放置という、大変な「国民の危機」に力を合わせていないように見えることが、国民の失望につながっているということだった。
社共は多くの点で共通の政治主張をしながら、選挙やその他の政治運動で共同行動はできないのか。
かつて、60年代の後半から70年代にかけて多くの自治体で社共統一候補が首長に当選していた。
東京、大阪、京都といった大都市圏の知事を革新首長で独占していた時期もあったと思う。
これでは大変だという保守系、経済界の反撃が70年代の後半から80年代に始まり、それが功を奏して現在に至っている。
90年代に入ってのソ連及び東欧社会主義圏の崩壊がそれにとどめをさした感がある。
日本の消費増税は医療費や教育費が殆ど無料の北欧の消費税と同列にはできないのに、それが不可避と思わされ、社共以外の政治勢力は、大企業減税を唱え、選挙制度の非民主制や政党助成金には触れず、「議員定数削減」ばかりを言う。
民主主義のまさに危機なのに、「正しい主張をしながら消滅していく」、これは「国民の生活・幸せ第一」としながら、国民への背信と言われてもしかたない。
二つの勢力が共同行動を取るためにはどうしたらよいか。
自党の存続より、国民のための政治運動を、それこそが両党がこれからしなくてはならないことだと思う。
社民党には「右へ擦り寄らず」、共産党には「柔軟性を持って」、行動を起こしてほしい。
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封建時代に戻って行く日本

2010年07月11日 | Weblog
参議院選挙が終わった。
昨年の総選挙の際に掲げた公約をいとも簡単に裏切った民主党が議席を減らすのは当然としても、その票の行く先が「同類」である自民党に行ってしまうというのは何とも情けない。
消費税増税、大企業法人税減税の濁流という政治の流れを見ていると、封建時代に戻っていくような気分になる。
江戸時代、官僚化した武士階級は農民から重い年貢(税金)を取り立てた。
一方、大商人の税はその利益に比して軽いものだった。世の中が安定して経済活動が活発になるにつれて、徳川幕府は大商人からも応分の税を取ろうと乗り出すが、その都度抵抗にあって失敗している。
商業経済が発達するにつれて、武士階級自体が大商人からの借金なくしてはやっていけなくなり、役人たちはその権力をふりかざして、商人達からワイロを受け取っていて、農民ばかりが馬鹿を見る世の中だった。
あまりの年貢の重さに異議を申し立てたくても訴え出ること自体が禁じられていた。
そこで決死の覚悟で、村の代表が代官所に願い出る。佐倉宗吾郎などが知られているところだ。
今の時代は、選挙で政治家を選ぶこともでき、陳情や裁判に訴えでることもできるし、デモやストライキという手段もあるのだが、いっこうにその手段を有効に使うこともしない世の中のありようだ。
法人税率を下げて、その分、外資も呼びこみ、経済活動を活発にすれば、全体の底上げもできる、これが「小泉・竹中構造改革」の路線だったが、それで利益をあげたのは、自動車や電機関係の輸出大企業ばかりで、その利益は底上げには廻らず、企業の内部留保や株主配当、そして多額の役員報酬になっただけで、08年の末にはアメリカ発の金融危機を口実に、クビをきられ、住む場所も食べるものも失った非正規の労働者が「派遣村」を頼ったのではなかったか。
「富の偏在」、ほんの一握りの者が富を総取りする世の中は誰もしあわせにしない。
格差のひどい社会は治安が悪くなる。富裕な人々は、貧しく凶悪な連中に襲われる不安をいつもかかえ、厳しい警護で身を守ろうとする。
W杯の開催された南アフリカ、大地主制が残っているフィリピン、そして、節度のない「弱肉強食型資本主義」の中毒にかかっているアメリカなどは、格差ゆえの「社会不安」を抱えた国の代表でもある。
アメリカ人は「自分の身は自分で守る」と銃の所持を正当化するが、日常生活で銃を持たなければならないというのは不幸な生活だと思う。
後ろから撃たれたり、ちょっと油断している時にいきなり撃たれたら、自分で守るといっても防ぎようがない。
お互いに銃をむけあわなくてもいい社会、憎悪を持たなくていい社会こそが安心・幸福な社会であろう。
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沖縄戦、沖縄の米軍基地への関心は高まっている

2010年07月04日 | Weblog

長野県立歴史館の企画展。「ひめゆり平和への祈り」沖縄戦から65年。
盛況だ。土曜日であり、小中学生は入館料無料。そして「ひめゆり部隊生き残り」の方が当時のことを語るという催しがあったということも影響しているとは思うが、それ以上にこの間の「普天間基地移設問題」で、沖縄戦、沖縄の基地に対する関心が国民の間ににわかに高まっていることを感じた。
沖縄のどの地点から米軍は攻撃し、上陸したのか、それをきちんと知っている日本国民は少ないと思う。
それがパネルでわかると、遠い問題だった「沖縄の基地」がにわかに接近してくる感じがする。
沖縄戦で凄惨な地上戦が戦われている時、日本本土のほぼ中央、長野県の松代では、大本営、天皇御座所、政府機関などの疎開用の地下壕が昼夜敢行で掘られていた。この地下壕完成までの捨石、時間稼ぎが沖縄地上戦の大きな役割だった。
戦後、昭和天皇が長野市にやって来た際、「戦時中、無駄な穴を掘ったというのは、このあたりか」と、おたずねがあったというエピソードが伝えられているが、事実としたら、「それはあんまりなお言葉」と言うしかない。
「あなたのために、皇統とやらの、あなたの先祖からの家系をつなぐために、これほど多くの犠牲、ださなくてもいい犠牲を出したのに」。
それなのにあなたは、敗戦後、自身と自身の家系を守るために「沖縄をアメリカに差し出してもいい。いやそうするしかない」と、沖縄県民に問うこともせず動いたというではありませんか。あんまりです。
そしてアメリカはみずから足を踏み入れ分捕った沖縄は「俺達の領土」という意識があるようだ。

参院選も投票日まであと一週間
私が違和感を持つのは、学者とか評論家とか、ジャーナリストとか言われる人達の中でも比較的良心的であると思われているような人達が、今現在の民主党政権に寛容だという点だ。
まだ始まったばかりとか、政権を安定させることによって、政策実行させるべきとか言う。
私は「えっ?」と思う。特に菅政権になってからの民主党は昨年の選挙公約などかなぐり捨てて、「市場原理主義の暗黒社会まっしぐら」にひた走っているように見える。この流れはぜひとも止めねばならないのに。
これらの人達は社会の中で恵まれた位置にいるので、感度がやはり鈍いのではと思う。

コメント (2)
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