木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

一度目の「悪」に手を貸すと、二度目の「悪」にも手を貸すことに

2013年12月29日 | Weblog

安倍の暴走を自・公は止められない。
「特定秘密保護法」の強引な国会採決、「武器輸出三原則」を無視しての陸自銃弾をPKO韓国軍に提供、総理就任一年を期しての「靖国参拝」、沖縄辺野古埋め立ての承認を仲井真知事とこれまた強引に取り決めと、国民を無視し、かつ不幸にする政治的決断に暴走する安部晋三。
いったい与党自民党と公明党の議員たちはこれでいいと思っているのか。安倍の暴走に異議を唱え、たとえ除名処分を受けても暴挙に反対する議員はいないのか。
しかし一度、あるいは最初に「暴挙」に手を貸し、見過ごしてしまうと、次に来る「暴走」に反対することができないのだ。
自分の罪、過ちを認めることは人間にとって何とむつかしいことか。
安倍が総理になってからの一年考えてみた時、私は「連合赤軍の山中での同志殺害事件」を思い出した。
「連赤事件」について、個人誌「木漏れ日」で書いたことがあって、その時、なぜ永田洋子・森恒夫の主導する「総括」という名の同志リンチ殺人をそこにいるメンバーは止めることができず、どころか加担してしまったのか、彼等の残した手記などから考えたのがそういうことだった。
暴力を加えることで、その思想の弱さや誤りを正すなど全くおかしいことだが、その時「こんなことはおかしい。やめよう」という声を誰も上げることができず、次々と犠牲者が生まれていった。
「こんなことおかしい」と、弱弱しくつぶやくか。逃亡するという形でしか対応できなかったメンバーたち。
永田洋子は「革命左派」という毛沢東主義の組織の中で、理論的支柱でも何でもなかった。ただがむしゃらに目の前の「権力との戦い」に突き進んでいた。
安倍総理も国民全体、また日本の置かれている状況などいっさい無視して、戦後体制の脱却とやらの戦前回帰に暴走しているところが酷似している。
能力的にも高いとは言いがたい。
もうひとつ似ているところがある。永田洋子には持病があった。中学生時代に自覚症状の出たパセドー氏病に加え、脳に腫瘍ができて、その腫瘍が神経を圧迫し、時に激しい頭痛に襲われ、失神することもあった。
安倍晋三もやはり腸に持病があり、今は特効薬があって、症状が抑えられているそうだが、よく効く薬ほどまた副作用も強いものだ。
「健全な肉体に健全な精神が宿る」というが、
どうもここへ来て、その副作用がいっそう彼を狂わせているのではないかという気がする。
「靖国神社」は戦没者を祀る施設ではない。そこは中国との戦いを侵略だとは認めていないし、アメリカ及び英・蘭との東南アジア・太平洋での戦争は大東亜共栄圏のための「聖戦」だったという主張の拠点である。
そこに参拝し「尊い命を犠牲にした方々の冥福を祈る」というのは、また戦争になった時は「尊い犠牲お願いするね」という意味である。
「お前が尊い犠牲に真っ先になって手本を示せ」と言いたい。
以前にも書いたが、靖国神社に空襲や原爆、沖縄で犠牲になった民間人は祀られていない。
あくまで軍人・軍属、それもお国の言うことをよく聞いて犠牲になった人達だけが祀られている。
中国・朝鮮には居丈高。その分アメリカには這いつくばる。「ねじれ・ゆがみ」の最たる安倍晋三だが、アメリカもまた「靖国参拝失望」などと言いながら、沖縄から出ていこうとはしない。それどころがここを拠点に東アジア支配を狙っている。
日本にある米軍基地撤去。これが最適の解決法だ。
「戦争を始めるのは簡単だ。他の国が攻めて来ると言えばいい」これが今の日本の状態だ。

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放射能汚染もオスプレイの飛行ルートも知らされない世の中に

2013年12月20日 | Weblog

猪瀬知事遂に辞任。
もっと早く辞めてればこれほど傷つかずにすんだのにと思う。
これから物書きとして、猪瀬氏の書く物は信用されなくなり、かつ魅力も失ってしまった。
私は彼の出世作「ミカドの肖像」を持っていたが、処分してしまった。よかった。
辞任の前日、猪瀬氏の著書「勝ち抜く力」というのが発売され、都庁内の書店に並べられたニュースを見たが、オリンピックを招致できた内幕が書かれてあるそうだけど、招致できた力は「金」以外にない。わざわざ本を出すまでもない。
「政治家としてはアマチュアだった」、「傲慢になっていた」という言葉を最後に残した。その通りだと思う。
自公にとって猪瀬は意中の知事ではなかったのだ。

