電力の供給事業の専門家たちは、電力の十分な供給と同時に、「品質の良い電力」を消費者に届けようと努力をしてきた。
品質の良い電力とは、専門家の間では、「電圧変動が最小の電力」とか、「周波数の変動がない」など、電気製品に対する質の高さを目標にしてきた。
しかし、最終消費者の国民にとっては、そんな専門的なコトはお任せで、ほとんど高付加価値とは関連が無い。
現代は、環境性能の排出ガスがクリーンであるか、温室効果ガス排出が最小であるか、などの、現世代と次世代の健康的な生活に関心が高いのである。
1990年代から、電力生産時の「温室効果ガス排出」が、今後の大きな課題とされて、社会的にも電力事業者に対する要請も一段と厳しくなってきた。
ところが、この社会的要請にまともに応えようとしないで、電力業界は、「安全性を軽視した原発の大増設」を、地球環境対応と称して進め様としていた。
それも、40年も前の老朽化した原発を、安全性の見直しもロクにしないで、ただ、発電コストは最小で、【国民のために良い電力と誇張して宣伝】してきた。
結果は、災害に対する「大甘の想定で安全の備えは最悪」の設備を見直しせずに、電力会社の儲けを優先する始末であった。
安全性の基本をおろそかにし、地球環境に対する最良の対応策も怠ってきた【電力業界の関係者】は、国民が期待する「高付加価値」を拒否していた。
「停電をしない、電力価格が安い」の目標で、50年間も停滞した価値感で、独占的事業に胡坐をかいてきた体質では、「高付加価値」の意味が理解できない。
「安倍政権」は、この様な電力業界の怠慢な体質を見抜けず、だた、【産業界のためには電力コストが最小】に抑えることが、優先政策だと思い込んだ。
しかし、最終消費者の国民は、安全性、コストとならんで、『快適に利用出来る電力』を供給してくれるように望んでいる。
国民は「環境性能が最良」で、「枯渇性がなく安心できる」電力が、フンダンに快適に使える社会を望んでいる。
そのためには、電力価格が多少上がっても、使いたいと考え始めているのだ。
その要請に真摯に応えない企業は、大電力会社といえども、消費者からは信用されない様になり、最後は脱落する運命にある。
国民の7割が離脱したいと要望しても、「原発事業に依存」を経営方針にした「東芝」は、社内モラルの低下で衰退の運命にある。
国民軽視の結果である。(続)