スコットランドの国民投票による「独立の可否選択」は、独立後の経済的リスクを詰め切れなかった「独立推進派」の敗退となった。
しかし、それを引き留めるためにロンドン政府は、多くの自治権をスコットランドに約束したので、実質的にはスコットランド側の勝利といえよう。
マスメディアの論調も、さすがは民主主義の先進国だけあって、自分たちの将来は中央政府に言いなりになるのではなく、自分たちで決めるのはスジが通る。
ロシアやウクライナでは、武力紛争に発展する後進性とは大違いと報じた。
では、日本ではこの様な「自治権の拡大と移譲」の問題はどうなっているのであろうか。
地方分権、地域主権と公約で採りあげながら、一向に議論も深まらずに、ついに「中央政府主導の地域再生」との、看板の掛け直しで再スタートの始末だ。
北海道や九州での地方分権の要請が強いにも拘らず、相変わらずの税収の権限は中央政府の官僚たちが握っている。
ロンドンからスコットランドの距離より、遠距離にある東京の官僚たちに、自分たちの将来を握られていて、自立意欲が妨害ばかりされているのだ。
例えば、農業関連に使われる国税の予算では、既得権構造に縛られた農水省と農協の中央組織に支配されている。
農業技術も進化し、農業関係者の中の先進的な取り組みを始める経営者も多くいるのに、中央政府の規制が邪魔ばかりをしている現状だ。
北海道の農業政策と、九州地区の農業政策が、東京の霞が関で判断する様な、愚かな制度を続けることを、許せる状況ではなくなっている。
明治時代に必要であった中央による統制は、すでに、邪魔な制度に落ち込んだ。
150年前には、日本の制度は地域主権の幕藩体制であったから、農業の振興策は各藩の政治の要であった。
それが、欧米の列強国の植民地化を防ぐためには、中央集権国家の体制に革命を実施して、富国強兵政策に転換し、殖産興業を最優先の政策とした。
バブル崩壊以後の日本では、都市部と地方の経済格差が拡大し続けた。
また、大企業を優先する政策ばかりに力をいれてので、地方の中小企業や地場産業は、衰退する流れに翻弄され続けてきた。
その挙句の果ては、「総需要の減少によるデフレ経済」の長期化が原因となって、最大の問題【少子化の潮流】を深刻化させて、地方社会の消滅の懸念である。(続)