安倍政権打倒の運動を
「特定秘密保護法」は国会で、まるで小学校の学級会のごとき多数決主義で採決され、通過した。
しかしこれで矛をおさめてはならない。「廃案」を求め、その後増々軍事方面での暴走を強めている安倍政権を終らせなくてはならない。
そのための行動を法案に反対した国会議員は選挙区で、街頭で訴え続けるべきだ。
地方議会も、団体も、個人も同様。年末年始休暇モードになって、休息してはならない。
わが選挙区の衆議院議員は民主党の篠原孝氏だ。車座集会を地区の公民館で開催するというチラシを関係者が配布してまわった。
チラシの中で、秘密保護法の担当大臣、森雅子の傲慢でかつ不真面目な態度を批判している。
私も消費・少子化問題担当大臣のこの人がどうして、国家秘密を云々する担当大臣なのか不審に感じていた。
国会ではその答弁の二転三転ぶりがあからさまになったものの、全てを中継しているわけではないから、力不足とは感じるものの、不真面目・傲慢ぶりまではわからない。
篠原氏は自身の専門分野でもある食の安全に関する質問をしたのだが、秘密保護法が手一杯で、この間偽装問題が噴出したのにそちらの方はほったらかし状態で、何も対策が進んでいないという。
情報は国民のものである。それを知らされなかったばっかりに悲劇を拡大した歴史の事実に「満蒙開拓団の集団自決」がある。
篠原氏の大伯父桜井万次郎氏は敗戦後8月25日に500人もの集団自決の犠牲者を生んだ高社郷開拓団の団長だった。ただし桜井氏はその前に肺結核に冒され、開拓団を離れ帰国したために生き残り92歳の天寿を全うしたが「自分がいたらあんなことはさせなかった」と悔やんでいたという。
この時もし敗戦の事実を陸軍の兵士が各地の開拓農民に「戦争は終った。ソ連軍が参戦してくるから開拓地を捨てて早く逃げた方がいい」と言ってまわったら、今回の条文では特定秘密を漏らしたとして処罰の対象になるのだ。
事実は、満州を守っていたはずの関東軍は南に後退し、自分達の家族は秘かに日本に返したりしていたのである。
国家秘密の隠匿こそ厳罰に処すべきと篠原氏は主張している。
久しぶりに政治チラシをきちんと読んだ。読ませるものがあった。
「国には秘密にすべきものはある」と当たり前のように言うが、一体それはどういうものか例をあげて説明すべきだ。
「終戦前年の地震国民に知らせず」という新聞への投稿もあった。
昭和19年12月7日、長野市郊外の小川村に住んでいた投稿者まだ5歳。大きな揺れに恐怖を感じたが、この時の東南海地震は戦時中のこと更なる動揺を国民に与えては戦意に影響すると考えた軍によって報道されることはなかった。

 

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朝鮮半島の不幸は日本の植民地支配が元凶

2013年12月15日 | Weblog

金正恩が安倍晋三に重なって見えた。
北朝鮮の金第一書記の叔父でナンバー2とされていたチャン・ソンテク氏が処刑された。
政権内部の主導権争いで、改革解放派と見られていたチャン氏が軍部側に敗れた結果だというのが大方の見方らしいが、チャン氏は叔父=身内ということで、政敵を甘く見ていたのかもしれない。
正恩は父の正日と違って、長い時間をかけて政権を委譲されたわけではなく、ここ二年ぐらいの間に最高権力者になったわけで、明らかに政治的には未熟で、それだけに巧みにチャン氏のおごりや不正を吹き込まれれば、それを信じ、身内に甘いと思われたくないと虚勢を張ったのかもしれない。
このへんが能力的には平凡な安倍が、出自だけで総理にかつがれ、居丈高に事を進めている姿に重なって見えるのだ。
特定秘密保護法の強引な制定といい、沖縄の普天間飛行場を何が何でも辺野古に移設しよう沖縄を恫喝したりと、日本も北朝鮮並みになりつつある。
処刑と聞いて驚いている場合ではない。政治犯と凶悪犯の違いはあるが、日本でもこの間2名の死刑が執行されている。
世界の流れは重罪犯でも罪の重さを生きて感じさせ、被害者への償いの人生を送らせるという方向になっているのに、日本は司法だけでなく国民の側も深く考えてそう回答しているとも思えない軽さで「死刑」を支持している。

