木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

息子を死地に立たせる母の思い。映画『陸軍』

2017年09月02日 | Weblog

木下恵介監督『陸軍』を見る
「戦争」を描いた作品の集中上映をしている長野市内の映画館で鑑賞。
さすが木下恵介、昭和19年制作というおそらく軍当局の厳しい検閲下にありながら現代の眼で見ても充分鑑賞に耐えるものになっていた。
ストーリーは幕末の動乱から始まる。ここが意表をついている。木下監督は息苦しい太平洋戦争末期の時代にあまり時間を割かず、幕末動乱、日清・日露の戦争を国民がどのような思いで見ていたかを描く。
監督が意図したかどうかはわからないが、徳川幕府が支配した250年、島原の乱後日本は大規模な戦争はして来なかったのだ。平和であったからこそ文化や娯楽が発展した。それが幕末・明治以降、薩長を中心に対外的な侵略に乗り出していく。次第に国民も対外戦争を当然の事と思うようになる。その延長上に最大のアジア侵略太平洋戦争があったのだと現代から見るとそう思わせてくれる。
九州小倉の質屋が長州に肩入れするうちに家から軍人を出すのが使命と思うようになる。一家の夫妻を演じるのは笠智衆と田中絹代。笠智衆は後年の間のあるセリフまわしではなく、あれは高齢になって彼が工夫した演じ方であることが知れる。田中絹代は美人というより愛らしいタイプで見ている側に共感を呼ぶ。そして優れた演技者である。
弱虫だった息子を兵士になれるような青年に育て上げた母だったが、「預かりものを天子様にお返しするだけ」と、出征していく息子の晴れ姿を見送りに行くのを我慢しているが、遂に耐え切れず、小倉の街を行進していく隊列の方に駆け出していく。
その時の母の万感の思いを田中絹代が見事に表現した。
よくぞここまで育ってくれた、ここまで育てた、だが息子は戦地で死ぬかもしれない、これでもう会えないかもしれない、映画は母が息子の姿を追う表情を捕らえながら終わるのである。
陸軍の依頼で作られた国策映画なのだが、陸軍が望むような映画にはなっていなかったと思われ、これ以後戦後まで木下は映画の仕事はできなかったという。
児童文学作家の山中恒は著名な児童文学作家達が戦時中に量産し、戦後それらを封印してしまった翼賛児童童話を引っ張り出して批判を加えたが、、それらにはとても戦後の鑑賞に耐えるものはないと言っても過言ではないとまとめているが
子供に戦争・侵略の正当性を納得させることには無理があるということのように思う。桃太郎の「鬼退治」のような昔話なら別だろうが。

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