国内産業を活性化させるには、国民の消費購買力を増加させることが不可欠な政策である。
月並な日常生活製品は、価格の安い海外生産品で十分だが、生活を豊かに感じる付加価値の高い製品は、国内での得意技を活かした製品に限る。
この様な品質の高い、感性豊かな製品は、日本の各地で培ってきた伝統と高い職人技に支えられた土台が無ければ、生み出されないモノである。
歴代の日本政府と中央官庁、大企業の連合隊の感性では、理解ができないレベルの「高付加価値商品」となっている。
日本は戦後の何もない状態から、大量生産の安い普及品を作りだして、生活必需品の供給を拡大して発展してきた。
その後は、技術力も向上してきた段階では、欧米では出来ない低価格での普及品に進出して、産業の規模を拡大して輸出で稼げる様になっていった。
今の中国や東南アジア諸国が実施している産業の分野で、「高度成長時代」を過ごしてきたのである。
さらに、日本の優れた感性と技術力に支えられた「高品質の新製品」の分野で成功を収めると、一気に先進国並みの経済水準に躍進して繁栄した。
高度経済成長の路線はここまでで、日本の貿易収支の大幅黒字により、円高の為替レートによって、日本での生産品は、世界貿易の中では不利になる。
1990年代からは、大量生産品の製造拠点は海外に移転するのが当然になった。
そして、今では日本での開発も海外に移転して、開発から製造、販売まで、海外での一貫した事業が、主流の経営判断になっている。
日本への輸出は、この一部を還流させるだけで事足りる時代になっている。
それ故に、大企業が手掛ける新製品や事業は、日本の縮小する市場を相手にするだけでは成立しないから、世界市場の動向を視野に展開される時代である。
こうした大きな流れを認識すれば、大量の普及品で大量生産が有利な製品は、海外での展開を基本にするのが当然の選択である。
では、日本での開発と生産品は、どの様な進化を遂げる必要があるのだろう。
それは、日本人の感性で受け入れる「高付加価値商品」の分野に特化するのだ。
この様な商品は海外での開発はできない上に、小規模であるが故に、海外生産にも適さないから、日本の地域社会の特産品的な扱いで製造するのだ。
「地域振興」を目指した「高付加価値商品」を小規模で生産する路線だ。(続)