木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

少数政党にも主張の場を

2007年07月30日 | Weblog

参院選挙が終わった。
自民党は議席を減らすだろう、と言われていたが、その予測を上回る敗北を喫した。
そのかわり劇的に増えたのが民主党の議席。これで2大政党制への歩みが大きく踏み出された、という向きもあるが、第3勢力あっての2大政党、と思っている私は素直には喜べない。
ただ参院第1党になった民主党には「国政調査権」なる権限が与えられるそうで、これを使って、行政の透明性を追求することができ、国民年金の使途など追求できると、民主党原口議員は張り切っていた。ぜひそう願いたい。
年金問題と、政治と金の問題がもっぱらとりあげられた今回の選挙だが、いよいよこれからは、憲法に対する立場を明確にすることが求められていく、と私は思う。
民主党の正念場だ。自民党内の護憲派にとっても。また公明党にとっても。
公明党は今回議席を1桁に減らしたが、幹部連中はあまりに下部学会員を馬鹿にしすぎた。
私は公明党の票というのは、創価学会員とその周辺の固い票で成り立っているのかと思っていたが、学会員の活発な集票活動で、かなり広範囲に支持を求めての結果だったんだなと、今回認識した。それが今選挙では働かなかった。
「平和と福祉」の看板がおろされてしまっては、外の人に支持を訴える核がなくなる。
私の投票行動は、相変わらず少数政党志向だ。
今回比例は、元外交官、天木直人氏に投票した。9条ネットという、現憲法を守るという1点で活動する政治組織からの立候補だった。
この9条ネットも、前回の「緑の会議」と同じ憂き目を見た。
マスコミに徹底的に無視された。この会の訴えが広く選挙民に届くことはなかった。
少数政党ではあったが、「新党日本」は、党首討論にも呼んでもらえ、代表の田中康夫氏の知名度もあって、田中氏は議席を得ることができたが。
少数政党だけを集めて、その党の主張を聞く機会があってもいいのに。
安倍総理を私は全く評価しないが、そもそも自民党が地方からこんなにうらまれる原因を作ったのは、小泉・竹中の無責任コンビによる構造改革とやらのためだ。
その小泉が暢気に各地に応援に出かけ、無責任な放言で人気を集めるなど、ブラックジョークもいいところ。この点では安倍総理に少し同情する。小泉でたらめ路線のあとでは、誰がなっても惨憺たる結果になったのでは。
天木氏は、この無責任総理の小泉に「イラクへの自衛隊派兵をやめるよう」進言し、それが理由で外務省を去ることになった気骨・愚直の人だ。
いつだったか、テレビ討論番組で、「日本はアメリカの言うことさえ聞いていればいい。」と、めちゃくちゃなことを言う「化石老人」岡崎久彦元外交官に対して、あきれて、言葉を返すことさえしなかった天木氏を思い出す。
しかし、ここで黙ってはいけない。反撃しなければ。
その点、サンドバッグがわりに出演依頼されているとしか思えない経済評論家の森永卓郎氏は、さすがに打たれなれている。
これはNHKの番組ではあったが、「成果主義を安易に取り入れるとどういうことになるか。上司にゴマする奴、同僚の足を引張る奴、人の成果を横取りする奴が評価されることになるんですよ」と、一気に言い放った。
あまりに的を得ていて、だれも一言も反撃できなかった。民放番組と違って、むちゃくちゃなことを大声でまくしたてるたちの悪いゲストは呼ばれていなかったせいもあるかもしれないが。
「言葉は武器」、「言葉は力」だ。政治を目指すなら特に。
もう天木さんは、政治家を志さないだろうか。打たれ強くなって、少しワイルドになって、また機会があったら挑戦してほしいが。
東京選挙区では、転入届を怠っていて、投票権がなかった丸川珠代氏が当選。
投票券が事前に届いているはずなのに、それも持たず、つまりそういう仕組みを知らずに期日前投票しようとした彼女は、今まで1回も選挙に行ったことないんじゃないだろうか。
36歳ということだが、マスコミで働いていたり、コメンテーターを務めたりしている人の中には、自分は国民一般とは違う特別な人間として、投票にも行かず、あれこれ、したり顔に、分析したり、意見を言ったりしている人もいるのでは。
丸川さんは、「自民党に入って、自民党を根本から変えたい」と言っていたが、そんなよけいなことをする必要はない。
それぞれの党は、それぞれの利益を代弁して成り立っているのだから、丸川さんの拠って立つ生活基盤に、一番近い党から出馬するのがよろしい。



