木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

日米の政治の不毛

2010年10月30日 | Weblog

アメリカ中間選挙が迫っている。
NHKBS放送では、今週選挙情勢を取材した番組を放映していた。
大きな期待を持たれて誕生したオバマ政権だが、政権誕生以来約2年、期待した「チェンジ」はまだ目に見えておらず、失望感が人々の間に広まり、その焦りと不安がアメリカ国民を覆っているかのような状況を伝えていた。
カリフォルニア州ロスアンゼルスではいっこうに下がらない失業率、特徴として「中間層の没落」を伝えていた。
リーマンショック以前は会社経営をし、高級住宅地に住まいを持っていた40代の白人男性は
今は家は差し押さえられ、車で生活するホームレスだ。仕事を探しているが、いまだ失業中。
自身の階層からの没落の不安におびえる人達は、その焦燥を上の階層に向けるのではなく、より貧しい人達に向けている。
それが「ティーパーティー」と言われる保守化の選挙運動となっている。
怠けて働かない黒人達のためになぜ我々の税金を使わなくてはいけないんだ、もうたくさんだ。または、
不法移民と言われる中南米からの移民達に対しても、安い賃金と長時間労働の彼らに自分達の仕事が奪われているという恨みを持つ人が増えているようだ。
メキシコのすぐ隣、アリゾナ州では移民排斥法が成立した。
不法に入国している人達は、本国に送還されることを恐れて排斥法のない州に移動したり、それを考えているということで、「移民国家・アメリカ」も今は余裕のない「排斥国家」への道を進んでいる。
アメリカ社会に根深い「人種差別主義」が保守化傾向と結びついている。
2009年夏、オバマ大統領就任半年後、長野県須坂市で開かれた「信州岩波講座」で、『ルポ・貧困大国アメリカ』の著者堤末果さんは「アメリカが見えると世界が見える」と題して講演し、もう半年にして今日のオバマ政権の失速ぶりについて、その問題点を提起していた。
「チェンジは待つものではなく、自らが起こすべきもの」と気づいた人達がいた。
堤さんが例に挙げたのはオバマを支持した女性反戦団体の「コードピンク」。
彼女達はホームページに「約束したことを思い出させよう」という言葉を掲げ、他の団体や人々と連携する動きを始めている。
あるイラクからの帰還兵は「私達の敵はホワイトハウスや戦争で利益をあげている民間企業などだと思っていた。だが帰国してもっと大きな敵に出会った。それは国民の無知と無関心だった」と言った。
堤さんは「私達市民は現実に何が起きているのかを明確に知ることです。そしてメディアや政治家に伝えていく。相手が自分が選んだ政治家ならばなおさら納得のいくまで揺さぶりをかけていくことです」と提言している。
今回の取材ではそうした動きは伝えられていなかったけど。
ではこの2年、オバマは何もしなかったのか、何もできなかったのか。
今年3月末の信濃毎日新聞「論壇」で、経済アナリストの森永卓郎氏は、オバマ政権の医療保険改革を「新自由主義路線との決別」と評価している。
日本のような「国民皆保険」の制度の創設には至ってはいないが、それでも低所得者向けの公的医療保険制度の適用対象者を広げ、中所得層・低所得層に対する減税措置を講じて、将来の皆保険への道筋をつけた。
そしてその財源を富裕層が加入する高額保険を販売している保険会社への課税、また25万ドル以上の所得がある世帯に社会保障税を課すという形で、捻出するという。
これは弱い者を切り捨てる新自由主義路線との決別であり、所得の再配分への一歩とも見えるのだが、森永氏の礼讃とは違って「骨抜きだ」という厳しい評価もある。
また、7月19日の信毎社説では「金融規制改革法案」をアメリカ上院が可決したことに関連して「国際的な論議も深めよ」という記事を掲載している。
法案は、「銀行の投機的な取引を禁止する」、「ヘッジファンドへの投資を制限する」「消費者保護の独立機関を設置」、「政府に財務長官をトップとする協議会を設置し、金融システムを監視する」が主な内容だ。
しごく当たり前すぎる内容だが、金融界は大反対。これもどうやら骨抜きになるらしいということも伝えられている。
私はここまで見てきて「大統領になること」以上に「大統領のなり方」がその後の政権運営に影響するのだなあという感想を持った。
たしかに先にあげたような草の根の団体や個人がオバマを支持し、個人献金をした。
しかし金融危機を引き起こした「ウォール街」の強欲な金融資本家達も巧みにオバマにすりより、多額の献金をした。
オバマはそうした人達によっても大統領の位置に押し上げられたのだ。
日本から見ていても不可解なと思うほどオバマ大統領の人事や政策は中途半端な気がする。
しかしこれはアメリカだけの問題ではない。
日本の民主党政権の迷走・無責任ぶりは「アメリカの後追い」の不毛な政治状況だ。
「アメリカ中間選挙」を高みから取材している場合じゃない。

