ロンドンオリンピックNHKのバカっぷり
7時のニュースを見ようとチャンネルを合わせたが、柔道の中継が続いて、通常のニュースにならない。
北京オリンピックの時でもこんなことはなかったと記憶する。
NHKの報道ぶりには腹が立つことばかりだが、それでもその日、一日の政治や経済、社会のできごとの項目ぐらいは知れる。
私は「ロンドンオリンピック」に殆ど興味がない。以前にもこのブログで書いたと思うが、ここ10年ぐらいの現象だと思うが、わざとらしいアナウンサーやゲストの興奮ぶりばかりが鼻について、素直に見る気がしない。
スポーツ番組や科学まがいの番組を大げさに取り上げる傾向がきわまってきたなと感じていたが、遂にニュース番組も乗っ取られてしまった。
見なければいいのだけれど、受信料を払っているので腹が立つ。視聴者を見下した(スポーツや娯楽番組だけ見てろという)NHKの横暴に個人でできる抗議行動を考える時期に来ているようだ。
なぜそんなに衆院の定数を削減したがるのか。
新党「国民の生活が第一」が「衆院、現行制度で定数80減」の法案提出へという新聞記事があった。理由が民主党がマニフェストに比例定数80削減を明記した経緯をふまえ「改革の本家」をアピールするのがねらいだという。
そんなことは改革でもなんでもない。削減するのなら定数ではなくて、「政党助成金」の方だろう。
こんなことを改革の第一に上げるようでは、この新党も国民の期待には答えられない。
今、毎週首相官邸付近で「原発再稼働反対」の意志を示すために数千人から万単位の人々が集まって声を上げても国会は耳を貸さない。
圧倒的多数の国会議員が「原発容認」だからだ。
国民の声を代弁する議員を一人でも多く国会に送らなくては政策を変えさせることはできない。
国民も何かと言うと「議員の定数削減」を求める人が多いが、「政党助成金廃止」と言う人は少ない。完全にマスコミが流す情報にマインドコントロールされている。
アメリカ大統領戦なども「選挙資金」をより多く集めた側が有利というような言われ方をされるが、なぜそんなに資金が必要なのか、その常識こそ疑うべきだ。
「オスプレイ配備」風雲急。
ロンドンオリンピックの作為的大報道の影に隠そうとしている「オスプレイ配備」
日本の空が危険なオスプレイの「演習場」になろうとしている。
この配備の経過は日本の戦後の政府中枢の属米・従米・屈米の結果だが、今までアメリカの言いなりになることで、日本での支配の力を得ていた連中を追い詰める好機でもある。
しかしここまでの屈米がまかり通ってきたそもそもは、太平洋戦争敗戦後の昭和天皇の政治的動きにあったということが、アメリカの公文書などから明らかになっている。
昭和天皇は天皇制を存続させるために国を売ったのである。自分の家さえ守れれば、国も国民もどうなってもかまわないというわけだ。
戦後の昭和天皇の実像というのは国民の目から実に不可解、奇異でさえある。
あの抑揚のない「玉音放送の声」、そして国民の前に立った時のやや頼りなげな姿は自身の罪をさとられまいとする巧妙な演技だったのか。
「普通の人間ではない」ことだけは確かだ。