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民主党が拡大すればそれでいいのか

2007年07月26日 | Weblog

参議院選挙の期日前投票を済ませてきた。
ここ2、3年は、外出ついでに投票をすませるようにして、時間を節約している。
選挙情勢は、自民党が議席を減らし、民主党に参院第1党の勢いというところだが、私には民主党の小沢一郎という人が、本当はどう考えているのかがよくわからない。
この人の口から「格差を何とかしなければ」などという言葉が出てくることに違和感がある。
これが菅直人氏からなら、非常にわかりやすく、信用してもいいかもしれない、と思えるのだが。
民主党という、あいまいな、選挙互助会みたいな政党が勝っても、自民党の引き抜きに応じていく議員が出てくるのでは、とそっちの心配をしなくてはいけない。
私は、今の日本の自民党と民主党による2大政党制など信用しないし、そんな流れには反対だ。
共産党や社民党、その他、それぞれの主張を掲げる少数政党も議会で、それなりの議席を持つ状態が望ましいと考える。
今回の選挙では、これらの第3の勢力の苦戦が伝えられているのが残念だ。
前回の参院選挙の時、私は環境問題を政策の第1に掲げ、持続可能な、経済成長を目指さない社会への転換を主張した、「緑の会議」中村敦夫さんを支持した。
今でこそ、地球温暖化に象徴される、環境の悪化は「今そこにある危機」だが、中村さんの当然過ぎる主張は、届かず、中村さんは議席を失った。
なぜ届かなかったか、それは中村さんが、参院に議席を持っているにもかかわらず、テレビメディアから完全に無視されたからだ。
自・公・民・社・共だけを集めての党首討論。もしここに中村さんが出席していれば、5党とはまた違う主張があることを選挙民が知ることとなり、選択肢がひろがったはずだ。
少数政党、少数意見を徹底的に排除する、今の公職選挙法。

立候補のための供託金のハードルも、資金の乏しい、組織を持たない、政治への志を持った人を排除している。
参院の場合、候補者の供託金、一人600万円。「緑の会議」の場合、政党の要件を満たすために10名の候補者を立てたので、しめて6000万円。
全員が落選したので、供託金6000万円は全て没収。ひどいじゃないですか、せめて、一定の得票に達した候補なり、政党に対しては全額没収しなくても。
この6000万円のかなりの部分は中村さんが肩代わりしていたと思われるので、今、中村さんは、借金返済のための執筆活動などに忙しい。
私は「公職選挙法」を精査しているわけではないが、この法は、今、政治権力を握っている側が、永久に政権を手放さないですむようにあるとしか思えない。



共産党は、常にこの国の政治や行政、企業の暗部を暴いてきた。
最近でも、自衛隊による市民監視の事実や、松岡氏の事務所経費の虚偽、国民年金のずさんな管理事務の実態の解明などに、力を発揮してきた。
なのに選挙では苦戦を伝えられ、全選挙区に候補を立てる愚を非難されさえしている。
4月の東京都知事選でも、独自候補擁立を批判された。
この主張をよくするのが、北大の政治学の教授である山口二郎氏だ。
「反自民・公明」「反石原」の票を分散させないためには、よりましな候補当選のために自党の候補をおろす決断を、時にすべきではないかと。
一見、そうかなと思わせるこの理屈、でも何かおかしい。
まず、よりましな候補とは何だろう。選挙に勝つことが最優先されて、その主張を失う候補ではないだろうか。
共産党が、政策協定にこだわるのはそのためだと思うのだが。
その上で、私が思うのは、共産党は社会の劇的変革のための革命の党として生まれ、しかし、つい最近亡くなった宮本顕治氏などの主導で、戦後、議会政党の道を歩みだすのだが、革命政党としてのあり方と議会政党としての立場が未分化で、それが党外の人に理解を広く得られない原因にもなっているような。
ただ、これは私が直感的にそう思うのであって、マルクス主義の理論をよく理解して言っているのではありません。



