国際競争力を維持するためには、人件費を抑制しなければ「海外生産品」の価格競争攻勢に負けてしまう。
グローバル化経済が進行し出した1990年以降に、大手企業や中堅企業、中小企業など、民間企業の経営者から異口同音に人件費抑制の必要性が発せられた。
しかし、人件費の抑制をすればするほど、円高傾向が進んで、結局は【価格競争力に依存した製品】は、海外生産にとって代わられてしまった。
残った製造業の製品は、日本的な特質を活かして日本流の付加価値を上げて競争力を増加させた製品が、日本の製造業の強みとして生き残っている。
つまり、人件費の抑制は、海外への生産移転を防げない上に、日本で働く人の収入を押さえつける効果で、【賃金デフレの継続】を起こしただけであった。
それでも、旧時代の産業にしがみついて生き残ることだけを優先した企業は、自社の従業員の給料を低く抑えて、経費節減に走るばかりである。
さらに、外部から調達する部品や資材は、下請け的な中小企業から買い入れるので、強圧的に人件費を抑える力がかかる。
中には、【最低賃金水準】しか出せないレベルに人件費を抑える。
コストダウンの最後の行き場は、最低賃金を低く抑えるコトに依存する。
この様な製造業界の産業構造は、バブル経済がはじけて、価格競争力依存の企業がのし上がって来た時代には、顕著に表れている。
政治家達や経済官僚は、旧時代的な外注構造を十分に知っていながら、自分たちの役割ではない、として賃金水準には関与しない様にしてきた。
旧時代の経済理論に凝り固まった、形式主義経済学者や評論家は、民間企業の給与に介入するのは、政治家やお役所が出てはいけない、との理論である。
[労使の交渉ごと]で決めるべきだ、とか、[労働市場の需要と供給で決まる]から、介入すると労働市場をゆがめる、など、机上論に終始していた。
バブル崩壊後は、労働側の立場は弱くなったので、労使交渉、労働需給にまかせては、賃金が引き下げられ、非正規雇用者の増加も急速に進んだ。
それでも、給与に関する介入は、「マスメディア」の石頭幹部達のよって、政府は関与すべきでない、との風潮を固執する空気を作りだしてしまった。
最後に行き着くところは、「慢性的な労働分配率の低下」であって、経済成長の基本となる消費需要の喚起とは逆の政策ばかりが実施された。
空白の20年間、長期低迷の経済停滞、地方経済の疲弊がさらに進んだ。(続)