木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

ドラマで知る韓国負の現代史

2009年05月29日 | Weblog

ノ・ムヒョン大統領の自殺。
先週、不正資金疑惑で検察から事情聴取を受けていた韓国の前大統領が自殺した。
この疑惑の全ての責任を取った形だ。
韓国では歴代大統領がみなこの泥沼に落ちている。
軍事独裁を敷いたパク・チョンヒ、パクの後継者チョン・ドファン、ノ・テウが税金の不正流用、蓄財、贈賄でその政権を維持したのは必然の流れとしても、そんな独裁政権と対峙した民主・文民政治家の金泳三、金大中両大統領もその息子や側近議員が不正資金や不正融資の疑惑で逮捕される始末。
親族に成功者が出ると、その親族の威力を借りて周囲の人間が権力をふるうようになるのは、韓国の文化・慣習でさえあるという。
それがわかっているから、利益を得たいと思う者は、大統領の身内にワイロを渡し、利権を得ようとする。
朝鮮半島の歴史には疎い私だったが、例の韓流ドラマブームにすぐはまって、さまざまな韓国ドラマを見るようになった。
その中では歴史ドラマが面白く、特に近・現代史を背景にしたドラマは韓国という国を知る大きな手がかりになっている。
今日、韓国は軍事独裁政権から血の弾圧を乗り越えて民主化を勝ち取って10数年が経過したことになるのだが、やはり同民族同士の南北分断の対立は重く社会にのしかかっている。
今見ている韓国ドラマ「第5共和国」は、79年にパク大統領が側近に暗殺されるという衝撃の事件からパクの愛弟子とも言うべきチョン・ドファンがクーデターで政権を握っていく過程を描いている。
民主化を求める光州市民の運動を空輸部隊(日本でいうと警察の機動隊に相当する治安部隊)を差し向けて弾圧し、数百人の市民を殺害したとされる「光州事件」も詳しくたどっている。
「光州事件」は韓国でも封印されていた事件で、文民大統領の時代になってようやく事件の全容が少しづつ明らかにされ、ドラマや映画でも描かれるようになった。
ここでも光州市民の勇気ある民主化要求に追い詰められたチョン・ドファンらの「新軍部」が、口実にするのが、北朝鮮からのスパイによる煽動に光州市民がのせられて暴徒化しているので、それを鎮圧するために部隊を光州に集結させるというものだった。
後の大統領になる金大中はこの「光州事件」の首謀者として軍事政権のもと死刑判決まで受けている。
すべて北朝鮮のせいにして国民をだましてきた政権が長く続いたのだ。
その政権の中で、逮捕され、拷問を受け、それでも節を曲げず、遂に大統領にまでなった人たち。それでも政治権力を得たが故の不正を無くすことができない。
ノ・ムヒョン氏も先輩達の意志を継いで「負の時代」を追及してきたその鋭い批判が大統領に押し上げた源のはずだったが、韓国の真の民主化は韓国だけではできない、北の同胞と共に成し遂げられる未来の課題なのか。

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「適正規模を維持する」これからの産業のあり方。

2009年05月21日 | Weblog
新型インフルエンザの報道では「冷静な対応」をと言うコメントが流されるが、一番冷静な対応をしていないのはテレビ報道だ。特にNHKの午後7時のニュース。
冒頭で長々とインフルエンザ関係の報道をするのだが、その内容が「こんな身近で感染した人が出てびっくりしてます」というようなどうでもいい感想を伝えたりで、「もういいから次行って」と言いたくなる。NHKの偏向報道は「新型インフルエンザ」で一段と加速している印象だ。伝えるべきことを伝えていないという意味の偏向だ。
さてその新型インフルエンザだが、そもそもはメキシコの豚が起源とされている。
メキシコではアメリカのスミスフィールド社という多国籍企業が大規模な養豚事業を展開していて、その養豚の実態が非常に問題を含んでいるとのこと。
狭いエリアにたくさんの豚を押し込め、糞尿は垂れ流し。そうした劣悪な環境でコストを抑え、安い豚肉を世界中に供給している。
メキシコから輸出される豚の実に九割は日本向けだという。
WHOやEUやFAO(国際食糧農業機関)は「伝統的な小規模の養豚業から巨大な工場型への移行は、疫病の発生と流行の危険性を増す」と警告してきたという(「週刊金曜日」)。
報道すべきはこういう事実なのに。
そしてこのような工場型畜産と対極の「宮地豚」というブランドで今注目を集めているのが宮地さんという青年。
テレビ番組に出演した宮地さんは、自身の養豚場の規模はこれ以上拡大するつもりはないとまず言った。私はそれに感心した。
農業とそれ以外の事業を同列にはできないが、何か一つ成功すると、規模を拡大するとか、出店を広げていくとかいう方向に行きがちなのにその方向に関心がないというのは素晴らしい。
宮地さんは「豚肉ってこんなにおいしいものなのか」と言われる豚はストレスのない、清潔な環境で育ってこそであり、そうなると適正規模はおのずと決まってくるのだという。
これからの時代は規模拡大、経済成長をめざすのではなく、適正規模、持続可能な経済活動を共通の価値観としていくべきだろう。
宮地さんの関心は自分自身がそういう境遇だった農家の倅のネットワークの運動を進めることにある。
「派遣切り」が社会問題になっている今日、他の仕事へのシフトということで、農業や介護の仕事へという流れがあるのだが、実際にはなかなかむつかしい。その点、農家の子供だったら、就農するのにとりあえず食と住は確保されていて、仕事のやり方は親に教わればいいので、Iターンの人たちより農業に入りやすい。
しかし倅たちも孤立していては困難にぶつかった時乗り越えられない。だからネットワークが必要になる。
ネットワークということで言えば、かつての農民組合や農協もそうだとは思うのだが、農協などは肥大化して変質していった面がある。
宮地さんたちが考えるネットワークはもっと柔軟な互いに自立したものなのだろう。
「規模拡大を目指さない」それがこれからの時代のキーワードではないだろうか。
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日本社会沈没寸前