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高齢者は若い人にお説教するのはやめよう。

2010年10月24日 | Weblog

「ミドルエイジクライシス」 30代の叫び。
厳しい雇用状況の中、追い詰められ、心の病を患い、自殺にまで追い込まれる今の日本の30代を追ったNHKの番組。
見ていて実に切ない気持になった。
そしてそんな30代に対してあいも変わらない上の世代(60代、70代)の無理解。
「甘えだ。ガンバリが足りない」などというメールを番組に送る、これら高齢者の気が知れない。
私もこれら高齢世代の1人だけど、私達の若い頃、みんながそんなにがんばったとは思えない。
少なくとも私はがんばったというほどではない。普通だ。
「普通の人が普通にしていて、普通の生活ができる世の中がいい」と私は思う。
偉そうに言う60代、70代が20代、30代の頃は日本の世の中が「高度経済成長時代」で、高卒で、工場や商店(スーパーマーケットや百貨店)などに就職して、普通に仕事をしていれば、徐々に給料もあがり、仕事も覚え、責任ある部署に就き、その間に結婚をし、マイカーやマイホームを持つこともできた。
しかし今は日本の経済成長時代は終わり、そこに経済のグローバル化がおおいかぶさって、それこそ誰かさんが叫んでいた「社会の構造改革」が必要なのに、大多数の国民のための構造改革はなされず、構造改革の名の許に進行したのは企業、特に大企業に都合のいい「規制緩和」だった。
労働の規制緩和、金融の規制緩和、市場の規制緩和等々。
そしてそんな労働・社会状況に放り込まれた世代が今の30代、そしてそれは20代に引き継がれている。
かつて日本の近代の歴史の中で「大正世代」というのが不運な世代であった。
開国し、世界の仲間入りをし、西洋列強に追いつき追い越せとばかりに驀進した明治時代を経て、やや成熟してデモクラシーの気風が漂い始めた大正時代に生を受けた人達が、昭和の戦争の時代の兵士として、徴用労働の担い手として国の犠牲になった。
そんな世代とどこか重なる30代世代。
仕事の上でも人としても最も力を発揮し、充実するはずの多くの30代が、正規雇用を拒まれ、正規採用されても人員削減の職場の中で、限度を越えた成果を求められ、心を病んでいく。
何という損失だろう。この世代の人達が40代、50代になっていく頃、この日本社会が崩壊していてもおかしくない状況だ。
その頃、偉そうにお説教をしている今の60代、70代は生きていれば、100歳以上の行方不明高齢者と同じくみじめに捨てられているだろう。お説教はしてないけれど私もその1人だ。
今の30代、20代もそうだろうが、助けを求めることを知らないし、つながることも知らない。
そのような「無知の世代」にしてしまったのも上の世代の責任だ。
かつて若者は社会に出れば、ある程度の規模の企業なら労働組合が機能していて、そこで会社側と交渉して自分達の権利を守る方法を知るし、組合の幹部達は組合員同士のつながりを作るためにそれなりの仕掛けをした。(学習会、趣味のサークル、キャンプやスポーツ交流など)。
労働組合は、一番底辺で搾取されている非正規雇用者に長い間目を向けて来なかった。
そして気がつけば、職場に正規雇用は管理職だけという状況があちこちで出て来てから「非正規雇用の労働者の待遇改善」をやっと言い出した。
あまりの遅きに失した感がある。
社会に出る前の学校でも「基本的人権」を定めた「憲法」を語る、語れる先生もいない。
愚痴を並べても仕方がないのだが、何をどう変えればいいのかはずい分見えては来ている。
あとは高齢者も含めて、一握りの権力者、金持ち以外の国民が「異議申したて」をすればいい。