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宮本顕治と百合子

2007年07月20日 | Weblog

今週の大事件は、柏崎周辺の大地震。
長野も揺れた。激しい揺れというより大きい波のような揺れで、長く続く感じだったので、すぐ外へ出た。
かつては、地震があったら、すぐ机の下にもぐれ!と教えられたが、近頃は可能なら外へ出るのがよいというアドバイスを目にするので、それに従った。
幸い我が家は庭が広いので、このアドバイスに従えるが、いつ、どこでもあてはまる、というものではないだろう。高層階にいる場合、密集した住宅街などではかえって危険。
倒壊した家屋は、木造の古いもので、開口部が広く、部屋自体も広く、壁が少ないもの、という解説もあった。
私がいつも寝起きし、昼間も使っている部屋は、この定義の全てに当てはまる。
しかし、3、40年ほどの築年数で「古い」という言い方には抵抗を覚える。
家は100年保って家といえるのではないか。
私の住まいは100年は経っている。祖父が結婚するときに、新婚の住まいとして、建て増ししたと聞いている。私の父はたしか1904年生まれ(明治37年)。父の上に兄もいた。
だけど殆ど狂いが無い。地元産の最高級材を使っていると聞いている。(当時、地主として羽振りがよかったので)。
障子の開け閉めにもなんら不具合はないし、まあ、多少隙間がないこともないが、殆ど気にならない。
3、40年で古いというのは、間に合わせの用材や外材を使って作った家のことを言っているのだろうか。
それに柏崎の場合は、家が倒れたあたりは、海岸近くの、もともと砂地の地層の上に家が建てられた地域とも言っていた。
深刻なのは、日本海岸沿いにある原子力発電所群だ。
新潟、石川、富山、福井、この地域は地震多発地帯であることが証明されつつある。
原子力に代わる電源を電力会社・国をあげて、真剣に考える時がきている。
近頃、新築の家の屋根に、太陽光発電装置を最初から取り付ける家が増えているように感じる。
地域で、家庭で、電力を作る、可能性をあらゆる角度から探るべきだ。



17日、共産党の象徴とも言うべき存在だった宮本顕治氏死去。98歳。
宮本氏といえば、共産党の闘士というほかに、作家宮本百合子の10歳年下の夫という存在でもあった。
東大の学生時代に「改造」の懸賞論文で芥川龍之介の文学を論じた「敗北の文学」で、1位を獲得したほどの文芸の人であったから、百合子と出会って共鳴しあうのに時間はかからなかっただろう。
百合子は若き日の結婚に破れ、顕治と出会い結婚したのは35歳。どちらかというと、百合子のほうが積極的だったというのを読んだことがある。
これは今で言う「格差婚」だ。百合子はすでに作家として名を成していた。
顕治と出会ったことで、革命運動にも積極的に参加していくことになる。
戦中の国家権力による共産党大弾圧の結果、12年の歳月を顕治は網走刑務所に囚われる。
若い頃は柔道をやっていたそうで、98歳もの長命をたもったということは、もともと身体の頑健な人だったのだろうと思う。
酷寒の地、網走での刑務所暮らしは過酷ではあったろうが、顕治氏の共産党員としての人生にとっては幸いしたのではないだろうか。
節を曲げず、12年もの間、非転向を貫いたということが、戦後の政治生活の重みになった。
この12年を支えたのが、夫人の百合子だったが、彼女も何度か獄中生活を体験する。
父は高名な建築家。裕福な家庭に育った彼女は、それほど過酷な状況に適応できるほど体が鍛えられていたわけではなかったので、これで大分体を痛めてしまう。
顕治・百合子夫妻は生まれ・育ちからくる生活に対する価値観がずいぶんかけ離れた夫婦だった。
多分、12年の隔てが無かったら、案外に早くに破綻した夫婦になっていたかもしれない。
戦後は共産党の時代になった。何しろ日本の侵略戦争に一貫して反対してきたのは共産党だけ。
社会民主主義者も、平和を掲げる宗教者も、結局は大政翼賛して、戦争に加担してしまったのだから、大きな顔はできなかった。
作家にして共産党員宮本百合子は講演に、執筆に引っ張りだこだった。
しかし、そんな百合子に憂鬱のタネができた。
夫顕治の浮気だ。忙しい百合子が、秘書として雇った若い大森寿恵子がその相手。
実はこのことは、私はネットで検索していて知った。だから事実は定かではないが。事実無根とは思えなかった。
百合子は戦後、生き生き、それこそ「水を得た魚のよう」に活動し始めたが、過労と心労が重なったのだろう、活動数年にして、急逝する。まだ50代。
百合子を失った時、顕治はまだ40代前半、再婚は、当然の成り行きだ。
その相手が大森寿恵子。宮本寿恵子になって、子供も二人ぐらいいるはずだ。
宮本顕治の妻といえば、百合子と反射的に出てくるので、寿恵子夫人が表に立つことは殆ど無かったと思うが、百合子が亡くなったあとに付き合いというか、紹介されて一緒になった人なのだろうと思っていた。
百合子と顕治、「理想の夫婦」というわけではなかった。
「理想の夫婦」などというもは、所詮「虚構」でしかないけれど。
顕治は百合子とでは、ほっとできなかったのだろう。それを求めて平凡な女性、くつろげる女のもとに通った、という記述だった。
「日常生活」と「高遠な思想」が一体化することは、多分ないんだろう。