日本の植民地にされた朝鮮半島のその後の不幸
NHKETV特集で「忘れられた引揚者」として、敗戦後北朝鮮に留め置かれて、飢えと病気などで命を絶たれ、埋葬とは名ばかりのかの地の土になった日本人が数多くいたことを取り上げていたが、朝鮮半島は敗戦時に国家を持っていなかったために、米ソによって38度線で南北に分断され、ソ連は北朝鮮を支配化に置いたものの、ヨーロッパの支配の方を重視し、朝鮮をどうしていくかという明確な政策を持たず、そのためにいたずらに日本人引揚者が留め置かれたとは研究者の見解だ。
日本政府はというと海外からの引揚者を本土に受け入れるには食料も仕事もあらゆるものが足りないので、できれば現地の人々と共存してかの地で生活していくようにという方針だった。
しかし友好的に移民したわけではなく、武力で威嚇して乗り込み、現地の土地や財産を取り上げ、その上日本人は朝鮮人を見下し、差別してきたのだから友好が築けるわけがない。
そんなことは大陸や半島を侵略していった政府が一番よくわかっていることのはずだ。だからそれは意図的棄民である。
北朝鮮の金日成は解放の英雄ということになっているが、それは例えば毛沢東やホーチミンやカストロのような誰もが認める歴史的事実とは言いがたいものがある。それだけに「神格化」にこだわるのだ。
3代にも渡って家族で最高権力者の座につくという現代では異様な政体もそもそもは日本が植民地化したことにその根があると、日本人は自覚しなくてはならない。
南朝鮮=韓国の長年の軍事独裁政権も同根だ。
1945年、日本の敗戦で解放に沸いた朝鮮。その後自らの民主国家を作るべく模索した人々。それを打ち砕いたのは米ソという大国の主導権争いだった。
長年国民を苦しめた軍事独裁政権も、パク・チョンヒ大統領はその統治を植民地時代の日本による統治に学んだという。
新聞に掲載される週刊誌の広告を見れば、隣国への悪罵と中傷の文字が並んでいる。
この広告を見て、「そうだ、そうだ」と憎悪を掻きたて、鬱憤晴らしをするのだろうか。売らんかなでこんな特集を組むのだろうが。
しかしよく考えてみれば、中国や朝鮮が日本を侵略しようとしたことはない。
鎌倉時代に蒙古=元が攻めてきたが、あれですら元は交易を求めて来たのに、既得権を奪われると思った唐商人達の情報ばかりに頼ったために交戦と言う事態になったというのが最近の研究成果だ。
それなのに今中国が防空識別圏を設定したといって、撤回せよと息巻く。
しかし日本も米軍と一体になって防空識別圏を設定していてそんなことを言う資格はそもそもないというではないか。
夜七時のNHKニュースは安倍総理がASEAN諸国との会合で、中国の防空識別圏設定に抗議していくということで一致したと報道していたが、朝の新聞には共同声明で「脅威」という文言は削除されたとある。
新聞を読まずにNHKテレビのニュースだけを見た人は「東南アジア諸国も日本に足並みをそろえて中国を非難してるんだ」と思うだろう。
事実はそうではない。経済でお互いに関係の深い中国を刺激しないように配慮するというのが東南アジア諸国の姿勢だ。ひとり空周りの空元気は安倍だけだ。
ゆめゆめNHK政府御用たしの政治報道は信じないことだ。

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今日の惨状、それはあいまいな「敗戦責任処理」から始った

2013年12月07日 | Weblog

安倍政権倒閣運動を
参院の本会議でも「特定秘密保護法」が可決された。
しかし、法案の中身は実に不誠実、審議も不充分、国民のこの法案に対する疑問は日に日に高まっている中での強引な採決。
しかも衆参どちらも民意を最も反映しない「小選挙区・比例並立制」等で国会議員の地位を得た者達の賛成票で採択されたのだから、国民を納得させる結果では決してない。
このような政権は国民の側からノーを突きつける必要がある。議会の枠内で事を終らせてはならない。
安倍晋三の祖父岸信介が「新安保条約」を強引に成立させた時も、国民はその民主主義を無視する横暴な態度に怒って国会を包囲したのである。
実は今回の「秘密保護法」と同様、当時も条約への関心は国民の間でさほど高いものではなかった。
前年には今の天皇夫妻の結婚式が行なわれ、国民の関心はむしろそちらに集まっていた。翌年60年の2月には皇太子も誕生。岸政権にとってはまことに都合のいい状況ではあったのだ。
岸は安保条約の成立と引き換えに退陣を余儀なくされた。もしあのまま岸を居座らせたら、彼は対米従属の一方、国民の憲法で保障されている権利を奪う挙に出ていたはずだ。
岸ののちに戦前型の全体主義の日本に戻そうという野望を最も露骨に示したのは中曾根康弘だったろうか。
彼は国民の反政府運動の中心にあった労働組合の弱体化を画策する。
それが国鉄民営化=国鉄労組の解体であったことはこんにちよく知られていることである。
その後は無理矢理の2大政党制への誘導=小選挙区制の導入へと進み、こんにちの国会の恐ろしいまでの劣化となって結実。
戦後最も愚かな内閣によって、破滅への暴走を許す結果になっている。
どうしてこうなってしまったのか、それをしきりに考えてみるが、
やはりあの「昭和の大戦争」の「戦争責任」があいまいなまま終ってしまっていることに行き着く。
日本国民は戦争遂行に権力を行使した者の罪も、それに追随した自分の罪も厳しく問わなかった。
そして戦争放棄を含む民主憲法をアメリカから与えてもらった。この憲法起草に関わった占領軍民生部のメンバーは、ルーズベルト大統領とその配下、副大統領だったヘンリー・ウォレスと共通する社会民主主義的志向の人々だったと推測される。
やはり自分達の生きる権利というのは与えられたのではその価値に気づかず、勝ち取らなくてはならないもののようだ。
私達日本国民の昭和20年8月15日以前との決別の行動はこれから始る。始めなくてはならない。でなければ生きながら窒息するしかない。

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