ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

聖書の民

2021-10-11 09:57:08 | 日記・エッセイ・コラム
聖書の民とは先ずはユダヤ人であろう。
次にキリスト教の欧米系の人々である。
イスラム教の人々はコーランの民だから違うようだが、
旧約聖書も聖典の一つとされており、
だから聖書の民でもあるのだろうと。
こう見てくると聖書の民は実に多い。
ちなみにキリスト教はユダヤ教キリスト派とも謂える。
イエスはあくまでユダヤ教を伝えたのだ。
本来のユダヤ教に戻れと。
しかして、
布教しているときは人?であったが、
天に召されて神となった。
・・・・・
そこで日本人である。
日本人は聖書を持たない。
でも私は「日本人は聖書の民である」と。
それは聖書(創世記)と日本語が符号するからだ。
この世界(宇宙)は一言で言えば、
「もの」と「こと」で出来ている。
神は最初に「天と地」を創られた。
次に「光あれ」と言われたら光があった。
そこから空や陸や海、
それに草や木などの生物を、
さらに諸々創られていった。
最初の天と地は「もの」である。
それ以降は「もの」を基とした現象つまり「こと」である。
光の現象として闇を創り、
天地の現象として空や陸や海を創り、
そしてその他諸々を。
それら一つひとつは事の端である。
それは神の口から出る言葉によって創られた。
言葉とは「ことのは」であり事端に同じ。
日本語(音=かな)で読み解けば明らか。
でも最初に言葉で創られた光は実に微妙。
事実「もの」でもあり「こと」でもある。
現代物理学でもそう扱っている。
現象は「もの」を基とするが「光」があってこそだろう。
だから最初に創られたのが光なのだ。
即ち光は「もの」と「こと」を繋いでいる。
実に不可思議な「もの」であり「こと」であるのだ。
而して物事を分けて考えたとしても、
そも密接不可分且つ一心同体である。
即ち「ものごと」なのだ。
・・・・・
ここに日本の神名の妙がある。
最高神の「天照大神」は太陽神つまり光の化身である。
そこに「大物主」がいて「事代主」がいる。
「もの」と「こと」と「光」が揃っている。
この三者こそ存在の根幹かと。
人はそれを察知していたのか。
実に興味深い。
さらに物と事の違いも神名に表れる。
物は見たり触ったりできる。
分かりやすいのだ。
だから単に物主と。
事は変化の様だから捉えどころがない。
一時的には変化が無いようにも見える。
ゆえにそれは「しる」ものである。
だから「ことしろぬし」と言うと。
漢字なら知とか識だろうが、ここでは代を当てている。
何にしても妙なり。
その基は何と言っても言葉である。
「しる」とは実に言葉の技なのだ。
人間にとっては現象は言葉があってこそ捉えられる。
だから逆に現象を神の言葉に依るとしたのか。
にしても神とは?
架空の存在なのか。
そうとは言えない。
そも宇宙や生命の不可思議を想えば、
そこに人知を越えた計らいがあると、
そう思わざるを得ない。
その根源を神と呼んだ。
そのときから神は在る。
言葉とともに在る人は、
ゆえに神とともに在る。
・・・・・
存在するものはすべて神の手に依る。
だからすべては神の子である。
神の世界に神の子として在る。
その世界(場)を楽園と謂う。
人はそこで禁忌を犯した。
神威の根幹である言葉を手に入れたのである。
ゆえに神の怒りに触れ楽園を追われた。
と聖書は言っている。
それは言葉には毒があるからだ。
注意しなければ簡単に毒される。
それを嘘と謂う。
だから追われたのだ。
そこで思うのだが、
日本人は追われていないのではと。
もとより場としては誰も追われていない。
現に他の生物とともに生きている。
追われたとは次元的なことだと。
それは霊的な次元のことかと。
ともかくも、すべての現象の基は言葉にある。
だから現象が生起するとは言葉が成ることで、
その言葉を「まこと」と謂う。
それ神の言葉なり。
日本人はそれを大事に抱えている。
漢字で記せば「真言」や「誠」である。
特に誠はそのまんまで、
文字通り言が成るのだ。
ゆえに今だ楽園に留まっていると、
そう思うのです。
だから罪を背負っていない。
だから罰も受けていない。
つまり男の労働や女の出産は罰ではないのだ。
むしろ生きがいであり喜びなのだ。
そういうことかと。
・・・・・
日本では神様はどこにでもいる。
己の内にもです。
それに草や木や虫や鳥にも。
だから彼らとはどこまでも対等なのです。
同列かつ並列的に存在している。
だからかときに話しかけもする。
それは決して奇異ではないのだ。
外から見ればそう見えても。
そういう世界に生きている。
日本人は聖書の民だと言っているが、
違うところもある。
だから今はむしろ、
聖書以前の聖書の民かもと、
そう想っている。
うん!