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自公体制vs投票率

2007年07月15日 | Weblog

参院選が公示された。でたらめになってしまった国政を少しでもまともな方向に引き戻すことができるのかが問われている選挙だ。
前回の日記で、公明党=創価学会の問題点について少し触れたが、先週のNHK「クローズアップ現代」は、アメリカにおけるメガチャーチ(大教会)の影響力について報じていた。
郊外に展開し、富裕層と貧困層の間の中間層の支持を受けているという。
生活全般について相談に乗り、ケアも怠らない。
このメガチャーチが政治にも大きな影響力を持つようになった。
宗教団体といえば、保守的で共和党の支持基盤と、おおむね決まっていたが、メガチャーチは必ずしもそうとは言えず、民主党もメガチャーチに積極的にアプローチするようになっている。
このメガチャーチのあり方は、日本でも創価学会をはじめとする新興宗教のあり方に共通している。
現代のような、地域や家族といった共同体が崩壊に向かっているときに、宗教で結ばれた共同体は、生活・仕事を始めとして、あらゆることに相談にのり、面倒を見て、お互いに助け合う。
これほど頼もしく、ありがたい存在は無い。
しかし、指導者のあり方によって、正の方向にも負の方向にもどちらにも一気に流れていってしまう危険性もはらんでいる。
アメリカ人は、日本人が思っているより、はるかに宗教的だ。
聖書の創世記などの、いわば「神話」を実際に起こったこととして、真面目に信じている人が、ごく普通の市民にも意外に多いのだという。
日本では、イザナギ・イザナミ以来の「天孫降臨」などの神話を歴史的事実として真剣に信じている人は、今のところ、よほど狂信的な人に限られているが。
しかし、歴史教科書で真実を伝えない方針を国が押し付ける動きが露骨になってきているこれからはそういう人が増えるかもしれない。
案外それは簡単だ。つい60年ほど前には「天皇は神様の子孫だ」と、信じさせられていた。
大人はまともに信じていたわけでもないだろうが、それでも何かしら自分達とは違う「特別な能力を持った存在」ぐらいには思っていたのでは。
子供はそれこそ本当に信じていただろう。
自公政権は最悪だけど最強の体制だ。投票権を行使しないとこの体制が続く。



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政治も食べ物も偽装表示

2007年07月10日 | Weblog

先週から今週にかけてのニュース。
松岡大臣の後を受けた、赤城徳彦農水大臣の事務所費経費問題。
これは、議員宿舎に水光熱費の経費を当てた、松岡氏と同根。
ただし、松岡氏と違うのは、赤城氏は60年安保問題の際に、岸信介首相の「国民の反対運動を抑えるために、自衛隊の出動を」の要請に対して、頑としてはねつけたと言われる当時の防衛庁長官、赤城宗徳氏の孫という、毛並みのいい世襲議員だということだ。ドブにまでけり落とされないかも。
今、「ニュース23」を見ながら、このブログを書いているが、新聞社の解説委員クラスによる、「参院選議席獲得数予想」をやっていた。
日経新聞系の田勢康弘氏は、かなり自民党に厳しい39プラスマイナスという数字を出していた。
この人の予想は当たるのだ。小泉郵政選挙の際、自民党の大勝を予想していた。
しかし、人は間違うこともある。今度は予想外れるかも知れないが。
朝日の星、毎日の岸井と、この3人の一致しているところは、公明党の13議席獲得はきびしいだろう、という点だ。
公明党が1議席でも減るのはいいことだ。この党は下部の創価学会員をだましている。
「福祉と平和の党」と言いながら、この間自民党と一緒にやってきたことは「弱者切捨てと戦争」に進む法案を多数決主義で押し通しただけだ。
この党を支持している層が、こうした法案の成立した社会で、最も苦しむ層と重なっているだけに罪が深い。
「宗教と社会変革」、古くて新しい命題が、いつも私たちの周りをグルグル回っている。



