ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

物価が上がらないのは…

2018-09-03 12:34:37 | 日記・エッセイ・コラム
日本銀行が物価目標を取り下げたようだ。
そうではない、期限を切るのを止めただけ、と言うだろう。
まあ同じことだ。
年間2パーセントの目標がどうにも達成できないのだ。
当初はお金を増やせば(金融緩和)物価は上がると考えられた。
その考えが間違ってるとは思えない。
物に比してお金の量が増えれば当然そうなるのだが。
それがそうならないのだ。
・・・・・
理由は簡単だ。
お金が増えていないのだ。
お金が実体経済の中ではちっとも増えてないのだ。
だから物価が上がらない。
これまた至極当然である。
それは広く国民に行き渡っていないということだ。
どこかで滞留してるのだろう。
それがすべてである。
お金はよく血に例えられる。
血はその身体に適した量があればいい。
それが身体全体に行き渡ればいいのだ。
少ないのは拙い。
貧血を起こす。(これをデフレと謂う)
少し多いのは悪くはないだろう。
でも多過ぎれば問題だ。
体調を崩すことになる。(これインフレと謂う)
つまり量だけの問題ではないのだ。
勿論身体が大きくなってるときは増えなければならない。
これは成長期には必要である。
ともかく身体に見合った量が必要で、
それが行き渡たればいいのである。
マネーゲームの中でだけ動いていても意味がない。
広く国民に行き渡らねばならない。
トリクルダウンを言う輩がいるが、それはまやかしである。
おこぼれでは埒が開かないのだ。
何よりも皆の収入が増えなければならない。
であるから、お金の量の調節だけで物価目標は達成できない。
日本銀行だけでは無理なのです。
むしろ歪な状況を作ることになる。
・・・・・
今次の世界は金持ちにお金が集まる仕組みになっている。
本当に賢い人ならそれくらい分かるだろう。
てか、分かっててやってるのか。
そうとしか思えない。
今や先進国では概ね同じ状況である。
お金を増やしてるのに物価が上がらないのだ。
まあ当然である。
一応必要なものは取り敢えずはある。
そんでもって庶民は収入が増えない。
だから物価が上がらない。
それでも物が不足してくれば物価は上がるだろう。
でもそうなれば社会は混乱する。
暴動が頻発するだろう。
支配者はそこが頭痛の種になる。
ならば監視社会にするしかない。
そのような状況を着々と準備している。
今のシナはそのようだ。
欧米もまた同じだろう。
キャッシュを電子マネーにしてしまうのだ。
電子マネーは皆ひも付きである。
何をしても筒抜けなのだ。
そして人々を監視する。
シナはそれを露骨にやっている。
欧米は言葉を使ってやんわり行う。
それが各種リベラル的言辞の氾濫である。
最近はやんわりでもないが。
・・・・・
日銀や財務省には賢い人が集まっている。
それなのにこの体たらくである。
どうにも腑に落ちない。
分かっててやってるとしか思えない。
そこにどんな思惑があるのか。
はたまたどういう力が働いてるのか。
どうも政治的に過ぎる。
その典型が消費税増税を推すことである。
これは広く国民から税金を取ろうとするものであり、
結果金持ちを優遇することになる。
気の利いた人は皆言っている。
そんなことしても財政再建はできない、と。
景気が悪化してむしろ赤字が増える、と。
過去の歴史がそれを証明している、と。
そも財政再建が必要なのか。
そこにも議論の余地がある。
隠れて増税の根回しをするくらいなら、
堂々と必要性を説けばいいのに。
その姑息さこそ、怪しさの表われだ。