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チリ落盤事故のリーダーに政治家の資質

2010年10月18日 | Weblog

チリ鉱山落盤事故全員救出ではリーダー格のルイス・ウルスアさんのリーダーシップが讃えられた。
限られた食料の配給制度を確立し、政府との連絡調整にあたり、作業員同士の融和にも努めたと新聞記事は伝えている。
このウルスアさんが発揮したリーダーシップこそ、一国の政治のリーダーがやらなければならないことだと思った。
現在の日本ならば、経済が縮小している時に、一部の大企業が望んでいる「消費税上げと法人税下げ」を進めるのではなく、ウルスアさんが断行したように、「分かち合いの経済」を考えるべきだし、アメリカや中国とも、日本国民の立場に立って、交渉することは粘り強く交渉するという対外的調整をし、いきなり何の説明もなく、消費税上げや
自ら身を切ると称して、衆議員の比例部分の定数削減を叫んだりするのでなく、国民によくわかるように説得し、ウルスアさんのように国民の信頼を勝ち取らなくてはならない。
チリというと、学校の教科書では硝石だの何だの鉱物資源の豊かな国と記述されていたが、わたし的には1970年代の民主連合政府「アジェンデ政権」が思い起こされる。
その政府が、CIAの陰謀によって、転覆される時、国民に向かって「私は辞任しない」というメッセージを放送局から演説し、その直後、ピノチェト一派に銃殺されたという、アジェンデの悲劇は今も鮮明だ。

「天安門事件」幻の映像。
今年のノーベル平和賞は中国の民主化活動家劉暁波に与えられたが、劉氏は、「天安門事件」の際に、現場で、興奮、激高する学生達に、軍隊と衝突して自爆するのではなく、一旦ここを退去するように説得したという。
この新聞記事を読んだ時、私はNHKスペシャルだったと思うが、ある映像を思い出した。
それは天安門前広場に集結して、政府に民主化を求める学生達が、軍隊の出動を前に議論し合って、結局その場を去ることになって、犠牲が免れたというドキュメンタリー映像だった。
しかし実際には小平はこの民主化要求を軍を出動させ、戦車で若者達をひき潰して弾圧した、中国現代史の汚点とも言うべき事態が起こったわけだが、私にはただ一回見たこの映像が妙に引っかかっている。
確かにアジテーターの役割をになった学生達は軍隊出動の前に現場を立ち去っていたが、あの映像はそれを追ったものではなかった。
その後、このドキュメンタリー映像を見ることはなかったし、話題にも上らなかったように思う。
劉氏の平和賞受賞で、もしかしたら、あの映像は劉氏が関わった場面のものだったかもしれないなという気がした。