参院選モードに入ると、「食肉偽装」の話題が脇にどけられてしまったが、私の購読している「週刊金曜日」では、この事件に関連して、「スケープゴートにされた」という、九州大の名誉教授の論文が掲載された。
たしかに「偽装」したことは悪いが、これで健康被害を受けた消費者はいまのところいない。
o157被害や、雪印の賞味期限切れの牛乳ではお腹をこわして、特にo157では子供達が大勢犠牲になった。ただあの場合でも、業者が特定されたわけではない。
浮かび上がったのは、大量調理の危うさだった。
安いものを高く売りつけるのは罪だが、安いものをそれなりの値段で売るのはそれなりのことだ。
なにしろ「美味しい」と言ってみな食べてきたのだから。
狂牛病のおそれのあるクズ肉を使う、こちらをしっかり見張るほうが優先順位が高いと思うけど。
ブランド品のバッグなどでも、「安い」と言って買う人は、「ニセモノ」を承知はしているのだろう。
プロが見れば、縫製がやや雑だとかあるようだけど、素人がパッと見て、気になるものではないようだ。買っていく人がいるのだから。
だから表示をきちんとしましょう。
「牛肉風コロッケ」。でも内容表示を見れば、使用肉は鶏・兎・豚。
「ブランド風バッグ」。ちょっと見ただけではわからない差異がある。
消費者の問題でもある。



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『ブラックブック』社会派でかつスリリング

2007年07月05日 | Weblog

先週から今週にかけてのニュースは、「牛肉偽装」と「原爆投下しょうがない発言」。
牛肉偽装では、田中社長は、この20年来、さまざまなテクニックを駆使して偽装を繰り返していたようだ。
深夜のテレビ番組で、このミートホープの偽装肉を使った牛肉コロッケの試食をするというコーナーがあって、そこで試食した人は、本物の牛肉を使ったコロッケより、偽装肉のコロッケのほうが美味しいと答えた人ばかりだったという記事をネットで見つけた。
そうなのだ。加工食品が急激に人々の食卓にのぼるようになったのは、私の記憶では、1960年あたりから。
インスタントラーメンを初めて食べたのは、小学校5年生あたりか。
それから40年余り、私たちは加工食品の味にすっかり慣れ、本物の味、手作りの味、自然の味を忘れた。消費者が気づくはずがない。
偽装の発覚は内部告発からだ。それも最初は役所でにぎりつぶされている。
儲け主義の社長は悪い。だが、そんな社長を襲ったのも、大手からのコスト削減要求であり、さらにその上の「牛肉の輸入自由化」だ。
会社の破綻で、ようやく従業員による労働組合ができた。この20年ぐらい、私たちは「労働組合」を忘れていた。
正社員の、それも男性社員のための労働組合運動だったから、女性社員、パート社員、派遣社員にとっては何の役にも立たないものだった。
次々に起こる企業の不祥事は、「最底辺で働く仲間の立場に立った労働組合」の復権を求めている。



久間大臣の発言は失言ではない。
安倍内閣、いや、安倍首相の祖父岸信介以来の自民党政権の体質そのものだ。
アメリカの召使になることによって、維持されてきた政治権力なのだ。
久間大臣が、みすみす、政権に不利になる発言をしたのも、先の衆議院選挙で絶対安定多数を得た、気の緩み、おごりがあるからだろう。
歴史を振り返ってみても、絶対権力、多数を擁したところから崩壊が始まっている。
不思議なくらいだ。人間は「勝って兜の緒を引き締める」ようにはならないものらしい。

06年、オランダ・ドイツ・イギリス・ベルギー共同作品。映画『ブラックブック』。
監督ボール・バーホーベン
事実に基づいて着想を得た、と最初に字幕が出る。
第二次大戦末期のオランダが舞台。ナチス・ヒトラーに抵抗するレジスタンス内部の裏切りを描いて、社会派でありながら、実にスリリングな展開。
この監督は、ハリウッドで『氷の微笑』など、サスペンスタッチの映画で成功している人だという。
ドイツ軍に占領された、オランダ、ポーランド、オーストリア、フランスに当然いたであろう、ドイツ軍への協力者。
それは、最初からの協力者、レジスタンス運動に送り込まれたスパイ。そして協力者にさせられたレジスタンス運動からの脱落者。
カリス・ファン・ハウデン演じるヒロインは、ユダヤ人歌手。髪を金髪に染めて、ドイツ軍将校に接近する。
このドイツ軍将校に既視感があった。後で調べたら、ちょっと前に見た『善き人のためのソナタ』で、劇作家の役をやった人だった。
どうも欧米人の顔が、私にはなかなか区別がつかない。
戦争が終わってから、協力者、裏切り者はどうなるか。
明らかな協力者は、人々のすさまじい憎悪の対象になる。
ではレジスタンスに潜入した裏切り者はどうなるか。ここから先は映画の結末にかかわるので、書かないが、かの者の運命もまた、裁きを逃れることはできない。
この映画、ストーリーと画面展開に長けているので、「面白い映画」に仕上がっている。
長野でもミニシアターで上映しているのだが、けっこうお客さんが入っている。
最初の予定期間を延長して上映している。




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