2009年05月14日 | Weblog

民主党小沢代表辞任。で、次の代表選びで立候補したのが鳩山・岡田の元代表。
しかし鳩山さんでは選挙勝てません。岡田さんではどうかよくわかりませんが。
民主党は来たる衆議院選挙に勝利して政権を取ると本気で考えていない気がする。本気で考えているなら、今国民が最も関心を寄せている事柄の一つである年金問題のスペシャリスト長妻昭さんを代表に据えて、選挙に臨むぐらいのことをしなければ。
このままだと「麻生政権」が続いてしまう。「バカ殿」を早くやめさせないと、日本社会はとんでもないことになってしまう。もうすでに2兆円の給付金と15兆円のばら撒き補正予算で、すでにそうなってしまってはいるけれど・・・。
「定額給付金」を振り込みましたというお知らせのハガキが来た。この「給付金」に関しては、給付金を受け取るまでの事務費が膨大で、それだけでも無駄遣い。
この給付金をどうするか、私は「あしなが育英資金」と「障害者運動団体」に寄付するつもりだ。
駅前などで募金活動している姿を見ると、親を亡くして、進学の希望を断念させられることのないようにと思うが、こうした次世代の教育に今日本は最も冷たい国になっている。
市に寄付する方法もあるが、自分の意思で寄付する相手を決めたいから。
民主党の政策の中に「すべての企業・団体からの政治献金禁止」と「同一選挙区での3親等以内の世襲立候補禁止」がある。
小沢代表ではこの二つを力強く訴えるのに説得力がないし、鳩山さんも「世襲」という点でひっかかる。
「世襲問題」に関しては世襲議員が一番多い自民党からも何とかしなくてはという動きが起きた。火付け役は菅選挙対策次長だ。菅氏の念頭にあったのはおそらく小泉元総理が次男を後継候補としたことがあったのだと思う。
政治や行政の「構造改革」を叫んで日本社会をめちゃくちゃにしておいて、自分の家の構造改革には手をつけないのだからひどい話だ。
世襲政治家の一番の問題点は、「恥を知らない」点だ。
小泉氏しかり、安倍ちゃんに至っては、突然総理の職を投げ出して、議員もやめるべきなのに、また発言し始めていて、それをまた新聞が記事にしているのが情けない。「元総理」の名にも値しない人物なのだが。
同一選挙区で世襲立候補する旨味の核心は政治資金管理団体を相続税なしで親族後継者に引き継げる点で、「公然・開き直りの脱税」がまかり通っていることだ。
これに後援会の一部の人間の権益が結びついて、世襲候補が仕立てられる。
こうした流れに乗せられる一般後援会員や選挙民が愚かなのだけれど。
私はそういうこと個別にもっと批判したほうがいいと思う。
小泉次男が立候補する選挙区の選挙民は、そんなおんぶに抱っこの候補を代表に選んだとしたら、たとえ投票しなくても恥ずかしいことだと思うべきだし、投票したり選挙運動をした人たちには「自分で自分の首を絞める愚民」だと言ってやったほうがいい。

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憲法25条の具体化へ

2009年05月07日 | Weblog
日本国憲法」を改めて考える。
「憲法」と言えばまず戦争放棄を宣言した9条だが、ここ10年来の「ワーキングプアー」や去年後半あたりから顕著になった「派遣切り」問題から「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を謳った25条も国民の大切な権利として考えなければいけない時代だ。
5月3日のNHKETV特集は「今憲法25条、生存権を考える」として、「自立生活サポートセンター・もやい」事務局長であり、日比谷公園の「年越し派遣村」村長を務めた湯浅誠氏と、90年代初めから「新自由主義経済」なる資本主義の暴走に批判の論を展開してきた経済評論家の内橋克人氏の対談を組んだ。
湯浅氏は、失業、病気などで、社会的セーフティーネットから零れ落ちた人たちをサポートする「反貧困」の活動家だが、日本社会にある岩盤を感じ、それを打ち崩す困難さを訴えた。彼の言う「岩盤」とは「自己責任論」であり「働かざる者食うべからず」といった日本社会に昔からある精神論であり、ちょっとした不運や偶然で社会生活から滑り落ちてしまった人たちへの冷たい目である。
この「岩盤」を乗り越えていく力は「政治の力」ではないかと私は思うが、まあ、今の政界に挑戦することは、湯浅さんのような人にとっては、徒労意外の何物でもないかもしれないが。
内橋氏は、新自由主義と言われる経済主義は効率一辺倒というが実は最も非効率なあり方だったとする。
派遣、契約、外部委託といった働き方、働かせ方は、責任の所在をあいまいにし、仕事の質を下げ、士気を低下させ、その企業の衰退、ひいては崩壊に向かわせる、ということは今回の「金融危機」でかなりはっきりした。
今私達がはっきり自覚しないといけないのは「貧困が生まれるのは社会の責任」であり「個別の問題に目を奪われては駄目」ということだ。
湯浅氏は「活動家学校」を設立したといい、社会的に作り出されている「貧困」に対決できるスキルを持った人を増やすことに踏み出したということは、それが土台になって「新しい政治勢力」の可能性の第一歩かなと思うし、
内橋氏は「共生経済」と言う考え方で、食料、エネルギー、介護の各部門で、新しい支えあいの経済を日本各地を回って提唱している。
「資本主義」か「社会主義」か、と2項対立で考える時代ではないような・・・。
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