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北朝鮮「世襲の理由」

2010年10月09日 | Weblog

ノーベル化学賞に2人の日本人が受賞したことで、大阪地検特捜部の暴走も、尖閣問題も、小澤氏起訴相当の「検察審査会」の存在の不思議さも、一気に後ろに追いやろうとするかのようなNHKを始めとしたメディアのはしゃぎぶり。
2人の化学者の業績は素晴しいものだと思うけど、「政治の不毛」や「司法の腐敗」と引き換えにはできない。
鈴木・根岸両氏の研究も2、30年前のもので、それがその後いろいろなものに応用されて、成果をあげているという事実はあるが、それより私は現在の日本の国立大学が「独立行政法人化」されて、目先の効率ばかりを数値化され、「ワーキングプアー」状態の研究者が大勢いるという現実の方が心配だ。
それと「ノーベル賞」を絶対視するのもどうかと思う。これも領土問題と一緒で、地球始まって以来の「権威」というわけでもない。
理科系の業績に対する授与に関してはまあ納得できるが、平和、経済、文学となると、どうかなあと思うのも過去にたくさんあった。
今年の「平和賞」は、中国の民主化活動家に贈られたが、多分これは台頭する中国に対する欧米の「お灸」だなと思った。
文学賞は南米ペルーの作家に。村上春樹にならなくてよかった。
そんなことになったら、さらにメディアの騒ぎはヒートアップしただろうし。
私は村上春樹の作品は特にいいとは思わない。それと春樹さんの「顔が好きになれない」。
顔立ちのことじゃなくて、顔の表情から受ける印象のこと。正直言って薄っぺらだなあという気がする。
ハンサムだから好印象を持つとは限らない。小泉純一郎元総理は整った顔立ちの人だったが、何か「狂的」な印象があって、好きになれない顔だった。
ついでにお父さんによく似た息子の進次郎も嫌だ。まだ俳優になった長男の孝太郎のほうがいくらかまし(私にとって)。
人材不足の自民党で重宝されて、無理矢理戦闘的なことを言わされて、「バカで哀れな奴」ではあるけど。
世襲という点では日本の「憎むべき敵」となっている北朝鮮では国の成立以来3代目の世襲最高指導者がお披露目された。
「社会主義国北朝鮮」で、政治指導者がなぜ世襲されているのか。
それは北朝鮮成立の過程と、最初の最高権力者に着いた金日成に「正当性」がなかったためだという。
金日成は朝鮮独立・抗日運動の一闘士に過ぎず、民衆の圧倒的支持の元、指導者の地位に就いた毛沢東やホー・チミンとはそこが違う。
それゆえ彼はソ連の後押しのもと、朝鮮戦争に踏み切るのだが、北の主導の統一の失敗、どころか同胞に多大な犠牲を強いる結果を残してしまった。
ここで金日成は失脚してもおかしくないのだが、彼は政敵や民衆の支持のある同志を理由をつけて粛清する行動に出て、権力を掌握していく。
北朝鮮に存在するのは北朝鮮労働党ではなく金日成党という個人党で、封建的王政が世襲で引き継がれているのと同じ。
世襲でしかつないでいけない体制、それが北朝鮮という国の現実、と言われれば納得のかの国の「世襲体制」ではある。
佐藤清文氏の「変われぬ北朝鮮」より。

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領土とは天からの賦与か

2010年10月02日 | Weblog

東シナ海波高し。
尖閣諸島をめぐって日中の綱引き。
というわけで、改めて地図を見てみた。尖閣諸島も韓国との領有権でもめている竹島も実に微妙な位置にある。
両島とも「歴史的に見て日本固有の領土である」と日本が主張するのはいい。しかしそれがまるでこの地球が始まって以来の「天から与えられた固有のもの」みたいなものかというと、そういうわけではないだろう。
大体、国境というものはどうやって線引きしてきたのだろうか。
大昔からそこに住み着いていたほうが、ここは自分達のエリアだと主張して、しかしそこは力関係で、よそから攻めてきた者達によって奪われたり、削られたり。逆もまたあっただろう。
大陸ではそれが繰り返されてきた。
ヨーロッパ諸国などは、大航海で海に乗り出し、南米、インド、東南アジアを占領した。
アメリカもまたイギリスの新教徒達が移住し、先住民を追いやって作った大国である。
海はどうか。船を操るのが巧みな者達が、海の獲物を追って駆け回った場所だ。
竹島も尖閣もどちらも豊かな漁場だ。尖閣のほうはガス田という資源もある。
過去に日本のかつお工場があったとか、その他日本が尖閣を自国の領土だと主張する根拠はそれなりにあるが、だからといって絶対とは言えない、微妙な位置にあると、やはり私は思う。
しかし中国の領土だと強く主張する、これまた絶対の理由もない気がする。
だから強気の中国も先に始めたガス田開発を日本との共同開発という形にすることに同意したのだろう。
日本側すれば「領海侵犯」した漁船(おそらくこの海域でぎりぎりをねらって操業する中国船は多いと想像するが)の船長以下を逮捕する前に、この違法操業をやめるようにという外交交渉はあったのだろうか。
海上保安庁を管轄する省は国交省、そして外国との交渉をするのは外務省。この間の両省の最高責任者は前原誠司氏だ。
この人の資質に危うさを感じる。「火遊び」はやめてもらいたい。
ところで、中国に刺激されたのか、ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土を視察するという。今回は天候が悪くて見送ったらしいが、こちらは位置関係から言って、ロシアが領有権を主張し続けるのは「無理筋」だ。
第二次大戦の「分捕り品」、「戦利品」のつもりだろうが、返還、もしくはそこへ行く過程としての自由な行き来の実現を外交交渉で進めるべきだろう。
突き詰めて考えれば北海道もアイヌなどの先住民のいた地域で、日本固有の領土だと胸を張れるかとも思うが、それを言い出したらキリがない。

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