「地方創生の中身」については、中央官庁の意向を可能な限り排除して、地域の自発的、自立心に重点を置いたテーマにすべきと書いた。
その実行に役立つための財政的支援はおおいに有効だが、ひも付き的な枠をはめた補助金ではなく、自由に使い道が選択できる「一括交付金」がベストだ。
この考え方は、地方創生担当の石破大臣の構想と一致しているが、あまり大きくは報道されていない。
マスメディアの幹部たちも、この重要さがほとんど判っていないからである。
必ず出てくる批判は、中央の官庁が大所高所からの視点で、各自治体の活動を適切に指導、監督することが、発展の要である、と。
地方自治体に任せたら、レベルの低い目標か、他の自治体への広がりを期待出来ない成果に留まるから、中央で管理することが適切である、と。
この大義名分らしき「中央統制の理屈」で、官庁は国民の税金を配分する権限を維持してきたのである。
この方式で日本が発展してきたのは、1980年代のバブル崩壊前までである。
中央も地方も、不動産バブルの妄想に囚われて、あえなく崩壊したのだ。
この時期以後の日本は、新産業の育成には失敗し、金融業の護送船団崩壊、鳴り物入りの「IT産業立国」の敗退と、中央統制型の能力の限界を露呈した。
大量生産型の製造業は、海外への移転が見えているのに、従来の国内産業保護政策ばかりに、予算を割いてきた。
次世代産業は、『高付加価値製品、サービスの開発』である、との方向は多くの専門家からも提言されていたのに、中央統制では成果は乏しい限りである。
官僚たちの視野に入らない様な分野で、地元密着での「その道の匠の技」をベースにした、日本ならではの高付加価値の分野だけが、評価を上げてきた。
「和食文化」の価値も、やっと社会に認められて来た分野で、この様な感性の世界での価値は、じっくりと育て上げる時間と環境が必要なのである。
各地の「観光資源」の価値も、中央政府が口をだしたら、それこそ、魅力の乏しい「一律的観光地」が日本各地に広がって無駄に終わる。
一時期の「リゾート法」の悪影響の様に、不動産バブルを引き起こすだけだ。
高付加価値の創出は一律的には絶対に進まないし、時間のかかるテーマである。
一政党の一政権で旗を振れば、地域がそれに従って動き出す目標ではない。
石破大臣の役割は、中央支配を断ち切ることで、国民の支持なしには不可能だ。